第4章

第34話 ライバルの伝言

 文化祭が終わって、俺は普段どおりの生活に戻った。それでもちょっとした変化はあった。

 ギター演奏することは誰にも言ってなかったから、冷やかされたり巧美との関係を揶揄することをさんざん言われた。

 そのほとんどを俺は無視して過ごした。これまでだったら適当に言い訳したり、適当に合わせたり、適当に脚色して笑わせたりしていたけれど、何もかもが面倒になった。どうでもよかった。

 結果的につまらない奴、空気が読めない奴扱いされて、教室で孤立した。元々モブのように過ごしてきたから、誰とも深い繋がりがなくて、プツンと糸が切れたら呆気なく関係は終わってしまった。


 でも、そんな変化なんて些細なことだ。

 いつもの教室。いつもの景色。いつもの怠さ――俺にとっては何も変わらない。

 俺は元々、孤独だった。

 魔眼を使える自分を他の誰より一段上に上げていて、どうせ魔眼で何とかなると高をくくって、誰にも心を開いていなかった。何にも熱を上げていなかった。

 いつも冷たい塊のまま過ごしていた。

 この間までは違った。景色が違って見えた。没頭する時間があった。心躍る瞬間があった。

 まるで「おじさん」に音楽を教わった巧美のように。

 今はもう全て失われている。また元通りの空虚な日々が始まる。

 文化祭の喧騒は、あのバンド演奏会は、夢だったんじゃないかと思えてくる。

 でも夢じゃ無い。数藤巧美の席がぽっかり空いているのを見ると、文化祭の日から地続きしていることを痛感する。


***


 ここのところずっと休み時間は寝たふりをして過ごす。眠くはなかったけど、面倒な視線と声を遮断するにはこれが手っ取り早かった。

 しかし今日は、俺の肩を誰かがちょんちょんと突く感触があった。

 初めは間違いかと思って無視する。しかしまた、指先で突かれたような感触があった。


「ねぇ犬飼君」


 聞き覚えのある声。面倒だったが、無視できない声の主だ。

 のっそりと頭を上げる。脳裏に過ぎった通りの顔が目の前にあった。


「数藤さんのことで話があるんだけど」


 安達愛良は髪を耳にかけながら、目だけで微笑んだ。


 俺は渡り廊下の途中で数藤と立ち話をすることになった。こいつと二人きりのときはいつも渡り廊下だな、なんてぼんやりと考える。


「数藤さん、引っ越しするんだって?」


 開口一番の台詞に心臓が跳ねる。俺はその動揺を悟られまいと、平静を装いながら聞き返した。「……なんで知ってんだよ」


「あ、やっぱそうなんだ」


 その言葉で気づく。カマをかけられたんだ。口の中に苦いものが広がる。


「数藤さん、このところずっと来てないでしょー? それで女子の中で噂になってて。引っ越しすること教師から聞いた子もいてさ……そっかぁ。数藤さん、居なくなっちゃうんだね」

「それを確かめるために俺を呼んだのか?」

「うん」


 悪びれも無く言い切られ、どっと疲労感が滲む。


「だったら、さっき言ったとおりだよ」


 くだらない用件に付き合わされてしまった。

 むしろ安達はなんで友人でもない、むしろ憎たらしい相手の引っ越しなんて知ろうとするのか。執念てやつだとしたら割と粘着質だ。

 とりあえず帰ろうとすると、安達は言い募った。「あ、待って」


「もう一個話があるんだ」


 引き留められてしまったので、俺は面倒くささを露骨に出しながら、渡り廊下の柵にもたれかかる。「……なに」


「バンド演奏会、あたし数藤さんに負けちゃったじゃん?」


 安達はそう言いながら、俺の真似をするように柵にもたれかかる。

 俺は隣に来た彼女を胡乱げに見た。


「なに言ってんの? そっちは一位だっただろ」

「バンドはね。でもそんなの当たり前だし。先輩らの力量に君たちみたいなポッと出のバンドが対抗できるわけないっしょ?」


 さも当たり前のように言われた。喧嘩売ってんのかこいつ。


「だからバンドの勝ち負けなんか拘ってない。あたしが勝ちたかったのは数藤巧美の歌声」


 そう言い切った安達は、このとき初めて不愉快そうに眉をしかめた。


「アンケートには「一番だと思うボーカル」の欄もつけてもらったんだけど……数藤さんが一位だった。私は二位」


「マジ萎え」とぼやいた安達が空を見上げた。栗色の髪の毛がふわりと風に揺れる。


「……安達は、巧美の歌声を聞いたことあったのか?」


 それは当然の疑問だった。あいつの凄さを前もって知っていなければ、ボーカルとして勝とうなんて発想は出てこないはずだ。

 でも巧美は極度の上がり症で、人前では歌を歌えなかった。軽音部だってそんな調子だったから、あんなに小馬鹿にされていた。誰も巧美の歌声を聞いたことがなかったはずなのに。

 安達は遠くを眺めながら頷く。


「一度だけね。彼女ってなんか人前だとすっごく緊張してどもったり声が小さくなるでしょ? でも一人だったら平気みたい。誰も居ない部室では、ちゃんと歌えてた」

「つまり個人練を盗み見た?」

「盗み見たなんて失礼だな~。偶然見ちゃっただけだよ」


 安達があざとく頬を膨らませた後、苦笑いを浮かべる。


「ショックだったよね、普通に。へったくそな奴だと思ってたのに、実は滅茶苦茶良い声で歌うんだもん。しかもムカつくことにさ、私はその声を聞きながら感動してたんだ。プロに週三でボイトレしてもらってる私がだよ?」


 苛立っているのか嬉しいのか、判別がつかない声音だった。もしくはその両方なのか。


「バンド参加するって聞いたとき、人前で歌う特訓でもしたんだろうなって思った。だったらあの歌声と白黒つけらるチャンスかもしれない。そう、考えたんだー」

「……もしかして、俺たちをトリから二番目にしたのは、安達なのか?」


 考えてみれば妙な話ではあった。外様の俺たちにあんないいポジションが与えられるはずがない。なにかの力学が働いたと考えるべきだ。

「そーでぇす」と認めた安達は、ピースサインする。


「せっかく比べるならさ、連チャンで見てもらったほうが比較しやすいでしょー? 割と先輩方には文句言われたけど、大舞台で緊張させてやりましょうよとか言って誤魔化しといた」


 安達は悪びれなくぶっちゃける。こいつはほんといい性格してる。

 しかし、これまでの態度を思い出すと合点がいく。露骨に対決姿勢を煽ったのも、決着をつけるため、逃げ出さないように仕向けるためだったのだろう。

 なんだ。とっくに認められてたんじゃないか、巧美。


「……悔しいけど、負けは認める」


 一転して安達は重い溜息を吐く。


「だけどこのままじゃ済まさない。あたしももっと練習して、絶対に一番になる。後夜祭のときそればっか考えてろくに遊べなかったっていうのに、いきなり引っ越しでいなくなる? これが勝ち逃げじゃなくて何だって言うの?」


 柵から身体を離した安達が、俺の方にずいと近寄る。


「君が軽音に入れば、数藤さんも戻りやすくなるかなーってちょっと期待してたのにさ」

「ああ、だからか」

「それ以外に誘う理由ある?」


 別に期待していたわけではないけれど、ちょっと凹むのはなぜだろう。


「で、数藤さんはどこへ行くの」

「徳島、だって」

「徳島か……遠いな」


 唇を噛み締めた安達は、腰に手を当てて目を伏せる。


「会うことも、難しいよね」

「……かもな」

「わかった。じゃあやっぱり、伝えて」


 安達が俺を見つめる。その瞳の真っ直ぐさに、俺は気圧される。


「向こうで有名になれ、って」

「――え?」

「すっごくムカつくけど、あの子の実力ならきっといいところまで行く。あたしも絶対に上に行くからさ。同じ世界でなら会うこともできるだろうし、評判だって耳に入る。そこでまた勝負できる」

「え、いや、あの……つまり、それって」

「プロになれってこと」


 恥ずかしげもなく、誤魔化すこともなく、安達は言い切った。


「ほ、本気? 巧美はともかく、それって安達もプロになるってことだろ?」

「冗談なわけない。なんのために小さい頃からボイトレしてると思ってるの」

「それは初めて聞いたけどさ……」


 返す言葉を失ってしまう。

 唖然としていると、安達は不敵に笑って見せた。


「驚いた?」

「そりゃ、まぁ……意外っつうか」

「みんなには内緒ね? こんなクソデカ感情、ふつーに恥ずかしいから」


 ぺろりと舌を出した安達は、俺の横を通り過ぎるときに肩を叩いて言った。「そんじゃよろしく~」

 元通りの調子で告げた安達が、俺を置いて校舎に向かっていく。


「ち、ちょっと待てよ!? そんなの任されても困る!」


 ピタリと立ち止まった安達が、首だけ振り返った。なに言ってんの、と言いたげな表情だ。


「だって犬飼くんだけじゃん。あの子と連絡取れるの」

「それは……いや! こういうことは自分で言うもんだろ!」

「ずぇったい嫌。本人に直接言うくらいなら犬飼くんとエッチしたほうがマシ」

「はぁ?」


 困惑しかない。ていうか俺が相手なの引き合いに出されるくらい嫌なのか……。

 安達はにこやかに笑う。


「そんなわけでしてぇ。犬飼くんしか頼めないの。おねがーい」


 猫撫で声で頼んだ彼女は、ウインクして歩き始める。

 俺はその背中に声をかけようとして、でも、できなかった。


「…………無理だって」


 一人残された渡り廊下で、独白する。

 なんで俺がそんなことを頼まれないといけないんだ。

 それに、もし伝言を届けたって、安達の願いが叶うことはない。

 あいつは、俺が居ないと歌えないんだから。

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