一人じゃない(後編)

 涙目になりながら、大瀬戸はか細く言う。


「書けなくなった……って何があったんだ?」


 ただならぬ事態だと、俺は思った。


「とりあえず……上がって……」


 消えそうなボソボソの声で、大瀬戸は言った。


 中に入るとまず気になったのは写真立て。

 そこには五歳くらいの幼女と綺麗な女性がいた。

 幼女は大瀬戸舞花なのがなんとなくわかる。

 綺麗な女性はおそらく母親だろうか、すごく似ている。


 家の中を進んでいく。

 やはりかなりのお嬢様らしく家が広い。

 三階建てでなんと螺旋階段がある。


 階段を登り、二階の奥にある部屋に通された。

 扉には『まいかの部屋』とポップで可愛らしいフォントで書かれてある。


「……!?」


 部屋を見て驚いた。

 全体的にお洒落な店を想像させるようなシックな部屋だった。

 女の子……と言うよりも少しおじさんな感じだ。

 部屋にあるのはスピーカー、CDやDVD。

 観葉植物にテレビ、そしてグランドピアノとシンプルでゴージャスだ。


 だがそんな部屋の中の違和感といえば、締め切ったカーテンと床に散りばめられた大量の紙……楽譜だ。

 どれも途中まで書いていて、止まっている。

 もしくは大きくバッテンが書かれてあるものもある。

 簡単に言うと散らかっていた。


「こんな暗い部屋で作曲していたのか……」


 とりあえず俺は部屋の電気を付け、カーテンはそのままで窓を少し開けた。

 気持ちのいい風が入り込んでくる。


「で……どうしたんだ?」


「それ……見て……」


 大瀬戸の指が示す先には一つのノート……いや、日記だった。


 俺は手に取り表紙を確認する。

 お洒落なフォントで書かれたDiaryと書かれたその本は使い込まれたような、少しボロボロになっていた。


 中を開くと、日ごとに少ない文章で書かれてあった。

 パラパラとめくり、長い文章の所をよく見た。


 ○月○日

 今日はとてもすごい日。

 私にもとうとう子供ができたのだ。

 すごく嬉しい 可愛くて、とてもお人形さんみたいな子。

 すぐに名前が出てきた。舞花だ。

 舞う花の様に可愛らしくそして力強く生きてほしい。


 ○月×日

 舞花が歩ける様になった。

 舞花が生まれた時は他の子よりも軽くて心配だったけど、こうして元気に育ってくれてすごく嬉しい。

 この子を見ていると、未来がとても楽しく感じる。

 一緒に出かけたり、一緒にご飯食べたり……家族で旅行にでも行きたいな。

 私には何個かしたいことがある。

 大きくなったあの子の髪を結んであげたい。

 あの子にも反抗期が来て、実は少し喧嘩して見たかったりもする。

 本当に愛しい子。


 ×月×日

 起きると、そこは白い部屋だった。

 白い服を着た人たちがこちらを見て、驚いているのが見える。

 どうやら私の名前はみのりというらしい。

 らしい、というのも思い出せないことだからだ。

 原因は車に撥ねられたらしい。

 一般的な常識はわかるけど、近くにいる人たちが誰なのか……全く思い出せない。

 例えば私の目の前にいる少し身長の高いダンディーな男の人、そして可愛らしい小さい女の子。

 私が誰ですか? と聞くと、二人とも……特に女の子は泣きそうな顔をしていたのがとても記憶に残っている。

 後から聞いたが、二人とも私に深く関係のある人で夫と娘らしい。

 最初は信じられなかったけれど、この日記を見てはっきりと分かった。

 分かってしまった。

 男の人は私が取り乱した時に、娘を外に出して、


 とりあえず書いて見て。

 多分、君がいつもやっていることだからこうしてると落ち着いてくるよ、


 と泣きそうな顔で言ってこの日記帳を渡して帰っていった。

 だから私は今起こったことを前の日記の内容に真似て書いている。

 たしかに、落ち着く……そして不思議とスラスラと書ける。

 でも、どうしてだろう……この日記を遡って見ていると涙が止まらなくなる。


 ×月△日

 もう限界だ。

 知らない娘の前で母親の演技をするのは正直辛い。

 でも私はこの子が好きだし夫のことも好きだ。

 それは体が覚えている。

 けれど……いや、だからこそ辛い。

 この嘘をついている状況が。

 嘘をついて、この子の前で演じていることが。

 お母さん、と呼ばれるたびに胸が痛くなる。


 ごめんね、舞花。

 私が本当のお母さんじゃなくて。

 ごめんね……何も思い出せなくて。

 嘘をついて。

 ごめんね……ごめんね、ごめんね。

 この世から去る私を許して。


 日記はここで終わっていた。

 最後のページはところどころ文字が汚く、水分を吸ったのかよれよれになっている。


「お母さんは……すごく優しい人でした。そんなお母さんに私は凄く甘えていました。あれが欲しい、あれで遊びたい、ここ行きたい……全て聞いてくれました」


 大瀬戸は蹲り、そして静かに話し始める。

 声は震えている。


「でも、お母さんは記憶を無くしてた。自分のことすらわからなくて、孤独で……何もわからなくて。それなのに! 私を悲しませないように自分を傷つけてまで私たちと普通の家族でいることにした……!」


 気づけば大瀬戸の弱々しかった声は徐々に語気が強くなり、枯れているはずの喉を絞り出し声を出していた。

 まるで血が出るのでは無いかと思うほど手を強く握り締め、ぷるぷると震えている。


「私は母が事故の後遺症で死んだ、と聞かされていていた……でもそれはお父さんの優しい嘘だった!! 気になって調べたらお母さんは飛び降り自殺だったのよ!! そんなの……私が殺したのも同――っ!!」


「やめろ、それ以上は……」


 気づけば抱きついていた。

 でも、それほど見ていられなかった。

 大瀬戸のひどく歪んだ顔、ボサボサの髪、そして酷い隈。

 どれほど辛くて悲しいのか……俺には想像もつかない。


「うぅ……うゔゔゔぅぁああぁあああ……うぅうううゔ」


 普段の彼女からはからは考えられない泣き声だ。

 頭を優しく撫でるたびに彼女の抱きしめが強くなる。


「うああぁぁぁああああ!! うううぅああ!!」


 窓も開けているため、俺は強く抱きしめ、彼女の声を抑えつつ、泣き止むまで待った。

 それしか、できないと思った。

 今、この胸にいる彼女は天才でもなければ、プロでも無い……普通の女の子だと思った。


         ***


 気がつけば外は暗くなり、俺の胸の中にいる泣き声も無くなる。


「わたじが……さ、作曲する意味……知らないでしょ……? ずびび」


 大瀬戸は俺の方に顔を乗せる。

 そして頑張って喋ろうとしているのがわかる。

 背中をさすると、ずびび、とまた泣きそうなのが分かったので、やめた。


「……わからない」


「お母さんが亡くなった時、私は全て閉ざしたの。友達も、音楽もそして、お父さんも……」


 ゆっくり、ゆっくりと自分のペースで大瀬戸は続ける。


「でもお父さんがね、言ってくれたの……『お父さんはね、音楽はいろんな壁を乗り越えると思ってるよ。立場だとか国境だとか……普通ならお母さんに言葉が届かないかもしれない、けど音楽だと届くと信じてる。だから舞花……お母さんに手紙おんがくを書いて見ないか?』って……だから私はお母さんのよく歌ってたメロディーを使って作曲してる……ずっとお母さんに向けて」


 大瀬戸からの抱きつく力が強くなる。


「ねぇ、太郎くん……お母さん、憎んでる……よね。何も知らなかったとはいえ、あんな我儘言って……お母さんって言って……困らせて、追い込んで……娘と思わせて」


 俺は大瀬戸を抱く力を無くし、向き合う。


「太郎……くん?」


「……これを見て欲しい」


 と、俺はカバンから二つの楽譜を取り出した。

 一つ目の楽譜には『前』、そして二つ目の楽譜には『後』と書いてあった。


「これは……」


「これは、君のお母さん、みのりさんが初めて書いた曲だよ」


 大瀬戸大吾……大瀬戸父に貰ったものだ。

『これはみのりが初めて作曲したものだ』

 なぜ、二個楽譜があるのか……今わかった。


 俺は事前に暗譜してあったのでその場のピアノで弾いた。


「ふふ……あまり作曲が上手く無いね……しかも曲調がほぼお父さんのパクリじゃない……でも」


 大瀬戸は一通り聞いて感想を述べる。

 率直な感想だろう。

 だが、大瀬戸は二つの楽譜を交互に見て……震えていた。


「このメロディー……」


 そう、大瀬戸実がよく歌うメロディーがあった。

 それにはどちらの楽譜にも『舞花のテーマ』と書かれてある。


「そう。このメロディーはお前だったらしい、舞花」


 ブワッと、また止まらない涙が溢れ出す。

 今度は静かに、涙だけを流して。


「……っ!!!」


 何故楽譜が二個あるのか、何故前と後と書かれているのか。

 それは記憶を失うと記憶を失ったの大瀬戸実の初めて書いた曲だったからだ。


 俺もこのことがわかった時内心とても驚いた。

 二つの楽譜はほぼ

 書かれている言葉は違えど、作曲の内容はほとんど一緒だった。

 二つとも右上に薄く『家族』と、

 曲名だろう。


 そして、必ずあのメロディーに『舞花のテーマ』と二つとも書いてあった。

 

 そう、記憶は失っても大事なものは変わらない。


 日記に娘と書いていなくてもだ。


「大丈夫だよ。舞花。どうなろうと、お前のお母さんはお前のことを大好きなだと絶対思ってる……そんな大好きな娘のことを憎む親なんていないさ……」


 俺は今更気づく……下の名前で呼んでいたことに。

 だが自然と恥ずかしくなかった。

 理由はもう気づいている。


「ねぇ、太郎くん……」


「ん?」


「今日はずっとそばに居て……」


「……うん、いいよ」


 その日は忘れられない日となった。

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