第2話
「花嫁衣裳の材料、足りなくなってきたものはない?」
そう問われて少女は唇をツン、と尖らせた。丸く大きな蜂蜜色の目には、質問してきた少年に対する抗議の色が浮かべられている。
「今度こそ『買い物』をさせてくれると言っていましたよね」
「殿下が議会の準備でお忙しいんだよ。ミガルティからの使節団も近々王都へ到着すると連絡があってね」
少女は肩をすくめ、ため息をつく。
「だったらあなたが付き添ってください、ラヒム。私だって『結い上げ』のための髪飾りを自分で選びたいんです」
「それなら出入りの行商を呼ぶと殿下は仰っていたよ」
「もう、意地悪しないでください。私は『買い物』がしたいんです」
女子の成人の儀である『結い上げ』もまだ済ませていない女の子に食い下がられて、ラヒムは反論の言葉を出せずにいた。王太子の副官として三年の経験があるが、目の前の少女はもう九年もその王太子の奴隷として仕えている。九年前、国の重鎮が彼へ恩を売ろうとして彼女を押し付けてからずっと。
もちろんただの奴隷の戯言だ、無視したって構わない。だが、ラヒムは前回行商が訪れた際、奴隷に『買い物』がしたいと強請られて浅慮にも安請け合いしてしまったのである。当初は二人の主人も笑って許してくれた上に、付き添いもしてくれると言っていたのだが、隣国から行商が到着したまさに今日、事情が変わった。
行商の中に『金糸雀奴隷』をよく思わない者がいると情報が入った。
『金糸雀奴隷』とは、歌わせて主人と床を共にするための見目麗しい鳥人族の奴隷のことだ。そして、少女は対外的に王太子の出陣や狩りに同行する『鷹』ということになっている。少なくとも本人はそう思っているが、そもそも『金糸雀』にするべく誘拐されたのだということは、その姿を見れば明らかだ。
その『鷹』を事情の知らない者が見ればどう思うかなど、確かめる必要もない。
『金糸雀』を良く思わない行商に変な知恵をつけられてはいけないというのが、今回の王子の判断だった。
「……じゃあ、
『鷹』だろうが『金糸雀』だろうがラヒムには関係ない。どんな立場であろうとも、ラヒムの目の前の少女、ソラは王太子の奴隷として姫に準ずる扱いを受けているのだから。それだけの教育を受けた少女に口喧嘩で勝つ労力を考えて、ラヒムは相手を説得することを諦めた。
ラヒムの態度が変わったことに気が付いて、ソラは眉を悲しげに下げた。ごめんなさい、と甘い声で呟いて首をかしげている。その姿の可哀想なことといったらなかった。そもそも彼女に落ち度はない。運が悪かっただけだ。
それでも謝罪する少女にラヒムの心が痛む。
「
手のひら一杯の翡翠の価値を知らないというのも、いっそ哀れだ。
もし彼女が普通の町娘であったなら、たった一粒の翡翠ですら買うことに骨を折っただろうに。
「分かった。夕方、旅芸人が御前に上がって出し物をするみたいだよ。殿下がお迎えにいらっしゃるから、支度しておいてね」
「ユルク殿下が?」
「他の王子殿下をご所望かな?」
「まさか。お待ちしています」
胸に手を置いて典雅に礼をしたソラは、その日一番の笑顔をラヒムに見せた。何事もなければその年相応の笑顔に心を安らげることができるものだが。
「ところで私の嫁ぎ先はどちらになりそうですか?」
十日に一度聞かれるその質問に、ラヒムは顔を手で覆って盛大に溜息をついた。もちろん答えは「否」だ。
まだなんですか、と大声を出した奴隷は本当に素直すぎるほど真っすぐで可愛らしい。大切に飼われてきたのだと一目で分かる。そう、本当に大げさすぎるほど大切に大切に、過保護といっても過言ではないほどに。王子の条件が厳しすぎてまだ相手が見つからないということは、未だにソラには伏せられている。
成人になる十八までには嫁がせてあげて欲しい、そう願いながらラヒムはソラの部屋、通称『金糸雀の籠』から逃げ出した。絢爛な扉の空きっぱなしののぞき窓から退屈そうな歌声が聞こえる。
こうして、ソラのいつも通りのちょっとつまらない一日が今日も始まった。
あとは宝石を飾るだけとなった花嫁衣装が活躍できるのは、まだもう少し先のことになりそうだった。
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