最終章 それぞれの道が交わる時

第50話 ステアーに逢いたくて:前編

 ――ステアーがここを去って半年が経とうとしている。


 川手理緒という名前を孤児院に入って捨てられそうになった時、僕は駄々をこねた。

 孤児院にはいろんな事情で入る事になった子達がいた。僕みたいに、両親をブリガンドに殺されたせいでひとりでは生きられなくなった子なんて珍しくない、狭くて異常な社会の中で、悲しい過去を捨て去る為に、新しい人生を歩ませるために名前を変えるというのは当たり前のように行われているらしい。けど僕は、僕は川手理緒で良いって思った。


 僕は、この半年で色々あって強くなったよ。

 ステアーが寄越したあの蛭雲童とかいうオッサンだけど、でかくて強面の割りに腰が低いし、何故か僕を旦那って呼ぶ。旦那よりシェフとか料理長って呼んで欲しいんだけどな。


 アスンプト神父に引き取られてから、僕は殺しの技術を学んだ。射撃、剣術、暗殺――。今の僕なら、きっとステアーと肩を並べられると思う。

 時間が経てば経つほど、会いたい気持ちが強くなって、何度も追いかけようと思った。多分今なら力ずくでも出ていけただろうけど、今はそういうわけにもいかなくなった。


 孤児院にはいろんな事情で入る子がいるけど、特に珍しい子が入って来た事があったよ。

 ステアーが出て行ったあと数日して、ヴィレッジに来た行商人が多摩川で子どもを拾ったらしく、孤児を引き取る教会の話を聞いてその子を運んできた。

 家を失い両親もいない子どもが、ヴィレッジや大人の保護無しで生きられる程、この全てが崩れ落ちた世界は優しくない。

 教会はその子を引き取ったが、既に薬物で心身がボロボロになっていた。

 とてもじゃないけど教会の中でもひとりにしておくのは危険な状態だった。だから相部屋の僕がお守りを任されるようになったんだ。


 その子は枸杞という自分の名前以外、何も覚えていない子だった。行商人は教会に連れてくるまでずっと意識を失っていたらしい。

 毛布に包まれていたが枸杞は何も着ていない、裸の状態だった。教会も慌しく、直ぐに服を見繕えなかったから、身長が近かった事もあって僕のおさがりを着せてあげた。

 意識を取り戻しても枸杞はぼんやりと宙を見ているか、時折薬の禁断症状による幻覚や幻聴でパニックを起こして昼夜問わず錯乱して暴れまわった。僕も何度殴られたかわからないけど、枸杞が悪いんじゃないんだ。だから僕は殴られても枸杞を責めたりしなかった。

 けれど正気に戻るたびに枸杞は泣きながら謝ってくる。その姿はとてもかわいそうで、いつの間にか僕は神父から戦闘技術を教わる時間以外は枸杞の世話をしていた。

 枸杞の世話をしている内に枸杞は僕に懐いてくれたみたいで、意識がハッキリしているときは僕の後ろをずっとついてくるようになった。

 近くに僕がいないと蚊が鳴くような声で僕の名前を呼びながら教会をうろうろするものだから、教会の人間のほとんどが僕の名前を覚えてしまったし、教会の人間は枸杞を見るたびに僕の居場所を教えるようになった。

 それが恥ずかしかったけど、急に弟ができたようで、嬉しかった。


 そんな日々を送っているとしばらくして、あのオッサンが来た。

 ステアーに出会って人生をやり直す機会をもらったとか、僕の面倒を任されたとか言っていたけど、元ブリガンドである事を自ら打ち明けてきたとき、僕は僕の故郷を襲った奴らのことを思い出してしまって、信じられなかった。ステアーの銃を見るまでは。

 蛭雲童はヘラヘラしてたり、妙に腰が低かったけど、ヴィレッジ内の喧嘩を拳で鎮圧したり、逃げる盗人を捕まえたりして頼りになる。

 最初は神聖な教会にブリガンドを住まわせるなんて! なんて教会中の人間から鼻つまみ者にされていた。けど、僕は教会の評価よりステアーの評価を信じて僕は蛭雲童の味方をし続けた。



******



 ――そんな教会側の蛭雲童に対する評価が変わったのは、蛭雲童がやって来て三ヶ月くらいしてから。


 あのアスンプトの野郎が教会を裏切った。本人曰く、最初から裏切っていたようだ。善人面して教会に潜り込み、信頼を勝ち取った所で、ブリガンドとグルになって横浜ヴィレッジを外と中から潰して乗っ取ろうと企んでいたらしい。

 僕に戦闘技術を教え、教会の為にと罪人を暗殺させていたのは僕の復讐心を利用していたに過ぎず、時が来たら味方に引き込む算段だったとか。

 実際、アスンプトをトップとした孤児による少年部隊……いや、暗殺者集団と言うべきか。その構成員の殆どがアスンプトの決起と共に教会の人間に牙を向いた。

 教会の大人全てに言えることだが、僕たち孤児院にいる子供には優しく接してくれて、その中でもアスンプトはより距離が近かった、身近な存在だったために半ば洗脳された状態だったんだと思う。

 育ての親の為なのか、ブリガンドのように野蛮でありながら自由であることを求めたのか、アスンプトの野望に迎合したのか、それは分からない。

 多くの孤児がアスンプトの側に付いたが僕はアスンプトに従わなかった。

 川崎ヴィレッジを襲った五芒星革命軍とかいうブリガンド集団。奴らとも繋がりがあったからだ。

 アスンプトも川崎が襲われる事はずっと前から分かっていたし、救援を遅らせたのもアスンプトが根回ししたらしい。

 あの男は、僕にとってもステアーにとっても仇だったんだ。


 横浜は戦火に包まれた。大勢死んだ。乗っ取る前提だったからかヴィレッジの施設にはあまり被害は無かったけれど、ライフラインとしては重要度の低い教会は結構な損害を受けた。

 そんな中で蛭雲童は教会の裏切り者達と戦う間、枸杞を守ってくれていたらしい。

 襲い来る少年部隊やヴィレッジ内に潜んでいたアスンプトの部下であるブリガンド共相手に大立ち回り。怪我をしながらも戦えない孤児やシスターたちを守ったとか。


 そんな教会内外が混乱していた最中、僕は追い詰めたアスンプトを殺した。

 ブリガンドの大部隊が横浜を襲うという大混乱の中だったから、その事実を知るのは僕と蛭雲童、そして枸杞の三人だけ。いや、枸杞は状況を理解してないかも。

 教会は直ぐにアスンプトが抜けた穴を埋めるように新体制を作り、孤児による横浜ヴィレッジの影の治安部隊は解散した。治安を守るための暗殺部隊。それは教会内でのみ知られ、そしていつか教会内でも忘れられていくと思う。

 僕の手は血に汚れすぎたけど、ブリガンドや裏切り者から枸杞を守れただけで、アスンプトには感謝してる。

 本当はしたくないけど。


 だって、あの川崎から出てきたばかりの僕なんかじゃ、絶対戦えなかったから――。



******



 今日は珍しく快晴の朝だ。

 遠くに飛びえる骨組みが露出した高層ビルの廃墟群の隙間から覗く太陽が眩しい。

 僕は殺しの仕事から解放されたけど、朝早くに起きて動き出す事は変わらなかった。扉の無い窓の色あせたカーテンを全開にして、部屋の中に日光を招き入れる。朝の冷たい空気を肺に入れると体が引き締まる。

 川崎ヴィレッジは核シェルター。汚染された空気も清浄機を抜けて供給されていた。地上の空気は人を蝕むと言われているけど、自然の空気はいつも新鮮に感じる。ぎゅうぎゅうに詰められたヴィレッジ内を循環する空気は放射線の影響は無くとも、淀んでいて常に重い空気が漂っていたように今は思う。


「んー? 理緒、今日も早いんだね」


 眠たそうに目を擦りながら枸杞がベッドから起きてくる。ここに来た当初はどうやって染めたのか分からない位キツいショッキングピンクな髪も、今は地毛であろう焦げ茶色の髪が頭頂部に見えていた。まるでプリンとカラメルみたい。本人には絶対言えないけど。

 もう少し伸びたら切ってあげないとな。なんて思ってる僕を尻目に少し伸びた髪を手ぐしですいている。


「おはよう。早く顔を洗ってきな」

「うん……あ、おはよう」


 思い出したかのようにおはようと言ってくれた枸杞は、少し照れくさそうに俯いていた。おはようやいただきますなんて言葉も教わってこなかったのか、もしくはそういうのも忘れてしまったのか。それは分からないけど、地上に出て分かった事は文字を読み書きできない子どもや最低限の礼儀も知らない奴らが多過ぎるってこと。それどころか僕みたいなのはシェルター暮らしだと一発で分かるようで"箱入り"なんて言って笑う奴までいる始末。

 素行の悪い奴なんて川崎の厨房に立っていたときから相手してるし覚悟はしていたけど、思ったより地上の下品さに慣れるのは難しい。地上で最初の住まいが教会で良かったと思う。


 今まではその裏で暗殺など行っていた暗い過去があるけど、それでもここは教育機関のようなものを兼ねている。

 だから読み書きできなかった枸杞も少しずつだけど勉強をしている。体のデトックスはできたけど、やっぱりそれでも既に傷ついた脳は回復するのが難しいみたいで、物覚えはあまりよくない。ひらがなを書けるようになったけど、その筆跡はよれよれだったり、力を入れすぎて紙が破れたりと酷いものだった。それでも、頑張ろうとする枸杞の姿を見たら僕も頑張ろうって思えるんだ。


 枸杞があくびをしながら洗面所にとぼとぼと消えていくと同時に、僕らの部屋に近付くドカドカという粗野な足音が近付いてきた。そして直ぐに扉が大きく開かれる。


「旦那ぁ! おはようございます!」

「おはようオッサン。あとその旦那ってのやめろって言ってんだろ! ぼ、オレは理緒だっ」


 僕が自分をオレと言う時に思わず噛んだのを見て、蛭雲童はフッと軽く鼻で笑う。

 ステアーに近付きたいってずっと思ってきて、焦ってるんだと思う。こんなことしたって意味は無いと分かっているのに――。


「俺だって蛭雲童って名前があるんですぜ旦那ぁ。それに強がってオレだなんてらしくないですぜぇ~?」


 ――そうだ。そんな事分かってる。

 けど僕ってなんだか弱っちく感じるんだ。でもオレって言う自分に馴染めない僕がいて――。

 目の前でニヤニヤしながら見下ろしてくる蛭雲童。僕はこの図体のでかい、低姿勢の割りに人をおちょくってくるオッサンについカッときてしまう。偶然いい位置にある脛に蹴りを入れた。


「オウッ!?」

「うるせぇ! お前なんてオッサンで十分だ! このショタコン! もう直ぐ準備できるから先に食堂行ってろよ!」


 蹴りを入れられても何故か嬉しそうに笑う蛭雲童に馬鹿にされた気がして、憤慨しながら僕は自分のタンスに手をかけ仕事用の服に着替える。

 そんな僕の後姿。正確に言えば尻に熱い視線を送って鼻の下を伸ばしている蛭雲童に気付き、おもむろにタンスの上に置いてあったボロボロのドライバーを振り向きざまにぶん投げた。

 が、そんなドライバーも軽く避けられ、蛭雲童の直ぐ横の壁に刺さる。しかし、その反動でドライバーはぼっきり折れ、グリップが壁をバウンドすると威力の死んで蛭雲童の頭にヒットした。


「った~!」


 わざとらしくこめかみを押さえる蛭雲童。どう見たってその表情は余裕そのものだ。


「少しは気配くらい消せよな! つか、早く行けバカ!」

「バカは正直へこむから勘弁してくださいよぉ」


 今度こそ部屋から出て行く蛭雲童の後姿を見ながら、下目蓋を指で下げて舌を出す。ベーっだ!



******



 アスンプトに稽古をつけてもらっていたとき、心がどんどん磨り減っていく気がしたっけ。戦いは、本当は好きじゃない。ステアーが去ってからはショックで味覚も狂っていたけど、今は違う。

 もう誰かを殺す必要がなくなった僕は、改めて食堂を開いた。僕の食堂だ。

 ブリガンドが横浜ヴィレッジを襲ったとき、教会の1階の食堂が破壊された。それを直すのにも時間も人も必要って言って教会のシスターが悩んでいた所、蛭雲童が壁をそのまま入り口に改修しちゃってレストランにしちゃいましょうぜ! なんて言い出した。

 そんなの誰がやるんだって思っていた僕だったが、真に受けてしまったシスターは、炊き出しのようなものですね。なんて呑気な事を言ってふたつ返事でゴーサイン。その上、蛭雲童が勝手に僕を料理長にしようだなんて言いだして、気付いたら自分の厨房を持つようになっていた。川崎ヴィレッジから離れてからずっと料理を作る事から離れていた僕に何が出来るんだと腐っていたのも僅かな間で、体はずっと調理の仕方を覚えていた。

 ステアーに鼻が利くし地上の探索部隊に入らないのって言われた事もあったけど、やっぱり僕にはこれが性に合ってると思う。


 教会に入った時に支給された修道服。その上から川崎でも使っていたエプロンを身につける。

 修道服はずっと着ていたのもあって色々ほつれてきているけど、そこまで着ててもなんか落ち着かなかった。でもこのエプロンは違った。頭を通し、紐を腰に回し、後ろで蝶々結び。キュッと綺麗に結べた時、肩の力が抜けていく感覚にホッとする。


 着替え終わって振り向くと、枸杞がベッドに座りながらジャッカーを膝の上に乗せて優しく、まるでペットでも撫でるようにその丸い鉄のボディを撫でていた。心なしか、薬物の影響か濁った赤色の瞳に光が宿っているように見えた。

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