第5話 拾う神がコレ④

「入るならノックしてよね」


 サンの居る、応接間だった。

 俺は、たった今出たはずの扉から入っていた。

 退出した俺を出迎えたサンは、ほら見たことかと言いたげにしている。


「じゃあ次は、飲まず食わず、不眠不休で一か月くらい過ごしてみる? 飢えも、渇きも、苦痛も、ずっと平坦だから。嫌でも思い知るわよ」


 不敵な笑みが発する言葉に、全身を縛る力が宿っていた。

 その力は、自信。

 たとえ全てが嘘で、俺も死んでいなかったとしても、ここから逃がさない自信だ。

 如何なる理屈を捏ねたところで逃げ場はない。

 理解不能な現象を目の当たりにして、俺にできることは精々「わかった。信じてやるよ」と強がりながら恭順することだけだった。


「だけど」新しい疑問が湧く。「何で俺なんだ」


 サンが面食らったように、一瞬、金色の目をぱちくりさせた。


「何? あんた、自分が選ばれたと思ってんの?」


 腹を抱えて笑うサン。


「自惚れ~。交通事故は管轄外だもん。私に死者を選ぶ権限なんてないわよ」

「とことんしらばっくれるつもりかよ! もういいよ! お前、俺をトラックの前に突き飛ばしたし、殺しきれないのに業を煮やしてトラックで殴ったろ!」

「どうしてそんなに私に突っかかるかな? ねえ、交通事故死の神?」

「いやはや、なんとも全く度し難いですな……」

「なんだこいつ!?」


 いつの間にかサンの隣には、燃え尽きたマッチ棒のように痩せ細ったおっさんが立っていた。


「何って、交通事故死の神よ」

「交通事故死の神って何!?」

「交通事故死の神は交通事故死の神です……」

「どういうことなの!?」

「交通事故死の神……ってコト!」

「交通事故死を司っております……。以後、お見知りおきを……」


 ご丁寧に差し出された名刺を、身体に染みついた社会人作法が見逃すはずもなく、反射的に受け取った。

 ブリーフとネクタイ、分厚い眼鏡以外には何も身に着けていない中年男性姿のそれは、今にも倒れそうな様子でふらついていた。隙間風のようにぼそぼそとしか喋らず、バーコード禿が更に哀愁を漂わせている。

 ていうか交通事故要素が全くない。

 ていうか名刺どっから出した……!?

 ていうかネクタイ周りかブリーフ周りにしか収納スペースありませんが……!?

 ていうかブリーフから名刺がコンニチハ!!


「きったね!!」


 間髪入れず、サンに向けて俺は名刺を投げ捨てた。


「ばっちい!!」


 目にも留まらぬ早業だった。

 お役御免になっていた卓上マイクを掴むや否や、襲い掛かる穢れた名刺を払い除ける。勢いそのままに、名刺の角は交通事故死の神の頭皮を穿つ。


「ひん……っ」


 およそ神が発してはいけない悲鳴を漏らして、交通事故死の神は倒れた。刺さった名刺は血を吸って赤く染まっていった。

 言葉に詰まり、沈黙が水琴窟の音色を際立たす。

 たかが名刺で倒れた中年は何も語らない。


「た、大変なのよ神の業界もさー」


 何事もなかったかのように、サンが背もたれに身を埋めて話を再開する。


「死神は神の最大手だったんだけどさー、あらゆる死を取り扱うのは独占だーとか言われて分割再編を余儀なくされてさー。私みたいに死後の魂を導く役なら安泰だけどさー、交通安全の技術進歩のおかげで見てよ、この姿さー! 誰も交通事故で死なないからこの神様めっちゃやつれてるしさー。あんたがトドメ刺すしさー。どうしてくれんのさー?」


 違った。俺一人に罪を擦りつけようとしているわ、これ。

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