第39話 運命に踊る人たち②

◆◆◆


 エアモ・ツネス城塞都市の崩壊の余波は、各地に伝播する。


 例えば、踏破された地下大迷宮。

 結界を失ったことで、周辺に生息する小型の魔物が、警戒しつつも侵入している。

 生存競争から落ち伸び、新天地に可能性を求めながら、その選択を過信しない。良く言えば慎重、その実、言い換えれば臆病に過ぎない。

 その臆病な小物たちは、迷宮のある地点に立った瞬間、例外なく同じ方向へ舵を切る。

 進行はこれまでにないほど迷いがなく、果敢。最短距離を駆け抜けた先には、一つの扉があった。

 硬く閉ざされた扉も、小さな魔物であれば隙間から潜れる。

 扉の奥は、いわゆる武器庫であった。

 しかし、ただの武器庫ではない。盾は板金で縁を壁に埋められ容易に外せず、鎧はパーツごとに分解され、離れ離れに楔を打ち込まれ、剣や槍や戦斧に至っては、万が一にでも落ちてはならぬと、最初から落ちも動きもせぬよう、床に鎖で縛り付けられている。

 保管と言うにはあまりに杜撰で、朽ち果てることに一縷の望みを託すかのような、封印と抹殺の意図を酌める扱いである。

 魔物は、何かに憑りつかれたように、武器へ鼻先を近づける。

 刹那、真空が走る。

 真空は魔物たちの体表を踊り、嘘のように凪いだ。

 直後、刃に触れてさえいない魔物たちが切り刻まれる。より執拗に、より凄惨に、殺戮の主の嗜虐欲を満たすように魔物は微塵となり、肉はほぼ血煙に、骨は髄と共にほぼ泥と化した。

 そして、出来上がった暴虐の紫煙と悪辣のペーストを吸い寄せ、武器らが啜る。刀身を、板金を震わせて嗤い、更なる加虐への糧とする。

 エアモ・ツネス大迷宮は確かに踏破された。しかし、危険は取り除かれたわけではない。むしろ、ここを手中に収めた人々のエゴによって、別種の災いを詰めた箱と化していたのだった。


 例えば、焦土の風と呼ばれる存在。

 戦線でまことしやかに語られる噂がある。時折、会敵も予想されていない地点で、一部隊が瞬時に、一人残らず駆逐されるのだと言う。その様は、あたかも炎をも凌ぐ灼熱の風塵が通り過ぎたかのようと例えられる惨状だとも。

 この、目撃者が残らない類の話は、おおよそ世迷言だと相場が決まっている。

 だが、焦土の風は実在する。

 今もまた、強者、あるいは己を上回る破壊的な現象を感じ取り、焦土の風は歩みを進める。

 聖魔の別なく、刃を血に染め、地を屍で埋めながら。

 逃げる兵を一匹たりとも見逃さず、道々で拾った兵の仲間の剣を投擲し、屠りながら。


 例えば、サンサーラの怪光線の着弾点。

 エルフの森が焼かれていた。

 緑が深くありながら調和が取れた美しい古代樹の森が、一瞬にして焦土と化したのだ。

 エルフは森に居ながら遠目が利き、異変をいち早く察知した見張りの提言で、多くの命は救われたものの、彼らは帰る家を失ってしまった。

 ある者は、こう叫んだという。


「低俗な肉食の知恵者気取りの野蛮人どもが……!! 矢でもってイガグリにしてくれる……!!」


 例えば、大爆発の余波。

 莫大な熱量がもたらしたのは、木材を始めとした可燃物の燃焼と、あらん限りの水分の蒸発。急速な上昇気流は、にわかに巨大な雲を形成する。

 積乱雲は天を割る雷鳴を無数に走らせ、乳清状の雨が嵐となってエアモ・ツネス跡地に降り注いだ。

 世界から見れば取るに足らない小さな染みにしか見えないが、間もなく英雄一行に大混乱をもたらすことになる。

 そしてまた、爆発が引き起こした風は、蝶の羽ばたきが嵐となるように、いずれ隔たれた地に天災をもたらすことだろう。

 こちらは、もっと後の話。


◆◆◆


 例えば、ロマが終ぞ思い出せなかった話。

 それは、鼠の王ラットン・ケーニッヒが如何なる存在であるかについてだ。

 魔物としては特筆すべき点はない。生半可なゾンビと比較すれば強大なアンデッドには違いない。中でもリーナクアゲは本来同種が持ち得ない知性を持ち、魔法の行使まで可能で、同族を支配し、意のままに操ることができる点で優れていたものの、所詮は閉じた地下世界での強者に過ぎず、脅威としては役者が不足している。

 鼠の王ラットン・ケーニッヒの価値は、素材としてのものに集約される。

 鼠の王ラットン・ケーニッヒはそれ自体が儀式の触媒で、死体に還った後に疫病神を無条件で召喚する。

 特に、リーナクアゲほど巨大に成長した個体は、ロマの知る限り記録に残っておらず、未曾有の死病の蔓延が危惧されてしかるべきであったのだ。

 英雄一行は知らない。

 乳清の雨を受け、リーナクアゲの遺灰より、水底より湧く泡の如き音が上っていることを。

 遺灰は冥府と現世を繋ぐ水面となり、凝縮された瘴気に濡れそぼった腕が、ぬるり、と、瓦礫の散乱する地へ這い上がる。腕は地を掴み、肩を持ち上げ、その者の頭を露わにした。

 その肉体を例えるなら、人型ながら、無限に湧き出る毒の汚泥であった。

 汚泥は、一滴が国を滅ぼす病魔の巣窟。粘液に触れるものへ、聖魔の隔てなく、等しく滅びを下す害意が込められている。

 耳障りに強まる雨脚に、跳ねる泥は力を増し、爆炎に焼かれた瓦礫に当たれば水煙となる。

 害意は力を蓄え、夜に現れた白い闇に身を隠す。

 英雄は知らない。

 彼の背後に、危機が迫っていることを。


「アアアアアァァァァァ!! 止まっていい加減止めてメルカバーストォォォーップ!! もう終わった!! 終わりましたからアアアアァァァ!!」


 交通事故死の神、メルカバーの加護の乗った速度で走るレピーは、全身全霊で静止を試みていた。余りのスピードに自分で自分を御しきれず、エアモ・ツネス跡を大周りに何周もしているのだ。

 その切なる叫びが、ようやくメルカバーの耳に届いた。


「おっとお……いけないいけない。久々の蹂躙で、少々ハイってやつになっていましたねえ。……では、これにて。いつでも呼びたまえ、レピー・ケタグよ! さらばだ!」


 人智を超えた神の力が解かれる。

 一転して、岩の円盤ことレピーは現実の法則に囚われる。空気の抵抗、地形により車軸が大きくぶれ、もはや走行は叶わず、直進しながらも方向不覚になるほど滅茶苦茶に横転しまくった。

 そして、暴走の終着点には。


「プピギャ」


 召喚を終えたばかりであった疫病神が、運悪くそこにいたのだった。


「うわっ、何かネチョッてした!! 汚い!!」


 身体を回転し、付着した粘液を別の場所へ念入りに擦りつけるレピー。史上最悪の疫病神は、完全に現世に具現化する前にミンチに変わり果て、染みも残さず、すうっと消え去った。

 呆れるほどに、呆気なく無様な最期を、看取る者は誰一人としていない。


「あれ、何か急に汚れが落ちたような……。まあいいか。……レツィス様ー、勇者殿ー! 御無事でありますかー!?」


 英雄一行は知らない。

 見せ場がなかった真の強敵の存在と、人知れず一兵卒が全世界を一回救ったことを。

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