第46話 ともだち:後編

 部屋の外から微かに聞こえていたコロナの演説放送はいつの間にか終わっており、周囲は静けさと緊張で満ちていた。向かい合う私とコーエンの間には確かな距離はあったが、気持ちの距離は大分近くにあった。

 不安に感じる事はコーエンに対してではなく、放送を終えてこちらに専念できるだろうコロナの直接的なコーエンの支配だ。そしてその不安は直ぐに当たる事になった。


「危ない!」


 慌てながら声を上げたのは目の前で猛烈な勢いで殴りかかってきたコーエンであった。危ないと言いながら殴りつけてくるという妙な光景に、不思議がっている暇なんてなかった。

 地上のどこよりも優れた技術で作られた強化服による突進といっても、バヨネットの突進力と比べればまだ対処は可能だ。コーエンの動きを見るに、小回りが利く作りのようだったが、着ている者、操縦している者が子どもだからか、その動きに戦略性が無い。戦い慣れはしていないように見える。だから圧倒的にアウェイの私でも――。


「何があったの!?」

「コロナ、コロナ様が僕が戦う意思がない事に気付いてしまったみたいで。もう時間が無い。僕は、もう僕を保てないかもしれない。僕は、コロナ様の強力な命令に逆らう事が出来ない」


 鋭い拳や回し蹴りを寸前で避けながら、なんとかコーエンの言葉を聞く。私達に残された時間は少ない。その中でやれる事をやらなければ。

 コーエンは慌てていたせいかコロナを一瞬呼び捨てしていた。それは最初から〝コロナの部下〟として作られたヨモツイクサならばありえない事だ。この子は、生前からコロナと面識があったんじゃないだろうか。


 例えば、歳の近い、友達――。


 その発想が浮かんだ瞬間。私はやるせない気持ちと、希望が芽生えた。その小さな芽を絶やすわけにはいかない。

 耳の側を抜ける拳が風を切る。その音が鼓膜を揺さぶる恐怖に背筋が冷たくなる。この感覚は何度も味わってきた。そして何度味わっても慣れはしない。死が直ぐ側まで迫る感覚。

 距離を取ろうと動き出したが、その動きよりもコーエンが早かった。


「ぐっ、は……」


 すり抜けた拳がそのまま曲がり、私のこめかみをコーエンの手首が殴りつけた。視界が激しく揺らぎ、吐き気がこみ上げてくる。

 殴りつけられた勢いにわざと身を任せ、倒れこんだ体を転がしてそのまま起き上がる。とんでもない腕力と動体視力だ。

 それとも死人だからとムチャクチャな動きをさせているのだろうか。どちらにしろ今のは効いた。頭がガンガンする。

 鈍く長い痛み。立ち上がって構えなおした時に頬にぬるい物がへばりつく。髪が張り付いて気持ち悪い。


「ご、ごめんなさい! でも、僕は……!」

「大丈夫よ、こんくらい。それよりもコーエン。あなたにお願いがあるの」


 次の攻撃が来る前に。そう思って私は口早に私の作戦をコーエンに伝える。


「私はコロナを助けたい。あなたとコロナが今、繋がっているなら、あなたからコロナに語りかける事もできるはず。あなたからコロナに繋ぐ事はできない? 歪められたコロナの心を、洗脳装置よりもあなたとコロナの繋がりの方が強く心を動かせる筈よ!」


 コーエンは合点がいったような顔をするも直ぐに首を横に振った。


「今のコロナじゃ僕の声なんて聞き入れやしない。ただ声をかけるだけじゃ――」


 何か言いかけたその瞬間だった。ハッと何か思いついたようにコーエンは私の顔を見て目を見開いた。そして構えていた拳を静かに下ろす。その様子を見て私が何を思いついたのか聞こうと思った。

 元から静かだったこの場が、コーエンが拳を下ろす事で更にその静けさが増したように感じる。

 その時だった。私が問いかけるよりも先にコーエンに問いかける声が聞こえた。


「今、何を考えている?」


 それは再びホログラムで姿を現したコロナだった。

 コーエンの後ろに姿を現したコロナのその表情は曇っている。コーエンが何かを思いつき、それに気付いたコロナが慌てて姿を見せるといった状況だろうか。映像のブレか実際に揺れているのか、映し出されたコロナの体は僅かに震えているようだ。あまりの唐突な登場に私も緊張で震えそうだった。一体、コーエンは何を思いついたのだろうか。

 投げかけられた言葉をコーエンは噛み締めるように目蓋を閉じる。

 憂いを帯びた表情に、私は嫌な予感が胸の内から黒く湧き上がってきた。胸焼けしそうな程の不安を振りほどきたかったが、目の前の現実はそれを許さなかった。


「――申し訳ありませんコロナ様」

「な、何を言っているんだ。早くその裏切り者を……」

「残念だけど、僕には、この組織の為とか、そういう大儀は死ぬ前からずっと抱いていなかったんだ」


 コロナの声を遮るように、それまで人形であった少年が始めて主人に逆らった瞬間だった。

 思うように動かない人形に、主人は癇癪を起こすかと思ったが、どうもそんな様子はなかった。元から露にしていた焦燥の色を更に濃くするだけだ。もう顔は見れたものではなくらいに酷く真っ青で――。

 閉じられた目蓋が開かれる。その表情は後ろで震えるコロナと違い、決意を宿した力強さがあった。今にも死にそうな生者と、未来を見据える死者のふたり。

 恐らくコロナは今コーエンに、必死に私を殺すように命令を送っているのだろう。

 何がきっかけになったのか、目の前にいるコーエンの体はピクリとも動かない。


「お姉さん」


 私にかけた声はどこか艶っぽかった。一体どう生きてきたらその幼さでそんな声が出るのか。思わず守らなきゃと思ってしまうような、庇護欲を掻き立てる声色に私の腕が一瞬震えた。私に母性というものがあるのならば、きっとこの瞬間にも駆け寄っていたのかもしれない。こんな状況じゃなければ。

 お姉さんと呼ぶコーエンの体はどことなく小さく見えた。それが本来の体なのかもしれない。向かってくる相手を色眼鏡を通してみていた状態から、漸くその眼鏡が取れた。そんな感覚だった。


「僕を、撃って」


 ハッキリとした声。迷いの無い声。

 その言葉に息を飲んだのは私だけではない。それなりの距離があるのにも関わらず、コロナがごくりと生唾を飲み込んだのが分かるほど狼狽している。

 私は察した。なぜ今コーエンがコロナの命令に逆らえるのか。無理矢理自分の意思を捻じ曲げられ、精神的に不安定な状態にあるコロナに対し、ハッキリと自己を取り戻し、強い意志を持ったコーエン。精神的な部分で繋がっているふたり。今までコロナの言葉に従っていればコロナの為だと考えて言われるがままだったコーエンが、今コロナの弱った脳波を逆に強く掴み取っている状態なのだろう。つまり、主導権が入れ替わったのだ。今コロナは自分の体すら自由にならず今まで他者に送っていた脳波とやらが逆に送られてくる状態に混乱しているようにも感じられる。


 銃を向ける。コーエンの、胸に。そこじゃないといけない。他のヨモツイクサと違い、コーエンの頭を破壊してしまえば機械を通じて繋がっているコロナすら殺しかねない。

 そして、コーエンの狙いが分かった。自分の身を挺してコロナを救う気なのだ。

 コロナが今も装着しているヘッドセットのように見える洗脳用のヘッドギア。それを自ら外させるには内部から直接干渉し、機械から受けている力以上の意思の力をコロナ自身に取り戻してもらうしかない。

 その為に、その身を捧げようというのだろう。何故なら――。


「――僕は、僕のともだちを、助けたい」


 コーエンの思いが私の震える手を支える。


「や、やめるんだコーエン!」

「僕にとって、コロナは初めてできた唯一のともだち。だから僕は、ここの研究員に体を弄られても平気でいられた。僕自身の体の欠陥、僕という失敗作の果てに君が生まれたのだと知った時、僕は僕自身の価値なんて無かった事に絶望し、君を置いて死ぬことを選んだ。それを今は後悔している。死んだ僕の体を弄くり、再び兵士として起こされた時は驚いたけど、今まで以上に君を近くに感じられてね……嬉しかったんだよ――」


 この状況下で柔らかい微笑みを浮かべてコロナを見つめるコーエン。その優しさと心の強さを示す微笑みに私の頬に熱いものが伝っていく。今から再び死ぬという覚悟の先に生まれた微笑みが痛々しくも美しかった。


「――だから、僕は君に何も言わず従うことにした。でも、それは間違いだったんだ」


 ぽつぽつと、ゆっくり、あふれ出す言葉を紡ぐコーエンの声は優しく、コロナに語りかける所はまるで傷ついた生き物を包んで癒すかのよう。

 この子は、私なんかよりもしっかりしている。そして何より、コロナに対するその気持ちはともだちの枠を当に超えている。愛に近いものだと思った。じゃなければこんな言葉に暖かさを込める事なんてできない。

 だって、その言葉は、あの時、父が私にした――!


「コロナ。僕は君に、本当の自由の中で生きて欲しい。研究員や大人達に刷り込まれた理想の中でも使命の中での自由じゃなく、君自身の思い描いた自由を」


 そう、私が、私が言われたあの言葉と同じ。場所も、語気も、相手も違うけれど、抱く思いは同じ言葉。


『お前は、自由だ。好きに、生きろ……』


 コーエンは私に向かって叫ぶ。出会って今まで僅かな時間であったけれど、最初から最後まで理性的で、優しさが混じった声色で出す、覚悟と切望に満ちた叫びを。


「さぁ、撃って!!」

「うわあああああああああああ――!!!!」


 自分がなぜ叫んだのか分からない。なんで涙を流しながら撃ったのかも。強化服の装甲を貫く為に、同じ箇所に何発も弾を撃ち込まなければならなかったのに、その間の記憶は曖昧で、まるで一瞬の出来事だったかのように思う。

 弾丸がコーエンの胸を撃ち抜いた時、初めて私は膝から崩れ落ちた自身に気付いた。

 そして私は、きっと私が死ぬその瞬間まで決して忘れる事は無いであろう、不可解で、奇妙な光景を目にした。


 それはホログラムのように透けて見えるコーエン。その足元には物言わぬ屍がひとつ。

 透けて見えるコーエンは徐々にその存在を希薄にしていく。しかしそんな事も構わずその表情は笑っていて、泣き崩れるコロナに寄り添っていた。ホログラムのコロナにそっと手を伸ばし、その手がコロナの手を掴むとその手をヘッドギアへ運んでいった。そして、その手がヘッドギアを外すとずるりと重力に引かれてヘッドギアが音を立てて映像の外に消える。

 コーエンは一度だけコーエンに向かって頷くと、透明な手がコロナの癖っ毛を優しく撫でる。


紅炎コーエン……ボクと、僕と同じ、太陽の……」


 弱々しくそう呼ぶコロナ。私は何を見たのだろうか。私は理解できなかった。ただ事はふたつ。

 ひとつは、私がまたひとりの小さな命を奪った事。

 そしてもうひとつは、コロナは今無防備だという事だ。

 重い体を起こす。コーエンの亡骸に近付き、私は一度その頭をくしゃりと撫でた。胸元からは血が流れているが、僅かに機械音が聞こえる。人工心臓だろう。

 その鼓動はもう止まる。私が止めたから。


「あなたの想い。無駄にしない為にも、あなたはここに置いていくわ。――ごめんね」


 もう返事は無い。けれど私には聞こえた気がした。それが私のエゴが聞いた幻聴だって構わない。

 私のやることが変わる事など無いのだから。

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