第5話 不良少女と二度目のキスをした
「何してたんだよ、さっき」
上下黒のジャージという、まるでコンビニ帰りのような姿の数藤巧美が、厳しい声音で告げる。目線は俺のポケットに注がれていた。
「な、にって」
あまりにも突然の出会いに思考も口もうまく回らない。どうしてこんなところに居るのかとか、何で俺に聞いているのかとか、色々な疑問が出口のあたりで渋滞して出れなくなっていた。
「ホストっぽい人からお金をもらってたでしょ」
息を呑む。背中にじわりと嫌な汗をかく。
(見られてた……? どうして、ってか、どこから? どうする?)
疑問とは別に焦りの感情が一挙に押し寄せる。
「……なんのことかな」
咄嗟に誤魔化して視線を外す。頭の中で様々な案が駆け巡る。どうやってこの場を退ければいい。
逡巡の間に、須藤巧美がずいと近寄ってきた。
「これだよ、これ」
彼女はスマホを俺に突きつけた。画面を見て心臓が跳ねる。
そこには、店の中で金を受け取っている俺の姿が映し出されていた。
「なんで……!?」
「なかなかうまく撮れてるでしょ? 尾行なんて真似するの初めてだったけど、割とうまくいくもんだね。探偵とか向いてるかも?」
得意げな彼女の言葉が右から左に通り抜けていく。
尾行されていた? 俺が? どうして?
写真を撮影されていたことよりもよっぽどそっちの事実のほうが衝撃だった。
そんな俺の疑問に答えるように、須藤巧美が俺に告げる。
「あんた、あたしに何かしたでしょ」
犯人を追い詰めた警察、いや、カエルを捕食しようとする蛇のように、鋭く冷たい眼光だった。
「あたしがあんたと結婚したいとか、絶対に言うはずがない。しかも当の本人のあたしにその記憶がまったくない。……いやちょっとはあるけど、信じたくないつうか」
「まさか……それで俺の後を?」
須藤巧美がうなずく。
その返事が来ることを予想していながら、俺は驚かずにはいられなかった。
「だ、だからって、こんな夜中に人を尾行するとか……」
「計画してたわけじゃねーよ。居合わせたのは偶然。バイト帰りにあんたを見かけて、追っかけただけなんだから」
つまり運の悪さもあったというわけか、くそ。
須藤巧美が何かアクションを起こしてくるのは予想済みだったけど、最悪の形でなってしまったらしい。
うんざりした気分だったが、しかし嘆いていても仕方ない。なんとか切り抜けないと。
「……昨日のことなら知らないよ、そんなの。俺だって急すぎて驚いたくらいだし」
結論は、しらばっくれるが一番、だ。
俺がなにかしたという証拠はない。魔眼なんて想像すらしないだろう。
「むしろ俺だって事情を聞きたいよ。あんた自分で罰ゲームって話してたんだろ? 違うのかよ?」
「あっそう、あくまで誤魔化すんだ」
半目になった彼女は、俺に突きつけていたスマホを自分の方に向ける。
「眼鏡を落としたときから、ホストの人の態度がガラッと変わったよね」
心の中で舌打ちする。
「んで店の中に移動して、なんかすっごく親しげに話していて、男の人がお金を上げてた。近くに居なかったから話し声までは聞こえなかったけどさ」
少しだけホッとする。さすがに好きだ惚れたの話を男同士でしているのを聞かれたら怪しさは倍増だ。
「あの人と知り合い?」
「あ、ああ、そう。知り合い」
「名前は」
「……斎藤さん」
口からでまかせだった。「ふーん」と下から覗くような疑いの視線に、冷や汗がダラダラと出てくる。
「あんたさ、催眠術か何か使えるんじゃないの」
ギクリと不協和音が鳴る。
なんとか顔には出さないよう努めて、怪訝そうな演技をする。「催眠術って」
「何を、言い出すんだよ」
「だって絶対おかしいじゃん。記憶ないのとか、罰ゲームだって言ってたとか、それに……き、キシュ……したとか」
「なんて?」
「き、キスだよキス!」
顔を赤らめた須藤巧美が叫ぶ。通行人たちが驚いたように振り返ったので、彼女は慌てて縮こまる。それから俺を恨めしそうに睨みつけた。
「すんごい、ぼんやりしているけど。廊下で誰かと、キス、したような感覚がある。夢かなって思ったけど、やっぱり感触があるんだ」
唇を噛み締める彼女は、ほんの少しだけ涙目になっていた。
自分に記憶がないことの不安からだろうか。それとも初めてのキスを奪われた不安からだろうか。
口の中に苦いものが広がる。胸の奥に、ズキズキとした痛みが生じる。
こいつも、あの子と同じなのか。
「気にしないでおこうとも思ったけど……やっぱりあんた怪しいんだよね」
「な、何を根拠に?」
「顔」
どう捉えたらいいんだそれっていうか根拠じゃなくね?
「胡散臭さが滲み出てる。さっきの出来事で確信したよ。お前、絶対なにかしてるだろ。白状しろ」
「いや、あんた漫画の読みすぎじゃない? 催眠術って、んなの簡単にできるわけねーだろ」
「この写真ばら撒かれてもいいの」
「べ、別に? 俺は何にも悪いことしてない」
脊髄反射で言い返す。あのホストを連れてこられたらアウトだが、ここは白を切り通すしかない。
須藤巧美のこめかみに青筋が立った。目を剥いて苛立ちを示し始める。
「ふざけんなよ……! 記憶がおかしくなるって絶対に変だろ!」
「思い違いなんじゃね? 第一催眠術とか言って、俺は何もしてなかった」
須藤巧美が言葉に詰まる。あのときはただ目を合わせただけだから、暗示をかけるような具体的な行動はしていない。つまり推理を証明するものはないわけだ。
形勢逆転に俺は内心でほくそ笑む。
「ほうら、ただの言いがかりじゃん」
「……絶対なにかある。あたしがそんなことするわけないんだ」
須藤巧美は、まるで自分に言い聞かせるように呟き、そして。
ひょいと俺の眼鏡を取った。
「えっ――」
目を逸らす暇もなかった。
「確か、二回とも眼鏡を落とした、とき……」
くすんでいた須藤巧美の瞳が違う輝きを放ち始める。頬がピンク色に染まって俺の顔をマジマジと見つめ始める。
――それは偶然に過ぎなかったと思う。
須藤巧美が俺から眼鏡を取ったのは、自分とホストのときに眼鏡を落とすという共通項があったというだけの、きっと単なる思いつきだったのだろう。
俺も避ければ良かったのに、頭に血が上って謝罪の一言でも聞かなければ気が済まなくなっていて、警戒できていなかった。
結果、俺の視線と須藤巧美の視線が真正面から交差する。
「な、んで? ……急に、お前の顔、すごく格好いい……てか、おじさん、みたいに見える?」
「待て、待つんだ須藤巧美」
「なんでこんなドキドキするの……こんなの、絶対おかしい……どうして? あんた、いや、あんたの目?」
「深呼吸! まずは俺から目を逸らして深呼吸!」
「もしかして……そういう、こと? ……目を見ると、意識が、変わる?」
何か察したらしき言葉にドキリとする。
他人は俺の魔眼の情報なんて知らないから、気持ちが強制的に変えられても、まさか自分に異変が起こっているなんて気づきやしない。不思議な高揚感に包まれて、判断力が鈍っていくのを自覚することはない。
対する須藤巧美は、まさに俺を疑っている最中の気持ちの変化だ。ゼロが百になればおかしいと思うだろう。更には好きになる段階で「おじさん」そっくりに見えるという認識が生まれてしまう。
似ても似つかなかった男が、意中の人そっくりに見えるようになれば、否応にも異変に気づいてしまう。
「あんたって、人は……あんたって人が、死ぬほど、可愛い」
目尻をトロンと下げた女が俺に近寄ってくる。
「これが、原因なんだね」
どこか呆れた響きがあったが、しかし須藤巧美は俺の首に両腕を絡めて抱きついてくる。熱い体温と早鐘のような心臓が腹に伝わる。
夜の街の中、俺はまた須藤巧美に抱きつかれていた。
「どうしてなのかは全然わかんない。わかんないけど……でも、怒るとか悲しいとか、そういう気持ちが全然ないんだ。あたしに変なことをしたってわかってても、全部愛しい。全然、許せちゃう。気持ち悪いのに、気持ちいい」
「それはお前のせいじゃなくてああもうとにかく離れろ!」
「多分だけど。あたしのことが好きで、なにか卑怯な手を使っちゃったんでしょ? あたしに話しかけられなかったから、こうしたんだよね?」
違う、そうじゃない。
ちくしょう魔眼の効果がうぜぇ……!
「あんたがどんな卑怯な奴でもいい。あたしはあんたと一緒に、どこまでも堕ちてあげる」
「お前いい加減にむにゅ」
両手で頬を挟まれる。そのまま目を閉じた須藤巧美の唇が近寄ってきた。
逃げなければ。そう考えて手を振りほどこうとしても、ものすごい力で固定されている。なんで魔眼をかけられたこいつは馬鹿力になるんだよ……!
「ひゃめひょってひゅってんのがひゃかんね!」
「うるさい」
強引に口が塞がれる。
夜。人通りの激しい街の中。
俺と須藤巧美は、ファストフード店の前で二度目のキスをした。
(……なんでこいつすぐキスしてくるのよ)
通行人にガン見されながら、俺は絶望する頭の中で、ぼんやりとそう考えた。
***
その後も最悪だった。
二度目のキスを終えた頃に効果の切れた須藤巧美は、激怒して俺をぶん殴った。しかも抱き合ったままだったから、記憶が曖昧になろうともはや弁解の余地はまったくなかった。状況的証拠というやつだ。
逃げ場のなくなった俺は、写真の件もあり――
生まれて初めて、自分の能力を他人に暴露することになった。
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