第43話 通夜

 その日の晩。


 千里が寝ていると


「――くん。千里くん」 


 自分の名を呼ぶ声に目を覚ます千里。


「ふわあーあ……。その声、杏子か? どうした、こんな夜中に」

「ごめんね、急に。ちょっと眠れなくて、千里くんとお話ししたいなって」


 千里は身体を起こして、


「俺なんかでよければ」


 と言って部屋の入り口で待っている杏子のもとへ行く。


「こっち、来て」


 言われるがままついていくと、折り紙やおはじきなど、綺麗なものがたくさん飾られた部屋にたどり着いた。


「この部屋って……」


「そ、杏子の部屋。ここなら、誰もいないよ」

 意味ありげに微笑む杏子に照れる千里。そこへ杏子が、


「今日も楽しかったね」


 と言うと、千里も、


「ああ、またやろうな」


 と応じる。杏子は両手を後ろで組みながら、


「千里くんたちが来てくれてほんっとーに毎日楽しい」


 と言う。


「新しい驚きと発見と挑戦かまあって、ときめきがとまらないの。そこでもうひとつ、杏子が新しいことに挑戦する手助けをして欲しいの」


 そう言うと、ぐっと顔を千里の顔に近づけて、


「杏子のこと、女にしてほしいの」 


と耳元で囁いた。


「な、なにをいきなり!」


 動揺する千里。


「そんなことは本当に好きな人に言うためにとっとけよ」


 と言うと、


「そんな人、いつ現れるの?」


 と真っ直ぐ見つめられる。


「それまで杏子、生きてられるの?」


 責めるようにではなく、むしろ、言い聞かせるように話す杏子。その声色が物語っていた。それしか道はないのだと。


「杏子は千里くんでいい、ううん、千里くんがいいの。弱いくせに強がりで、疑り深いのに本当は優しい千里くんが」

「……」

「ねえ、一生のお願いを聞いて。杏子のこと、幸せにしてほしいの」

「千里は、病気のせいで生き急いで焦ってるんじゃないんだな?」


 そう訊くので精一杯だった。


「明日の朝、千里なんかとって後悔しないんだな?」


 と尋ねる。


「うん、後悔しない」


 と杏子が頷くと、


「最後に確認だ。俺の心は他の人にもう、預けてある。それでも本当に構わないんだな?」 


 と訊くと、


「もう、ひどいよ。分かってるに決まってるじゃん、そんなことなんか。その上でお願いしてるって、なんで分かんないの?」


 と涙を流す。


「怖いの。毎日毎日今日が人生最後の日なんじゃないかって。忘れさせて、楽しいこと以外、全部」


 その表情のあまりの切なさに千里もいたたまれなくなって、


「悪かった。もうこれ以上涙は流させない」


 そう言うと千里は、自分の唇で杏子の唇をふさいだ。か弱い両肩がびくっと震えて、恐る恐る抱きしめてきた。






 翌朝の朝食、杏子は食卓に現れなかった。千里はなにも訊かなかった。 


 鬼一だけ、


「あちゃあ、杏子のやつ今日は具合悪いのかな」


 などと見当違いなことを、呟いていた。


 が、昼食にも現れなかったときは、さすがの千里も焦った。まずいことをしたんだろうかと迷ったけれど、過ぎたことはどうにもならないと割り切るふてぶてしさも持ち合わせていた。


 そして、朝昼の不在の理由が分かったのは夜食を食べている最中だった。村長の屋敷の使用人が慌ただしくやってきて、


「た、大変です! 杏子様が亡くなられました」


 と告げたのだった。


 村長はそれを聞いて、慌てるでもなく、泣きわめくでもなく、ただうなだれた後、


「そうか、どんな顔をしておった?」


 と訊いた。使用人は泣き出してしまいながら、


「それはもう、幸せそうな、安らかなお顔で……」


 と言い、それを聞いたとき、初めて千里の目からも涙がこぼれた。


 それから、慌ただしく通夜の準備がなされた。


「あの子はもとから余命いくばくもなかった。最後にあんな嬉しそうな顔がみれてよかった」


 と寂しげな顔で村長が言った。


「俺が力に目覚めてれば助けられたかな……」


 と千里が言うと、首を振って、


「いいえ、人生の幸不幸は長さだけで比べられるものではありません。杏子は、私の孫は、その一生は短かったけれど、存分に幸せに遊び尽くしました。そして、それはみなさんのおかげでもあります。鬼から守ってくれたこと、話し相手になってくれたこと、外の世界を見せてくれたこと、感謝してもしきれません。改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございました」


 やがて、千里が線香をあげる順番が回ってきた。千里が 


「さよなら、ありがとう、杏子――」 


 と言いかけたときに、


「そこをどけ、クソガキ」


 と背後から槐棘の声がした。


「な――」


 振り替えると、百や鬼一、十戒までもが臨戦態勢をとっている。


「いったい今度は何が――」


 言いかけて千里も気づいた。


 杏子の入った棺へと、紫色の霧のようなものが入っていっていることに。


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