第38話 運命に踊る人たち①
『ふむ』
その声は、
獣毛と、腐った肉と脂の焦げる臭いを発し、天を焦がすように燃え盛る炎の渦中。もはや群は分断され、王たる資格を剥奪された物言わぬ遺骸ばかりが灰に還るのみである。
だというのに、その声は、まるでくつろいでいるかのような、涼やかな色をしていた。
俺たちは一斉に警戒の体勢をとる。
『そう急くな。用が済めば、火消しにでも励むが好い』
「こっちに用はないんだけどな。誰だテメェ」
炎の向こうより、腐った脂が爆ぜて応える。
しかし、炎の向こうではないどこかから、俺たちを値踏みする視線を送る何者かがいる。
「お名乗りなさいッッッ!! ……サイッッッ!! はいッ、サイド・トライセップスッッッ!!」
『え、何……? サイド……?』
「すまん。気にせず名乗ってくれ」
若干の間を経て、声の主は笑いを含んだ。
『愉快、であるからして好し。呼びは変われど、朕を知らぬ者なし。貴公らが、魔王と呼ぶことも知っておるが、良い。許そう』
「ふがっ!? 魔王!? どこ!?」
その肩書は、怖気を起こすには十分だった。この世界に住むレツィスはもとより、気絶していたロマは跳び起き、理性を失くしたキョンでさえ威嚇する。
その名の意味を知るサンサーラも、いつになく緊張した面持ちで炎を睨む。
序盤でラスボスにエンカウントしたと思うと、実体のない俺の身体も強張った。
「これはこれはッッッ!! やんごとなき御身分の御身にまみえる光栄ッ、大変めでたく存じますわッッッ!!」
王侯と謁見する感覚で、そつなくミーテュは頭を下げて見せた。もっとも、筋肉世界の作法なのか、いちいちポーズを決めているのだが。
おかしい。筋肉世界も魔王とかに攻められていたような気がするというのに。
自分の事情と、異世界の事情は分けて考えているとかだろうか。
「して、本日は如何がな御用向きであらせられましてッッッ!!?」
『先に問うた通りよ。エアモ・ツネスを落としたのは、如何なる者か』
問われるや否や、ミーテュはキレキレの所作で振り返った。
視線に釣られて、サン、レツィス、ロマ、意味も分からずとりあえず見るキョン、と、視線が一点に集まる。
どこを見て……いや、誰を見ているんだ?
俺か?
あ、俺だ。
「いや俺じゃねえだろ!?」
『そうか、そこな喪服の女子か!』
「もふ……はぁ!? いやいやいやいや!? 何故に私!?」
いや確かに俺はその近くに立っているけれども。
「おいおいおい!! 無視ってかスルーて、それはそれで傷付くだろ!!」
「御冗談ですよね!? 私じゃないですからね!? 私じゃないですから!!」
いきなり白羽の矢が立ったロマの気が動転している。俺だって、まるでくだらなく思われているようで心外だ。
しかし、俺が騒いでいるというのに、魔王は気にも留めずフンフンと頷いているようだった。
『ガハハハハッ!! 成程なるほど!!』魔王は極上の見世物へ送るかのように歓声を上げた。『隠さずとも良い、これは敵わん!! 一騎当千のアンデッドを三体も従える死霊術師では、
三体のアンデッド、と言ったのか。
早々に去ったミアはともかく、レピーはこの場にいないだけで除外されていると考えて、残りを外見から判断しているだけだとしても、人数が合わない。
もしや、この炎を介した通信は、
『……む、それに一体は……そこなキョンシー、朕が賜与した駒ではないか!!』
「ひ、ひいいいいい!! すみません申し訳ございません!! そのようなお立場の御方様とは露とも知らずついやってしまいましたッ!! どうかお命だけは!!」
謝罪時のロマの行動は、本当に見事なものだ。心底感心する。侮蔑が上回るが。
『クククッ!! そう畏まるな、構わぬ! 我が手駒よ、息災か……』
「がるる」
『でないな! ガハハッ!』
「え、エヘヘ……何か、すいやせん……」
ロマの三下仕草が実に板に付いていた。
『構わぬと言うておる。どの道、貴公がエアモ・ツネスに攻めたが最後、彼奴らに成す術などなかった。……おっと、して、貴公。名は』
「ははーっ! ウオビス・イムズにございます!」
しれっと嘘ついたぞこいつ!?
『ウオビス・イムズ……覚えたぞ』
覚えちゃダメですよ! 嘘だから!
『時にウオビス。貴公、如何にしてエアモ・ツネスを、こうも徹底的に破壊した? これが一介の死霊術師に務まる業か?』
「え、えーとですねー……それはそのー……気づいたらこうなってたと言いますか……。私のせいじゃないんです!! 本当に!!」
『クククッ! うむ。さもありなん。手の内を容易く明かすのはつまらぬ』
「あー、いやー……お言葉ですが、本当に私は何も……」
『自ら手を下すまでもなかったか!』
「ちょっと待って吐きそうになってきた……」
『気に入った! ウオビス・イムズ、朕の配下となれ!』
「はあ!?」
出る物も引っ込んだロマ。
一同の驚愕に構わず、魔王は続ける。
『此度の働きを讃え、貴公にエアモ・ツネス領を授けよう』
「授ける、って……私、ひょっとして爵位に就くなんてことないですよね!?」
『左様。外野がうるさくてな、この評価では不満だろうが、準男爵位を授けよう。しかし、存分に褒めて遣わすぞ』
「準男……爵……。騎士爵すっとばしちゃってるんですけど……」
『やかましい。受けるのか、受けないのか』
瞬間、ロマが脳内で算盤を弾く。
誘いを断れば当然、魔王の逆鱗に触れて死。反対に、誘惑を受け入れれば、レツィスの怒りを買って死。沈黙も突き詰めれば、どちらかに天秤が傾いて死。全てを放棄して逃げても、恐らく死の先延ばし。
あらゆる筋道が死で舗装されている。
ならば、手段は一つ。
ロマは否定も肯定もせず、不敵な笑みを張りつけて、周囲を見渡し、頷くか頷かないかギリギリの動作で、意味深に振る舞ったのだった。
答えは、意味深なだけの沈黙である。
「いい加減になさい異端者!!」
しかし、ロマに厳しいレツィスにはそれが通用しないし、その意図を悪い方へ酌んでしまう。これまで自らは手も出さなかったというのに、とうとうロマの胸倉を掴んで詰め寄った。
「よりにもよって魔王如きにかしずくなど……!!」
『……ふむ。そこな
ハッとして、レツィスは顔を背けた。
何とも言えない沈黙に張り詰める。
やがて、魔王はこれまでになく上機嫌に笑い上げた。よじれた腹を元に戻すのも一苦労の様子で、対して俺たちの緊張感はますます募るばかりだった。
『クククッ……。ウオビス・イムズよ。貴公、どこまで策を回しておる?』
「ふぇ?」
『ああ、良い良い。無粋であったな。貴公には期待通りでは温いと痛感したまでよ。故に我が新たな臣下よ、朕の期待を超えて見せよ』
「ちょとおしゃてることがよくワカラナイデス……」
『ただ一つ』一気に声色が厳格に冷えた。『朕が求めていたのはエアモ・ツネスの領地ではなく、城塞の戦術的価値も含めてのことだ。追って使いを送る故、それまでに、エアモ・ツネス城塞を建て直せ』
建て直せ、って言いました?
この見渡す限りの瓦礫の山を?
「……追って、とは、一〇年後……とか」
『言葉を選べよ死霊術師』
「ひえっ……ら、来年とか、です?」
『たわけ。直ちに、である』
「……エ、ムリデしゅ」
『やるのだ』
「……ちなみに、できなければ?」
『処す』
「仰せのままに!!」
「無理っつった口で仰せのままにじゃねえよ!?」
平伏したロマを見て、魔王は満足いったように声を漏らした。
『ではウオビス、並びに従者たるアンデッド諸君、能く働くべし!』
その言葉を残し、灯滅せんとして光を増す。一際大きな炎を上げてリーナクアゲの亡骸は鎮火していく。完全に火が消え去る間際に『できるものであればな』と、不穏な付則で締めながら。
天が時を見計らったのか、その瞬間に雨粒が一つ、二つ。乳清状に薄濁った雨が降り、瞬く間に、焼けたエアモ・ツネスの熱を洗い流す。
渋い顔のまま立ち上がったロマは、額の雨と脂汗を拭って溜め息をついた。
「ぷぅ~……。生き延びたぁ」
「死ねカスッ!!」
仲間の総攻撃で特大のたんこぶをこしらえ、ドンと前のめりに気絶するロマ。
沈みゆく意識の中、何かを忘れているような気がしたが、それは終ぞ思い出されることはなかったという。
一時、胸が詰まるような蒸し暑さが過ぎ去れば、残るのは、あまりにも静かな日暮れの肌寒さであった。
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