第19話 All Alone With You

「百ぉっ――!」


 断頭台にあがったかのようにうなだれる百を突き飛ばす千里。直後に、一瞬前二人がいた場所に大剣が突き刺さる。


「百……さっきの、どういうことだよ!?」


 たまらず押し倒した百の胸ぐらを掴む千里。


「……見たとおり」 


 すでに死人になってしまったかのような虚ろな瞳で答える百。それが余計に千里を苛立たせた。


「そういうことじゃねえ! お前が死ねば元に戻るのかよ!」

「――!」

「朱音さんも! お前が手にかけた村のやつらだって!


 お前が死ねばみんな生き返るのかよ!?……そんなことねえだろ。死んだところでお前が犯した罪は消えないし、なんの解決にもならない。……朱音さんはお前が死ぬことなんか望んじゃいなかった。生きてほしいと思ってた。


 そのために、命をも捨てた。それだけの覚悟をしてたんだ。他の誰でもねえお前自身のためを想って。お前はそれを背負わなきゃならねえ。人を殺した罪も生き延びた罪も、両方とも背負って歩き続けなきゃいけねえ。


 そりゃあ、俺だって、死にたくなることくらい、これまでに何度も、何度だって……!


 けど、いっぺんこの世に生まれ落ちたなら最後まで生き抜かなきゃ嘘だ! 狡くても、卑怯でも、醜くても、泥臭くあがき続けなきゃなんねえんだよ!それが生きるってことなんだよ!」


 熱い千里の言葉に動揺する百。それでも、なおも自身の意志を伝える。


「でも、私は鬼を殺さないと。そして私は人を殺した鬼だから、私は私を殺さないと……」

「違う! お前は鬼なんかじゃねぇ!」

「え……?」

「死にかけた俺の命を救ってくれたろ! 誰かを想って涙を流すことだってできるだろ! 虹を見て綺麗だと思い、花を見て笑顔にだってなれる。そういう大事な心をちゃんと持ってる。だから俺は何度だって言う。お前は鬼なんかじゃねぇ」

「じゃあ、私は何者だと言うの!?人をこんなにたくさん殺した私が鬼じゃないなら、いったい何が鬼だと言うの!?」

「百は百だろ。どんなときだって。そして鬼ってのは人に悪意を向けることをなんとも思わない本物の外道だよ。道を踏み外したことを後悔できるお前はまだまだ鬼にはなっちゃいない。今からならまだやり直せる。罪を背負って、もう一度歩き直せるんだ」

「でも、そうだとしても……私にはどうすればいいか分からない。鬼を殺す生き方しか知らないから、これから先どう生きればいいのか……」


 うなだれる百の頬を、髪を、大粒の雨が流れていく。


「鬼を殺す生き方しか知らないなら、鬼を殺し続ければいい。お前にとっての鬼がなんなのか、向き合って考えて考え抜いて、お前が思う本物の鬼を倒せばいい。自分が何者で、なんのために生きるのか、生きていく上で何よりも大事な答えも、きっとそこにある」

「どうすればその答えを見つけられるの……?」 


 すがるように千里を見上げる百。


「ひとまずは逃げるんだ。逃げて逃げて、逃げ延びる。ひとまず生きることに安心感を見出だせたら、そのときゆっくりと考えればいい。   


 さ、分かったらこんなとこ、さっさととんずらしちまおうぜ。騒ぎを聞きつけたやつらがいつやってくるとも分からない。立てるか?」


 そう言って百に手を差し出す千里。


「……」 


 差し出された手を握りしめる百。


「私は本当に生きていてもいいの?」

「ああ。生きていてもらわないと困る。だって約束したろ? 俺を鬼から守るって」

「した。……けど、もう守れるか自信ない」


 しおらしく百が目を伏せると、


「自信なんてなくてもいいさ。必要なのは諦めないことだ。考えたり行動したりすることをけっして投げ出してしまわないことだ。それさえ続ければどれだけ遠回りしても、いつかはきっと答えに辿り着ける。たとえ迷いながらでも」


 千里の力強い言葉が一度折れてしまった百の心を柔らかく励ます。


「いつか……いつか本当にそんな日が来るの?」

「さあな、それはお前次第だ。ただひとつ言えるのは人間は今日しか生きられない。だから、その日なすべきことをしなきゃいけない。さっきも言ったとおり、今日の場合は逃げることだな。なに、一晩歩けばどうにかなるさ。分かったらとっとと行こうぜ」


 そう言って歩きだそうとする千里。しかし百にはまだ、もうひとつだけ、どうしても聞きたいことがあった。 


「待って!なんで……なんで千里はこんな私についてきてくれるの?」

「決まってんだろ。必要だからだよ。俺はお前が必要なんだ。お前なしじゃ生きていけない」

「人殺しでも?」

「人殺しでも。だいたい、村のやつらだってお前とたいして変わらないことしてたわけだし、俺にはどうでもいいことだよ。人間か半鬼かなんてつまらない問題なんてさ。それに――」

「それに?」

「俺たちもう、友だちになっちまっただろ? だから、お前がどんな罪を犯そうと、たとえ世界を敵に回そうと、俺はお前の立ってる側につくぜ」

「千里……」

「さ、おしゃべりはここまでだ。いよいよ時間がない。未練を捨てろなんて言っても無理だろうが、覚悟を決める時間だ。モモ、お前はこれからどうしたい?」


 千里が問いかけると、百は虚ろだった瞳に新しい意志を宿して答えた。


「……見つけたい。私が何者なのか、なんのために生きるのか、そして本物の鬼とはなんなのか、その答えを」

「上等。それじゃこれからもよろしく頼むぜ、相棒」


 千里は繋いだ右手に左手を重ねた。 


「よろしく、こちらこそ」


 そして百も、同じように左手を重ねたのだった。




 二人は山の頂上にたどり着いた。空が白んでいくのが分かる。


「はあ……はあ、はあ、はあ」


 村から文字通り火事場泥棒してきた食糧や金銭や刀や弓矢やらを背負い、肩で息をする千里。それとは対照的に少しも息の乱れてない百。


「はあ、はあ、ほんと、お前、体力、あるのな……」

「持って生まれたものが違うから」

「それもそうか。でもまあ、ひとまずここまで逃げれば十分だろ」


 そして地平線から昇る朝日を眺めながら、千里は噛みしめるように言った。


「どんなクソッタレな夜がきても、嘘みたいに夜は明ける。現実の醜さや悲しみの過酷さとは無関係に朝焼けはきれいだ。

 

 なあ、百、俺は朝焼けを見るたび思うんだ。いつも世界は新しくて、世の中は知らないことだらけだって。俺たちは知らなきゃならないこと、考えなきゃいけないことがたくさんある。


 でも、どんな道のりが待ってたって、お前とならきっとやっていけると思うんだ。これからも、俺と一緒に旅してくれるか?」

「さっきも同じことを訊いた」

「確認だよ、大事なことだからな」

「もちろん、一緒に旅する。千里はわたしなしじゃ生きていけないくらい弱いから」

「こいつ、いつのまにか言うようになったな……。それなら、俺はお前の罪を一緒に背負う。お前が悩むときは一緒に悩む。そして笑うときも一緒に笑う」


 そして再び手を差し出す。


「朱音さんが言ってたろ?支えあい、助け合うのが人らしい生き方だって。俺たちなら、人間らしく生きられると思うんだ」


 百が差し出された手をとり、朝日がその重ねられた小さな手を照らす。


「わたしも。千里とならどこまでも行ける気がする。でもきっと、厳しい旅になる。それでも、千里はついてきてくれる?」

「這いつくばってでもしがみつくさ。往生際の悪さだけが取り柄でね」

「それなら、心配いらない」

「ああ、もちろんさ。さあ、行こうぜ。もう新しい一日は始まってるんだ!」


 そうして。


 眩しいほどに輝く朝日が、歩き出す二人の背中を照らすのだった。

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