第49話 新人類とミュータント

 ――壁の外側。


 核の冬なんてものはとうに過ぎ去った筈なのに、外の世界は冷たい。初めて防壁の外の世界を見た時、初めて見た地平線から昇る太陽に国家再建の希望を抱いた。

 けれど、それは全部ウソ。刷り込まれたボク自身のものじゃない心だ。


 ボクの中には今、ボク以外の人間が住んでいる。ボクの初めてのともだち。

 ただ一緒にいるだけじゃない。コーエンの知識や記憶の断片がボクの頭の中に入ってきて、ボクは悲しみと憎しみで胸がいっぱいになっていた。


 コーエンの死。どうして死んだのか、なぜ死んだのか。コーエンがボクに宛てた遺書を読んだことがあって、その答えを知っていた。紙に書かれた内容を想像するよりも、今はずっとその苦痛の日々を自分の身に起こったかのように想像できる。想像するとも違う。コーエンの記憶を覗いているんだ。

 4年程前、出会ったばかりなのに直ぐに仲良くなったのはきっと偶然じゃない。ボクらはきっと、こうなる前から一緒だったんだと思う。

 死因は自殺だった。ボクを作る為の実験の数ある失敗作のひとつだった。破棄、殺される所だったのを薬物研究施設の研究員が投薬実験にと引き取ってから、薬物投与だけではない、研究員の慰安の為の奴隷にされていた。その状況を体験したかのような錯覚に陥ったボクは、タカマガハラを後にしてから何度も夜に錯乱して、ステアーに迷惑をかけてしまった。


 六歳のボクには何もしてあげる事も気付いてあげる事もできなかった。その時ボクは組織のトップになる事を周りに勝手に決められ、その為の教育を叩き込まれ、ボクは組織に別の意味で嫌気が差していた。その遺書を読んで、ボクはコーエンのような非人道的な扱いをされた者達を作らない為にも組織を纏められる存在になるんだって、そう決めていた。

 なのに、いつからだろう。ボクは他人を支配する事、邪魔者を排除する事、組織を強くする事、それだけを考えるようになっていた。それが洗脳によるものだったと決め付けてしまいたいけれど、きっとボクは薄情だったんだと思う。

 でも、ボクの中にいるコーエンはそれを否定する。


(また、悩んでいるの?)


 違う。悩んでなんか。


(もう僕のような存在は生まれないし、コロナを縛る大人たちもいないんだ。もう自分を責める必要も無いし、誰かの上に立って重荷を背負う必要もないんだよ)


 突然そういう状態になっても、ボクは何をしたら良いかわからないんだ。

 ボクはずっと誰かの言われるがままだった。組織のトップになって誰かに命令できるような立場になっても、重要な判断は舘泉に任せてしまっていたし、ボクのすべき事を常に周りが教えてくれた。だから、ボクはずっと誰かの代わりに命令を出すだけでボク自身、考える事そのものが出来なくなっていた。

 ねえ、コーエン。ボクはこれから、どうしたら良い?


(…………)


 コーエン? コーエン!

 ともだちを呼ぶ声は暗闇に飲まれて消えていく。

 ボクは辺りを見渡した。気付けばそこには、何も無い闇が広がっている。ステアーの姿も見当たらない。足元すら何も見えない闇の中にボクはいた。


 次の瞬間、ボクの頭の中にガンガンと反響する叫び声にも嬌声にも似た声が響き渡る。

 これは、コーエンの記憶……。身も心もボロボロにされて、死ぬ寸前の……。

 見たくも無いコーエンの辱めを受ける姿が目蓋を閉じても鮮明に〝見える〟事で、言いようのない気持ち悪さでどうにかなりそうだ!


 助けて、助けて! ステアー!!



******



「……ナ。……て」


 遠くで声が聞こえる。ボクはその方向へ無我夢中で走り出した。

 こんな、こんな所、いやだよ――!!


「コロナ?」

「ッ――! こ、ここは……?」


 目の前にはステアーの広い背中と薄い金色の髪があった。ふわふわと断続的に身体が浮く感覚にボクは周りを見渡した。

 いつの間にはボクはステアーに背負われていた。ステアーの背中で眠っていたらしい。ボクとした事が……。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ステアーの背で顔を隠したくなった。

 そんな恥辱に悶えるボクをステアーが不思議そうに首を捻る。


「もうすぐ渋谷ヴィレッジに着く。歩ける?」

「あ、う、うん! ごめ……んなさい」

「? まぁいいわ。流石にセバンに周りを見てもらっているとはいえ、両手が塞がったままヴィレッジでもない外を歩くのはちょっと怖いわ」


 ボクはステアーの言葉に目を見開いて慌てて周りを一度見渡した。


「セ、バン……?」


 それはステアーの前を歩いていた。あのアンドロイドと識別するための耳のアンテナは紛れもなくセバンだ。タカマガハラを出た時には一緒じゃなかった筈なのにどうやって……。

 ボクが疑問に思っているとセバンがこちらを向いた。よく見るとあちこちボロボロで、歩く姿もなにかぎこちない。故障でもしたのだろうか。


「コロナ様。おはようございます!」


 セバンが軽やかな声色で挨拶してくる。ボクにとって何気ない、普段どおりの挨拶のはずなのに、何故か今は凄く怖く感じてしまった。

 言い表せない不気味さに背筋が凍る気さえした。ボクはいつも通りにセバンに声をかけようとしたが、声がうわずってしまう。

 ボクはステアーの背から降りて、ステアーの横をついて歩く。するとステアーは歩く速さを合わせてくれた。優しさなんだろうけど、ちょっと悔しい。


「お、おはよう。いつの間に、どうやってボクたちの場所がわかった?」

「ご主人様の居場所はナノマシンの発信する識別信号を察知して直ぐにわかりました。ステアー様がお預けになられていた銃のお届けもヒフミ様から依頼されておりましたので直ぐに追いかけたのですが、ルート検索が大変でしたよ」


 えへへ、と苦笑するセバン。冷たい風がボクたち3人に吹き付ける。ステアーの髪が目に入りそうで目を閉じる。

 改めて周りを見ると相変わらずの廃墟だらけ。灰色の世界を植物の緑が侵食しているが、その規模は魔都程ではない。常識的なサイズの蔦植物に覆われた廃ビルに砕けたアスファルト。品の無いペンキの落書き。いつ死んだか分からない死体が転がる中を、ボクたちの足音と風の音だけが聞こえる静かな空間。その空間に不思議と安堵していた。


「ヒフミって誰?」


 ボクには聞き覚えの無い名前だった。セバンが答えようとしたが、それよりも先に口を開いたのはステアーだった。


「武器管理部にいたおじさんよ。私の銃のメンテをお願いしたの」


 少し悲しそうに言うステアー。タカマガハラの惨状を考えるに、その人がどうなったか想像に難くない。ステアーが悲しいとボクも悲しくなってきて、少し目頭が熱くなる。

 こんな所で泣いたら恥ずかし過ぎる。ぎゅっと唇を噛んでなんとか我慢したけれど、ステアーにバレてないだろうか……。

 チラリとステアーの顔を覗き見る。

 ステアーは無表情のまま前を見ている。視線の先には明らかに今の時代の人間が作ったであろう大きなバリケードが目に入った。ハッキリ言って粗末なバリケードだ。板切れやら鉄板なんかで作った壁の上に無造作に有刺鉄線が張り巡らされている。ロケット砲一発で破壊されそうな不安な出来栄えの物だったが、その周辺に銃を持った兵士の姿も見えてきた。ステアーが言っていた渋谷ヴィレッジだろう。

 一度、侵攻するだろうと偵察に行った事はあったが、その時の記憶も今や曖昧だ。あの機械をつけられて操られていた頃の記憶がぼんやりとしていて、ただ漠然とした後悔と罪悪感がボクの胸の中をぐるぐると渦を巻いて、また気持ち悪くなってきた。



******



 吐き出しそうになるのを我慢してステアーについて歩くと、気付いたらボク達はバリケードの中に迎え入れられていた。

 渋谷駅と書かれた看板の大きな駅の周りにいくつかテントが作られており、沢山の荷物を積んだ六本足の馬が何頭か人に引かれて歩いている。キャラバンだろうか。

 キャラバンも気になるけどもっと気になる事があった。とにかく汚い。

 駅周辺は血痕や瓦礫、空の薬莢や、人の死体がそこかしこに見られる。掃除しきれないのか大きなゴミや死体はバリケード沿いに避けられ、少し遠くの方では今まさに集団火葬が行われようとしていた。

 そんな有様にステアーも眉を顰めている。いつの間にかボクの後ろに控えていたセバンも露骨な困り顔をしていた。恐らく掃除が大変だろうな程度の認識だろうけど。

 ステアーがいた時もこんな有様だったのか? そう聞こうとした時、人ごみを分けてこちらに走ってくる人影に視線が吸い寄せられた。


「ステアーさーん!」

のぞむ!」


 手を振りながらこちらにやってくる子ども。それはまるでボクと兄弟かと思わせるほどに似た色をした髪をした女の子だった。

 ボロボロのマントを身に纏った空色の髪、氷のような、アクアマリンのような瞳をしたその子は色白で可愛らしく、その顔を見ただけで少し緊張してしまった。

 望と呼ばれた女の子はステアーの前まで来ると飛びつくようにステアーの身体に抱きついた。ちょっとムッとしてしまったけど、ボクだってそこまで子どもじゃない。

 甘え上手な人に嫉妬してしまった。ボクだって、ステアーに抱きついたりしたい。

 こんな状況で何を考えているんだ。変な考えをかき消そうと頭を振る。


「コロナ。この子は望よ。仲良くしてね」


 ステアーの紹介の後、望はボクの前に歩み寄るとスッと手を差し出してきた。こう目の前に立つと少しだけ望の方が背が高かった。年上、かな?


「コロナです。よろしく」

「よろしくねコロナ君。色々大変だったでしょう。今日はゆっくり休んでね」


 そう言いながら柔らかい笑みを見せる望さん。ボクは目の前にいるのは天使じゃないかと思った。顔が真っ赤になっているのが自分で分かって凄く恥ずかしくなり、ボクは信じられない事に慌ててステアーの後ろに隠れてしまった。

 ボクのそんな姿を見てステアーはクスクス笑う。くっ、完全にペースが崩れてる。落ち着けコロナ。腐ってもボクは人類を導くと言われた新人類なんだぞ!



******



 ――なにが新人類だ。何が人類を導くリーダーだ。

 望さんがお姉さんじゃなくてお兄さんだって事に気付けなかったとは。その事実がショックなんじゃない。目の前まで来た人物の性別を見誤ったばかりか一瞬でも動揺するだなんて、どうかしてる。

 ……どうかしてるのは今日に限った話じゃない、か。


 渋谷ヴィレッジは駅側と、駅の近くにある大きな病院の地下に広がるヴィレッジ本部の二箇所が主な施設らしい。本部にある望さんの部屋を間借りする事になった。

 食堂で食事を貰った。シェルターの中はタカマガハラに似ていたけど、食事の方は正直言って最悪に近いなって思った。

 パサパサのクラッカーみたいなパンに、香辛料で誤魔化しまくって辛くて硬い肉。水も浄水器の性能が悪いのか臭い。医療施設の地下シェルターだけあって他のシェルターよりは設備は優秀らしいけど、それがタカマガハラ以外の地下シェルターの今なんだと思うと文句も言う気にもならなかった。

 隣で美味い美味いってステアーが笑顔で出されたご飯を食べているのを見てて、何も言えないなって思ったんだ。


 行く場所が無いならここに住むのもありじゃないかなって、望さんが言ってくれた。ステアーは考えておくって言った。地上にボクが行く当ては無いし、ステアーも故郷は既に無い。

 別に考えておく必要は無い気がするんだけど、ステアーのいる場所がボクの居場所。だからボクからは特に何も言う事は無かった。

 結局、ここでもボクは人に合わせるだけなのかって思ったけど、自分は自分の事すら考える余裕が無かった。


 夜になり、望さんの部屋に敷いた毛布に包まりながら眠りにつく。


 どす黒い地獄のような世界がまたボクの頭の中をぐちゃぐちゃにしてくる。

 ボクじゃない、ボクの記憶として、知らないのに知っている昔の記憶が夢として浮かび上がってくる。

 コーエンとひとつになれた時、ボクは嬉しかった。力ずくで支配されて身も心も犯される屈辱にまみれた黒い記憶。それがボクのものになった時、拒もうとは思わなかった。コーエンの辛かった事、悲しかった事を理解できると思ったから。

 ボクは、考えが甘かった。想像力を超えた人の醜さを目の当たりにした。

 薬と暴力で毎日毎日、小さく細く、白く弱い身体を犯し、汚し、心を壊して、死へと追い込んでいく恥辱と白濁に塗れた記憶が、何度も何度もボクの前に出てくる。


「うっ、ぐ……ハッ!」


 コーエンが正体不明の薬物で狂わせられ、耳を塞ぎたくなるような言葉を裸の男に向けて叫んでいる。最悪な夢にうなされ、ボクの脳が危険信号を出したのか目が覚めた。

 最悪の光景が、目が覚めても脳裏に浮かぶ。そして下半身に違和感を覚えて嫌な予感をしながらもズボンの中を覗き込んだ。


「セバン、替えの着替え持ってきてるかな……」


 大きなため息をついて、水を飲もうと身体を起こす。隣で寝ているステアーは静かに寝ている。寝息も殆ど聞こえない。一瞬死んでいるのかと焦っちゃう程に紛らわしい。

 今すぐ着替える事も出来ない、誰にも出会わない事を祈りながら、ステアーを起こさないようにそろそろ歩いて食堂へ向かった。




 食堂は静かだった。食事の受け渡しをするカウンターの上の大きなデジタル時計には午前二時の表示。

 ジー、という冷蔵庫の音やウォーターサーバーのコポコポといった音が少しうるさく感じた。


「あれ、起きちゃったの?」


 望さんだった。そういやベッドの方は見なかったな。厨房の方から歩いてきた望さんは湯気が昇るコップを手にこちらに歩いてきた。

 その顔は相変わらず柔らかな笑みを浮かべていて、ボクはまだ慣れずに直視できなかった。


「う、うん。ちょっと、嫌な夢を見て」


 そう言うボクに、コーエンがごめんねと囁く。別に、コーエンが悪いわけじゃない。全部あのクズ研究員が悪いんだ。全部……!

 ボクの言葉に、そっかと呟いて望さんは再び厨房の方へ向かっていく。




 望さんはもう一杯のコーヒーをいれてボクに差し出してくれた。

 いつの間にかボクは食堂のテーブルに向かい合って座っていて、他愛も無い雑談をしていた。望さんは不思議な雰囲気を持っていた。

 色んな話を聞いた。望さんの体の事。ミュータントでありながらも、このヴィレッジでは差別される事無く、慕われていて、慕ってくれる人の為にもヴィレッジの為に頑張って様々な活動をしている事なんかをしてくれた。ボクも、タカマガハラで過ごした事や、ステアーの話を話して聞かせた。

 血生臭い話は避けられなくて話してしまったけれど、望さんは嫌な顔もせずに聞いてくれた。


「ボクは、新しい人類として、人を導く存在になる為に作られた。でも、今となっては、どうしていいか分からないんだ」

「そっか」

「あ、ごめんなさい。出会ったばかりなのにこんな話……」


 そう言うボクに、望さんは良いんだよと小さく笑う。聞いてくれている時の顔は真剣そのもので、ボクは自分でもなんでこんな事を話しちゃったんだろうって思う事も話していた。

 初対面の人間に心を開き過ぎた。普通ならしない事を望さんにはうっかりしてしまったと後悔した。望さんにはそういう事をしてしまう力があった。

 望さんはふと宙を見上げる。


「人の進化、か。そういう難しい事、考えた事無かったな」

「望さん……?」

「時々、ボクも人が進化した形なんだって言われたりするんだ。環境に適応しようとした人類のひとつの進化の形だって……」


 話す望さんの表情は少し困ったような、達観してるような感じで、とてもボクと歳が近いような子どものそれとは思えなくて、どこか大人っぽく見えた。


「ボクが人間の進化の先かわからないけれど、いずれ人は今の環境に適応して進化していく。だから君1人で背負う必要は無いんだよ」

「えっ、それって」


 驚くボクに、望さんはゆっくり立ち上がるとボクの隣に座り、そっと肩を抱き寄せてくる。

 ほんの少し冷たい体。吐く息も冷たくて、でも、その眼差しは暖かい。


「コロナ君も、ボクも、他のみんなも頑張って生きている。身を寄せ合って。目的を見失ったら、また探せば良い。それまでボクができる事をしてあげる」

「でも……」

「まずは生き残る術を学ぼう。コロナ君。まずは、人に頼る事を覚えよう。ボクも君も、他の人とどこか違ったって〝ひとりの人間〟なんだよ」


 抱きしめてくれる望さん。その暖かい心に、ボクは、泣きながら望さんに抱きついていた。

 望さんの体は冷たかった筈なのに、どうしてかあたたかくて……。


 声を殺しながら涙するボクの髪をそっと撫でてくれる望さんは、まるで誰かに似ている気がした。

 顔も覚えていない、遠い遠い記憶にある、ボクに似たひとりの大人の女性の姿だった――。

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