第20話 確変に賭ける人たち③
「で、何をしたら解放してくれるの?」
「……えらく話が早いな」
「切れ散らかして解決する状況? 早く帰りたいのよ」
「まあ、俺も何をどれだけお願いすりゃいいか、わかんねえんだけど。満足いくまで、とことん付き合ってもらうぞ」
「三つまでね」
「ランプの精かよ。じゃあ一つ目は、願いの数を無制限に、だ」
「はぁー……はいはいサーご主人様」
相変わらずふざけるばかりで可愛げのない女神だが、これまで通りの悪友のような距離感と口振りは健在だ。かと言って話が通じるわけでもなく、ただ何故か話が進む関係に戻ったと実感できるだけありがたい。
「じゃあ仕切り直しだ。何で急に帰っ……たかは、今はどうでもいいか。この見るからに召喚が失敗した状況から、俺はどうしたら良い?」
「……何も」
「……何も?」
「何もできない」
「マジかよ!?」
いっそ清々しすぎる。もっとみっともなく足掻け。足掻くのは俺だけどアドバイザーを全うしてくれ。
「運が……とても良ければ、たとえ遺体が無くても、高度な蘇生魔法で生き返れるかもしれない。けど、多分、結果はさっきと同じになるわ。ボーン! って」
「……この世界と俺が相性最悪なのはわかった。じゃあ、戻ってやり直せば――」
「私が一旦、魂の召喚まででやめていた理由がわかっていないようね」
「……やり直しは、利かねえってことか」
「そう。燃え尽きた灰がこの世界で火を取り戻したが最後、元の世界では存在し得ない消し炭以下に成り果てる。不可逆なのよ。世界の法則を利用した転移や召喚っていうのは」
やってしまった。後悔してもしきれない。完全に自業自得だった。勝手を理解していないのにサンに召喚を急かした、俺の勇み足が、俺自身の退路を断ってしまったのだ。
「と、思ってたけどって話!」結論はまだだと話を遮るサン。「この世界で死んで、輪廻の……神の理に逆らって世に留まる魂は、特別な処置を施さない限り、魔物化して
「見捨てたってハッキリ言ったなお前! そりゃこんな状況、誰だって取り乱し……! いや、悪い。悪かった。続けてくれ」
「いいえ、私だって見誤っていたもの。だって、魔物になって理性を失ったとして、クーリングオフなんて冗談はもとより、私の首を斬らずに締めるだけで済ませる訳がないわ」
だから、あんなにすぐ冷静に。
何気なく言った軽口が、サンを踏み留めさせたのか。
「理由は後から考えるけれど、少なくともあなたの心は、まだこの世界では人間側のはず。まだ私の使徒、英雄のはずよ。魂だけだと何かと不便だろうけど、今はとにかく現状を打破するために、人の手を借りるわよ。まずは誰でもいいから、魂を見る力を持った人間を探しましょう」
「こいつらを放っといてか? 冗談だろ」
倒れ伏す召喚師の方を見やる。意図していなかったとはいえ、彼らに大きな被害を出したのは、俺のせいでなくとも、俺が原因だ。
このままにはしておけない。
サンは一瞬、驚いたような顔をして、ニッと太陽のように笑った。
「良いわね、見直したわ! 人の心配って、英雄としては上出来な姿勢よ! でも安心なさい。乱入したあれはともかく、彼らも、ただで倒れているわけじゃないわ。人間って結構、したたかよ」
◆◆◆
息が詰まるような圧迫感から、レツィス司祭は吹き返した。
身体が空気を求めて、咳で無理矢理呼吸をさせた。耳鳴りが酷い。頭痛で朦朧とする意識が次第に束ねられ、精神の暗闇から、地下空間の暗闇へ浮上する。
「一体……何が……」
起き上がろうとするレツィスは、覆い被さる重みを感じ、そこでようやく自分を圧していたものに気付いた。
レツィスに覆い被さるようにして倒れ伏した、召喚師の男性二人だ。
「あなたたち……。ッ!? これは……!」
揺り起こすために背中に回された細腕に、じっとりとした感触を覚える。
その感触の正体に、レツィスは目を見開いた。
青い瞳に映るのは、震える手の平一杯を染める血とリンパ液。召喚師たちは、苦しそうに、か細く呻いていた。
「そんな……! ……お二人とも、すみません! 動かします!」
身を呈して守ってくれた二人にできるだけ負担をかけないように注意し、レツィスは二人の体勢を崩さないように身をよじり、隙間を作って抜け出した。
「もう少しだけ、持ちこたえてください!」
捻ったのか、足が痛む。おぼつかない足で、瓦礫で不安定になった床の上にどうにか立ち上がり、その惨状を目の当たりにした。
死屍累々の惨たらしさと、一人だけ立ち上がった心細さ。召喚に応えた者は影も形もなく、燭台の火は潰えていた。
召喚が妨害されたことと、それによる被害の規模。状況は最悪である。
再度、召喚の儀を執り行うにも、すぐに動けるのはレツィス唯一人。それ故に重責が一身に降りかかる。
眩暈を覚え、呼吸が浅く、速くなる。
だが、彼女の覚悟は、恐怖にだけは呑まれない。
逃げず、見届け、見据え、最善であろうとする。それがレツィスという司祭だった。
小瓶の聖水で清めた両手を組み、レツィスは祈りを捧げる。彼女の内より光があふれ、地下空間を満たす。それは傷ついた者たちへ降り注ぎ、温もりを分け与えた。召喚師も、ミアも、侵入者も、分け隔てなく。
「汝、両の腕に飽くなかれ。善く伝え、好く紡ぎ、能く纏うべし。汝、一針なれど、遍く世へ救い手たれ」
司祭の祈りが奇跡を具現し、この場の者の内なる力を呼び起こす。
召喚師たちの傷を、ミアの火傷を癒し、侵入者の腕は戻せずとも傷口を塞ぐ。それは、神の下にあっても神の力ではない。神とは信仰心の拠り所に過ぎず、祈りにより湧き、一挙に集まった、信ずる力は人自身に備わるものだ。その力とて、自然治癒を後押しするに過ぎない。治癒は生命本来に宿る力なのだ。
やがて、死の淵へ歩むばかりの者たちの呻きは止み、光が引く中で、安らかな吐息が穏やかな闇に包まれていった。
モドグニク王国随一の癒しの奇跡の担い手、レツィス司祭。その御業は、本物である。
「……」
しかし、その御業が讃えられる彼女でも、失われた命を取り戻す術を持たない。
瓦礫の下敷きとなった者の下へ歩み寄り、その膝を土と、止まらない血で汚しながら、その者の薄く開いた目を閉ざし、せめて安らかであるように願う。
だが、彼女の覚悟は、後悔と悲しみの上に立っている。
辿る者には、必ず涙を求める。感情まで乾き果てるような険しい道程だ。
その涙が落ちる前に拭い、レツィスは魔法陣に向いた。
爆発の余波でひび割れた、不完全な魔法陣だ。
「時間も人材も……果ては祭具も……」
つまり、嘆く猶予などない。
魔法陣の構造をレツィスは暗記している。祈りの奇跡で溢れる光を、閃きの軌跡に変えて、不足分の描写を補った。そこへ更に軌跡を注ぎ、たった一人で儀式のやり直しを試みた。
癒したとはいえ、手負いの者たちに鞭を打つことは、彼女にはできなかった。万全の備えで挑んだ召喚の儀が失敗した手前、再試行への課題は準備の手間や見直しの前に、召喚師たちの士気の問題が立つ。
打ち砕かれた自信を繋ぎ止めるには、立場ある者の示しが不可欠になる。
レツィスはそれを理解していた。
あらゆる準備が整った後であろうと、何もかもが足りない窮地であろうと、やることは変わらない。
レツィスにできることは、信ずる神に祈ることのみ。
しかし、神頼みに神の手はなく、注がれるのは信徒の力、それも一人が扱える許容範囲の力のみ。不十分な力では、魔法陣は作動しない。図形は淡く光るばかりで、奇跡の力は無為に霧散する。
息が上がり、唱えるべき章節も尽き、やがて残った純粋で原初的な祈祷すらも途切れ、光は闇に吸い込まれた。
膝と両手を突き、汗の流れ落ちるままを見送るばかりの時間が過ぎた。
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