第6話 実は聡い不良少女
『昼休み、屋上に来い』
俺のスマホにそんな簡潔なメッセージが届いたのは、須藤巧美と別れた直後だった。
魔眼について話すことになったものの、夜もいい時間だったので詳しい説明は翌日に持ち越しとなった。そのとき俺と須藤巧美は互いに連絡先を交換し、こうして端的な命令が飛んできている。
無視することはできない。俺が他人を操る力を持つこと、更にはホストから金を受け取っていた写真もあいつの手に握られている。
だから、何としても逃げなければいけない。数藤巧美がこれからどういう行動を取るかは知らないが、弱みを握った相手は大抵俺を利用しようとするのが相場だろう。容易に想像できるからこそ、俺は誰にも話さずに過ごしてきた。
そして、そうなった事態も散々シミュレートしてきた。
つい昨日まで数藤巧美は秘密を知らなかったから、しらばっくれてやり過ごそうとした。でも彼女は秘密を知り、更に俺を利用しようと考えている、かもしれない。
悪いが、そっちが一線を超えてくるなら、俺だって卑怯な手を使う。
まだ手遅れじゃない。魅了の魔眼を使えば、たとえ俺の秘密を知っていようと口を封じる方法はいくらでもある。
そうして俺は幾つかの策を考えた後、数藤巧美がいる屋上に向かった。
***
屋上に出るため階段を登り、錆び付いたドアを開ける。
ギイという音と共に扉が開いた。
開いたことにちょっと驚く。屋上にはプールがあるので普段は施錠されているはず。屋上と指定してきたからには開いていると思っていたけど、どうやって開けたのだろうか。
屋上に一歩踏み出すと、夏の終りの強い日差しが照りつけていた。眩しくて目を細める。
「よっ」
向こうから女の声がした。
数藤巧美は屋上プールの縁に座り、足だけ水の中にいれてちゃぷちゃぷと揺らしている。露出している艶めかしい太ももが濡れていて、ちょっとドキリとした。
「9月だけどまだあっちーよね。水泳の授業とか続ければいいのに」
「お前、体育の授業は絶対休んでるだろーが」
「あれ? なんで知ってんの? ……ははーん、さてはあたしのファンだな?」
数藤巧美が冗談を言って笑う。なんだか昨日よりも態度が軽いというか、余裕な感じだ。
弱みを握ったとでも思っているのだろう。
俺は数藤巧美を睨み付け、大股で近寄る。その間にも日差しの暑さで汗が滲んできた。
「ここってさ、普段施錠されてるから誰も寄り付かないんだよな。秘密の話するには絶好の場所だなーって思ってたんだ。ようやく使い所が来たって感じ」
「んなことより、どうやって鍵開けたんだよ。いつも施錠されてるだろ」
「内緒」
数藤巧美が得意げに目尻を釣り上げる。
そうやって笑うと猫みたいで、いつもより可愛らしく見えた。
だからって俺の警戒心はまったく薄まらないが。
「まず言っておく。俺はお前と話をする気はない」
「……ん? なに言ってんのあんた。はやく説明しなよ」
「俺の秘密を内緒にしておいてくれるなら、俺からは何もしない」
「スルーすんな。ってか、その命令みたいなの、聞くと思う?」
別に期待はしていなかった。ただ最後通牒のつもりだった。
そっちが態度を変えないなら、それなりの対応をするまでだ。
俺はそっと眼鏡の蔓に手をかける。
「おっと」
瞬間、数藤巧美が自分の胸ポケットに手を入れた。
そこに入れていたサングラスを、自分の顔に装着する。
彼女の裸眼が、完全に隠れた。
「なっ――」
俺が絶句すると、数藤巧美は嬉しさを隠しきれないようにくつくつと肩を震わせた。
「んはは。犬飼って案外可愛いね。それじゃ丸わかりじゃん? もっとポーカーフェイスにしなきゃ」
「ど、うして」
眼鏡の蔓に手をかけたまま俺は硬直する。
魔眼は、相手が眼鏡などで目を隠せば効力は発揮されなくなる。
それは事実だが、俺は教えた覚えはない。
「昨日さ、あんたの眼鏡を取った後におかしくなったろ? それで考えたんだ。催眠術? みたいのが掛かる条件って、眼鏡があるかないかが条件なんじゃないかって」
彼女の話を聞きながら、蔓にかけていた手をゆっくり下ろす。
「それが当たっていたとしても、もしかすると眼鏡に特殊な加工を施されててサングラスした程度じゃ防げないかも……とは考えたけどね? 賭けだったけど、あたしの勝ちだった」
数藤巧美はちゃぷちゃぷと足を揺らし、プールに波紋が広がっていく。
俺は呆然とその様子を眺め、ようやくのことで聞いた。
「……なんで、使うってわかった」
数藤巧美の推理は理論立っている。確かに状況を整然と並べていけば辿り着くだろう。
でも、魔眼をこのタイミングで使うと予測されていたのには驚いた。
昨夜、彼女には「相手を惚れさせる」「記憶を曖昧にさせる」程度のことしか教えていない。「相手に言うことを聞かせやすくする」という副次効果は伝えていないから、これからまともに話し合おうという場で使うはずがない、と普通は考えるはずだ。
「そんなに聞きたい? なら教えてあげなくもないけど~」
「ふふん」と、調子に乗った数藤巧美が胸を張る。
俺の出鼻を挫いたのがよほど嬉しいらしい。あと胸でけぇなこいつ。
「プロポーズしたのは罰ゲームだった。あたしがそう言ったらしいけど、その記憶はない。なんで記憶がないかは昨日の説明でわかったけど、なんで罰ゲームって説明をしたのか、までの理由は明かされなかった」
「なんで、だって?」
「おかしいんだよね。取り繕ったり言い訳するにしても、あたしが自分からそんな言い訳をするはずがない。絶対だ。それで思ったんだよ、言わされたんじゃないか、って」
息を呑む。こいつ、普通に核心に触れてきやがった。
「あんたの催眠術って、自分に惚れさせる力なんでしょ。相手を好きで好きでたまらなくしてるってことよね。もう相手を完全に信用して、言いなりになることもあるかもしれない。本当に好きな人にお願いされたら、胸がときめいて聞いちゃうかもしれない……そういう心理は、何となくわかる」
数藤巧美がサングラス越しにじっと俺を見つめている。
口元は笑っているが、目は笑っていない気がした。
「たとえばあんたがあたしに、こういう嘘をついてその場をしのげ、ってアドバイスしたら。普段のあたしならやりたくない案でも、絆されてるあたしはころっと実行しちゃうかもしれない。そう考えるとあんな言い訳をした理由も納得できる。
ってことは、よ。たとえばあんたが催眠術を使ってあたしを虜にさせて、エッチな格好の写真を撮影させてくれって言ったら、あたしは聞いちゃうかもしれない……その後あんたがその写真をどうするかは、火を見るより明らかってやつじゃない?」
ぐうの音も出ないとは、こういうことを言うのだろうか。
昨日の今日で俺の行動を予測して対策を取ってくるとは。こいつ、もしかして見た目に反して相当頭が良いんじゃないか。
「悪いけど、あんたとは頭の出来が違うの」
数藤巧美が自分の指で頭を叩く。
性格の方は最悪だった。
「そういうわけだからさ、諦めてあたしの話を聞きなよ。別にあんたを一生脅して言うことを聞かせ続けるってわけじゃないから。むしろ秘密を知ったのがあたしだったことに感謝してほしいくらいだわ」
いけしゃあしゃあと言いやがる。安心しろとか吹かしても不信感しかない。
こいつは絶対によからぬことを企んでいる。そこに俺は巻き込まれて、余計な悩みを抱える羽目になるんだ。せっかく無難な高校生活を送っていたのに。
だが、魔眼が使えない俺に残された手段はほとんどない。せっかくの策も魔眼だよりのものばかりだった。
考えれば考えるほど気が滅入る。今年は厄年だっただろうか。
(……いや、冷静になれ。まだ魔眼が完全に封じられたわけじゃない)
使うタイミングが完全に無くなったわけじゃない。そこを制すれば逆転できる。
(今だけだぞ、てめぇ)
内心で悪態を吐き、俺は盛大なため息を吐く。
「………………話せよ」
ぽつりと呟くと、数藤巧美はぺろりと舌なめずりした。「良い子ね」
「じゃあ本題。あんたの催眠術――」
「<魅了の魔眼>」
「そうそのみりょ……って、え? なんて?」
「魅了の魔眼」
「みりょうのまがん」
復唱した須藤巧美がはたと停止する。かと思いきや、肩をぷるぷると揺らし、頬を大きく膨らませて「――にゃっはははははは!」思い切り爆笑し始めた。
「ま、まがんって……! 厨二ってやつ? あははははは! ないわー!」
腹を押さえ足をばたばたさせているので水が跳ね跳ぶ。そんな様子を眺めながら、俺はぐっと拳を握る。
ほんと、今だけだぞてめぇ。
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