第22話 三度目の正直に賭ける人たち①
まさしく、この世の終わりに相応しい光景だった。
モドグニク王国で最も安全と謳われたエアモ・ツネスが、内側から焼き尽くされていく。爆発の炎と熱は、辛うじて結界の内側に食い止められており、さながら地上に落ちた太陽の如き様相であった。
一度目とは比較にならない地震、地割れ、滅んだとの確信に足る焦熱の蹂躙。幸運にも街に入り損ねた難民たちは、誘導に当たった兵士たちの静止を聞かず、散り散りに逃げた。
一人を除いては。
「目があああぁぁぁーーー!! 死ぬしぬシヌShinu shinu SHINUーーー!! 今度こそ本当に死ぬーーー!!」
鉄柵につっかえた頭を死にもの狂いで引き抜こうとする、ロマ・ナイギッドであった。
直前まで、番兵のレピーと不毛な押し問答を繰り広げていたのだが、突如として鉄柵の向こう側が轟音と光に満ちた。レピーは光に呑まれ、同時にロマは視覚を失う。直後、レピーはほぼ消し炭のように焦げた死体に変じ、鉄柵に叩きつけられ、五体をあらぬ方向に曲げながら地に落ちた。
視力を奪われたロマに詳細な現状はわからない。しかし、肉が焼け、体毛の燃えた臭いから推察するには十分であった。
それだけでもロマにとっては失神ものなのだが、目と鼻の先、結界の境目で、現在進行形でうねり暴れる光と爆風の唸り声が、最悪にけたたましい目覚ましベルとなり、彼女にそれを許さなかった。
破壊力と反発力のせめぎ合い。結界の分が悪く、徐々に爆風がロマへと迫る。
無敵を誇った結界が、まるで目一杯の息を込めた吹きガラスのように薄らぎ、今にもはち切れそうに点滅していた。
見えぬが、目前に、終わりの見えない死の一大スペクタクルが迫っている。
「やばやばやばやば!! どどどどうする何か何か何か……!! アレか!!」
ロマが決断的に口を結び、眼前を指でなぞると、両目が闇の霧に覆われる。
すかさず腿のホルダーへ素早く手をかけ、馬の生命に満ちた試験管を一本取る。栓を抜く時間も惜しみ、鉄柵で無理矢理飲み口を割り、液化した馬の生命を撒き散らしながら口に運び、一息にそれを飲んだ。
馬の命が、ロマの身体を巡り、身体の一部となる。
闇に守られた目に光が戻り、呼吸が嘶きのように猛々しい。
「馬一頭の一生分!! 命を燃やせぇぇぇ私ィィィ!!」
景気づけに、試験管を地面に叩き割る。
誰にも見られていないだけで、色々な意味で、ロマは馬脚を露わにしていた。性格も、能力も、肉体的にも。まさしく、一人力に一馬力を足した脚力で、しゃかりきに鉄柵から頭を引き抜こうとするロマ。強引に寄せられた面の皮が、ほぼ縦一文字のしわに集約されかけている。
「ンブブブブ! 顔が剥がれて死ぬぅ!」
自身の死を嫌う性に決意が乱れ、弱気の魔が差した瞬間。
ピシッ。
と、目の前の結界に亀裂が入り、隙間から細い熱風が噴出する。熱風はロマの耳をかすめ、僅かに焦がした。
直撃なら、間違いなく致命傷になる高温の噴射。尻どころか、頭に火が着くなどとんでもない。
同時に、ロマの生存本能へ火が着いた。
なりふり構わず、滅茶苦茶に絶叫し、皮が剥がれようが、関節と矛盾する挙動だろうが、骨格の許さぬ動作だろうが、生存の邪魔になる要素を全て踏みにじり、死の回避へ邁進する。
それが無駄と余裕をそぎ落とした、裸のロマ・ナイギッドであった。
裸の信念は、時にその持ち主の能力を超えた結果をもたらすこともある。
「いいぃったあぁぁぁーッ!!」
ロマは鉄柵から顔を抜き、加減知らずで向こう見ずの膂力と脚力を持て余し、慣性のままゴロゴロ後転していく。止まったのは自分の荷馬車に背中をぶつけて、ようやくだった。
と同時に、エアモ・ツネスの大結界が限界を迎える。
天頂から、街全体を覆う結界は徐々に砕け散り、火山の噴火の如く炎の柱が空を突く。弱い所から結界は消え、爆発はとうとう城壁までもを巻き込み始める。
堅牢な城壁が、破裂するように外界へ瓦礫を飛ばす。
「いいッ!?」
息つく暇もなく、今にも結界を破ろうとする爆風を前に、ロマが取れる手段は限られていた。
荷馬車に身を隠す。更に、この際やむを得ないと、実験器具や書物が即席の盾になるように、粗末なバリケードを築く。他の遮蔽物は近くに無い。
やがて、結界が完全に粉々になった。
解放された爆風が、街の周囲を襲う。
馬車から上る焦げ臭さ、一拍置いて、荷馬車が爆風に押されている感覚があった。すぐ近くにまで危険が迫っている。
柄にもなく、ロマは神に祈った。
もうだめかもしれない。
荷に身を埋めた暗闇。祈りの最中、馬車がやけに長く揺れているように感じる。
そう思ったが、結界を破る威力の割に、爆風はあまり荷馬車を押していない気がした。というか、少し荷馬車を押しただけで、すぐに止まってしまったようだ。
恐る恐る、幌の隙間から街の様子を窺う。荷物や幌に引火した小火を叩いて消し、外に顔を出そうとする直前のことだ。
今度は逆方向からの突風。
爆風とは比べ物にならない猛烈な突風が、街の中心へ向かって叩き吹く。それはロマの荷馬車を始め、難民たちの置き土産も根こそぎ吹き飛ばし、熱で弱った城門、鉄柵を突破する。
「何で次から次へとォーッ!?」
結界の崩壊過程により、結果的に上方向へ逃げた爆発の威力は、確かに周囲への被害を最小限に食い止めた。だが、それにより発生した爆心地の真空は、代償として周囲からその空白を埋めるに足るだけの空気を求める。
その量、莫大。
荷馬車は止まることを知らず、向きを変え横転し続け、幌の骨は次第に砕け、中でロマは揉みくちゃになる。目も回るし、混ぜ返された荷物に揉まれた身体に青痣も作っていく。
やがて真空の代償も十分となり、風は穏やかに、荷馬車も停止する。
一輪だけ残った車輪がカラカラと回転を弱めてゆき、最後は軸受ごと壊れて転げ落ちた。
結果だけ見れば、ロマは念願のエアモ・ツネス市内に入れたのだった。
灼熱冷めやらぬ、爆心地へ。
「ぅ熱っち!! ッざけンなチクショウ!!」
幌の中でもわかる熱気。あちこちで可燃性の荷物が燻り始め、貴重な資料が次々と炎上する。
「試験管一本でも命は命! 馬一頭分の生け贄! 上等!」
ロマは残りの試験管の中身を撒き、人差し指に闇を灯す。ロマの早口での詠唱に従い、闇と命は融け、一つの魔法陣を成す。
「閉ざせよ雪洞、鎮めよ刻々、静寂に祓え、白銀の牢! 今こそ言霊の戒めを解き放ち、氷獄を顕現せしめよ! 求めになお足らざれば、我、贄ぞ捧げん! 応えよ!」
馬の命の溶液を飲み干した魔法陣の、闇を芯に氷の結晶が枝生える。陣から流れ落ちる冷気と、むせ返るような熱気が交わり、陽炎が揺らぐ。
急速に広がる冷気、ロマが焦熱地獄に招いたのは、小さな白銀の世界。
彼女を中心に周囲の熱は見る見る奪われ、火は潰え、焼石は冷え、やがて微かに霜が降りてゆき、しかし一瞬にして解けてゆく。
本来ならば氷室を生成する魔法だが、生け贄を捧げることで効果を飛躍的に上げたのだ。彼女の独力では成し得ない、生け贄ありきの魔法だった。
車内では、吐く息すらも白くなる。
「うーわ、寒ーっむ! でも、生きているから良し! 死体保存用に覚えといて良かったぁ……ヘクシュ! ズズッ……っあー。応用のぶっつけ本番は二度と御免だわ」
凍える身体を摩りながら、ロマは外に出る。
端的に表現するなら、切り抜かれた地獄、あるいはその開け放たれた門の如き光景だった。
見渡す限り瓦礫ばかりで壁すらない。燃える物は灰すら残さず、燃えぬ物は蒸発するか、良くて表面を融かしている。街の中心部だった場所はすり鉢状に陥没し、溶解し赤熱する石材などのスープが底の方で煮えたぎっていた。
念願の新生活は夢の跡と内心で嘆いた。足元は冷たく、それでいて他は日照りに晒されているような感覚だった。
「うへぇ、空気はまだ熱いでやんの……」
灼熱を完全に相殺するには、たとえ大魔法でも、馬の生け贄では役者不足だった。むしろ、満足な生け贄もなく、一応でも熱を相殺した手腕をロマは自賛すべきであろう。
風はまだ止んでいない。吹き上がる気流の行き先を追うと、爆発の余波が、未だエアモ・ツネス跡地の上空で、炎を含む黒煙の球として上っている。
渦を巻くごとに雷を纏う黒煙は、さながら天災の卵である。
「どうしよう……近い内に死にそう、私……」
ロマは、天空に自身の行く末を重ね、憂うのだった。
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