第21話 初練習

 一息ついて自分の立ち位置に向かう。アンプを確認し、担いでいたケースからギターを取り出す。ギターとシールドを繋げ、シールドの先端をアンプに刺す。ボリュームのつまみをちょっとずつ上げて、ギターを弾く。じゃらーんという音が鳴った。

 準備は整った。が、何だか違う気がする。音が貧相だ。


(そういやDTMはプラグインエフェクトかけてたっけ。生演奏ってどうすんだ)


 DTMは編集によって音を歪ませたり変化させることができる。ギター演奏もPCで色々と音を変えることができた。

 現実でギターを弾く場合にも音は変化させられる、はず。アンプ側の操作で調整するんだっけ? ギターを買ったときに一通り確認したが忘れてしまった。


「直アン……そっからか」


 アンプのつまみをいじっていると、呆れたような声がした。ストラップでベースを斜めがけに持った巧美が、俺の方に寄ってくる。


「エフェクター持ってる?」

「エフェクター……?」

「その様子じゃ持ってないみたいだね」


 短く溜息を吐いた巧美は、せっかく斜めがけしたベースを下ろすとドアを出て行ってしまう。何かやらかしてしまったのか?

 居心地悪く待っていると、彼女はすぐに戻ってきた。スイッチがついた箱形のものを手にしている。


「これ、あたしの言うとおりにシールドと繋げて」

「お、おう」

「そっちにシールドもう一個あるでしょ。それをエフェクターとアンプに繋げて」


 俺は巧美の指示通りに動く。セッティングすると巧美がしゃがみ、エフェクターのスイッチをいじった。


「弾いてみて」


 素直にギターを弾いてみる。

 ギュオーンという、ノイズを交えたような太い音が出てきた。


「おお……ディストーションね。もうちょっとオーバードライブ気味でもいいけど」

「――ん? エフェクター持ってないのになんで種類は知ってんの?」

「えっ、いや、そりゃギター弾くくらいだから? 知識としてはある」

「エフェクターはわかんなかったのにぃ?」


 じーっと不審げな視線を向けられた。俺は慌ててギターを弾き鳴らす。


「広い空間で弾くのは気持ちいいなー家は狭くてこんな音出せないからなー」

「でしょ! ここなら全力で暴れても問題ないからね!」


 一転して巧美が嬉しそうに同意する。どうやら注意をそらせたようだ。バンド馬鹿で良かった。

 俺は適当にコードやフレーズを弾いてみる。


「あれ、アルペジオもできんの?」

「簡単なやつならなー。早いチェンジは指が動かなくて無理」

「わかる。あたしもソロになると無理。スラップとかマジきち」


 ベベベベンと、ベース特有の音が鳴る。巧美は指で弦を弾いていた。弾くように弾くのがスラップだが、それはできないらしい。


「んじゃユーキさ、なんか演奏してみてよ」

「なんかってまたアバウトな」

「実力見るためだから。あたしが知らない曲でもいいよ」

「うーん」


 何か一曲と言っても、作曲のために使っていたものだから、曲をコピーしてきたわけじゃない。むしろ弾けるのは自分の曲だけど、それを披露するわけにもいかない。

 「じゃあ……」俺は一番最初に練習して覚えた簡単なロック曲を弾く。

 そうしてギターを弾いていると、重い音が混ざった。気づけば巧美が俺に合わせてベースを弾き始めている。


「知ってたのか?」

「さわりだけ。コード進行見てたらなんとなくわかった」


 巧美はウインクして俺に合わせた演奏を続ける。

 何となく止め時を失って、俺はそのまま巧美と最後まで曲を弾ききった。

 終わってみると、部屋に静けさが戻る。ギターとベースが合わさると、こんなにも音に満たされているんだな。

 「これ簡単だし、練習曲にしよっか」巧美がおもむろに言う。


「弾き語りのじゃなくてバンド演奏の譜面がネットにあるっしょ。それ探して」

「急に言うなお前も。ここで覚えろってか?」

「コード進行暗記してんなら余裕だって」


 ベースの尖端でげしげしと突かれる。俺は仕方なくスマホでバンド用の譜面を探す。「あった」


「どれどれ」


 巧美が俺の横からひょいとスマホを覗いてくる。近寄ったせいか、彼女の清潔感と甘さが混ざったような香りが俺の鼻に届いた。


「お、いいじゃん。ギターはほとんどパワーコードだし、リフも難しくない。ちょっと間奏が難しいかもしんないけど、練習にはいいかもね」


 譜面を読みながら喋る巧美は、垂れた髪を耳の上にかける。その仕草と、ポニーテールにしたときのうなじ、伊達眼鏡の隙間から覗く彼女の綺麗な瞳に、俺は目を奪われた。


「って聞いてんのユーキ?」

「お、おう。聞いてるよ」


 咳払いをして誤魔化す。


(なんか、調子狂うな)


 女子と至近距離で接するなんて、俺には珍しいことじゃない。もっと際どい接近もあった。

 なのに巧美が近づいてくると何だかドキドキするし、なぜかもっと近寄りたくなってしまう。


「うーし、覚えた。早速やろう」

「えっ。はえーよ。俺まだ覚えてない」

「んだよ鈍くさいな。いいから演奏するよ。こういうのはやってれば覚える」


 などと言いながら巧美は既に構えている。口ではそう言っているが、本音はただ演奏したくてうずうずしているという感じだ。

 俺は溜息を一つ吐き、ギターのリフを始める。


 確保した練習時間は一時間。その時間はあっという間に過ぎていた。

 店のドアを出て階段を上ると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。9月も後半だからか、夜になるのが早くなっている。

 ギターケースを担いで近場に止めたチャリに乗る。後ろからは巧美が付いてくる。彼女はまたバイト用のつなぎを着ていた。


「んじゃ、また明日。だっけ」

「うん。同じ時間な。店長に頼んで一時間確保してるから」

「毎日だろ? よく聞いてくれたな」

「その分働く時間延長してるし、バイト代から天引きにしてるからさ。文句言われる筋合いはないね」

 

 腰に手を当てた巧美が快活に笑う。たぶん渋っている店長を押し切ったに違いない。同情を禁じえない。


「つうか、バイト代から引かれるのな。割と痛いな」

「まぁね? でもいいよ、文化祭までだし。それで終わり」


 あっけらかんと答えてくる。確かに、期間限定と考えれば毎日とはいっても我慢できる範囲か。

 すると巧美は俺を覗き込むように笑いかけてきた。


「なにー? あたしのこと心配してくれてんの?」

「んなわけねぇだろ」

「照れるなって。心配ならあんたが全額払ってくれてもいいんだよ? お金稼いでるじゃん?」


 指のジャスチャーで円マークを作ってくる。ホストから金を貰っている光景を見ているのだ、そりゃ金を持っていると連想するだろう。

 俺はしっしと手を振る。


「たかるな。それにそんな持ってねぇよ。あんなのしょっちゅうやってたらさすがに大事になる。一応、悪人ぽい奴にしかやってないし」

「ふーん、あっそう」


 巧美はつまらなさそうに首を振る。彼女のポニーテールが動きに合わせてふりふりと動いていた。


「……犯罪だもんなぁ、無理か」


 ポツリと呟かれた一言に、俺は思わず口元をへの字にする。


「なんだよ、いまさら説教か?」

「え? あ、違う違う、そうじゃないよ」


 なにが違うのか巧美は慌てたように笑ってごまかした。


「こっちの話。あんたがそういうことしてるの、とやかく言うつもりはないよ」


 その言葉に俺は少しだけ驚く。

 別に自分の行為を正当化するつもりはない。相手は選んでいるけれど、金を盗んでいるようなものだ。

 だからと言って他人に頭ごなしに説教されたり、強引に変えられたいわけじゃない。そんなのは自分が気持ち良くなりたいだけの独りよがりな行動だと思う。

 その点、巧美は大らかだった。外見や態度からして何となくそうかなと思っていたけれど、自身が周囲に強制されてきた側だから、自分が嫌なことは他人にもしないのかもしれない。


「まぁ危なそうだからほどほどにしたらいいと思うけどね。じゃないと、あたしみたいに強請られるぜ?」

「自分で言うんじゃねぇよ……むしろ考えてみたらさ、無理やり巻き込まれてるのに俺も普通に金払ってるのおかしくね?」

「ばっかだなー。強請ってんだから対等じゃなくて当たり前じゃん」

「そうかもしれんが開き直るな!」

「どうせチートで稼いだお金じゃん。あたしに全て捧げさせないだけ、かなり優しいでしょ?」


 ふふん、と巧美が大きめの胸を強調する。ちくしょう、いつか揉みしだいてやる。

 仏頂面を続けていると、巧美は腕を後ろに組んでスタジオの方に歩き出す。「んじゃね」

 背を向けた彼女には何も言わず、俺はチャリに跨ってこぎ始める。

 そうして帰宅しようとしたとき――交差点で止まった俺は、何となく、本当に何となく、後ろを振り返る。

 巧美はもうスタジオに戻っているだろうと思った。

 でも彼女はまだそこにいて、俺が帰るのを見送っていた。

 巧美は一瞬気まずそうにしたけれど、すぐにはにかんだように笑って、俺に手を振った。

 無視するわけにはいかなくて。俺も、ぎこちなく手を振り返す。

 恥ずかしさが鳥肌みたいに全身を走って身悶えしそうになった。信号が青に変わった瞬間に立ち漕ぎしてその場を後にする。

 全速力でチャリを漕ぎながら、夜の帳が落ちていく街の中を疾走しながら、全身に夏の終わりのぬるい風を浴びる。

 心地よかった。解放感があった。部屋で音楽を作るのとは違う感覚がある。

 スタジオで練習すること。誰かとこうして帰り際に手を振り合うこと。

 新鮮じゃないと言えば、嘘になる。


(これから毎日、かぁ)


 何となく。本当に何となく。

 悪くない気がしていた。

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