第36話 鬼一
天狗の名前は鬼一(きいち)といった。
誰が見ても分かるように、烏天狗と人間の間に生まれた半鬼だった。鬼一は誰からも愛されずに半鬼として育った。鬼印を押されて早々、物心つく前に生まれた村から追い出された。
やがて通りすがりの半鬼が師匠として鬼一を引き取ったが、この師匠も放任主義で、奴隷のように扱われた。物心つく頃に、やっとこんな現状はおかしいと気づいて師匠のもとから身一つで逃走した。
ところが、逃げ出したところで欲しかったものは何一つ手に入らなかった。親の愛情も、友だちとの絆も、雨風をしのぐ住居も、およそ「家」と呼べるものを、なにひとつ持たなかった。鬼一は強く、ほとんど執着と呼んでいいほど苛烈にそれらを求めた。羨んだ。しかし、どうあっても手に入らないものだと気づいたとき、鬼一の心に歪みが生まれた。
人も半鬼も自分の味方ではないと悟ったのだ。やがてやさぐれて、心の穴を埋めるために非行にはしり、盗みに喧嘩に飲酒に手を出した。やがて、山賊まがいのことをするようになった。力で奪う。そのうち、とある山賊が人間を襲ったのを目にし、漁夫の利を狙い山賊を襲った。すると、降参した山賊たちはこう言った。
――俺たちの負けだ。部下にしてくれ!
――あんたが大将になってくれりゃあ、俺たちは負け知らずだぜ!
――あんたみたいに強い人間を探してたんだ!
頭を下げて頼み込む者まででてきた。そのとき初めて誰かに頼りにされる幸せを知った。力があれば尊敬される。他者が自分の元へ集まってくれる。そこから人格形成がさらに歪になっていった。あらゆる外法を学び、天狗として力をつけ、剣術の研鑽も怠らなかった。修験者の格好をした忍者はそのことを見抜いた。そして、なんの力も持ってなさそうな少年は鬼一の心の弱さを見抜いた。
――あんた、自分の居場所が欲しかったんだろ。
その上で言ったのだ。
――俺たちがあんたの家族になってやる。
と。
力がなければ必要とされないこの世の中で、負けた自分を、心にまで弱さを抱える自分を、そうと知りながら、あるいは、それゆえに必要としてくれた。
鬼一は涙を隠せなかった。たった一言、この一言が欲しかったがために、どれだけ涙を流してきたことだろう。どれだけ他人を傷つけ、この手を汚してきたことだろう。
けれど、もういいのだと少年は言う。
――けど、もういいんだ、誰かに恨まれると知りながら悪事を働くことも、自分を強く見せるために虚勢を張り続けることも。もう、いいんだ
山賊であることをやめて、ごく当たり前の幸せを手に入れてもいいのだと。そして鬼一の部下たちの働き先まで見つけてくれるという。
――俺たちがあんたの本当の家族になる。一緒に笑って、一緒に怒って、一緒に泣いてやる。なあに心配ない。家族かどうかに血の繋がりは関係ないだろ?
ならば、もう、どこにもなかった。
差し伸べられた手を拒む理由など。
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