第18話 確変に賭ける人たち①

 大地が怒り、突き上がる。

 地の底から雷鳴のような爆音が遅れて轟き、エアモ・ツネス全体が大きく揺らぎ、至る所に地割れが走る。

 都市の最期とはかくありという災いの前に、家々は崩れ、窓ガラスの破片が降り注ぐ。二本の脚では立つことすらままならない中で、それでも人は叫び逃げ惑う。ある者はガラス片の上に倒れ、ある者は崩落に巻き込まれ、混乱に怪我の追い打ちで泡吹き悶える。

 広場へ逃げ込み難を逃れたある者は我が身を守るため、逃げ遅れたある者は我が身で守るため。愛しい者を、愛しい者と重なる者を。責務に従って、責務に憧れて。本能に従って、本能に抗って。

 そして、ある者は人生を賭けた研究成果を守って。


「嫌あああぁぁぁーーー!! 死ぬしぬシヌShinu shinu SHINUーーー!!」


 悲劇の未亡人ウオビス・イムズの演技は消え失せ、死にたくない死霊術師ロマ・ナイギッドが死にもの狂いで荷馬車にしがみついていた。

 二頭引きの馬車に繋がれた馬も例外なく、この地震の只中で平静を失い、嘶き棹立ち、逃げようとしている。

 荷馬車ごとどこへでも逃げていってもおかしくないものを、ロマはというと、決して逞しくない身一つで引き止めていた。

 噴火のような猛烈な呼吸で、全身の血管を張り裂けんばかりに拡張させながら。


「こンの無駄飯喰らいの駄馬どもがッ!! 逃げる時だけ全力出し腐るなッ腐っても馬車馬だろうがッ!! 働けッ!! エアモ・ツネスは目の前なんじゃッ!! 入れッ!! さもなきゃ死ねッ!! 私のためにお前らが、死ねぇッ!!」


 怒りに身を任せ、空中を割くようにロマが指先を動かすと、闇の線が描かれ、図形を成す。図形の意味するところは、死霊魔術の陣――


「渇けよ血潮、飢えよ精根、汝で満たせ、小瓶の命! 馬車馬にもなれないならッ、肉屋行きじゃいッ!!」


 魔法陣に力が満ち、闇は一際深く、淀みのように溢れ流れる。

 指先大の小さな円陣より、異様に細く、また長い腕が無数に伸びる。ただちょっと悪戯をするだけさ、許してくれるでしょう? と言わんばかりにキキキと笑いながら、二頭の馬の生命に手を伸ばし、乱雑に、根こそぎ千切り奪った。

 奪った命は、ロマの右腿のホルダーベルトに挿している二本の空の試験管に満ち、満ちていた馬は空になったように泡を吹いて崩れ落ちた。


「グヘウエヘヘヘヘ!! この世が終わっても、お前らの分だけ長生きしてやらぁッハハハハハッ!!」

「ウオビス女史! ウオビス・イムズ女史! お気をっ、お気を確かに!」

「ハッ」


 ロマが正気を取り戻した時には揺れは収まっており、揺れだと思っていたのは、番兵に肩を揺さぶられているだけだった。


「お怪我はないでありますか!?」

「え、ええ……オホホ、ごめんくださいまし。お見苦しい所を……」

「いえ、無理からぬことであります。馬も我を忘れるあまりに息絶えるほどでありますれば」

「ギクゥ! そ、それほどの災いが……オホホ」


 可哀想に。と、番兵は思った。心に傷を負ったばかりのところへ、こうも災難が続いたのだ。目も泳ぐし、汗も多く、顔色も悪くなってもおかしくない。喜怒哀楽の感情表現がおかしくなることもあるだろう。

 神よ、どうかこの哀れな女性に幸多からんことを。


「状況報告!」


 未亡人への祈りもそこそこに、混迷する場の全体に筋を通すような、張りのある声が響く。

 番兵はロマの姿勢を正して立たせ、反射的に振り向いて、声の主に敬礼を送る。この門を任された兵長である。

 番兵は明朗に答える。


「難民に動揺が広がっているであります。今にも城門へ殺到しかねないであります」

「早急に人民の避難を。任せた」

「はっ。しかし、今の揺れは何でありますか?」

「恐らく、ただの地震ではない。森の方は、鳥が飛び立つ様子がない。局地的、それもこの街を中心に起きたのだろう。市街地の安全も保障されていない。出火元は不明だが、尋常じゃない量の煙が上っている。それに――」


 守りの要であるエアモ・ツネスの混乱。結界は健在とはいえ、魔族にとっては攻め入る好機に他ならない。その好機が、不可解なまでに局所的な地震で訪れた。

 逃げ惑う難民を襲う魔族を前に、市中の混乱を治めるのに手一杯の兵力。

 この状況が、人為的なものだとしたら。

 その可能性に、王国兵の二人は青ざめる。


「緊急避難誘導は城壁外周沿いに、第一に民の平常を保ち、第二に速く、第三に可能な限り戦線から民を離せ。誘導に必要な人員も足りない。馬を使え。上手くやれよ」

「しかし、イアプネス番兵長殿、城門の守りはどうされるでありますか?」

「俺の仕事だ。任せて誘導に専念しろ」

「はっ! 了解であります!」

「ちょっと待てや」


 積み重ねた訓練でも想定していなかった、筋者も尻尾を撒いて逃げそうなどす黒い声が割って入った。

 ロマが番兵の肩を掴んで、強引に振り向かせる。


「私は移住許可もあるし、貴女も確認したわよね」

「え、あ、はあ。それが、何か?」

「入る」

「え、ええ? ですが、今は市街地も安全とは言い切れないでありますし」

「エアモ・ツネスは安全でしょうが! 結界もまだ生きているご様子ですし!? 市民として保護してもらいたいものだわ!」

「安全確認がまだであります、ウオビス女史。今は、より安全な選択を取るべきであります」

「ふざッけんじゃねーわよ!」


 伴侶を失ったばかりの未亡人とは思えない怒気を放つロマに、番兵は気圧される。崩れた化粧が呪術師のような気迫を上乗せする。

 話にならないと思ったロマは、脇目も振らずに荷馬車へ翻り、馬の亡骸を乗り越える勢いで荷馬車を押す。


「ふんぐおおおおおうぶぶぶむむむむむンンンンン!!」

「な、何をなさるでありますか、ウオビス女史!?」咄嗟に荷馬車を押し返す番兵だが、訓練を受けたはずの彼女が押し負ける。「うな!? す、すごい力でありますッッッ!?」

「何のためにここまで来たと思ってんのよ! こんなところで死んでたまるかい!」

「何の話でありますか!? あなた方を守ることが我々王国軍の務めでありますから!」

「あんた、私を殺す気!?」

「なーに言ってるでありますか、あんたは!? 聞いてなかったでありましょうコラ!?」

「いいじゃないか。彼女は何も間違ったことは言っていない」


 見かねた兵長が仲裁に入る。いつの間にか馬に乗っていた。


「レピー、方針を変える。俺が避難誘導に出て、貴様が城門の守りを固めるんだ。ウオビスさんだっけ? 条件に従ってもらえるなら、貴女は特例で通行してもらっても構わない」

「本当に!? ああ、貴方は神様……! あんたは死神。シッシッ」

「ハァ、ハァ、……そろそろ、怒るでありますよ。しかし、よろしいのでありますか番兵長殿?」


 納得いかない門番のレピーをちょいちょいと手招きし、イアプネス番兵長は耳打ちした。

 観念したように嘆息するレピー。


「了解でありますよ。ウオビス女史、まず、お気持ちを汲まずにこちらの事情を通そうとしたことは謝罪するであります」

「いいから通しな、死神疫病神貧乏神」

「ンッンン! ……通行の条件でありますが、そちらの荷馬車、余程大切なものでありましょう。お荷物を受け入れるのに十分なスペースを確保した後に合図を送るでありますので、その後にお通りいただけるでありますか?」

「そりゃいいわ。さっさとしてくれるでありますか? 公僕」


 真っ赤な顔でロマをプルプルと指しながら涙目で訴えるレピーを、兵長はまあまあとなだめた。


「じゃあ、ここで待つであります」


 渋々と、投げやりな様子で、レピーは門内へ駆け入る。ウオビスのために急いでいるにもかかわらず、待つ側でしかない彼女は貧乏ゆすりで苛立ちを隠さない。

 直後、門の上から鉄格子が落とされた。

 血の気の引くロマ。格子越しに振り返り、下品ににやけるレピー。

 ロマは囚われ人よろしく鉄格子に駆け寄り、隙間からでも通り抜けようと、顔をねじ込み、獣のように檻を揺さぶった。


「騙したわね!?」

「緊急事態でありますよ! 貴女一人に構ってられるとお思いでありますか!」

「やっぱり殺す気だったのね!」

「死にたくなければ、イアプネス番兵長殿の誘導に従うであります!」

「通して!! 死んじゃう!!」

「いい加減、話を聞くでありますよォ!!」


 鉄柵すら曲げかねない力で喚き散らすロマを後目に、番兵長は民を誘導する。

 民に紛れた魔族を王国兵が引きつけている間に、できるだけ静かに、魔族を刺激しないように、安全な場所へ急ぐように。そんな方便を流すのだった。

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