第53話 決する時:後編
拍子抜けするくらいするすると目的のスナイパーのいる部屋に入る事ができた。
ビル全体が斜めに傾いている為に足場は悪く、先ほどからパラパラと小さな塵が降ってくる。そこかしこにヒビが走っており、照明の切れた室内は無事なガラスが何一つない窓から差し込む光だけで薄暗い。
そんな中、奴は立っていた。私を待っていたかのように。私の方を見て薄ら笑みを浮かべて。
「ようやく、来たか。ヒーローは遅れてやってくるとは言うが、ヒーロー〝気取り〟は遅れ過ぎのようだな」
「――どうしてわざわざ銃剣なんて好き好んで使っているのかと思ったけれど、ソレが本業だったのね。バヨネット」
バヨネットはタバコを口にくわえながら、片手に狙撃銃を握っている。黒いフレームに真っ直ぐ伸びるシンプルな銃身にバイポッド(二脚)。全体的にツヤ消しされている。M二四だろうか。かなり手入れがいき届いているように見える。しかしサプレッサーは既に取り外されていて、スコープも見当たらない。そして銃身には銃剣が着剣されている。
スコープは、レンズの反射が見られなかったことから最初からつけていなかったのだろうか。
右手に持ったままだらりと下を向いた銃に視線がいく。
「俺は幸か不幸か、戦闘に特化した改造を施された身でな。先天的に視覚も聴覚も良くてなぁ。腕を磨いているうちに単身狙撃を行えるようになってた訳さ。おかげで、客を選ばず仕事ができる。バヨネットなんてのは公に活動する時の仮面のようなもんさ。――刃物で直接殺す方が好きだからよ、派手にやる時はそうやってたってだけだ」
相変わらず悪趣味な奴だ。と思うとバヨネットは察したようでニヤッと嫌な笑みを浮かべた。
結局金の為、生きる為といいながら、この男もブリガンドと大差ない、快楽の為に他人を殺すような奴だ。悪趣味なのは今更か。
「いつぞやのケリをつけたくてよ。ずっと待ってたぜ。お前は随分遠回りな事をやっていたようだが、馬鹿な奴だ。素性なんてこの世界じゃ直ぐ隠せる。ブリガンドにコネでも作れば奴らの内部に侵入するなんてガキにでもできらぁ」
「芝居だとしても、奴らに組する事なんて絶対にしないわ」
「頭の固いやつだなお前も。まぁしかし、テメェはちょっと有名になり過ぎたな。金髪の女を見るだけでビビるような下っ端もいるなんて噂だ。よくやるぜ」
くつくつ笑うバヨネット。私なんかと決着をつけたいが為だけに、池袋ヴィレッジを苦しめていたのかと思うと反吐が出そうだった。
これ以上話していても無駄だと判断し、TMPを構えた。その様子を見てバヨネットは満足そうに白い歯を見せて笑うと、煙草を吐き捨て踏み潰した。
「私は私が正しいと思ったことを、やりたいと思ったことをやってるだけよ。守りたい人を守りたい。無念を晴らしたい。お前のような刹那主義に生きちゃいない」
「この世に正義も悪も無い。テメェは自分を、人を守る事が正義だと思っているようだが、自分が生きるためなら他人を殺す。殺して奪う事が正義と考える者もいる。テメェはその正義を否定してぶっ殺してるだけだ。テメェも俺も、やってる事はかわらねぇんだよ――」
その過剰な利己的な考えが蔓延しているから、いつまで経ってもこの何もかもが崩れ去った世界は変わらない。
空気は汚れ、生物は変異し、人間はお互いを殺しあう。手を取り合って平和に生き抜こうとする者が馬鹿を見る世界。そんな理不尽な世界で、父が死んだ。同じヴィレッジに住んでいた多くの人が死んだ。理緒の親も殺された。枸杞は薬漬けにされて死ぬまで奴隷商人に利用された。コロナはプロパガンダの為に組織に洗脳され、コーエンも組織の為に死後もその体を弄くられて酷使された。
「――俺様は生きる為に稼ぐ。稼ぐのにクライアントは選ばねぇ。雇われればキャラバンだろうがブリガンドだろうがミュータントだろうが殺す。お前だってそうだ。仕事を請けたらその敵は殺す。違うか?」
そう問うバヨネットはライフルをこちらに突きつける。着剣した銃剣の切っ先が私に向けられる。
「お前が生きるためなら何をしたって構わないというのを正当化したいだけの戯言に付き合ってなんていられないわ。私とお前が同じかもしれない。でも違いもある。私はわざわざ弱い人間を狙って略奪するほど落ちぶれてはいないし、今後なる気も一切無い」
視線がぶつかる。その瞬間、様々な戦いのビジョンが駆け巡る。バヨネットも恐らく同じ感覚なのだろう。つり上がった口角がスッと下がっていく。お互いの殺意がぶつかりいくつもの選択肢が脳内を過ぎった。
「生きる為になんだってする? なら、その報いを受けるのも覚悟の上よね」
誰だって、ただありのままを受け入れられる程達観もできなければ、強くもない。
抵抗できない相手を一方的に襲い、搾取するようなやつに、私は負けない。
そして聞くまでもないだろう。バヨネットは、死ぬ覚悟はいつだってできてる。だから私は、答えなんて待たない――!
「ッシャアアアア!!」
ギラついた眼光が薄暗い室内で揺らめく。姿勢を下げて突撃してくるバヨネット。その速さは尋常じゃなく、狭い室内、十メートルも無い間合いでは一瞬で詰められる。
腰を低く、突っ込んでくるバヨネット。初めてその姿を見た時、目で追えない程のものだった。――しかし!
元から狙っていた場所へ、銃口を予め足元へ向けて撃ち込む。こんな至近距離で偏差射撃をやる事になるとは。
放たれた弾丸は真っ直ぐバヨネットの進行方向で向かう。
が、私の狙いが読まれた――!
私が引き金を引く瞬間、その僅かな時間で私の狙いを読み、弾丸はバヨネットのいない地面を抉った。首を上げる時間も無い。感覚だけで、宙を舞うバヨネットに銃を向けなおす。
走って突っ込んでくる場合、その足を潰せば良い。とてつもない脚力で突っ込んでくるのは脅威だ。けれど大抵の場合突出してくる奴は大抵自分の動きをコントロールできずにそのまま蜂の巣にされるのがオチだ。
銃を持った相手に遠くからわざわざ接近してナイフファイトを仕掛けるなんて馬鹿な事をする奴なんて自殺志願者か、ヤクでもやってる異常者か、射撃の護衛ありきの戦法だ。
それをやり続けて生き残ってきた男。この程度ではやられないか。
「甘めぇな。そんなもんじゃねぇだろ?」
軽い足音。天井に足をつけて、蹴って飛び込んでくる。
流石にその場で迎撃できないと判断して後ずさりながら銃を構えなおす。
――ドサッ。
しかし目測を誤った。突っ込んできたバヨネットのライフルについた銃剣による刺突を避けはしたが、即座に銃を手放し、いつの間にか左手に手にしていた銃剣が私の脇腹をとらえる。
「ぐっ!」
咄嗟にバヨネットに向かって銃を乱射するも、狙いをつけていない弾をばら撒いた所でバヨネットは的確にナイフで銃弾の弾道を変えてかわしてしまう。
相変わらず本当にデタラメな身体能力と反射神経だ――!
だが、そんなバヨネットも至近距離でフルオートの弾丸の嵐を捌くのは難しいようで、後退しながら弾丸を弾いていく。
バヨネットは顔色ひとつ変えないが私は一発の弾丸が右肩を抉ったのを見逃さなかった。聞き取れはしなかったが、口元が明らかに舌打ちをしている。
飛び退き、柱の陰に隠れるバヨネット。今のうちに弾倉を入れ替えた。
******
人間の体や銃を切断できる程の力と技術を持つバヨネットの攻撃。それは1発もらうだけでも死を意味している。
全力で回避に専念しても何度か体をかすめる。じわじわと、私は追い詰められていた。
戦うために作られたバヨネット。持久戦にも慣れているようで、息切れしている様子は無い。ステアーは徐々に追い込まれていく。
剣の軌跡と弾道が交差するビルの中、ステアーの放った1発の銃弾がバヨネットの右腕を撃ち抜き、それによってずれたバヨネットの攻撃はステアーの銃を破壊する。
「ウサギ狩り再開と思っていたが、とんだヌエだったぜ。一体どんな実験で生まれたんだろうなテメェは」
「私は重度の環境汚染地域でも細胞変異が起こらないように調整されたって事しか知らない。お前のように生まれながらの殺し屋じゃない」
飛び込みながらバヨネットに弾を浴びせる。距離を詰めてはバヨネットのナイフの間合いに入ってしまうが、距離を取ってしまうとこちらの弾がことごとく無力化されてしまう。
戦うには、奴を倒すには、奴の間合いに入るしかない――!
ライフル分の長さでリーチのある斬撃を銃身を殴りつけて弾き、バヨネットの喉元に銃口を突きつける。本当なら俊敏に動く相手には確実に胴体を撃ち抜きたいが、こいつ、旭日がペイントされた分厚い防弾アーマーなんてつけている。それなのにあの機動力を――。至近距離でワンホールショットを狙った所で、その装甲をぶち抜けるとは思えない。
一瞬悩んでしまって喉元に向けた銃。だが、一瞬の隙が仇となり私の伸ばした手にバヨネットの左手が伸びる。咄嗟に避けようとするも一度とらえたものを逃がしてくれるほど甘い奴ではない!
耳障りな金属音と破壊音。まるで床に玩具を叩きつけたかのようなガシャッという音。
(しまった! TMPが――!)
銃剣の刃がTMPに深く食い込む。フォアグリップ手前に食い込んだ刃は斜め上に入り、バレルに到達している。
だが、私にはもう一挺ある!
ライフルを殴りつけた左手ですかさずもう一挺のTMPを抜く。
「甘ぇんだ!」
抜いた瞬間、バヨネットのケリがマガジンを蹴っ飛ばし、手にしていたTMPはビルの天井へ吹っ飛ばされ強かにぶつかる。
「チッ! この――!」
蹴り上げたバヨネットの足を掴み取る。そしてそのまま奥へと突き飛ばす!
斜めになったビルの中、重力も相まってバヨネットは後方の壁まで転げていく。距離はそこまで遠くなく、突き飛ばした勢いが死ぬ事無くバヨネットを壁に叩きつけた。
壁にぶつかる激しい衝撃音。鈍く重い音と共にバヨネットが呻き声を漏らすのが聞こえた。
しかし、それとは別の嫌な音が耳に入った。バヨネットも、それを聞いただろう。
みしり。
嫌な予感は直ぐに的中した。崩れかけていたビルは倒壊を始めたのだ。時折舞い降りていたモルタルの欠片の量が明らかに増えている。そう思った時だった。
一際大きな鉄が砕ける鼓膜が破れるような激しい音が響き渡る。
向かいのビルにもたれかかっていたボロボロのビルは、私とバヨネットを入れたまま真下の道路へと力なく無残に折れて落下する。
私は死を覚悟しつつも、ダメ元でその場にあったオフィス机の下へ潜り込んだ。
とうとう崩れ落ちたビルと立ち上る砂煙。煙と轟音が収まる。
私と、奴の間を舞う粉塵がゆっくりと消えていくと、そのにはバヨネットが立っていた。全身ボロボロで、立ってるのが不思議なほどだ。
額から血を流し、コートも何かに引っ掛けたのか千切れており、身に纏っていた防弾アーマーもベコベコにへこんでいる。
満身創痍といった様子だが、私を真っ直ぐ見つめるその目つき、口の中の血を吐き捨てると無理矢理口角を上げてみせるその姿から、まるで闘志は失われていない。
きっと向こうから見た私もボロボロなのだろう。
全身が痛い。きっと骨もヒビが入ってるなり折れてるなりしている部分があるだろうけど、どこがどうなっているかも分からないほどに全身が痛かった。
滴る血が風に吹かれ、チリチリとした軽い痛みが皮膚の上に走る。
私達は、お互いの得物を失っても、最後に残された人間の武器でやりあった。
ゆっくりと近付き、お互いがお互いの顔面を殴りつけた。
殴る蹴るを繰り返していく内にお互い体力が磨り減り、最後はお互いを殴るだけの戦いとなる。
にやけ面のバヨネットはとうとうその口角を下げ、眉間に皺を寄せて私に、ついに本心からの叫びを拳に乗せた。
「テメェの、その善人面が気にいらねぇ!」
重い殴打が頬を抉る。
「善悪の分別無く無差別に人を殺すお前のやり方が許せない!」
バヨネットの声に私は気が付けば声を上げていた。殴り返す私のパンチを、バヨネットは手で受け止める。それを振りほどいて再びバヨネットの顔面を殴りつけた。
拳に走る肉の感触、骨の感触。真っ直ぐ突き刺さったパンチにバヨネットも流石によろけた。
遠くでビルが倒壊した音がこだまとなってまだ響く中、私達はひたすら殴り合い続けた。
「選んで殺すのが正しいってぇのか!? えぇ!?」
「略奪や遊びで人を殺し、家を燃やすような連中よりは真っ当な生き方だ!!」
私の返しに舌打ちをするバヨネット。よろめきながら、おもむろに自分の口に手を突っ込むと折れた奥歯を自分で抜いて地面に投げ捨てる。
睨みつけながらも、バヨネットは再び唇の端を持ち上げて口元を拭った。
ねっとりとした笑みではなかった。今まで見た事の無い、満足げな爽やかな笑みだった。
「違いねぇ」
短い一言。
バヨネットは笑いながらそう言った。
私は肩で呼吸するバヨネットがその拳を構えなおすまで待った。そんな私を見て、バヨネットはゆっくりを呼吸を整えてゆらりと体を揺らすと半歩、後ずさった。
「俺は傭兵だ。ブリガンドじゃねぇ。仕事や、仕事の邪魔になる奴をぶっ殺すだけで、略奪は俺の性分じゃねえ。だがな――」
拳を握りなおし、膝を曲げて身構えるバヨネット。それに合わせ、私も構えなおす。
「――ヴィレッジがどうなろうがどうだっていい。ブリガンドもな。俺様は俺様の為だけに生き、俺様の為だけに利用する!」
「お前の意思は分かったわ。だから、私も私の意思で、真正面からお前を否定する!」
体勢を整えた私達は再び、我を通すために拳を重ねる。
この世界はどうしようもない。力の支配する、どうしようもない世界。それが廃世。
廃世と呼ばれた世界の中で生き抜くにはこうするしかない。こうする事しかできない。
それでも、それでもだ――。
「廃世なんて言われてるこのどうしようもない世界だけどよ。俺様にとっては楽園よぉ。何をしても自由だ。俺様も、テメェもだ!」
バヨネットの言葉に私は目を細めた。
「だが我を通す為にはどうしても他人は邪魔になる。だったらどうするか……もう分かってんだろ?」
ああそうだ。こうするしかない。
降りかかる火の粉は払わねばならない。
全てが自由なら、自由と自由がぶつかるのは必然。ぶつからない選択肢を取れるならそうした方が良い。でもどうしようもないこともある。
「分かってるわ。分かってる。それでも!」
――それでも、私は、私なりの戦い方で生き抜いてみせる!!
お互いの拳の勢いが死んでいく。それでも私達の闘争は終わらない。
怒号と、風を切る音、拳と拳がぶつかり合う音。
廃世の空の下、私達は渾身の拳をお互いに打ち付けると、支えあうように、前のめりに倒れこんだ。
私が先に倒れたのか、バヨネットが先か。私が倒れこむその一瞬前に聞こえたあの重い音はきっと、バヨネットだろう。そう信じたい。
意識が飛ぶ、最後に見た空は綺麗で、私はいつの間にか全身の痛みを忘れていた。
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