第48話 敵手:後編
肩を震わせながら、しかししっかりと自分の足で立つコロナの姿は何か違和感があった。そこにいるのはコロナの筈なのだが、コロナに似た誰かのように見える。それが誰かも例えられないのだが、身体全体に出る個人の癖がそれまでと異なる。息のしかた、姿勢、指先の僅かな動き、そういった個人特有の僅かな記号がそれまでと異なるもので、そこにいるのにいないような、妙な雰囲気を感じさせる。まるで同一人物なのに指紋だけ違うという感じだ。
「地上のあんな連中にも遅れを取るようじゃ地上に出たって無駄だ。もうボクらは負けたんだよ」
コロナの言葉に舘泉は苦虫を噛み潰したかのような表情で黙ったまま、私とコロナを交互に睨みつけている。透き通るようなコロナの声が室内に響く。
「住民の大勢死んだ。兵士も。アンドロイドもやられて、ヨモツイクサももう機能しない。このタカマガハラにボクとお前以外殆ど人は残っていない。それでも組織と、国と言えるのか?」
「先ほどそこの女に申し上げましたが、あなたの細胞と私とアマテルさえあれば、タカマガハラの再興は可能です」
あくまでコロナの前では礼儀正しい家臣を装っているようだが、コロナは既に舘泉の本性を見抜いているようにその眼差しは鋭い。
だがその真剣な眼差しに舘泉は気付いていないようだ。こちらを見たまま、背後にある端末を操作している。それを止めようと私が銃を構えようとするとすぐさま舘泉が声を荒げた。
「動くなと言ったろう!」
声が裏返るほどの怒号。血気迫るものがあったが、疲れた中年男のヒステリックな声に今更私は怯む事は無い。
背後にいたコロナが私の隣まで歩み寄ると、そのタイミングで舘泉の背後にある巨大モニターが見慣れない図面を映し出した。何かの設計図、だろうか。建物の間取りなどが表示されているが、その図面の横に嫌な文字が見える。
「タカマガハラ、支部?」
「国が滅んだ後の再興を目的とした組織の施設が、一箇所しかないと思っていたのか? アマテルは万が一、タカマガハラ本部であるここが崩壊するような危機に瀕した際に要人を乗せて離脱する飛行機能が備わっている。だから言っただろう。私とコロナ様がいればなんとでもなると!」
ここが無くなっても、地上を支配しようとしている他の支部が存在する。いや、ここタカマガハラも組織の狙いは文明崩壊以前の国の復活。その方向性や手段を舘泉がコロナを傀儡にして歪めていたに過ぎない。
支部の活動を風の噂にも聞いたことが無い今、支部がどういう活動方針か分からないが舘泉が合流してしまったら本部を潰した原因がいるとして魔都周辺に報復を行おうとするのは目に見えている。
やはり、どう立ち回ろうと舘泉を逃がす訳にはいかない。
「コロナ様。支部に拠点を移し、再びコロナ様を中心とした世界を作り上げましょう! ――さぁ、こちらへ!」
コロナに向けて手を差し出す舘泉。その視線は私の方に向けられている。
お前は動くなという無言の圧力。私は舘泉の横で倒れ伏すバヨネットを一瞥した。
先ほど見た時より容態は良くなっているようだが、やはり顔色は悪く、地面に縫い付けられたように倒れたまま動く気配も無い。
白黒混じった髪の間から覗く舘泉の熱い視線がコロナに向けられる。
「ボクの身体から人を作って、それを配下にして、それを国と言い張るのか。死んだらまた作ればいいのか? 冗談じゃない!」
「新たな人類の最初のひとりとして生まれたコロナ様の細胞から新たな人間が生み出されれば、先人達の理想であった地上での繁栄も夢ではありません!」
白々しい舘泉の言葉に私が思わず口出ししかけた時、私のコートの裾が軽く引っ張られた。横にいたコロナが、私のコートを強く握り締める。
「そうやって出来上がった土地で、組織で、お前はそれをまた陰で操ろうって魂胆はお見通しだ舘泉!」
強く言い放つコロナ。勢いで空色の癖毛が揺らぐ。ざわつく空気に舘泉は狼狽しているように見えた。少し後ずさったかと思うと端末の机に腰をかける。
「な、何を言って――」
「とぼけるな。お前がボクにした事も、ボクの、初めての友達にお前の部下がした仕打ち、実験の失敗作と人の命を切り捨てる非道な所業、全て知っているんだぞ!」
馬鹿な。そう言いたげな舘泉の表情は冷や汗を流しながら肩を落としている。
完全に冷え切った空気の中、コロナは先ほどとは違いか細い声で静かに口を開く。その声は静かで広い室内で聞き取るのは少し距離のある舘泉にも十分聞こえただろう。
「ボクの中には今、死んだ友達がいる。お前達が失敗作として切り捨てた友達が――!」
その言葉に私も舘泉も目を見開いて驚いた。私も舘泉も同じ人の姿が浮かんだのだろう。
あの子だ。コーエンだ。私はそれで漸くコロナに抱いていた違和感に納得がいった。
人の魂というものを信じるほど、私は信心深いわけではない。
でも、臓器移植をした人間が移植された臓器の元の持ち主に影響されて性格が変わったり、持つはずの無い記憶を持つようになったと言う話は聞いたことがあった。
ヨモツイクサの制御装置を介して、コーエンの脳波とコロナの脳波が共鳴し、融合し、私が殺してしまった事で肉体を失ったコーエンは、コロナとひとつになったという事か。にわかには信じがたいが目の前にそれが存在する以上、否定する事などできない。
「――ボクとひとつになった事で、お前から受けた様々な洗脳から解き放ってくれた。もうボクは機械を使おうが、洗脳教育を施そうが無駄だ。ボクは、ボクの意思で生きていく!」
固い決意を抱いたふたりでひとつの意思。
それを聞いて、私の頭の中にあった靄が晴れた気がして、私は銃を強く握り、舘泉に向けた。その動きに舘泉は慌てて端末に手をかける。
「馬鹿な! 動くなと言った筈だ!」
「ステアー! やれ!!」
舘泉とコロナの重なる声に、私の考えは既にひとつに固まっていた。
引き金を引き絞る。
相手が何をするかなんて関係ない。私は私のやれる事を、約束を守る。
銃声が強く室内に反響した――。
私の身には、何も起きなかった。バヨネットの身に起こったような、泡を吹いて倒れるような体の異常は感じられない。
そして、舘泉は纏った白衣を朱に染めて、ずるずると冷たい床に尻餅をついた。胸元を押さえ、恨めしげにこちらを見上げている。
「な、なぜ。なぜナノマシンが制圧機能を作動させない。タカマガハラの人間全てに入っているナノマシンは変異した細胞を食らうことで健康維持と動力を確保し、半永久的に機能しているはず――」
私が近付いてくるのに気付いていないのか、何かをブツブツとぼやいている。その声に力は無く、もう虫の息だ。放っておいてもいずれ死ぬ。私の歩みにコロナもついて歩く。コロナの手にはいつの間にか野球ボールより少し大きい位の鉄の塊が握られていた。
「ステアーは生まれて直ぐタカマガハラから連れ出された。そしてここに戻ってきた時、ナノマシンの注入はしなかったんだよ」
コロナがそう言うと手にした玉を宙に放る。それは静かな音を立てて宙に浮くと銃身のような物が展開され、それは舘泉の眉間に向けられた。コントローラーが見えないが、これもヨモツイクサのように、コロナの脳波で操作しているのだろうか。
どういう仕組みか私には全く理解できないが、これで横浜で抱いた違和感の謎が解消された。
私に絡んできた男を撃ち抜いた長距離狙撃。合図も無く、コロナに突っかかって来た男を撃ち抜いたあの時、狙撃手の殺気を感じなかったのはこれが原因か。
舘泉はコロナの言葉を聞いて自棄になったのか、鼻で笑って頭を垂れる。
「あの後、ナノマシン摂取を受けなったのか。これだから、規律を守らんクズは――げふっ」
血の混じった咳をして、その勢いで身体を倒す舘泉。その哀れな姿を見ても、私の心は張り詰め、冷ややかなに見下ろしていた。
今まで数多の敵と対峙して殺し合いをして来た。しかしどれも、自分が生きる為に必死で、他人の命を奪ってでも生きてやるという思いを抱く者達だった。だから、殺した時、そこか同情してしまう私がいた。
だが、今はそんな気持ちを一切抱く事は無い。
「お前はもう時期死ぬ。その前にここから出してもらうわよ」
私が倒れた舘泉を起こそうと膝を曲げようとした時、ぐいっと腕が引っ張られた。コロナだ。その表情は落ち着き払って無表情に見えるが、真っ直ぐと私ではなく、倒れた舘泉へ向けられている。
コロナは冷たく言い放つ。
「アマテルの封鎖はボクが解除する。それよりも、トドメはボクにささせて欲しい」
「父のような存在だったんでしょ。例えどんな仕打ちを受けて来たにせよ、そんな存在を殺す覚悟はあるの? 後悔しない?」
私の問いに、コロナは迷い無く一度頷いて見せた。それを見たのか、舘泉は弱々しく身体を揺らした。
コロナの青紫の瞳と、舘泉の光の無い黒い瞳の視線が重なる。
「グッ――。そんな、私は、組織の為に尽くしてきたのに」
「ボクは今までお前達に植え付けられた夢、目的を成す為に行動してきた。でもそれは、本当にボクが望んだ事じゃない」
コロナが私に下がるよう、腕を引いて合図する。私は、後ろ髪を引かれる思いがあったが渋々コロナの後ろに下がった。
もう舘泉は放っておいても死ぬ。それをわざわざコロナの手を汚させて本当に良いのだろうか。
そんな気持ちも他所に、コロナは舘泉の前に立った。
「タカマガハラの人間として、最後の仕事をするよ。舘泉。ここにある技術や情報が外部に出ないように、ここを自爆させる」
舘泉はコロナの言葉を黙って聞いている。私も、口を出さずにふたりを見守る。
「そして、これがボクの自由を手に入れて最初にする事だ」
コロナがそう言い終わると同時に、宙に浮いて待機していたコロナの銃が閃光を放った。
眩い光が一瞬部屋中を白に染め、その閃光と共に舘泉の身体がびくりと跳ねた。
床に倒れ、動かなくなる舘泉。浮いていた球体の銃がコロナの手元に戻ってくるとコロナは溜め息とひとつついた。
それが安堵の溜め息なのか、後悔の溜め息なのか、懐古の溜め息なのか、私には分からない。
ゆっくりとした足取りでコロナはさっきまで舘泉が操作していた端末を触り始めた。
私は舘泉の死を確かめるとバヨネットの元に駆け寄った。
「バヨネット。喋れる?」
倒れていたバヨネットはいつの間にか意識を取り戻していたようで、その青紫の瞳を私に向けて苦笑を漏らした。
「ケッ、借りを返したと思ったんだが。また作ってしまったようだな」
「そんな事言えるなら平気なようね」
手を差し伸べ、バヨネットは私の手を取る。
よろよろと起き上がったバヨネットの服についていた無線機からノイズと声が発せられる。どうやら外での戦闘は終わったようだ。
「あいつらを連れて撤収するが、お前らはどうする。一緒に来るか?」
そんなバヨネットの言葉に、私とコロナはお互いの顔を見合わせ、しばし考える。
「ボクは外に当ては無いからステアーについて行くよ」
「横浜に今更戻れないし、とりあえず気になる事もあるし渋谷に行くわ」
それを聞いてバヨネットは肩を竦ませた。身体の動きを確かめるように、肩を回したり手首や足首を動かしてストレッチしている。思ったよりも元気そうだ。
元から体調が悪かったり怪我をしていた訳ではない。体内のナノマシンが行動を阻害しなくなれば回復は早いようだ。
「じゃあ渋谷にはちょっかいかけないように連中に言っておくぜ。言っても行く馬鹿はいるだろうがな。それで貸しはチャラだ」
私とコロナを待たず、バヨネットはスタスタと軽快な靴音を立てて歩き出す。
「次会う事があったら、ケリ、つけようぜ。じゃあな」
バヨネットの後姿を見送ると、私は再びコロナを顔を見合した。
ふと、柔らかな笑みを浮かべるコロナ。タカマガハラ、舘泉の呪縛から解き放たれたコロナはようやく年相応の子どもらしい笑顔を見せたのだ。
それだけでも、私はここまでやってきて良かったと思う。
少し体の力が抜けて机にもたれる。小さく、思わず笑い声が漏れた。私の居場所、また探しなおしだ。でも不思議と、次の旅は退屈しない。コロナの顔を見てそんな気がした。
******
遠くで警報のアラートが鳴り響く。私とコロナは、酷く荒らされたタカマガハラの町並みを背に、地上へと、次の旅へと進む。
私たちは未来に向かって進む。何が待っているか分からない。きっと碌な目には合わないだろうし、苦労や痛みばかりの未来だろうけど、私たちは進むしかない。
困難ばかりのこの世界で生きていく。だったらせめて、自分のやりたい事をやりつくす。
長いか短いかは人それぞれの感じ方はあれど、生まれてから死ぬまでの百年に満たない年月を人に縛られたり、邪魔されたままで終わるなんて悲し過ぎる。
私は、父を失い、遺言として自由に生きろと言われた。でも、それは言われたからするんじゃない。ここまでやってきて、私は初めてそう思えた気がした。
好きに生きるって難しい。どう生きたって、必ず邪魔になるものが出てくる。今回はそれを排除する事に成功したけれど次はどうなるか分からない。
楽観的に考える事にしたいけれど、私はそういう性分ではないらしい。だから私は、ネガティブなりにこう考えるようにした。
生き抜く為に、どんな障害だってぶっ潰してみせる。
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