第20話 ボーカルのバイト先

 その日の放課後、俺は一度帰宅した後に録音用のギターをケースに入れて担ぎ、とある場所に向かっていた。普段あまり足を踏み入れない方面へチャリを漕いでいくと、人気のない一角に入っていく。雑居ビルや駐車場は多いが繁華街は遠く、住宅地として整備されたわけでもないので雰囲気が暗い。どちらかというと不良が集まりやすそうな感じだった。


(ええと、ここでいいんだよな?)


 巧美から指示された場所は何の変哲もないビルだった。本当にこんなところにスタジオがあるのだろうか。

 チャリをどこに置こうか考えながらビルに沿って歩いていると、壁面に看板が貼ってあるのを発見する。英語表記で「スタジオアーク」と書いてある。そして↓という矢印もあった。

 矢印を辿ると階段がある。どうやらスタジオは地下一階らしい。

 俺は近場の自販機近くにチャリを置き、恐る恐るその階段を降りた。

 これまで練習用のスタジオに入った経験はない。自宅で済む範囲のことしかやってこなかった。だからちょっと緊張がある。

 こういうスタジオは、いかつい格好をした男達がヤニを吸いながらたむろし、ドアを開けた瞬間に睨んでくるイメージがある。バンドマンというと、どうしてもピアスたくさん髪染めまくりタバコ吸いまくりの派手でいかつい男たちを連想してしまう。


(べ、別に怖くはねぇよ。うん)


 誰にでもなく心中で呟き、ドアを開ける。

 清潔なロビーが広がっていた。パイン柄のフローリング敷きで、スチール製の机が二つ置かれている。椅子は四つ。壁には掲示板らしきコルクボードが張られている。

 ロビーの奥に受付があった。棚にはマイクやコードや機材類がごちゃっと置かれてある。

 少し拍子抜けした。緊張するほどじゃなかった。いや、変なイメージを持っていた俺の方が悪いか。

 巧美はまだ居ない。待合席らしきところで座っていようかとも思ったが、受付には一声かけて置いた方がいいだろうか。


「あ、らっしゃい」


 急な人声にビクッとなる。受付から頭が生えていた。

 じゃなくて、誰かが受付の奥でしゃがんでいて、顔だけ上に出した格好だった。


「お客さん?」

「は、はい」


 ギターケースを担ぎ直しながら会釈すると、その人は立ち上がって姿を見せる。

 つなぎを着た女性だった。ウェーブのかかった髪を茶色く染めている。顔立ちは整っているけれど、化粧っ気はないし目の下の隈が目立って野暮ったい。


「何時予約?」

「あ、ええと。俺はメンバーに呼ばれて来ただけで、時間とかちょっとわかんないす」


 受付の女性が眉をひそめる。くそう巧美め、もう少し詳しく教えとけよ。

 そのとき、スタジオに続く防音ドアがガチャリと開いた。


「てんちょ~。スタジオ掃除終わったよ~」


 出てきた少女を見て、俺は「えっ」と声を出してしまう。


「お? ユーキじゃん。迷わず来れたみたいだね」


 俺に気づいた少女――巧美が笑みを向けてくる。

 彼女は受付の女性と同じジンズ柄のつなぎを来て、手にモップを持っていた。髪の毛はポニーテールに縛って、片耳のピアスがきらりと光っている。


「……巧美? なんでそんな格好してんだ?」

「あたしここでバイトしてんの」


「バイト?」とオウム返ししつつ、彼女の姿を上から下まで眺める。


「ジロジロ見んなスケベ見惚れるなら金払え」

「何様だ貴様。ってそうじゃねぇ。バイトしてるって言った?」

「そうだけど?」

「早く言えよ!」

「? 言わなきゃいけないの?」

「そりゃお前……!」


 聞いていれば受付に説明できたし入るときも安心だったろうが、と言いたいところだが、なんかもう脱力してしまった。そもそも協調性があったらクラスで浮いて一匹狼で居ることなんかなかったろう。


「……なんでもない」

「なんだよ。気になる」

「夢に出るくらい気にしとけ」

「は? わけわかんないんだけど」


 巧美がむくれ面になる。振り回されたお返しだ、これくらいならいいだろう。


「もしかして、その子がタクと組んだって子?」


 受付の女性がカウンターに身を乗り出して聞いてくる。口にはいつの間にか電子煙草を咥えていた。


「そ。ギター担当」

「ふーん?」


 受付の女性が俺を興味深げに眺めてくる。愉快そうな雰囲気があるというか、大人の女性にジロジロ見られると構えてしまう。


「私はここの店長をしてる今村冬子ふゆこ……じゃなかった、橙子とうこ。よろしく」

「……ども」


 あれ、この人いま自分の名前間違えてなかったか?


「タクから聞いたよ~。同じクラスなんだってね? なかなかのじゃじゃ馬だと思うけど、よく組む気になったね」


 それにはふかーい事情があるし何で組んでるのか今でも不思議です、とは言えないので、俺は「はぁ」と生返事をするに留めた。


「もしかしてこの子狙ってる? 確かに顔はいいしスタイルも結構いいもん持ってるもんね」


 店長が自分の胸を両手で支えるようなポーズを取る。


「ちょ、店長!? なに言い出してんの!」

「そういうのは皆無ですね。絶無です。0パーセント余裕」

「お前もいい度胸だなおい!」


 駆け寄った巧美に尻を蹴られて前のめりになる。

 俺達の様子に店長はからからと笑った。


「仲は悪くないみたいだね。それじゃあ本当に気が合って組んだのか」


 この様子を見て気が合うとどうして判断できるのか。不思議でならない。


「だーからそう言ってんでしょ! 余計な詮索すんなし」

「へいへい」


 ふんすと鼻を鳴らした巧美は、モップを置くとおもむろにつなぎを脱ぎ始めた。


「それじゃ練習始めるとしますか。スタジオB取っといたから、行こユーキ」


 「いやいやちょい待て」店長がツッコミのジェスチャーをする。


「あんたいま勤務中。なに勝手に上がろうとしてんの」

「上がらないよ? 勤務しながら練習する」

「どんな理屈じゃ! 仕事せいや仕事!」

「だいじょーぶだって。モップがけして機材の整備も済ませた。次の予約まで時間あるし。その証拠にいま暇っしょ?」


 「そーだけど……」店長が一瞬考え込む。その間に「なにかあったら呼んでくださーい」と巧美はひらひら手を振って防音ドアを開け、さっさとスタジオに行ってしまった。

 俺は唖然とする。なんちゅう奴だ。バイト先の上司に向かってあんな舐めた態度取れる奴は初めて見た。


「あ、ちょ! ……ったく、あいつはほんとにもう」


 嘆息した店長は、次に俺に向けて苦笑いを向ける。


「苦労するでしょ、あの子の相手」

「……っす」


 俺も苦笑いして微かに顎を引く。


「あの子のこと、よろしく頼むよ」


 そう言った店長はさっきと違う声音だった。口元には笑みが浮かんでいるけど、双眸はどこか真剣味がある。

 何というか、親が子を案ずるような目だった。さっきも本気で怒っているという感じがしなかった。怒っているけど、ヤンチャな子供に対して仕方がないなと諦めている大人みたいな構図だ。


「……善処します」


 適当に答えつつ俺も巧美を追う。

 あいつを気に入っている人間が居ることに少し驚いたが、同時に、少しだけ安堵もした。何でそう思ったのかは、自分でもよくわからない。

 防音ドアを開ける。細い廊下を進んだ左右に二つずつ部屋があった。それぞれA、B、C、Dと扉に大きく書いてある。スタジオは四つあるようだ。

 AとCからは楽器の練習音が漏れ聞こえてくる。先客が練習に使っていた。

 スタジオBに入ると、巧美は既にセッティングを始めていた。彼女が持っていたのは黒いフェンダーのベースだ。マーシャルアンプのつまみを調整しているその背中に声をかける。


「ここで働き始めて結構長いのか?」

「いんや? 三ヶ月くらい」

 

 「さっ――」聞いた瞬間に絶句する。


「……三ヶ月でよくあんな態度とれるな」

「なんか言ったー?」

「いんや別に」


 俺は首を振る。説明したってこいつは理解しないだろう。店長が心配になるのも、やっぱり保護者的な感情なのかもしれん。

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