第35話 巧美を諦めない

 安達からの伝言を受け取ってから数日が経過した。

 たぶんこのまま、俺の中で預かったままになるだろう。

 魔眼がなければ歌えない巧美に伝えても、プレッシャーにしかならない。安達には悪いが、伝えられなかったと答えるしかない。それで嫌われ蔑まれても、仕方がない。

 それでも俺は、迷っていた。

 彼女がせっかく告白した熱意を、このまま台無しにしてもいいのか。

 あいつも本当に、歌えないままでいいのか。

 誰かの人生に介入するなんて責任は負いたくない。

 でも俺が動かなければ、きっと何も起こらない。


 答えが出ないまま、十一月が終わりに向かっていく。

 もうすぐ巧美は、別の土地に移っていく。

 苛立ちを抱えたまま一人で過ごしていた俺は、ふと思い立って昼休みに屋上へと向かった。

 ドアは硬く閉じられていた。試しにドアノブを回してみても、施錠されていて開かない。何であいつが居るときは開いていたのだろう。


「……なにしてんだろ、俺」


 自嘲気味に笑う。当たり前だ。あいつはもう来ない。屋上に居るはずもない。

 ポケットに手を突っ込んで階段を降りる。その一段目に足を置いたとき――あるものが目に入った。

 屋上は階段の終着地点だが、階段の上にすぐドアがあるわけじゃない。少しだけスペースが設けられている。そのスペースの端に、コンクリートのブロックが置いてあった。


(あんなのあったっけ?)


 記憶を探るが、いまいち覚えていない。ドアを開けっ放しにするためのストッパー代わりに置いてあるだけかもしれない。

 考えつつ、何と無しにそのコンクリートブロックに近づき、つま先で小突く。

 何も起こらない――そう、思っていた。

 ゴトリと音を立てて転がったそのブロックの下に、小さな鍵があった。


「えっ」


 思わず声に出した俺は、周囲を見回す。誰も居ないことを確認してから、そっと指で拾い上げる。鍵はタグがなくて、何用なのかもわからない。

 だけど俺は、確信めいた勘に導かれて、プールへと続くドアの鍵穴に拾った鍵を差してみた。

 回す。ガチャリ、と音を立てて、解錠される。

 ドアノブを回すと、扉が開いた。秋空の下の屋上が目の前に広がる。プールはすっかり水抜きされていて、水溜まりが少しあるだけだった。

 抜き取った鍵を掌に置いて見つめていると、変な笑いがこみ上げた。


「あいつ、こんなもの使ってやがったのか」


 この鍵の持ち主は巧美だ。合い鍵をどこかから入手していたのだろう。

 それにしても不用心が過ぎる。あんなコンクリートブロックの下に隠しておいたら、用務員や教師が確認したら一発でバレるに違いない。

 まるで見つけてくれと言わんばかりの隠し方だ。

 ――いや、むしろ、それが狙いなのか?

 ハッとする。あいつは色々規格外だけど、馬鹿じゃない。あんな間抜けな隠し方をするはずがない。それにやっぱりあんなコンクリートブロックはなかった気がする。誰かが新しく置いたんじゃないのか。

 なんのために? 鍵を隠すために。

 鍵を、俺に渡すために。


 プールサイドを眺めていると、夏の終わりの記憶が蘇る。

 まだ残暑が厳しい頃、俺と巧美はプールサイドでずっと音楽の話をしていた。時には喧嘩して、時には馬鹿みたいに笑って。誰にも邪魔されない俺達だけの空間が、そこにはあった。

 でも今は、違う。煌めくプールの水面も、夏の日差しも、何もかもが失われた。

 そして、あいつ自身も。


『でも、なんで、今なんだよ……もっと早く気づいておけば、ずっと一緒に居られるのに……どうしたらいいの』


 不意に思い出したのは、最初に魔眼をかけてしまったときの彼女の台詞。

 ずっと、掴みどころのない、混乱からくる迷いを口に出しているだけだと思っていた。

 だけどそれは、俺の思い違いだったんじゃないか?

 魔眼にかかった効果と、そのうち去らなければいけない自分の運命を天秤にかけていた台詞だったとしたら?

 だから彼女は何とかしようとして、結婚なんて無茶苦茶な方法を取ろうとした。そういう方法でしか、俺と一緒に居られないと考えたから。


(……なんだ。とっくの昔に気づけたんじゃん、俺)


 胸の中を空虚が満たす。

 今よりも前に真実を知っていれば、何とかなったかもしれない。

 あいつの口から聞いた後では、もうすぐ居なくなるこの段階では、遅すぎる。


 ――本当に?


 心の奥の奥で俺は、あいつを、数藤巧美を諦めきれていない。

 同時に、この感情の出どころを、俺は気づいた。

 気づいてしまった。


「っ……!」


 鍵を握りしめてドアに向かう。階段を一気に駆け下りて、廊下を走り抜けて、昇降口まで行って、校舎を飛び出る。まだ授業が残っているが放課後まで悠長に待っているつもりはなかった。

 あいつに、会わなければいけない。


***


 向こう見ずに飛び出したはいいが、そういえば俺は巧美の自宅を知らなかった。とりあえず電話をしたけれど出てくれず、メッセージも既読がつかなかった。

 無視されているとは思いたくなかったが、これではすぐに会うことができない。

 困った俺はスタジオの店長を頼った。同級生とはいえ従業員の住所を教えてくれるかは微妙なところだったが、そこは魔眼の力を使っても何とかするつもりでいた。

 しかし俺の予想に反して、店長はすんなり住所を教えてくれた。


『なんか急に電話越しで辞めるって言われてさ。家の事情ならしょうがないけど、最後くらいちゃんと挨拶しに来いって伝えといてよ』


 かくして俺は二人分のメッセンジャーになった。正直そんな伝言なんて今や二の次だったけれど、言い訳としては大いに役に立ってくれた。


 そうして俺は、とあるアパートのドアの前に着いた。二階建ての集合住宅で、結構年季が入っている。

 深呼吸して、チャイムを押す。ピンポンという音が部屋の奥で鳴ったのが聞こえる。

 反応はなし。居ないのだろうか。

 もう一度押す。更にもう一度。念を押してもう一つ。


「聞こえてますよ! そんな何回も押さなくたって――」


 ドアを開けながらの苛立った声が、途中で途絶えた。

 玄関を半分開けて顔を覗かせた巧美が、俺の姿を確認して目を点にしていた。


「おま……なに、その格好?」


 対する俺も呆気に取られた。

 巧美は下がジャージ、上にドテラを羽織った格好だった。前髪を無造作に上げてピンで留めているだけで、寝癖なのかボサボサになっている。

 正直言って、クソ野暮ったい。


「~~~~~~っ!?」


 一瞬にして顔をまっ赤にした巧美がドアをバタンと閉める。あぶねぇ、指を挟みかけた。

 ていうか閉められちゃったよ。


「ち、ちょっと待ってくれ巧美! 話があるんだ!」


 俺はドアを叩く。壁越しにはまだ人の気配がある。


「五分、いや一分でもいい! 話がしたい! 部屋に入れてくれないか!」

「は、はぁ!? あ、あんた、あたしの部屋に入るって本気!?」

「駄目か!?」

「駄目に決まってんだろが! おまっ、そういうこと軽々しくなぁ……っ!」


 戸惑いの声が続く。普段の俺だったら引いていたかもしれないが、ここで逃げ帰るつもりはなかった。


「少しでいいんだ。話を聞いてもらったら素直に帰るから」

「だ、だからって、家ってのはちょっと……!」

「頼む、巧美」


 「~~~~っ」と煩悶するような声が漏れ聞こえてくる。


「――ち、ちょっとだけ待って! 仕度すっから! 外でなら聞いてやるから!」

「本当か!」

「だから入ってくんなよ! ドアも開けるなよ!」

「わかった!」


 了承した瞬間、ガタンゴトンバキンガタンプシューという大袈裟な音が聞こえてくる。工事現場かな?

 そうして五分くらい経過した頃、ドアが静かに開いた。


「……お待たせ」


 そこにはばっちり身なりを整えた巧美が居た。ショートパンツにジャケットを羽織っている。髪型も丁寧に整え、薄らとだがたぶん化粧もしていた。

 彼女の変貌を目にして、俺は感心しながら助言を述べた。


「お前さ、今更そんな気合い入れてもドテラの記憶がなくなるわけじゃないぞ?」

「帰れぇ!」


 顔面に衝撃。


「ってぇな!」

「うるさいバカユーキ!」


 ぷりぷり怒った巧美が、鼻頭を押さえる俺を無視してずんずん進んでいく。

 俺は痛みに頬を歪めながら――彼女に見えないところで、少しだけ笑った。

 少し会っていなかっただけなのに、こんなやり取りがとても懐かしく感じた。

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