第39話 挨拶
「旅のお話、聞かせてくれるの?」
杏子と呼ばれた少女の嬉しそうな瞳。なるほど笑ったときの瞳の色が村長そっくりだ。
「杏子は生まれたときから病弱でしてな。楽しみといえば本を読むことと旅人から聞く土産話くらいのものです。中でも、鬼狩り様たちのお話は現実であるのにおとぎ話のような興奮と波乱万丈に満ちていて、孫もたいそう喜んでくれるのです」
「なるほど、俺たちを泊めたのは、人情と、村の警備と、孫娘の楽しみとを兼ねてるってわけか」
と千里。
「まかせな! 山賊の頭(かしら)として方々を巡り歩いたあたいの引き出しは底なしだぜ!」
俄然やる気の鬼一。
「あとは、あたいもあたいと出会う前の大将たちの話を聞きてえしな」
と笑ってみせる。
「それならまずは、俺と百の出会いから話そうか」
と千里。
「季節は秋。とある村近くの山林で俺が鬼に襲われそうになったとき――」
やがて夜半が訪れて、みなすっかり眠ってしまった。囲炉裏を囲むみんなに布団やどてらをかけてから、千里は屋敷の厠へ向かった。
用を足していると、お客が来た。
おおかた、この屋敷の使用人だろうと思って、
「どうも、お世話になってます」
と挨拶してみると、
「貴様の世話などした覚えはない」
突き放した冷徹な、端的に言えばトゲのある声が返ってきた。それで、ぴん、と頭に閃いて、
「あんたが俺たち以外に泊まってるっていう鬼狩りか?」
と振り返ると、
「だったらどうした」
と、相手は動じずに用を足し始める。
「いやなに、村長から気難しいやつだって聞いてたからどんなのだろうなって思ってたけど、噂はどうやら本当らしいな」
「ふん、自分の身も自分で守れない人間風情に、どう思われようと知ったことじゃない」
「なら、同じ鬼狩りに嫌われたら気にするのかよ?」
つい挑発してみると、
「減らず口が生意気なやつだな。いっそここで斬って捨ててやってもいいんだぞ」
と用を足し終えて刀に手をかけたところで、
「それは困るな、お待ち願おう」
と十戒の声がした
「半端者の次は元忍者か。見世物小屋でも開くつもりか?」
と言うのに対して、
「連れの非礼は詫びよう。ただ、やはり噂は本当だったと言わざるを得んらしいな」
と言うと、
「ふん、勝手にほざいてろ」
そう吐き捨てて去っていく。
「サンキュー十戒。あやうく辻斬りに遭うところだった」
と千里が言うと、
「そうなっても身から出た錆だろうな。斬られてから後悔しても遅いんだぞ」
と戒められる。
「まあ、最悪の初対面だったのは認めるよ。……それにしても、あいつどのくらい本気で俺を斬ろうとしてたんだろうな」
「拙者が感じ取れた殺気では、半々といったところだろうな」
「……以後口のききかたには気を付けます」
それを聞いて背筋の凍る思いがする千里だった。
翌朝。
「なあ、せっかくだしみんなで挨拶しにいかねえか?」
千里が朝食の席で提案する。
「実は昨晩、厠でちょっとした言い争いみたいになっちまって。その詫びと俺たちの顔見せってことで、ひとつどうだろう?」
「はっ、てめえの尻くらいてめえで拭きやがれ。厠だけにな!」
と言って一人ぎゃはははと笑う鬼一。こういうところを見ると改めて山賊だったんだなと思い知らされる。
「わたしはかまわない。みんなも、行こう」
と百が言うと、
「ちっ、大将が言うんなら仕方ねえ」
と、こちらも十戒と同じく百の言うことだけはきくらしい。
かくして、村長に事情を話し、宿泊してる部屋を教えてもらった一行は、さっそくその部屋へと向かった。
まず、先頭に千里が立って、
「もしもし。昨晩厠で会った小僧だ。非礼を詫びがてら挨拶に来た」
と言うと、
「人間風情の詫びなんていらねえよ」
と言うので、
「なら、鬼狩りの挨拶ならいるのかよ」
と鬼一も喧嘩腰で話しかける。
「おい、まずい、十戒! この二人混ぜるな危険だ! 二人ともチンピラみてえだもん!」
と小声で耳打ちすると、
「聞こえてるぞ、小僧!」
障子の向こうから怒りの声が飛んできた。
「わ、わりい! けど俺は千里ってんだ。あんたの名前も教えてくれよ」
と言うと、
「自分より弱いやつに名乗る名前なんざ持ってない」
と返すので、
「強いか弱いか試してみる?」
と百がのってみせると、
「はん、まだ半鬼としての真の力にも目覚めてないやつごときが、オレを倒せるわけないだろう」
と見抜いてくる。
「あなたは目覚めてるの?」
「言うまでもない」
「それなら、天狗の力をものにしたあたいが相手してやらあ!」
と鬼一が言うので、
「ちっ、いちいちうるさい連中だな。名乗れば黙って消えてくれるのか?」
と向こうから折れてくる。
「まあ、挨拶するっていう目的は達成されるわけだし? 名前を教えてくれたら去ってもいいぜ」
と千里が言うと、
はああー……と大きなため息をひとつついて、
「槐棘(かいきょく)だ。とっとと失せろ、ガキども」
と障子を一度も開けることなく、一度目の挨拶は終わった。
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