第2章
第10話 宣戦布告するボーカル 上
放課後になった頃、俺と巧美は人気の無いところで待ち合わせた。
素っ気なくやってきた彼女は、黒縁の眼鏡をかけていた。
巧美は得意げに眼鏡のブリッジをクイと指で持ち上げてみせる。
「どう? 似合ってる? 伊達だけどさ」
「……まだ俺が魔眼をかけてどうにかするとでも?」
「保険だよ、念のため」
しれっと言われる。共犯関係になっても根っから信用しているわけではない、ということか。
上等だ。俺がその気になれば、眼鏡程度の自己防衛なんていつでもクリアできる。俺が優位なのは変わらない。
「で? 呼び出した理由は?」
「宣戦布告」
簡潔に述べた巧美はさっさと歩き始める。
初っ端から悪い予感しかしねぇ。
彼女が向かったのは部室棟の方だった。各運動部の部室が入っている建物を横切っていくと、奥にもう一つ大きな建物が見えてくる。多目的ホールと呼ばれる施設だ。
夕暮れのなか近づいていくと、多目的ホールから微かに楽器の音が漏れ聞こえてきた。誰かが演奏をしている。それも吹奏楽とかピアノのような上品な音じゃない。もっと歪んでいて、激しい音楽。
(あー……なる、ほど?)
どこに向かっているのか俺はようやく気づいた。
多目的ホールは入卒業式や演劇鑑賞、外部講師のセミナーなどイベントで使われる場所で、普段は施錠されている。だけどこの時間だけは、とある部活に貸し出されている。
機材が大きく、発する演奏音の大きさから普通の部室では収まりきらない――そんな事情を抱えた軽音楽部のために、多目的ホールは解放されている。
吹奏楽部が音楽室を占有しているという事情があるにしても、この優遇具合はやっぱり、学生人気が高くて受験の志願者数にも影響が大きいからだろう。
脇目も振らず歩いて行く巧美は、多目的ホールの扉を豪快に開けた。
その瞬間、結構な音が鼓膜に飛び込んでくる。ホールで演奏しているはずだからまだ扉を隔てているのに、エントランスまで響いてくるとはなかなか本格的だ。
正面玄関から入ると、エントランスのあちこちには生徒達が座っていた。大体四~五人程度が固まって雑談をしているが、そのほとんどが何らかの楽器なり演奏道具を持っている。軽音楽部の部員が休憩しているのだろうか。
その中を巧美は、なんの遠慮も気後れもなくズケズケと歩いて行く。
演奏の音で足音は聞こえなかったが、さすがにそんなに堂々と突っ切っていけば注目が集まる。
ただ、その注目の温度が気になった。
「おい、あれって」
「あいつ数藤だろ」
「え、何しに来たの?」
「マジじゃん」
ざわめきが周囲に伝播していく。部員達は揃いも揃って巧美に注目し、騒然とした様子になっていく。
いきなり部外者が入ってきたから驚いている――というより、これは。
(警戒されてる……?)
巧美を見る目には興味や不安より、むしろ、ここに入ってきてはいけない者に対する敵意が込められている感じだった。
もちろん彼女の後ろを付いていく俺にも刺々しい視線が突き刺さる。物凄く居心地が悪い。
(こいつ、軽音に何かしたのか?)
軽音楽部を嵌めようとしているのは、巧美が何かの被害を受けたから――俺はそう思っていた。でなければわざわざ魔眼を使って見返してやろうなんて考えるはずはない。
だけどここまで全員に睨まれるなら、一方的な被害を受けたとは言い切れないかもしれない。
俺は周囲の様子を伺いつつ、できるだけ目立たないよう首を竦めて彼女の後ろをこそこそと付いていく。
その道中、奇妙な光景に気づく。
(ん? あいつら、なんで隅に立ってんだ?)
エントランスには休憩中の奴らしか居ないと思っていたが、実は隅の壁際にも学生が立っていた。
彼ら彼女らは楽器を持っていない。持っているのはタオルやモップ、道具箱などだ。しかも他の連中が好きに座ってくつろいでいるのに、壁際の連中は窮屈そうに立っている。
まるで罰として立たされているみたいだと思った。
気になって視線を送っていると、壁際の男子たちが俺たちを見た。
いや、正確には巧美だけだ。巧美を見て、やっぱり驚いているけれど、他の連中よりも警戒度が薄い。何か違う感情が込められている。
当の巧美は意に介さず歩き続ける。敵意も何もかもまったく無視している。どういう神経してんだこいつ。
そして彼女はエントランスを突っ切り、ホールの扉に手をかけた。
「あ、いま部長たちの演奏じゃ」
誰かの慌てる声が聞こえた。同時に巧美が扉を開ける。
叩きつけられたのは大音量の演奏。
そして、鼓膜を揺るがし、胸に響く歌声。
段差を降りていった客席のその終着地点に大きなステージがある。小綺麗な木目調のステージに大きなアンプと、機材を持ったバンドマン達がいる。
ドラムにベースにギターが二人、そしてボーカルの五人構成だ。ボーカルは紅一点で、栗色のふわふわとした髪の女子だった。遠目だからはっきりとはわからないが、たぶん可愛い顔立ちをしている。
歪み叩きつけてくるギターの旋律の中、ボーカルの歌声が容赦なく俺の鼓膜に突き刺さる。ギターやベースの大音量にも負けないくらいの力強い歌声だ。けれど限界まで振り絞った金切り声じゃない。伸びやかで綺麗で、発音で音程もしっかり整って聞きやすい。
何より、演奏されている曲に合わせて歌えることが、俺には驚異的だった。
(このボカロ曲、歌うのかなり難しいのに……よく平然と歌えるな)
エントランスに入った瞬間から何となく気づいていたが、ホールに来てはっきりと分かった。バンドが演奏しているのは去年のボカロランキングでトップになった有名曲だ。再生数は一千万をゆうに突破し、カラオケに輸入されると瞬く間に上位ランキングに載った。「歌ってみた」動画もかなりの数が出ている。
けれどこの曲は、人間が歌うには相当なテクニックがいる。
ボーカロイドは単なる音声合成ソフトだから、はっきり言えば人間が歌うことを考慮しなくてもいい。息継ぎ無しとか急な転調とか音程を崩すとか、作曲者が好き勝手に組んでもボーカロイドは従順に従ってくれる。
この有名曲も基本的にはボカロだから成り立っている曲だ。かなりの高音程が続くし、早口のようなパートもある。歌ってみた界隈の実力者以外ではほとんどまともに歌えてないほど、生身の人間には酷な曲だった。
でも、このボーカルの女子は難なく歌っている。むしろリズムに合わせて自作の振り付けをしてバンドと一体感を出す余裕まである。
(すっげぇー……)
呆然としていると、前に立つ巧美が歩き出した。こんな凄い演奏を前にしても彼女は顔色一つ変えない。
むしろここまで来て何をするつもりなのだろうか。
慌てて追いかけると、巧美が客席の中断まで来たところで急に演奏が止んだ。
バンドの五人全員が巧美の存在に気づいて手を止め、彼女に視線を送っていた。エントランスの連中とは違って冷静で、予断なく気配を伺うような鋭い目つきだ。
その中でボーカルの女子だけは自然体だった。汗を拭いながら脇においていたペットボトルを取り、ごくごくと喉を潤している。
「……部活中だぞ。関係者以外は入ってくるな」
リズムギターを担当していた男子が巧美に声をかける。短髪で背が高くて、よく見ると結構なイケメンだ。
「元部員ですけど?」
客席の中段ほどで立ち止まった巧美が、腰に手を当てて言い返す。俺は彼女の真後ろで隠れるように立つ。
「いまは関係者じゃねぇってことだろ。何の用だよ」
もう一人のギター――リードギター役――が声に苛立ちを含ませて言う。
こちらも割とイケメンだ。ていうかバンドメンバー全員が美男美女じゃねぇか。ヒエラルキー高そう。
「相変わらず排他的な雰囲気すね、先輩方。ロックってそういうもんじゃないと思うんですけど。クラシックでもやってたらどうです?」
「ああ!?」
「待て、孝史」
色めき立ったリードギターをリズムギターが窘める。
短髪の男子が溜息を吐き、汗ばんだ髪を手で撫でた。
「喧嘩を売りに来たのか、数藤」
「いえ、参戦表明ですよ、部長」
短髪の男子がぴくりと片眉を上げる。
ていうかいま部長と呼んだな。じゃあこのバンドのリズムギターさんが軽音楽部の部長なのか。先輩とも呼んでいたし、三年生で組んだバンドかもしれない。
「今度の文化祭バンド演奏会。あたしらも参加することにしました。なんで、古巣に挨拶に来たんです」
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