第14話 修行の息抜き弍
それから数日後。
「こんにちはー」
千里や健太たちが修行をしていると、聞き覚えのある声がした。
「この声って——」
と千里が健太を見ると、
「か、母ちゃん!?」
健太は一目散に屋敷の入り口へ走っていった。
ほどなくして、母親を連れて戻ってきた健太。
「今日はうちの母ちゃんが差し入れを持ってきてくれたらしい」
友だちに母親を見られる照れくささからか、いつも以上にぶっきらぼうな健太。
「そうなんです。おはぎを作って参りましたので、よろしければみなさんで召し上がってください」
そう言って風呂敷包みを縁側に置く母親。
「ありがとうございます。でも、砂糖は希少品なんじゃ……」
百との稽古を切り上げてきた朱音が尋ねると、
「ちょっとしたツテがあって、安く手にはいるんです。どうぞ遠慮なさらず」
「やった! 健太のとこのおはぎは絶品なのよね」
と早速ひとつつまむお鈴。
「これで午後の修行も頑張れるね」
と純も続く。
「へーそんなにうまいんなら、俺もいただこうかな——お、たしかにこりゃいけるな!」
そう言って差し入れのおはぎを食べながら、千里はじいっと健太の母親のことを眺めていた。
「千里、どうしたの?」
気づいた百が声をかけると、
「百は自分の親のこと覚えてるか?」
と質問で返してきた。
百が、
「覚えてない」
と答えると、
「そっか、俺もなんだ」
と千里は困ったように笑っていた。
「母親は最初はいたはずなんだけど、途中からいなくなった。父親は俺を殺そうとして刑務所——牢屋にぶちこまれた。それまで散々酷い目に遭わされてきたのに、一年経ったらもう顔も名前も思い出せなくなってた」
それから、抱えてきたものすべてを吐き出すようなため息をひとつついて、
「なあ、百」
まっすぐに百を見つめた。
そして一番大事な弱みをさらけ出すような表情になって、
「俺の妹にならないか」
と言った。
「なんで?」
突然のことに意図を掴みかねる百。
「俺、家族ってもんに憧れてるんだ」
「わたしに家族はいない」
「だから、ならないかって、誘ってるんだよ」
「朱音からも似たようなことを言われた。けど、よく、分からない」
百がうつむくと、千里も申し訳なさそうに頭をかいて、
「ああ、悪い。こっちもいきなりへんなこと言って」
「それに、なるならわたしが姉。わたしが千里を守るから」
「問題はそこかよ。まあいいや。まずは友だちから始めような」
「友だち……」
「それもだめなのかよ?」
「分かった。なる、友だちに。でも、なにをすればいいの?」
「これまでどおりさ。いつも一緒にいを、一緒に遊んで楽しいことも悲しいこともわけあって、そんでたまに喧嘩して仲直りする」
「喧嘩もしなきゃだめなの?」
「だめってことはないけど……まあそこんところは気にすんな。そのうちいやでもぶつかりあう日もくるさ」
そして青い、青すぎるほど青い空を眺めながら、
「さっきも言ったとおり、俺の親父俺を殺そうとしたんだ。
そのとき俺は思い知った。この世に安全な場所なんてどこにもなくて、信頼していい人間もいないって。
けど、どうしてなのか、お前や朱音さんのことは信じてみたくなるんだ。お前は嘘をつけなさそうだし、呆れるほど純粋だし、朱音さんはどこか寂しそうな顔をしてる。あれはきっと、本当に優しい人だけが知ってる悲しみからくる寂しさなんだって、そんな気がしてるんだ」
「本当の、優しさ」
「あくまでもただの勘だけどな。それと健太たちはまっすぐでうるさくて、なんだか、俺はこの場所を気に入ってきてるんだ。居場所なんてないって思ってたのに」
そしてからっと晴れた顔で笑って、
「よく考えたら、俺もお前も自分の人生を自分で選べなかったんだな。前も言ったけど、俺たち似た者同士なのかもな。親もいなくて、人生も選べなくて、クソッタレな世界をひとりぼっちでさまよってた。なんだか俺、百にだったらこの孤独を預けてもいいかなって思えてくる」
「こどく?」
「ああ、一人ぼっちでいる苦さのことだよ。
お前との唯一の違いはそこだろうな。お前はまだ純粋すぎて何も知らないし、感じないんだ。けどいつかきっと分かる日がくる。現実の残酷さと、それに抗うことの絶望とに」
また別のあるとき、百が庭の花を眺めていた。
「どうした? それは食えないぞ」
千里がからかうと、
「千里、これ『きれい』?」
と澄んだ瞳で問いかけてくる百。
「驚いたな。でも、そうだ。その花は『きれい』だよ。朱音さんが手塩にかけて育てた花だ。そう思ったのなら伝えてみなよ。きっと喜ぶぜ」
その後、空を見上げて、
「青くて眩しい」
と言い、
庭の砂利を見て
「白くてごつごつしてる」
と言う。
ふらっとやってきたお鈴が、
「なになに? 百ちゃん色んなものに興味を持ち始めたの?」
「ああ、そうらしい。きっかけが何かは分からんが」
「ふふん、なんにせよいいことじゃない。だんだん人間らしくなってきて」
「それもそうか」
そうして二人で見守っていると、やがて畑の前に行って、
「……おいしそう」
とよだれを垂らす。
「——やっぱ、お前の関心はそこなのな」
ずっこけた千里とお鈴だった。
その晩。いつもどおり朱音と百は並んで横になっていた。もうそろそろ寝ようというときに百が、
「そうだ、朱音。庭の花きれいだった。野菜はおいしそう」
と話す。
朱音は起き上がって嬉しそうに、
「まあ! あなたも『きれい』が分かるようになったのね! ……後半のはいつもどおりだけど。それにしてと、ありがとう、大事に育てた甲斐があったわ。今度、もっとたくさんの『きれい』を見に行きましょうね」
「うん。約束」
「よし! これでまたあたしにも楽しみが増えたわ。じゃあ、指切りしましょう。小指を出して」
そして互いの小指を交わす。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますー、指切った」
「今のはなに?」
「約束を守るおまじないみたいなものね。ふふ、楽しみね、百」
優しく黒髪を撫でる朱音。
「うん、楽しみ」
素直に身を委せる百。
こうして、優しく夜は更けていくのだった。
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