第6話 拾う神がコレ⑤

「いや、俺だけのせいじゃないしさ!?」

「良いのですよ、死と再生の神……」


 いつの間に立ち直ったのか、話の間に入ってサンを制する交通事故死の神。名刺は頭に刺さったままだ。


「確かに今日、交通事故での死者の数は少なくなりましたが……それでも今日は彼が交通事故で死んでくれました……。おかげで当面の生活は何とかなります……。名刺で隙を突くとは思いもよりませんでしたが……。彼が私にそれほど怒るのも、彼が受けた仕打ちを考えれば当然のことです……。ですから私は……彼に感謝こそすれ、恨む気持ちは微塵もありません……」

「交通事故死の神……あんた……」

「交通安全、人の無事を祈願すること……すなわち、人が人の身を案じる心です……。交通事故死の根絶は、時と共に、その案じる心を消失させましょう……。ひとたび心を失えば、人は事故を侮りましょう……。皮肉にもこの侮りは、克服した以上の悲劇を起こす引き金となりかねません……。疫病神は実にこの侮りに上手くつけ入っています……。私はね、人が同族を思いやった結果、過日の悲劇を忘れて、悲劇を繰り返してしまうのが哀れでならないんですよ……。今日は幸い、彼が人の思いを繋ぎ止めてくれました……。だからね、まだ終わりじゃないんです……。続けますよ……この仕事は……。人にとっちゃ鼻つまみ者かもしれませんがね、私が居ることで守れるものもあるって信じていますから……」

(良い話風にまとめんな! 内容まるっきり殺戮マシーンだからな!? 邪神だからなお前!?)


 サンが目に浮かんだ涙をわざとらしくハンカチで吸い取った。


「交通事故死の神……大変だと思うけど頑張ってね。これ、少ないけど、こいつが死んだ時の分」


 そう言ってサンが包みを差し出すと、交通事故死の神は震える手で恐る恐る受け取り、涙を噛み殺した声で「ありがとうございます……ありがとうございます……」と呟きながら、膝から崩れた。

 俺と向き直るサン。


「あー、それで? 何の話だっけ?」


 何でこんな意味わかんねえ寸劇で、これ以上追及できない空気作れるの、お前ら!?

 泣く要素なくね!?

 おっさん泣いてねえで転職しろ! 神なんてご大層だけど実際結構役割がふんわりしてるだろ!

 今そういう将来的な話を抜きにしてもだ。ここで交通事故死を否定したら、おっさんの生活を奪うみたいじゃねえか! 一生の内に一度だって過る思考じゃねえぞ、これ!

 さもこっちが折れるだろうと思ってるサンのやつの顔が余計に腹立たしいわ!

 ……ただ。


「うっ……うっ……ずるっ……」


 良い歳っぽいおっさんが、日銭を握り締めて、崩れて鼻水すすっている姿を見せつけられるといたたまれなくなる。

 良心がむず痒い。

 内心疑ってかかっているのはさておき、仮にもここが死後の世界だと信じると言った手前、俺がどうやって死んだかを明白にする意味はない。はっきりさせたところで、人は前例のないことを裁く方法を持たないのだ。

 この場で俺の死に様を明確にしたところで、一人のおっさんの生活を左右するだけなのだ。

 全部嘘だった場合はどうか?

 白黒つけたところで、俺はここから誰にどうやって訴えれば良い?

 応接間からすら自由に出られないんだぞ。


「……ああもう、わかった! 俺は交通事故で死んだわ! 思い出したわ! トラックが憎いわチクショウ!」

「うんうん。良く思い出したわ。事故の衝撃で記憶があやふやになるのはよくあるからね」


 良く言うよ、全く……。


「……質問変えるわ。誰彼構わず死人を異世界送りしてるわけじゃねえだろ? 選定基準とかあるんだろ」

「一言で言うなら、その世界で底辺だけど異世界行ったらイキり出すヤツ」

「はっ倒すぞ。誰がイキり底辺だ」

「自覚ないの!? 彼女すらできないのに!? 女の子は、あんたのコスいところ、ちゃんと見てるんだからね!?」

「ぐっ……言って良いことと悪いこと、が、ある、と、思い、っます……! ……バーカ! ぐぐっ……ずっ……!」

「泣いちゃった!」

「サンサーラさん……ここは私が……」


 交通事故死の神がネクタイを締め直し、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、ついでにブリーフのゴムも引っ張り、白い布地を股に喰い込ませ、スパンとゴムを鳴らして、俺に歩み寄る。

 その節くれ立った手は、俺の肩に添えられた。


「端くれながら死神らしく、死の話をしましょうか……」


 物騒な切り出し方だったが、不思議と宥められているのだと受け入れられた。


「死後に残るものは何か……? それは記録や記憶……爪痕なんて呼ばれるものだと答える人がほとんどでしょう……」

「へっ、そうかよ? 俺は童貞だって知られてたら気が気じゃないね!」


 試すような悪態を吐いた自覚があった。

 交通事故死の神は「そこは重要じゃありません……」と、構わず話を続ける。


「何を残そうが残すまいが……それは死者の与り知らぬことです……。万の記録を綴って、億の人々の記憶に残ったところで、全てはその人の過去……。心変わりがあっても、飛躍があっても、過去にその人の現在は決して反映されません……。ならば、残された爪痕は死者と等しいものではありません……。死とは本来、世界からその人の何もかもが消え去ることなのです……」

「いっそ消して欲しいわ」

「どんなに小さなものでも、爪痕は消せませんよ……。ですが、青年……君が元の世界を去った今、その爪痕……知らんぷりしちゃいましょう……」

「……」

「君を待つ世界には……しがらみはありません……。何もかもを失ったのには変わりありませんが……君はチャンスを拾いました……。誰でも得られるものじゃない……本当の意味で新しい世界でやり直すチャンス……」

「チャンス……」

「底辺上等……! イキる気力があるのなら……後は上がるだけ……! 我々神が後押しこそすれ、もはや君を蔑み、境遇を笑う者はなし……。君は誰よりも真っ白に飛び立てますとも……!」

「おっさん……!」


 交通事故死の神は小声で耳打ちする。


「君……本当は事故死じゃないでしょう……? だけど……黙っていてくれました……。人の身であれば、訳も分からぬまま一方的にこちらの理屈を押し付けられて、さぞ不安だったでしょうに……君は私に情けをかけてくれました……。心から礼を言わせてください……ありがとう……本当に……ありがとう……!」

「おっさん……いや、交通事故死の神!」

「青年……!」

「交通事故死の神!」


 俺たちは互いを抱擁し、時を忘れ、二人だけの世界で互いに呼びかけ合った。

 その様子を傍観しているサンから一言。


「交通事故死の神ヒロインルートとは恐れ入ったわ」

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