第3話 不良少女は来なかった

 きっとクラスの連中も、数藤巧美本人が謝罪すればある程度は納得するだろう。急に俺とデキ婚したいとか言い出すなんて本気だとしたら正気を疑う。それよりは罰ゲームだと思ったほうが、まだしっくりくる。

 一旦落ち着いてきた俺は、自分の唇を触る。彼女の付けていたリップが微かに残っている。


「……つうか、なんなんだよ、あれは」


 目を合わせたのはほんの一分かそこら。そんな短時間でキスをされ、彼女の頭の中では結婚まで話が進んでいた。

 どういうことだってばよ。

 これまで魔眼をかけてきた女子は、俺に対して露骨にアピールする子もいれば、隠れてしまう子もいた。虜になるのは共通だが、どんな反応をするかは千差万別だ。本当に好きな相手に取る態度は、それまでの過去や性格が大いに関係している。

 対して、あいつ。俺にアプローチをかけるのはいいが、その方法がいきなりのプロポーズて。どういう思考回路をしてたらそうなるんだ。


(あと、おじさんとか言ってたな)


 数藤巧美の言動を振り返る。最初は明らかに俺が違う誰かに見えていたようだ。

 整理すると、だ。

 彼女の中には「おじさん」という意中の人が居る。多分付き合っているわけじゃなく、恋い焦がれている相手。その男以外には目も向けないほど、かなり強い想いを抱いている。

 おそらくだが、「おじさん」という意中の人以外を好きになることはないから、この感情を抱く相手はおじさんそっくりなはず、と脳が誤認したんだろう。結果を説明するために仮定をでっち上げた、と言えばいいだろうか。

 魔眼をかけた人間にまま起こる反応だ。ほとんどはぼんやり好きだと感じるだけだが、好きな俳優そっくりとか、体つきが好みとか、人がいる。どうしてそうなるかは知らないが、理由がないと人を好きになれない人間がいるってことだろう。


 とはいえ、考えても彼女の中身が理解できるわけじゃない。起きてしまったことをどうこう言っても仕方ないことだ。 

 それよりも、ちょっと、いや大きな問題に対処しなければならない。


(あそこまで須藤巧美の素と変わっちまうと、さすがに……噂になるよなぁ)


 記憶が曖昧になるのは魔眼をかけた本人だけだ。今回は目撃者がたくさんいる。さすがに数藤巧美の耳にも入る可能性が高い。

 そうなると彼女自身が、自分の問題じゃなく何かの異変があったと気づく可能性がある。

 そして、目の前に居たのは、俺だ。

 ――もちろん、バレる可能性は皆無。まさか魅了の魔眼のせいだなんて想像するはずはない。

 けれど、須藤巧美が俺に対してなんからのアクションを起こす可能性はある。

 あの一匹狼の女子高生は、果たして俺に何をしてくるだろうか。

 可愛らしい態度で忘れそうになっていたが、ヤンキーと噂の女子だ。普通に暴力沙汰とか、悪い仲間を呼んで囲まれるなんてことがあるやも。


(こんなん、モブに徹してても意味ないじゃんかよー……)


 俺は魔眼を使ったときのデメリットを警戒して目立たないように生きてきた。注目されなければ、多少のおかしな状態は見過ごされるからだ。

 しかし、事故で魔眼をかけてしまって、その相手が予想外のことを仕出かすのはさすがにこっちじゃどうしようもない。不運すぎる。


 ブー、ブー、とスマホが振動する。さっきからやたらと連絡が入っている。

 取り出して見てみると山のようなメッセージが届いていた。最初の方は友人たちからの心配、というか、どうなったか教えろという好奇心丸出しの内容が続く。その少し後で、数藤巧美が罰ゲームだと白状したという内容になり、本当かどうか教えろという問い合わせが届いていた。

 俺はため息を吐き、メッセージの返事を打つ。


『罰ゲームだってよ。なんか疲れたから早退するわ』


 屈伸するように立ち上がり、授業中だろうと昇降口まで向かう。鞄は置き去りだがもう面倒臭い。そんなことより、明日以降の立ち回りを考えなければいけないんだ。

 しかし、浮かんでくるのは別の考えだった。


「……処女、かぁ」


 ちょっとだけ、もったいない気もした。


***


 翌日、様々な脳内シミュレーションを行った俺を待ち受けていたのは、友人らの冷やかしだった。

 羨ましいとか変わって欲しいとか、あれだけ散々数藤巧美は無いとか言ってたのにどの口が言うのかという感じで辟易したが、しかし罰ゲームだったという言い訳を疑われていないことには安堵した。

 それどころかヤンキー同士の抗争に負けた屈辱の罰ゲームだったとか、年上の彼氏にやらされたアブノーマルなプレイだったとか、それはもう尾ひれが付きまくっていた。

 かくして学年に轟き渡るほどの一大事件にまでなっていた「数藤巧美の罰ゲーム」。

 果たして本人はどう過ごしていたかというと――。


「……来てない、のか? 数藤」

「無理だろーさすがに」


 友人が顎をしゃくる。いつも数藤巧美が座っていた最後尾の席は空席になっていた。

 詳しく聞いてみると、罰ゲームだと告白した数藤巧美は、最初は大人しく授業を受けていたらしい。しかし授業の途中、なぜか隣の席の生徒に自分が何をしたか聞いていた。


『……はぁ!? あ、あたしが、罰ゲーム? 犬飼って奴と結婚って……!』


 大声を出して驚いていた数藤巧美は、そのまま授業中にも関わらず逃げるように帰ってしまった。

 その狼狽はおそらく、魔眼の効果が切れて正気を取り戻し、ぼんやりした記憶を確定させようとした結果として起こった。


「なんかよくわからないこと口走ってたしよ。相当ショックだったんじゃねぇの、あれは」

「……なるほど」


 他人には魔眼のことなんて分からないから、耐えられなくなって逃げ帰った、という風に解釈されてもおかしくはない。


「もう来ないんじゃね数藤? 俺だったら絶対転校するね」


 小馬鹿にしたような友人の言葉にハッとする。


(そうか、不登校ってこともあるな……!)


 何が起こったかは分からないが、まともな感覚をしていたら、こんな好奇の目にさらされる場所に来るわけがない。ヤンキーなのに律儀に通ってる方がむしろおかしいんだ。これを機に学校に来なくなる可能性はある。

 希望的観測をして、俺は普段どおりに振る舞った。


 ――でも、そんな願いは叶うはずなかった。

 あの数藤巧美が、普通に泣き寝入りするような可愛げのある奴なわけなかったのだ。


***


 夜中。パソコン画面に向かって小一時間ほど作業していたが、今日はどうにも集中できなかった。画面に映る譜面は昨日から変化がない。編曲のアレンジは浮かんでこないし、ボーカロイドの調教もしっくりこない。

 頭の後ろで手を組んでいても特に面白くもなかったので、ネット画面を立ち上げる。俺は「ニューウェーブ」という動画共有サイトに行き、マイページを開いた。


「……再生数、百三十」


 一ヶ月ほど前に投稿したボーカロイド楽曲の再生数は全然伸びていない。昔の投稿作品の方がよっぽど伸びていた。

 完全に伸び悩んでいる。


「まぁ、こんなもんだよな」


 誰になく独白して笑う。

 別に、自分に作曲の才能があるなんて思ってない。ただ、<魅了の魔眼>だけで全部が上手くいくわけじゃないことを痛感しているからこそ、欲しかった。

 たとえば作曲なら、それなりの曲が作れればプロデューサーや音楽会社に能力を使ってうまく売り込むことができる。魔眼を使った結果でも、あくまで「曲が凄い」という事実で世間に受け止められる。

 ようは説得力が欲しいわけだ。魔眼というチートがバレることなく、俺の実力だと認識されるように仕向けたい。それこそがこの力のうまい使い方だ。


 だから俺は作曲を試してみた。もともと音楽が好きだったし、魔眼の使い道としても悪くはないかなと思っていた。

 けれど、そう単純にはいかないらしい。

 素養がないのなら仕方がない。他のなにかを見つければいい……そう自分に言い聞かせても、正直なところ気分は良くない。むしろ、何というかこう、胃のあたりがムカムカして神経に触る。

 俺は立ち上がり、窓際に近寄る。カーテンの隙間に映る自分の顔を見つめていると、なぜか須藤巧美の顔が浮かんできた。


――でも、なんで、今なんだよ……もっと早く気づいておけば、ずっと一緒に居られるのに……どうしたらいいの。


 なぜあいつはあのとき、物憂げな表情をしたんだろう。

 まるで迷っているような感じだった。

 須藤巧美のことが気になっている自分に戸惑う。胸の奥に燻っているモヤモヤとした感情と合わさって、気分が悪い。

 考えたって埒が明かないのに、どうして考えてしまうのだろう。

 彼女はもう学校にも来ないかもしれないのに。

 俺の、魔眼のせいで。


 ――砂嵐と共に記憶が蘇る。

 髪を乱し涙を流す少女。

 吐瀉物。

 拒絶の言葉。

 四方から突き刺さる軽蔑の目。

 立ち尽くすしかない、自分。


「……ちっ」


 鬱憤が溜まっている。こういうときは、アレに限る。

 俺はスマホと財布を持ち、上着を羽織って外に出た。

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