第52話 決する時:前編
――多くのブリガンドを殺した。数え切れないほど。
私はコロナを望の所に預けて、個人的な用事で旅をしていた。
もう半年が経とうとしているこの旅に、コロナを連れて行くわけにはいかなかった。
旅の目的が〝復讐〟なのだから。
川崎ヴィレッジを襲った巨大なブリガンド集団。五芒星革命軍はバヨネットを雇って魔都に現れてからはその姿を見る事は無かった。
路銀稼ぎに仕事を請け負い、ブリガンドを倒しては情報を吐き出させたがろくな情報は得られなかった。
なにやら最近は私の噂が広まっているらしい。変異や病死する事無く魔都から生還し、ブリガンドを殺しまわってる傭兵の噂。
噂は私の周りに変化を及ぼした。
私の顔を見ただけで逃げ出すブリガンドや、名を上げようと私を探し回るブリガンドが現れた。
逃げる者も逃がすわけにはいかない。襲ってくるならそれはそれで好都合。襲い来るブリガンドを潰しては情報を吐かせたが、どいつもこいつもヤツらの構成員ではなかった。
そして迷惑な事に、ブリガンドは時間も場所も選ばない。
ある日ヴィレッジ内の酒場に立ち寄って情報収集を行おうとした矢先に襲撃された。その日から私はなるべく同じ場所に留まるのをやめた。
******
雪の降る時期は過ぎ、半減期が過ぎた後でもまだ環境汚染が深刻な魔都周辺は時折汚染された雨を降らす。
私が生まれるずっと昔には黒い雨と呼ばれる酷く汚染された雨が降ったようだが、文明崩壊から三世紀、私の頭上に降り注ぐ雨は水の透明さをもっていた。
じっとりとまとわりつく湿気はまるで血のように肌と服をくっつける。
雨のにおいが心を冷静どころか憂鬱にさせる。故郷を滅ぼされた怒りを時の流れが風化させそうになるのを防ぐため、あの日の記憶を反芻する。あの日の戦いはまだ終わっちゃいない。
私は、川崎ヴィレッジの戦力は、まだ無くなっちゃいないのだから。
名指しで仕事を依頼したいという珍しい話を聞いたのは三日前。長らく空けていた渋谷ヴィレッジに戻り、コロナ達の顔を見て安心していた時の事だった。
池袋ヴィレッジのキャラバンを統括する男が私の噂を聞いて雇いたいとぼやいていたというのを望から聞き、こうして出向いてみたは良いが――。
「オメェが噂の
セメントの壁が四方を囲む薄暗い部屋の真ん中で、顎鬚をたくわえた壮年の男がねずみ色のオフィス机に肘をつきながら訝しげにこちらを睨んでいる。
円の中の大きなVの字が目に付く、ヴィレッジシェルターのエンブレムが刺繍された擦り切れた作業着を身につけている。川崎でも着ている人間を見なかったぐらいの骨董品だ。
部屋の中心にぶら下がっている蛍光灯の頼りない明かりに照らされたその顔は酷く疲れているように見える。
「そんなご大層な看板背負ったつもりもないし、勝手に色々尾ヒレがついただけよ。魔都から帰ってきたのは事実だけどね」
「ほーん、そうかい……」
人の胸をじろじろと値踏みするように見ながら、顎鬚を撫でる目の前のオッサンに眉をひそめる。私の視線に気付いたのか、ゴホンとわざとらしく咳払いをした。
重い空気が私と男の間を抜けていく。
「俺はここ池袋ヴィレッジを出入りする
「人はできる事しかできないわ」
「ハッ、そらそうだ。虚勢張って仕事もできねぇでくたばって貰っちゃ困るからな」
六十苅は私の返事に鼻を掻きながらそういうと椅子から立ち上がり、外の方へ歩き出す。それを黙って見ていると、扉に手をかけながら私の方を見て手招きしてきた。
ついて来いといわんばかりの様子だったので、それに少し疑問を抱きつつ、六十苅の後ろをついて行く。
それは些細な疑問だ。仕事の詳細を話すならさっきの部屋でしてしまえば良い。わざわざ別室に行かないと話せない事でもあるのだろうか。
さっきの部屋は付き人がいなかった。かといって仕事の同意に証人を立たすほど神経質な様子は見られない。
そんな考えを巡らせていると男はシェルターの更に下層へ階段をくだって行く。下へ降りるに連れて少しずつ空気が冷たくなっていくのを肌に感じた。
大股でのしのしと歩く六十苅の後をついて行くと、ある一室に一緒に入った。男が電気をつけると、その部屋がなんなのか直ぐにわかった。
薬の臭い。部屋に入ってすぐに消毒液のようなスッとする臭いが出迎えた。キャスター付きの寝台が幾つも並び、壁にはいくつもの正方形の大きな引き出しが所狭しと並んでいる。そして私の前にある寝台の上には人の形に盛り上がった白い布がある。
霊安室だ。
ある程度清潔感を保つためか清掃はされている。しかし経年劣化には勝てず、床のタイルはひび割れ欠けており、天井と壁の間から錆が侵食している。何百年も正規のメンテナンスがされなければこうなるのは仕方ない。
「こいつを見てくれ」
六十苅がそういうと私の返事など待たずに、寝台に被せられた布を取っ払う。バサッと、粗野に。
今更死体に驚く事は無かった。人の死はたくさん見てきた。だが私の前に横たわる死体の様子に私は息を飲んだ。
頭部に一撃、見事な狙撃だ。角度からして高所から打ち下ろしたといった感じだろう。額から斜めに弾が入り込んでおり、骨を砕き、脳を抉り、弾は頚椎を貫通していた。
「頭に一発。お前さんに見せる為にこいつは残しておいたが、他のヤツもみんなこんなんだ」
溜め息混じりに六十苅が横から語りかける。直属の部下だったのか、知り合いだったのか、その声は沈んでいた。他人の死体に向けるようなものではない、感情がそこにあった。
「これは――!」
私は頭部の弾痕に目がいって気づかなかったが、明らかに即死と思われる死体なのだが、胴体にも多くの損傷が見られた。
古傷などではない。同時期につけられた傷だ。即死した筈の人間に対して何者かが"刃物"を突き立てた後がある。
ブリガンドが戯れに死体を破壊する事は珍しくない。奴らにとって殺しは娯楽のようなものだ。だが、その傷はある図形を描いていた。
「俺には、〝星〟に見える。オメェさんはどう思う」
めちゃくちゃに切り刻まれたように見えるが、左胸の所に明らかに意図してその形を描くような切り傷があった。五芒星だ。
奴らがこの仕事に関与している――? しかし奴らは五芒星革命軍を名乗ってはいても、いちいち殺した相手に星を刻むなんて話は聞いた事がない。
だが、わざわざこんな事をするブリガンドが他にいるとも思えない。
六十苅の顔を見る。平静を装ってはいるが、六十苅の目は充血していた。だが涙は流していない。この男は強い。そう感じつつ。私は私の復讐心ではない別の感情が胸を熱くさせていた。
「星ね。死者の体を弄ぶような奴を野放しにはできないわ。引き受けるわ。相手の手口や技量も分かったし。もう行くわ」
「正直女に頼むのは男として気が引けるが……俺は治安部門の人間だが戦いの専門家じゃねぇ。いままで頼んできた傭兵もことごとくやられちまった。すまねぇ、頼む」
目の前で頭を下げられたら引くにも引けない。元から引く気はなかったけど。プライドを捨てた男の魂を足蹴にするわけにはいかない。
私はヴィレッジ内で弾薬や食料を調達し、奴らが襲撃してくる場所へ向かう事にした――。
******
――そこは池袋から渋谷へと続く道だった。
どこもかしこも、魔都周辺の景色は変わり映えしない。人が大勢いたという名残だけを残してそびえる灰色のビルが乱立している。しかし、この道は広く、往来の為にどけられたのであろう廃車の数々が歩道のほうに寄せられていた。
ここまで整備するのは大変だっただろうが、逆に言えば道として目立ってしまう。現に、私が道の中央を歩いて周囲を見渡してみるとかなり見渡しが良い。そして狙撃スポットとして使えそうな建物がいくつもある。
大きなキャラバン隊ならば回り道するにはこの辺りの廃墟群は入り組み過ぎている。多くの路地や交差点でいくらでも道は探せそうだが、その殆どが崩落したビルや砕けて隆起したアスファルトのせいで通る事はできない。
そんな事を考えつつ、私はかすかな気配を見逃さなかった。
サプレッサーで音を消していたのだろうが、風も無い静寂が支配する寒空の下、そのかすかな発砲音が耳に入った。サプレッサーを付けていようが、完全に音を消せるような魔法のような装備など存在しない。
そしてスナイパーは正確無比な腕前。相手がどこを狙ってくるか等大体予想がつく。
発砲音と同時に急所をずらし、弾丸を回避する。弾丸が埃まみれのアスファルトを抉りこむと埃が舞い上がる。体感、五〇〇メートル程前方だろうか。その時には私は既に走り出していた。ふたつの音により私は確実にスナイパーの位置を把握した。視界の隅でマズルフラッシュも確認できた。確実に追い込む。
斜めに倒れ、大通りの向かいのビルにもたれかかったビルの中。ソイツは確実に潜んでいる。階段の角がほぼ上を向いているような状態のビル内を駆け上がっていく。
罠があると思ったが、そういう物もなく、手下らしき人の気配も無い。
スナイパーがたったひとりでキャラバンを襲っていたのだろうか。どんな奴かわからないが、奴らは人材不足に陥っているのかもしれない。
だとしたら、この仕事を終えて、奴らの本拠地を突き止めて、そして、今度こそ始末する。東京と神奈川をまたがって人々を襲うブリガンド集団を壊滅させてやる――!
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