第19話 ボーカルのライバル

「ごめんだけど、文化祭が終わるまでは競争相手ってことだから。それまではこういうのも、ちょっと遠慮してほしい。その代わりと言ったらなんだけど、終わったら色々と相談に乗って欲しいな」


 俺と巧美の関係は文化祭までだ。それまで距離を開けられればいい。後はどうとでもなる。


「へー……犬飼くんて、そういうこと言う人だったんだ」


 安達は驚いたように眉を上げていた。

 ややあって、唇を弧にする。

 それは可愛さを表現するための仕草ではない。まるで戦いを前に興奮したような、不敵な笑みだった。


「わかった。じゃあこれ以上は言わない。だから――」


 安達がくるりと背を向ける。そこで俺はようやく気づいた。

 安達愛良の向こう側に、いつの間にか多くの見物客が居た。廊下で言い争いしていたせいで注目を集めてしまっていたらしい。


「手心は加えないよ? 私の全力で打ち負かしてあげる」

「――はっ! お前は嫌いだけど、そういうところは嫌いじゃない。後で吠え面かけ」

「ふふ、楽しみにしてる」


 安達が顔だけ振り向いて笑う。

 見物客から「おおー」と歓声が上がりざわざわと盛り上がっていた。


(……既成事実を作りやがったな)


 周囲に聞かせることで、俺達の逃げ道を防いでいる。同時に、安達愛良と数藤巧美の対決を演出することで演奏会の更なる注目を集めたわけだ。

 軽音部としての義憤か、それとも巧美を完膚なきまで叩くための陰湿さか、どちらかはわからないが、なかなかの策士だった。

 予鈴のチャイムが鳴る。皆がぞろぞろと教室に戻っていく。


「でもメンバー足りなくて演奏会出れないってことだけは止めてねー? 盛り下がるから」


 と言い残して安達も去って行った。

 それまで意気揚々としていた巧美は、ハッとして頭を抱える。


「……どうしよう」


 その場でしゃがみ込んだ彼女に対し、俺はクソデカ溜息を吐くしかなかった。


***


「あー腹立つ! あー腹立つ!」


 昼休み。またもや俺と巧美はこっそりと屋上に来ていた。

 巧美はプールサイドに座って足を水の中に突っ込み、力任せにばしゃばしゃと動かしている。俺は日陰になっているベンチに座って昼飯のサンドイッチを頬張る。


「なにあの上から目線! 完全に舐めきってやがる! 一年の頃からまーったく変わってねぇ! 自分は特別だってしたり顔で匂わせてくるあの女ほんとムカつく!」

「実力は確かだからなー。自信があるってことだろ」

「なに? ユーキはあいつの肩を持つわけ?」


 巧美が振り返ってギロリと睨み付けてくる。俺はサンドイッチを口に加えながら両手を挙げる。


「客観的な事実を述べたまで。俺だって苦手だよ、安達は」

「その割には仲良さそうだったじゃん」

「前にちょっと遊んだ程度で、社交辞令だから」

「ふーん? へー? そーですか」


 なんか納得いったのかいっていないのか微妙な顔だった。どういう感情かわからん。


「それよりメンバーどうすんだよ。壁組は全員断られちまったし」

「……部活を選んだ奴らなんてもう知らねぇ」


 巧美は不機嫌そうに唇を尖らせて呟いた。

 その言い方に引っかかるところがあった。どうしてなのか自分の中で考えて、はたと気づく。


「もしかして、あの壁組の部員を助けてやりたかったのか?」


 うちのバンドに与することはデメリットが大きいが、かといってメリットがないわけではない。魔眼を使うことで一番人気を得られればそれだけ注目され、他のバンドから誘いがかかる可能性がある。

 こちらの都合で引き入れようとしているとばかり思っていたけれど、巧美はそれなりに壁組の連中のことを慮っていたのかもしれない。


「……べっつにー」


 彼女はふいとそっぽを向く。その頬はほんのりと赤くなっていた。


(ったく、素直じゃないな、こいつも)


 まだまだ短い付き合いで真意はきちんと読み取れないけれど。何となく数藤巧美という女がどういう人間なのか、わかり始めた気がする。

 噂ほど、破天荒でどうしようもない奴でもなさそうだ。

 俺は心中で笑いながら、しかし現実の問題に意識を戻す。


「ま、俺にとってはどっちでもいいけどさ。メンバー探しが暗礁に乗り上げてるってのは変わらない。あと一ヶ月半くらいだろ?」


 巧美に魔眼をかけてしまった騒動は、二学期が始まった九月の上旬頃だった。それからもう中旬に来ている。文化祭は十一月の最初の土日だからもう時間がない。

 さすがにぶっつけ本番で演奏するわけにはいかない。練習時間を含めて考えると、この段階でメンバーが決まっていないのは危険域だった。


「こうなったら仕方ない」


 ざばぁと音を立てて巧美がプールから足を上げ、プールサイドに立つ。

 逆光に目を細めつつ、俺は艶めかしく光る彼女の足を眺める。


「間に合わないことだけは避ける。優先順位を変えるよ、ユーキ」


 ぺたぺたと素足で歩きながら巧美が俺の前に立つ。彼女は腰に手を当てて鼻息を吐いた。


「うちの高校でメンバーを探すのは中止。ドラムは外から見つけよう。スタジオの掲示板とかネットを使って募集する。文化祭だけのサポートを募るとか、やりようはいくらでもある」

「なるほど……って、なんでドラムだけ? ベースやリードギターは?」

「ベースは最悪、あたしがやる」


 巧美が親指で自分を指さした。


「楽器を弾きながら歌うのは正直難易度が高くて避けたかったけど、やるしかない。ある程度はルート弾きになるけど、それで十分な選曲をするからさ」

「え? いや、そもそもお前ってベース弾けんの? 持ってんの?」

「古いタイプだけど家にあるよ。あたしは元からボーカル志望なんですっごく練習してきたわけじゃないけど、バンドで合わせた経験もある。軽音に入るときもボーカルが駄目ならベースでって希望だったし」


 巧美は、ベースを担いで指弾きをする真似をしてみせた。細い指が自由自在に動いている。

 しかしそうなると、一つの懸案が浮かび上がってくる。

 今の話だと、ドラムは外部、ベースは巧美、ギターは俺という布陣にしかならない。


「あのー。リードギターは?」

「ギターはユーキ、あんた一人」


 巧美がビシリと指を差してくる。

 俺は半笑いになる。


「またまたご冗談を」

「メンバーが期限内に集まるかわかんないんだから、スリーピースバンドで演奏できるように準備するのは当たり前でしょ」


 巧美はクソ真面目な顔で言ってのける。

 俺は一瞬呆気に取られ「はぁああ!?」勢いよく立ち上がった。


「んなあほな!? 俺はバンド初心者だぞ!? ギター一人なんて無理!」

「だから練習すんの、毎日。今日から放課後特訓するから」


 切実な訴えに対して、巧美は呆れたように答える。

 いやいや、いやいやいやいやや。


「練習って一ヶ月半しかないんだぞ!? どう頑張ったって部長バンドと同じレベルになるわけが……!」

「あのね、ユーキ。バンドの善し悪しは演奏力で決まるわけじゃないよ。音楽が好きならわかるでしょ? スリーピースバンドだって名曲はいっぱいある。簡単なコード進行で、技巧なんて凝らしてなくたって、心に響く曲はある」


 などともっともらしく説明されても、はいそうですねと納得できるわけがない。

 そういうのはプロのバンドを比較したときの話で、演奏力が最低水準を超えているから言えることだ。最低水準に満ちていない演奏をすれば、せっかくの名曲も台無しになるに決まっている。


「マジで……マジで、ギターは俺だけでやるつもりなのか?」


 演奏はリードギターに任せて、皆の演奏を邪魔しない程度にジャカジャカ弾いているつもりだった。その間に魔眼をかけるだけだと思っていた。

 なのに、ギターは俺一人。しかも、初舞台は知り合いが大勢いる文化祭。

 観客全員が、俺の演奏を聞くことになる。


「はは、そんな迷子みたいな顔しないの」


 巧美が可笑しそうに笑う。それから少し背伸びして手を伸ばし、俺の頭をくしゃくしゃと撫で回す。


「一ヶ月半たって、まだ一ヶ月半もあるってことじゃん? 毎日特訓すれば何とかなるよ」

「何とかって……!」

「大丈夫。あたしもずっと付き合う。リードギターだって募集は続けるし。ね?」


 巧美はまるで子供をあやすみたいに諭してきた。それだけ俺は情けない顔をしているのだろうか。


「何よりあんたには魔眼があるじゃん。完璧な演奏はしなくていい。皆に違和感を与えないレベルで十分だから」

「そのレベルに押し上げるのが大変だって言ってんだろが」

「ははは、そうかもね。でも緊張感あってやる気出るでしょ?」


 このポジティブヤンキー美少女め。誰もがお前と同じと思うなよ、ちくしょう。 

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