第18話  お断りされるボーカル

「ごめんなさい。お、俺には無理です」


 俺たちの前で勢いよく頭を下げた男子生徒が、逃げるように廊下を駆けていく。


「え、お、おい! ちょっと! もう少し話だけでも!」

「もう本人いないぞ」


 そう言ってやると、巧美は上げた手をぷるぷると震わせていた。


「んだよもう! あたしとは演奏りたくないっての!?」


 なにか誤解を招きそうな台詞だな、と思いつつ、彼女の背後に立つ俺は苦笑いする。


「壁組を狙うってのは悪くない案だと思うけど、残念だったな」

「くっ……ま、まだ一人目! ほかにもバンド組んでない奴はいるから!」


 巧美は鼻息を荒くしながら学校内をずんずんと歩き始める。俺は肩を竦めて彼女の後をついていく。

 この日、俺と巧美は揃っていない楽器パートの勧誘を始めていた。

 バンドを組むためにはドラム、ベース、そしてリードギターの3パートが必要になる。その足りないメンバーを補充するために巧美が出した案は「軽音部の壁組を誘う」というものだった。

 俺は素直に賛同した。なぜなら軽音の壁組はバンドを組みたくても初心者や実力不足でサポートに徹することを強いられている。つまり音楽をやりたいという欲求が強いわけで、悪評のある巧美でも入ってくれるのではないかと考えた。

 巧美本人は自分の評判のことなんてまったく考慮にいれていなかったみたいだけど、それでも誰かしらは誘いに乗ってくれると俺は踏んでいた。

 さっきは一人目に断られてしまったけど、たぶん大丈夫だろう。


「ごめんなさい……ちょっと、自信なくて」

「他を当たってよ。文化祭出れないって言っても来年あるし」

「そりゃさ、俺だってバンドやりたいけど……まだ軽音に居たいから」


 ――などという考えは、ものすごく楽観的なものだったと俺は思い知る。

 壁組に勧誘を続けてもお断りばかり。貴殿のご活躍をお祈りしています、みたいな社交辞令も一切なしのマジ拒否ばかり。

 しかもその理由が深刻だった。巧美と組むのが嫌だから、というのも一部にはあるだろうけど、それよりも軽音部に睨まれたくない、という消極的心理がかなり強く出ていた。

 考えてみれば当たり前だった。ここで無理しなくても壁組は来年になれば文化祭に出れる可能性が高い。現に三年生の壁組は一人もいない。さすがに三年間も壁組をさせるようなことをすれば暴動が起きると発案者は考えていたのだろう。だから年功序列みたく、最後に甘い汁を用意してあるわけだ。

 たった一度でも、穏便に過ごして文化祭という舞台に立つのか。

 部内で睨まれながらも二回文化祭に出場するのか。

 どちらを選ぶかと問われれば、多くの人が前者を選ぶ。ましてや壁組という立場の弱い部員なのだから、余計に二の足を踏むことになるだろう。


 巧美も彼ら彼女らの心情には気づいた。気づいた上でしつこく食い下がった。そういう他人の言う通りに縛られるのが一番嫌いで、だからこそ軽音を出奔した彼女だからこそ説得したかったのかもしれない。

 が結局、壁組の意識を変えることはできなかった。

 俺はほとんどキレてる巧美を強引にお持ち帰りしながら、もはや諦めの境地に至っていた。なんていうか状況があまりにも不利すぎる。

 一方で巧美はまだ諦めていない様子だった。


「んがー! もういいよあいつらなんか! 一年生の勧誘するから付いてこい!」


 二年生の壁組に愛想を尽かした巧美は、勢い込んで一年生の階に突撃していった。


「おまっ、ちょ、待てって!」


 俺は止めようとした。一年生相手の勝率なんて火を見るより明らかだからだ。

 しかしイライラゲージがマックスに到達しつつある彼女は俺の忠告なんて聞かず、手当たり次第に部員に声をかけ始める。


「いやっす」

「来年バンド組めるんでいいです」

「すいません無理」

「マジで文化祭出るんですか? 羞恥プレイ好きなんすか?」


 さもありなん。

 しかも下級生の方が容赦ない言葉を浴びせてくるし。平たく言ってめちゃくちゃ馬鹿にされるだけだった。

 さしもの巧美も、短いながらも備わっていたであろう堪忍袋の緒が切れてしまった。


「て、てめぇら、ふざけんのも大概に――」

「あーっとー! ごめんねなんか騒がせちゃってこいつは引き取りますんで今のは忘れてね-!」

「あ! くそ離せ馬鹿ユーキ! あいつらにわからせてやんだ!」

「はいはいお姉ちゃんのほうがわかりましょうね」


 暴れる彼女を羽交い締めにしながら二年生の階まで戻ってくる。まだギャーギャー騒ぐ巧美を廊下で抑えながら、俺は頭痛に似た気の重さでうんざりしていた。


「いい加減もうちょい落ち着けって。あいつらが言ってたことは――」

「あらお二人さん。なにしてるのかなーこんなところで」


 いやに甘ったるい声がかけられ、俺と巧美は同時に首を巡らせる。

 そこには部長バンドのボーカル――安達愛良が立っていた。

 くすくすと笑う彼女の姿に、巧美は露骨に顔をしかめる。


「……あんたには関係ない」

「あーそう? まぁそうだよねぇ、誰がどこでメンバーを勧誘してようと関係ないもんね?」


 歯ぎしりの音が聞こえる。巧美の怒りのボルテージがまた上がっている。


(見てたな、こいつ)


 安達愛良はわざと挑発している。可愛い見た目に反していい性格してやがる。


「ところでさー。君たちってやっぱり付き合ってんの?」

「え?」

「は?」

「だって後ろから抱きしめてるし」


 ぽかんとした俺達は、ハッとしてすぐに離れる。


「違うんだよ安達。これは保護者? 的な感じで止めてただけでさ」

「ふーん。じゃあ数藤さんに脅されて付き合ってるとかじゃないんだ」

「あ?」


 巧美がギロリと睨むが、安達愛良はどこ吹く風という清まし顔だ。


「聞いたよ、犬飼くん? 数藤さんが罰ゲームでいきなり君にプロポーズしてきたって。凄いことするよねーその人。どこの世界の人だろ」

「あ、あれは」

「でもさ。そんなことがあって更に二人がバンド組むとか、ちょっとよくわかんないよね」


 安達が俺を見る。その目には人を観察する無遠慮な鋭さがあった。


「たとえばその罰ゲームが発端で犬飼くんと数藤さんが付き合い始めて、君が数藤さんのお願いを聞いてあげてる、とかね? それにその眼鏡。視力が急に悪くなったわけじゃないから伊達でしょ? それも犬飼くんの好みに合わせてるとかなの?」

「これは……あたしの趣味だ」

「似合わないから止めたら?」

「てめぇ喧嘩売ってんな?」


 巧美の頬が怒りでぴくぴく動く。しかし安達はやはり気にした素振りもなく、俺の方を向いたままだ。


「でも犬飼くんみたいな人が数藤さんと急にお付き合いするなんて、愛良は信じられないんだよねー。タイプじゃないでしょ」

「それはまぁ俺もこいつとなんてぐふっ」


 横腹に鈍痛。

 巧美に肘を入れられていた。


「あとで覚えておけよ」

「ずびばせん」

「ふふ、その様子だとほんとに脅されてるわけじゃないんだね。一番可能性が高いと思ったのになぁ」


 鋭い、正解。やっぱりこの関係は不自然に見えるんだろう。


「お前はあたしをどんな人間だと思ってんだ」

「唯我独尊を勘違いしてる女」

「ははっなるほど」


 スネを蹴られる。

 俺が涙目でぴょんぴょん跳ねると、安達はくすくす笑う。純粋に面白がっている。

 半目で俺を睨んでいた巧美だが、腰に手を当てて溜息を吐く。


「あたしがどんな理由で誰とバンド組もうが、あたしの自由だろ。余計な詮索すんじゃねぇよ」

「そーだけどね? もし犬飼くんがやりたくもないことをやらされてたら、さすがに可哀想じゃない?」


 などと言いながら、安達がすすっと俺に近寄ってくる。

 巧美とは違う良い女の子の匂いがした。まぁ巧美のも悪くはないけど。


「一緒に遊んだ仲だし、愛良はそこで放っておくほど薄情じゃない。困ってるんだったら相談に乗るよ?」


 安達が上目遣いで俺を見てくる。なかなか男心をわかっている仕草だ。普通の男子だったら、こういう誘惑にはクラっと来る。

 だが生憎、俺は魔眼のおかげで色仕掛けには慣れっこだった。


「もし普通にバンドをやりたいだけだったら部長に口利きしてあげる。なにも数藤さんと組むことないよ」

「おいユーキ、その女から離れろ」

「今は犬飼くんと話してるんですぅー邪魔しないで」


 などと言いながら安達が俺の腕を抱きしめてくる。

 ……慣れてるけど、うむ、これは、なかなか。着痩せしてるのか柔らかいな。

 背筋に悪寒。巧美が呪い殺さんばかりの勢いで俺を睨み付けていた。怖。


「えーと、ごめんね? 安達さん」


 俺は心のなかで舌打ちしながら、やんわりと安達の腕を放す。


「確かにあの罰ゲームがちょっと関係してるんだけど、でも無理矢理とか、嫌々やってるわけじゃないから。心配してくれてありがとう」

「そう、なんだ」


 安達がシュンとする。そういう仕草も純朴な男には引っかかるのだろうが俺には通用しない。

 むしろ安達愛良は俺の中で要注意人物になりつつあった。巧美への嫌がらせで俺に言い寄ってきているのだろうが、脅迫されてバンドを組んだという考察は真相にニアミスしている。

 更に深く探りを入れられると巧美の計画、ひいては俺の能力についても辿り着いてしまう恐れがある。

 となれば、ここで余計な介入を防いでおいたほうが吉だろう。

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