第3話
焚きしめた香は一級品、手荒れ一つない指先が掴んでいる茶器も当然最高級品だ。茶を一口飲んで、王太子は笑顔でラヒムの言葉の続きを促した。
「ですので、もうソラも十四の歳ですから、『結い上げ』だけでも簡単に済ませてはどうでしょうか。殿下の条件は妹君たちの条件と似たり寄ったりで、一奴隷には過ぎたものかと……。その、ソラが悪いと言うわけではないのですが」
翡翠と違わぬ美しい瞳に魅入られて、その副官は視線を逸らせた。神託を受けた国の始祖と同じ色と言われる瞳は、国民にとって魅力的すぎる。翡翠の一粒が金剛石を両掌に一杯分と同じ価値を持つほどには。
ユルク・クルトゥクは、髪も目も国の始祖と同じ色を持って王子として生まれ、国民の羨望と期待を生まれながらに背負った少年だ。そして、その期待に応え続けてきた。まだ十四であるのに王太子に任命されているのはそういうわけだ。
「だから鳥人を奴隷にするなんて反対だったんです。そもそもあの娘を飼っていた男は、とっくに別件で投獄しております。先の戦争のことをご存じないから殿下は簡単に『鷹』などと仰るのです」
ユルクにそう進言するのは、ただでさえ険しい顔立ちを更に険しくした王の副官だ。眉間の皺は山のごとく、軍の運用は嵐のごとく。齢は四十に手をかける頃で、現王が前王から王位を奪った内戦では、ここ一番の指揮を執ったとのことだ。ラヒムもユルクも生まれていなかったので、そう周囲に聞かされるばかりだが。
鳥人との戦で国が荒れ、内戦でとうとう疲弊しきった国が復活したのは、王太子誕生による特需のためだというのも、二人は知識でしか知らない。
「じゃあイーティバル、きみが後見についてよ。そうしたら『金糸雀』だったとしても、市民権を与えられるし。女官の試験でも受けさせればいいよ、どうせ僕のところに戻ってくるのだし」
先の戦争で父と兄を鳥人に殺されたという副官は、眉間の皺をますます深めた。
「それだけはお断り申し上げる」
「もういっそ鳥人族に市民権与えたほうがいいと思うよ。前王の負債を父上や君が背負う必要はないんだから」
これは何も知らない者からの慈悲だ。ラヒムは危機感から一歩下がり、茶器を王太子の手から取り上げた。息をつく間もなくイーティバルがユルクを睨みつける。きっと同じ身分だったら、王太子が彼の息子だったなら、とうに張り飛ばされていたことだろう。
「ユルク殿下はあの惨状をご覧になられたことがないからそうお考えになるのです!」
ラヒムは少しだけこのやりとりに疲弊して窓の外を眺めることにした。
ユルク王太子は鳥人の市民権付与に執心しているため、『先の大戦』の資料を人一倍読み込んでいる。隣国へ訪問した際には必ず詳しい者と対談する手筈を整え、実際に本物の『金糸雀』と話をしたこともある。だが、どれだけ知識をつけたところで、大人たちの「当時を知らないから」の一言で片づけられてしまう。
それはユルクも同じようで、口元だけの笑顔が怒りを隠しきれずにいた。
「もういいよ、イーティバル。下がって」
「申し訳ありません。失礼します」
謝罪の言葉を吐き出して、イーティバルは王太子に背を向けた。ユルクは肩をすくめて、ラヒムのほうに気まずそうに微笑みかける。
「でもラヒムの言う通りかもしれないね。婚家の人間が一番重要かも」
言外に「ああいう親戚のいないところ」が追加されて、ますますソラの嫁ぎ先への門が狭くなっていく。そんな人いないだろうなぁ、とラヒムはちょっとだけ彼女を哀れに思ってやることにした。
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