第4話 逃げ水


「ちゅーす、二ノ宮、はっ!」


 ごっ!


「え? あ痛っ?!」


 昨晩、遅くまで眠れなかった不快指数高目の俺の背中に衝撃が走る。

 俺は突然の痛みに思わず、五分咲きくらいの桜並木に挟まれた路上に座り込んだ。


「二ノ宮、おはよ」


 見上げると、昨日三年ぶりに会話したクラスメイトが掌低を放った後のポーズを決めていた。


「……おはよ。あと痛いぞこの野郎」

「オーバーだよ、二ノ宮。ちょっと触っただけなのに」

「普通の女子はちょっと触るだけで『はっ!』とか言いません」

「二ノ宮もっと鍛えたほうがいい」

「それ以前にお前が攻撃しなきゃいいんだろうが」

「二ノ宮、何かふらふら歩いてたから、気合を入れようと」

「寝不足だからな」


 立ち上がって、さっさっと歩く。

 桜はすぐ後ろをついてくる。


「エロいこと頑張りすぎ?」

「違う! 探してたんだよ」

「性衝動の捌け口を?」

「ビオラだっ!」


 振り向いて叫ぶ。


「……」


 急に立ち止まった桜が、俺をじっと見つめた。


「何だよ」

「何が?」

「じっと見るから」

「別にいいじゃん」


 ぷいと視線を逸らすと、桜はたったと俺の前を歩き出す。

 あいかわらず掴めないヤツだ。


「あ、逃げ水」

「ん?」


 桜は俺に背を向けたまま、声をあげた。


「前にある水溜り。逃げ水」

「春なのにめずらしいな」

「今日気温高いから」

「何だよ。また追いかけるのか?」

「しない。もう子供の頃の私じゃない」


 そう言いつつも、桜は走り出した。

 そこにあるように見えて、ない。

 どんなに頑張って走っても触れられない。

 桜はきっと今でも逃げ水を追っているんだろう。

 そして――


「二ノ宮――っ!」


 少し遠くで桜が叫んだ。


「ペース遅い。このままだと遅刻――っ!」

「わかった――っ!」


 仕方なく、俺も逃げ水の方へと駆け出した。

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