第3話 笑顔


 シャカ、シャカ、シャカ


 俺達二人が黙り込んだせいか、桜の音楽プレイヤーの音が店内でヤケに大きく鳴り響いている気がした。

 口の中に麺があるのをいいことに、俺は返事を保留する。


「二ノ宮の気持ちは尊重する。でも、来週の土曜、もう一度だけ」


 俺はごくんと麺を飲み込んで、桜から視線をはずした。


「悪い、もう全然やってないから」

「大丈夫。二ノ宮なら三日でカンもどせる」

「譜面だって読めるかどうか」

「私がフォローするから」

「ビオラなんてもう物置の肥やしだ。どこにあるかわかんないし、埃かぶってる」

「私が探してあげるから。手入れもする」


 思いつく限りの言い訳を全部つぶされた。


「だけど、俺はもう」

「お願い。お願い、二ノ宮」


 まっすぐ桜が俺を見つめる。


「……本気なんだな」

「うん、マジ。大マジ」

「ピアノパートはどうするんだ?」

「そっちは大丈夫。ちゃんと考えてるから」

「三浦は誘ったのか?」

「まだ。まず手始めに簡単そうな二ノ宮から攻めてみた」

「……はぁ」


 俺は大きく嘆息した。

 三年ぶりに壊れたラジオが口を開いたと思ったら、とんだ難題をふっかけてきやがった。

 こいつは俺が三年間どんな気持ちでいたのかわかっているのか。

 俺はもう一度ため息を吐いた後、延びきった麺を箸で口に運び、


「もし、やってくれたら私にエロいことしていいから」

「ぶはっ?!」


 がしゃん!


 速攻吐き出した。ついでにお冷もひっくり返した。

 俺は顔中が急激に熱くなってくるのを感じる。


「あ、二ノ宮拭かないと」


 しかし、桜はいたって冷静だった。


「そんなことはどうでもいい! お前、今なんて言った?!」

「? 拭かないとって」

「その前だ、前! つーか、お前わかっててボケてるだろ!」

「エロいことしていいって」

「……ちょっと待て。お前絶対わかってないから」


 頭痛がしてきた。


「二ノ宮は失礼だね。エロいことの意味くらい、私知ってる。て言うか私、エロスにはうるさいよ」

「どーだか」

「二ノ宮は私じゃ嫌なの? じゃあいったいどんなコとセック――」

「言うな! 頼むから、今ここでそれ以上言うんじゃない!」


 俺は涙目で必死になって桜の口をふさいだ。


「ふ、ひゃぜ?」


 何故と言っているらしい。


「……その言葉をそっくりそのままお前に返したい」

「ふぉふぉひゃ、ふぉふぉひゃ」


 二ノ宮、二ノ宮と連呼してるらしい。


「――ごふぇん」


 ――ごめん?

 俺は桜の口から手を放す。

 桜は俺にぺこりと頭を下げた。


「――ごめん」

「二ノ宮には悪いとは、思ってる」

「友達でもない私が、ずうずうしいのはわかってる」


 とくんと心臓が鳴った。

 そうか。

 桜はそう思っていたのか。

 俺は桜をまっすぐ見られなくなった。


「私には、二ノ宮のためにしてあげられることないけど……でも……夏海との約束を、三年前の約束を、どうしても、私は、」


 桜の声が小さくなる。

 俺は箸をどんぶりの上に置く。


「桜」


 なるべく平気そうな声をだそうと努める。


「何?」

「二つお願いがある」

「いいよ」

「チェロは三浦だ。あいつ以外は考えられない」

「私もそうだよ。次は?」

「それは――終わったら話す」

「わかった。エロスだね」

「勝手に言ってろ」


 俺はそう言って、冷えたスープを胃に流し込んだ。


「二ノ宮は、変わってない」

「話して、良かった」


 桜はそう言うと、またレンゲを手にして食事を再開した。


「あとさ、」


 ラーメンを完食して、俺はようやく桜の方を見る。


「ん?」

「この店、旨いな」

「とっておきだから」


 桜はそう言って、目を細めた。

 たぶん俺が三年ぶりに見る桜の笑顔だった。

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