第33話 別れ

 試すような響きだった。

 視線を外していた俺は、ゆっくりと彼女と目を合わせる。心臓がドクドクと高鳴り始めている。


「ユーキにとっては、魔眼を使えば良かっただけ。結果はどうだっていい。それでも一位に拘ったのは、あたしの目標を叶えようとしてくれたから?」

「それは……」

「それとも、魔眼を使った結果じゃなくて、あたしに実力で勝ち取らせてくれようとした?」


 お前は能力者か、と問いたくなるほどに、俺の心が読まれている。

 手汗をかく。逡巡する。確かに想像している通りのことをした。全部、お前のためにやった。

 ここでそう答えたら、こいつはどんな反応をするのだろう。これからどんな関係になるのだろう。

 俺はこいつと、どうなりたいのだろう。

 唇が張り付いたみたいになって、巧美には何も言えなかった。静かな時間がじっとりと続く。


「――なーんてね?」


 おどけたように言った巧美がぱっと指を離す。


「んなわけないよね。ユーキみたいな冷血漢がさ」

「お、おう。当たり前だろ? ってかなにさらっとディスってんだ」

「だってそうじゃんひどいこと普通に言うし」


 そこからはいつものように軽口の応酬になる。

 俺は内心でホッとしていた。本心を告げれば、何かが決定的に変わってしまう気がした。それを望んでいるかどうか、俺にはわからない。

 ただ俺は、今の関係を断ち切りたくないと、それだけを考えていた。


「――ったくもう。ほんと素直じゃないよねユーキって。可愛くねぇ」

「こっちの台詞だっつうの。ここまで来れた俺の忍耐力に感謝してくれ」

「はは、それだったら安心して。これで終わりだから」


 俺は、笑みの口のまま聞き返した。「――なんて?」

 

「最初に説明した通り、このバンドはここまで。Look me in the Eyesは解散」


 すぐに反応できなかった。巧美は俺を見つめながら、寂しげに笑っている。


「あたしさ、引っ越すんだ」


 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。


「今月中にこの街を出る。ママの実家で暮らす。徳島だって」


 衝撃が、身体を金縛りみたくした。

 喋りたいこと聞きたいことが山ほど頭の中に浮かぶのに、もどかしいほど口が動いてくれない。

 その間にも巧美は話を続けていく。


「なんつーか恥ずかしい話でさ。ほら、あたしんちって母子家庭じゃん? 結構貧乏なんだけど、ちょっと前になけなしの貯金も騙し取られちゃって。ママの新しい彼氏が仮想通貨の投資を勧めてきたんだけど、そいつ詐欺師だったみたい。で、騙されたショックとか貯金が無くなったことでママが倒れて、実家に帰るって言い出した」


 遠くから聞こえてくる喧騒が、耳の奥の血液の音でかき消されていく。

 この流れは、まずい。決定的だと、直感が叫んでいる。


「け、警察は? 相談したのか?」


 ようやく俺は、絞り出すようにして聞く。


「もちろんしたよ。でもそいつはまだ捕まってない。捕まったとしても、裁判に持ち込んでお金を取り返さなきゃいけない。裁判費用はかかるし、勝訴しても戻ってくるかは保証できないって、警察に教えてもらった。ママはそこで心が折れちゃったみたい……まぁそうなるよね」


 やれやれと巧美が肩を竦める。まるで笑い話をしているみたいだ。

 あまりの悲惨さに、巧美の中で現実感が失せているのだろうか。

 いや、違う。憤りも悲しみも一通り終わった後で、空虚な徒労感だけが残っているだけだ。


「お前は、それでいいって。母親に、従うって、決めたのか」

「しょうがないよね。ママの稼ぎがうちの収入源だったんだもん。もう頑張れないって言うんなら実家でも田舎でも行くしかないっしょ。あたしが働けたら良かったんだけど、この歳で二人分を稼ぐのはちょっときついし。可能性あるとしたら風俗とかパパ活くらい?」


 ギクリとする。

 俺の感情を察したのか、巧美は笑いながら手を振った。「ないない」


「あたしみたいのじゃ男は寄り付かないよ。それに、試しに言ったらママに泣きながら怒られたしね。そんなことさせてまで残る必要はないって……一人しかいない親にそこまでされたら、断れないよね」


 巧美は飲み終えた缶を地面に置き、頭の後ろで手を組む。そして三日月を眺める。


「まー別にいいよ。ここに居たって仲良い子はいないし。軽音も追い出されたし……心残りだった文化祭の演奏も、ユーキのおかげで叶えられた。ひょっとして神様ってのは居るのかもね」


 どこか悲しげな微笑みは、月の光に照らされていつもより儚げだった。

 そこで俺は気づいた。気づいてしまった。

 バンド演奏会への参加が今年でなければいけなかった理由も。

 細見さんの激励に乗らなかった理由も。

 本番前に本音を告げた理由も。

 魔眼を頼らず歌った理由も。

 全ては、これが最後だと、決めていたからだ。

 胸が苦しい。呼吸する度に締め付けてくる。何か言葉をかけるべきだと思うのに、何を言えばいいのかわからない。

 歯がゆさを覚えていると、巧美がすっと立ち上がった。


「ってわけで、これからは自由だよ」


 巧美が自分のスマホを見せてくる。そこに写っているのは、俺がホストの男から金を受け取っている場面だ。

 彼女はその写真を自分の指で、消去した。


「今度からはバレないようにね。ってか、できればこういう危ないことはしないで。お願い」


 そう言い残して、巧美は歩き始める。


「巧美!」


 咄嗟に呼び止めると、彼女は背を向けたまま止まった。

 頭の中でぐるぐると思考が回転していく。


「………………バンドは。バンドは、どうすんだよ」


 何を言っているのか、自分でも意味不明だった。そんなことを聞いても答えはわかりきっているのに。


「言ったでしょ、これで終わり。ユーキが居なかったらあたしは歌えないから。だから最後に思い出を作りたかった」


 巧美が首だけで振り返る。唇を笑みの形にして。


「ユーキはさ、せっかくだから音楽を続けてよ。それで徳島にも名前が届くくらい有名になってさ……魔眼があれば簡単でしょ?」


 無邪気に笑う巧美は、そうして俺に手を振り、去って行った。


***


 文化祭が終わって、日常が戻った。お祭りムードはすっかり収まって、次は期末試験の話題に変わっていく。高校生活という枠組みから外れることはない、平凡な日々が繰り返される。

 ただ一つ、違うことは。

 数藤巧美が、学校に来なくなったことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る