カスミソウ

「ま、舞花!! 見てしまったのか……? その、日記を……」


 仕事がひと段落ついた時、電話がかかってきた。

 太郎君だ。

 どうやら舞花が妻の日記を見てしまったらしい。

 まさか見つかるとは思わなかった。

 押入れの最奥に閉まっておいたのに。

 嫌な汗が流れる。

 とりあえず舞花が話したいと電話を代わってきた。


 こんなことなら……まだ事前に話してた方が――


「大丈夫。大丈夫だよ……お父さん。今まで、ごめんね。色々と背負わせちゃって」

「舞……花? 怒っていないのか?」


 ずっとずっと秘密にしてきた秘密だ。

 墓まで持っていこうと思っていたそんな私だけの秘密。

 怒られても当然だと。

 何されても当然だと思った。

「怒るわけないでしょ? ずっと私のためを思ってたのは分かるから。それ……でね……この前言ってた連弾のコンサート。招待してもいいかな? お父さんに来て欲しいの」


「あ、あぁ……」


 後のことは正直覚えていない。

 気がつけばコンサートに来ていた。


 娘からコンサートの招待状を貰ったのは数年ぶりだ。

 最後に貰ったのは、そう……妻が死ぬ前だ。


 ずっとずっと舞花には本当に苦労をしてきたと思う。

 大切な娘。

 妻が亡くなっても私の心が折れなかったのは舞花のおかげだ。

 そんな娘と連弾する子……山田太郎くん。

 彼は似てた。

 亡くなった妻に。


『そうか、君は舞花のファンだったのか……舞花の曲のどんなところが好きなのかね?』

 あの時の会話を思い出す。

 喫茶店で話した時。

『伝わってくるんです。詳しいことは言語化できないですけど。その……何というか。何かに対する深い思いが音を通じて俺に響いてくるんです……それに心を奪われてしまいました……なんて、はは』


 私は驚いた。

 それはどこかで聞いたセリフだったから。

 言う内容は……ほとんど一緒。


 だからだろうか、私はする予定のなかったことをした。

 カバンから二枚の楽譜を取り出し彼に見せた。


『これは実が初めて作曲したものだ。これを見て君はどう思う?』


 おそらく脳内再生は出来るだろう。

 彼はしばらく二枚の楽譜を眺めていた。


『……実さんは、好きだったんですね。自分の家族が……』

『……どうしてそう思うんだい?』

『それは――』


 気がつけばもうコンサートが始まろうとしている。

 始まりのベルはもう鳴り終え、観客は満員。

 そして誰もが静寂を保っている。


コツコツ……

 足音が聞こえる。


コツコツ……

 まるで会場全体がその空気間に支配されるようにその場は緊張感に包まれている。


コツコツ……

 誰かの息を呑む音が聞こえた。


パチパチパチパチ

 お辞儀をする。

 綺麗だった。

 娘の数年ぶりに見る生のドレス姿。

 どうしても妻に見えてしまうほどに似ていた。


 ハッと我にかえりプログラムを見る。

 曲名は……カスミソウ?

 花だろうか、でもどこかで聞いたような。


「……!!」


 曲が流れ出した。

 全体的に流れるようで美しい音楽。

 二人の息が合い、まるで一人で弾いているかのような錯覚を受ける。


 聞いたことがある。

 そう、思った。

 ただ、どこかは思い出せない。


――それが吾郎さんの最新曲? 綺麗ね。


 どこからか声が聞こえた気がした。


――えー、カスミソウ……ふふ、私が好きな花じゃない。


 そうだ、これは記憶。


――あなたは……誰ですか?


 どこかで忘れていた思い出。


――この花、綺麗ですね。何か懐かしいものを感じます。


 思い出した。

 妻がまだ記憶を無くす前の時期、作曲していた曲だ。

 ただ、のんびりと書いていた。

 ガーデニングが好きな妻を見ながら、のんびり、のんびりと書いていた曲。


 そんな中、妻は記憶を失った。

 私は作曲家を辞め、親の会社を継いだ。

 その時にカスミソウの楽譜は押入れの最奥に保存していた。


 でも聞いていると、このカスミソウは未完成ではなく、私の書いた続きまで曲がある。

 そこは"舞花のテーマ"ともう一つ。

 別の目立った旋律テーマが聞こえてきた。

 その旋律は"舞花のテーマ"と絡み合い、自然に曲として成り立っていた。


「実……」

 小さな声で、思わず出てしまった。


 舞花の思いが、実の家族への愛情が伝わってくる。

 音に乗せて。

『それは、曲を聞いてみればわかると思います』


 あぁ、実……。

 この曲が、聞こえているだろうか……。


――ふふ、ありがとう。


 静かに涙を流すのを、誰かが微笑ましく笑っているような気がして……そして消えていった。

 そんな感覚がした。


         ***


「今日のコンサート、成功だったかな?」


 俺と舞花は演奏が終わり、夜の誰もいない道を歩いていた。


「誰が見ても成功だよ。あんな拍手の数……思い出しただけで胃が痛くなるわ」


 ほとんどの人がスタンディングオベーション。

 叫んでいた人もいた。

 ……聞いたことあるような声だったのは、気のせいだろうが。


「……ありがとうね。連弾、してくれて。それに、お父さんやお母さんのことも……太郎君がいたから乗り越えられた」

「それは言い過ぎだよ。舞花が頑張ったのもある」

「……」

 その言葉に舞花は思わず黙ってしまう。

 どうやら、照れているようだ。


「あの……ね」

「ん?」


 もじもじ、と、顔を赤くして俯いている。

 俺も、つられて赤くなってしまう。

 何故かはわかっている。

 これは……あれだ。


「えっと……太郎君のこと、多分私が好きになっちゃった」

 やっぱり告白だ。

 でも、どうしてだろうか。

 顔は赤いはずなのに、照れているはずなのに。

 心の奥ではどうも冷静だ。


「……っははは!」

「えっ!? ちょ、勇気出したのに!!」


 おかしかった。

 だってこんなにムードのある空間で、告白の空気感で、なのに。

「今更じゃない? あんなことまでして」

「……もう。……ふふっでもそう考えるとおかしい」


 同じように、舞花も笑う。


「でも、残念だなー」

「何が?」

「先越されたこと」

「ふふん……!!」


 さっきまで恥ずかしがっていたのが嘘のように、胸を堂々と張っている舞花。

「じゃあこれからは恋人ってことでいいか?」

「そ、そうなるわね……」


 でもこちらも奥の手がある。

「でも恋人になっても、今までの生活とそんなに変わらなくねえか?」

「まぁ……それもそうだね」


 俺は隠していたものを目の前に取り出した。

「なら……」

「えっ……」

「俺と……結婚してください!!」


 目の前に出したのは指輪。

 これは迷いなく買った。

 実はもともと先走って告白よりも前にプロポーズしようとしていた時があった。


「えっ……でも、えっ????」


 混乱が収まらないそうだ。

「好きだ。舞花」

「っ……」

「好きだ」

「もういいですから……っく」

「好きだ」

「ひっく……びぎょうでずよぉ……うぅうう。今度こそわたじが先に告白じようと思ってだのにぃ……」


 笑っている。

 嬉し泣きだった。

 最近は本当に泣いているところしか見ないなと思いつつ。

「で、返事は?」

「末永ぐ、よろじぐおねがいじまずぅ……うぅ……」


 真っ暗な家もほとんどないような道で。

 虫の気配しかしない場所で。

 どこかが薄く光った気がした。


 俺は絶対に彼女を大事にします。

 俺は強くそう思った。

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