第40話 運命に踊る人たち③

◆◆◆


 モドグニク王国現首都オグ・ツネスが揺れ動く。

 早馬の知らせを皮切りに、風雲急を告げる城塞都市エアモ・ツネスの情勢が次から次へと王室内に舞い込むのである。情報は錯綜を極め、真偽に分別をつけるのも困難な始末であった。

 その日最後の報せも、真偽不明の一つに過ぎないかと思われた。焦燥の苦悶の奥に倦厭を秘めながらも、王は国の行く末を決める報告を聞き入れるべく謁見の間にその兵を通し、発言を許す。

 しかし、甲高い金属音を上げて錫杖が床に転がった。

 真偽を定める前にもかかわらず、王は感情に任せて玉座を立ち、声を荒げた。


「貴様ァ! 国難の折に斯様な戯言を宣いおって……ッ! 混乱が言い訳になると思わぬことだッ!」

「父王陛下、王家の務めをお忘れなきよう」

「ネリスよ、貴様とて!」

「心を同じくしております。陛下、何卒」


 扇をパシャと閉めて、玉座の隣に侍る少女――ネリスが、王をなだめる。

 王と比べても引けを取らない、華麗なドレスとティアラを身に纏った少女は、閉じた扇の先を兵に向けて、言葉の続きを促した。


「エアモ・ツネス兵団、番兵長、イアプネス・ナブノムよ。陛下の動揺を誘うために参ったのでなければ、その発言の根拠を申せ」

「はっ」


 跪くイアプネスは、敬意を込めて更に姿勢を正して言う。


「難民を引き連れて避難する最中、大結界が崩壊する様を、この目で見ました。結界の天頂より光の柱が内より貫く光景をです。どれほど強大な魔法であれ、単なる力押しでかの都市の結界は落ちないことは、陛下もご存知のところかと。龍脈が尽きる予兆もなく、つまり、残る可能性として、結界の発生源……魔法陣が破壊されたと見て、間違いないかと。結界の魔法陣は地下大迷宮に敷設されており、同地下には召喚魔法陣もございました」


 召喚魔法陣と聞くや、王の顔色は見る見る悪くなった。

 イアプネスを見据え、ネリスは黙して傾聴する。


「私めは書物で知ったに過ぎませぬが、爆発とは、その見た目に反して、地下方向への威力は限定的とありました。となれば、先程申し上げた……予測に過ぎませぬが、結界をも破った光の柱の発生源は地下……それも、時刻は、レツィス台下を始め、魔術師たちが召喚の儀を執り行う頃でした。台下の生存は絶望的……」

「死んだ、ということじゃな?」


 パシと、扇で手を打つネリス。

 イアプネスは言葉に詰まった。

 言ってはならぬと唇を噛み、しかし合理的な思考は、ネリスの冷厳な指摘を肯定していた。そして、その沈黙が、己の思考を雄弁に語っているも同然だと、彼の思考が肯定した。

 王は、口を押え、怒りと嗚咽を殺した。


「嗚呼、おいたわしや父王様……。しかし、ここではどうか、御自身の悲しみに打ち克たれますよう。ネリスめが傍におります故」

「……ああ、すまぬ。見苦しいところを。……しかして、イアプネスよ。レツィスは、……英雄を呼べたのか」

「……恐れながら、わかりませぬ。仮に召喚に成功していたとして、あれを生き延びているかどうかさえ……」

「……そうか」


 謁見の間に、重い空気が流れる。この場にいる者にじとりとまとわり、息さえ詰まるような粘性を、急に得たかのような時が過ぎる。

 哀悼の意を捧ぐには、あまりに短い時間であった。


「策を講じよう」


 王が誰よりも先に口を開いた。

 国を導く者の務めを果たし、臣民の奉公に報いを示すために。


「召喚に……異界の預言者に頼らぬ術を」

「英雄には頼りましょう、父王陛下」


 扇を開いて口を隠すネリス。憂いを絶つその言葉に、王とイアプネスが顔を上げる。


「王都を始め、王国の民の間に、エアモ・ツネスより流れた虚実が錯綜しておりましょう。民の混乱と不安を取り除くために、英雄の存在は不可欠かと存じます」

「……張子の虎を祀り上げると言うか」

「止むを得ないことは、既にご承知かと」

「うむ。手をこまねいていては、魔族が手を煩わせるまでもなく、モドグニクは内より裂ける……だが」


 不測の事態を避けるため、国民の不安の解消は必要だ。仮の英雄を立て、国に広く喧伝すれば、一時的にでもそれは達成できるだろう。

 だが、誰に務まる?


「御心は決まっておいでですよね、陛下」

「……ああ、愚かしくも、な。これでは先王に顔向けできん」

「されど、世は常に、生きる者へ委ねられております」

「左様であるな、ネリス。……ならば、腕の立つ者を集めねば。一人を英雄に見たて……」

「いえ、その必要はございませぬ」


 ネリスはおもむろに、跪くイアプネスの前に歩み出る。

 視界にネリスのつま先を入れたイアプネスは、怪訝に思いながらも、上げそうになった顔を下のままに待つ。


「イアプネス。面を上げよ」

「はっ……あ?」


 イアプネスが顔を上げた先には、ネリス姫の閉じた扇子の先が差し出されていた。

 イアプネスの動揺と怯みを見破ったかのように、ネリスは彼の顎先に扇子の親骨を添えて、クイと無遠慮に上げて見せる。

 一兵卒の視線は、姫の虜となったのだ。


「かくなる上は、そちが勇者じゃ!」

「…………ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!?」


 国のトップと一介の番兵長。立場に雲泥の差がある者たちの絶叫は、謁見の間を越え、城を越え、オグ・ツネスに響かん声量で、辺りの白い鳥たちは一斉に飛び立ったという。

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