第41話 清算の刃:前編
「おやおやぁ? こんな所でお目にかかるとは、こんな所まで
「お、お前は……っ!?」
議事堂の近くまで戻れた時、そいつは私の前に突然現れた。
私達の間に冷たい風が吹いて灰と埃が私達の間を抜けていく。そいつも私と同じように、この汚染された魔都で防護服どころかマスクもつけていない。
一度見ただけで記憶に焼きつくその姿に私は反射的に身構えていた。手にした銃剣が鈍い光を放っている。
私を見てどことなく表情が緩んだようにも見えたが、それは親しい人間に偶然であったような日常的な光景にも見えた。
しかしこの男がそんな表情をすると、もっと別のおぞましい何かを懐に抱えていそうでゾッとする。
「バヨネット……。何故こんな所にいるのかしら。それに……」
「〝なんでそんな無防備な姿でいるの~?〟って聞きたいならこんな所にいるお前なら大体察しはついているんじゃないのか? 鈍感過ぎて何も気付かないって訳じゃないんだろ。それに、お前も人の事言えるカッコじゃねえ」
バヨネットはふざけてるのかそうじゃないのか分からない喋り方で言うと私の顔をジッと見ながら歩み寄る。私は反射的に身構えたが、バヨネットはその足取りも軽く、構えるそぶりが無い。
目の前まで来るとその高身長が際立った。頭ひとつ分程大きな相手の顔を見上げる。こうして人の顔を間近で見る事はあまり無かった。
薄紫の瞳が私の顔を見下ろしている。……薄紫の、瞳。私はバヨネットの瞳に一瞬嫌な妄想が膨らみ、その大きさはすぐさま頭の中いっぱいに膨張し、口に出さねば頭がどうにかなりそうになる。
私が今どんな表情になっているのか自分では想像もできなかったが、私の顔色を見てバヨネットは察したかと言わんばかりにニヤッと口角を吊り上げた。
「ハッ、なんのつもりでこんな所をうろついているか知らないが、その軽装……自分がどういう人間かようやく分かったようだな」
「何が言いたい」
「お前もあのモグラどもの哀れな発明品のひとつだってことだよ」
鼻で笑い、背を向けて歩き出すバヨネット。
何を考えているのか分からないが、私の素性をずっと前から知っていたかのような口ぶりだ。
横須賀で突然襲ってきた事、横浜でのあの人を見下すような態度。一方的に私を知っているかような馴れ馴れしさは、絶対に勘違いではない。
歩き出したバヨネットに駆け寄りその腕を強く掴んで引っ張り、無理矢理こっちに向かせる。その行動にバヨネットは黙って私を見下ろした。
何もかも見透かしたような、透き通った紫の瞳がまっすぐ私を捉え、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
「お前は何者で、どこまで知ってるのよ。バヨネット」
「知ってることだけさ」
とぼけながら目の前で銃剣を鞘に納めるその姿からは敵意は感じなかった。警戒心むき出しの私に対して目の前で武器を納める行為、もしかしなくても私はナメられているのだろう。
だがそれについて噛み付きはしない。私も今は争う理由なんて無いのだから。
けれど、コイツは狂犬だ。瞬く間にその刃を抜き放ち、相手の喉笛を切り裂く事も簡単に出来るだろう。簡単に気を許す事はできない。
「とぼける気?」
「……まぁいいか。死人の約束をいつまでも守っててもしかたねぇしな」
バヨネットは徐にポケットから小さな紙のパックを取り出すと、軽く上下に振って紙巻きタバコを出す。飛び出たそれを私に差し出してきたけど私は黙ったまま首を横に振る。
その反応を分かっていたと言わんばかりにスッとパックを持つ手を流れるように自分の口元に運ぶと、タバコを口にくわえ、建物を囲む花壇の縁に座り込んだ。そしてタバコに火をつけるとぼんやり暗雲立ち込める灰色の空を見上げた。
「川崎ヴィレッジが滅ぶ事を、お前の親父は大分前から知ってたみたいだ」
「急に、何言って……」
「まぁ聞け」
ドスのきいたバヨネットの声に私はバヨネットの本気を感じ、たった一言に圧倒される。怒鳴り声でも無い、静かで、しかし腹の内から出る〝マジ〟の声だ。そんな声を、父の怒号以外に聞いた事はなかった。
私は静かにバヨネットの隣に座った。
「川崎ヴィレッジ自体は地下に存在する大型地下シェルターだ。その存在はヴィレッジ間を行き来する連中と、たまたま見つけたサバイバーくらいしか知らない。ある程度隠された存在だ。探索隊も基本的にブリガンドや他の脅威に対して、自分達の住処をばれないようにと尾行などには最新の注意を払う。それでいて核シェルターの持つ分厚い扉、普通そんなところを潰そうなんて考える奴はそうはいない」
自然と息をするように紫煙を吹く。
「……だがその場所も、扉の老朽化もバレていたら話は別だ。
バヨネットの吐く紫煙が空の色と同化して溶けていく。のんびりとタバコをふかしながら話すその表情には何の色も見受けられなかった。
タバコの臭いに私は少しむせそうだったが、常に雨の臭いと何かが焼けたような焦げ臭さ漂うこの魔都で、どこか懐かしい臭いだった。
「嘘の任務って……あの施設を守る仕事を前金を貰って受けたって……」
「馬鹿だな。依頼人からの仕事内容を馬鹿正直に話す傭兵がいるか。もう依頼人も死んじまったし、お前は依頼人の身内だ。だからこの際だから教えてやるってんだよ。横須賀に物資なんて最初から無かったのさ。横須賀の軍事施設はとっくに色んなヴィレッジの探索隊が探索済み。それどころか、施設自体の耐久性が高く、探索しつくされた後をブリガンドが占拠して拠点にしていた。そこまでは南部は知らなかったらしいが、念の為にと俺をお前の露払いに雇いやがったのさ。まぁ、殺さない程度に鍛えてやれとも言われてたんだが、まさかあんな兵器がまだあそこに眠ってるとは思わなかったぜ。お前の素性とやらをオッサンから聞いた。だからなんとなく察してたんだよ。俺や南部のオッサン、そしてお前、ただの他人じゃないってな」
口を挟む間もなく話し、一度タバコを一気に吸う。チリチリ、とタバコが焼けて灰が落ちる。煙で輪を作ってその中に細い煙を通すなんて器用な遊びをしてるバヨネット。それを横目に、私は父がそんな根回しをしていたなんて等と考えながら、頬が熱っぽくなってくるのに気付き咄嗟に俯いた。
吸殻をポトリ、手を放してその場に落とすと腰を上げたバヨネットは、一度だけ吸殻を踏みつけて火を消す。
バヨネットが立ち上がったのとほぼ同じくして、議事堂の方から誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。その音を聞いて私は咄嗟に顔を拭うと銃に手をかけて腰を浮かせた。
全身を包む防護服を身に纏った男が肩にライフルを掛けて小走りでこちらにやってくる。それを見てバヨネットが身構えない辺り連れだろうか。防護服はあちこちボロボロで泥まみれで元の色がなんだかも分からないぐらいに使い古された物に見える。
「バヨネットの旦那ぁ! こんな所にいたんですか!」
「あぁ、知り合いに会ってな……」
防護服の男は私の方を一瞥する。
「ソイツ、誰なんです?」
「頼まれ事を何でも安請け合いして傭兵の相場を下げるイエスマンの厄介者だよ」
「ちょっ、何よその言い方……!」
「間違っちゃ無いだろ。いいか? 世の中お前一人だけが他人のお遣いをしてるわけじゃねぇ。ひとりでも安い報酬でホイホイ仕事請けてたら他の奴に仕事がまわらねぇんだよ。次誰かから仕事任される時は仕事の相場って奴を勉強しておけ」
真面目に返されて、返す言葉が出てこず、グッと悔しさをこらえる。相手の言い分が正しい時に、無理矢理文句を垂れるほど子どもじゃない。
よくよく見ると建物の影に隠れるように同じボロの防護服を纏った男達が銃を持ってどこか一点を見つめているのが見えた。その方向は議事堂だ。議事堂の地下にはタカマガハラがある。
「バヨネット。一体何する気?」
「何、俺も仕事で来ただけだ。雇い主の命令でこれからお前の雇い主どもをぶっ殺しに行くんだよ。ちょっと私怨も入っているがな」
さらっと言ってのけるバヨネット。わざわざこんな所に殺しにやってくる時点でちょっとの私怨ではないだろう。
私がタカマガハラの連中と合流していたのもお見通しらしい。どこまで知ってて動いているのかまるで分からない。その雇い主はタカマガハラの存在を知っていて、知った上でバヨネットを雇った……? いや、雇い主の求人にバヨネットが私怨もあって自分から仕事を請けに行ったのだろうか……? どちらにせよ、バヨネットも、この防護服の男達を雇った奴も、それなりに恨みがあってこんな汚染区域のど真ん中にある組織なんて襲いはしないだろう。
私ひとりがタカマガハラに戻った所できっと私は既に舘泉によって敵対関係にあるだろう。それにこいつらに背中を見せたまま、敵か味方かも有耶無耶にしたままで見逃してはくれないだろう。コイツ等が突撃して行った後に後からついて行ったとして、コロナの事が心配だ。とするならば、私は、どうしたらいい……。
私が銃に手を添えたまま硬直していると防護服の男は訝しげに私の方を見てくる。肩掛けのライフルを握る手に若干力が入るのがわかった。それをバヨネットも気付いたのだろう、突然、銃剣を両手に一本ずつ抜き放つ。
「こいつは俺について来る。仲間だよ」
バヨネットの言葉に耳を疑う。ますます何を考えているのかわからなくなる。私を引き入れてバヨネットになんの得があるのか。私が固まっているのをバヨネットは楽しんでいるようにニヤついている。その様子に防護服の男は首を傾げた。
「……そうなんスか?」
防護服の連中は恐らく、タカマガハラでの話を聞く限りブリガンドだろうが、バヨネットに対して嫌に腰が低い気がする。単なる上下関係と言うより、恐怖で萎縮しているように見える。どうやってブリガンドの中に混じって仕事なんて出来ているのかなんとなく理解できた。
今はこいつらまで敵に回している余裕は無い。バヨネットの言葉にここは乗っかるしかない。
「ええ、ここで会ったのも何かの縁。ついて行くわ。でも子どもには手を出さないで」
「ハッ、お前も後ろから誤射するんじゃねぇぞ」
ニヤリとバヨネットは笑う。ヤニの臭いと死臭を纏った銃剣の使い手はゆらりと歩き始める。そのバヨネットに防護服の男達も動き始めた。
ブリガンドと共に行動するのは本当に癪だ。けれど、時には意地になっても仕方ない事もある。バヨネットの横に追いついて歩調を合わす。そんな私にバヨネットは前を見たまま口を開く。
「議事堂の中にアンドロイドの兵士、屋上にスナイパーが待ち受けている。どっちもブリガンドの雑魚なんかじゃ無駄死にをさせるだけだ。数で押すのはここを抜けてから……後は分かるな?」
「アンドロイドならレーザーガンを手に入れているからそれでどうにかなると思う」
「ならスナイパーは俺が始末しよう。……お前以上の反応を見せる奴なんてそうはいねぇだろうし、横須賀の時、お前じゃない別の奴が俺を撃とうとしてたらどうなっていたか、見せてやるよ」
バヨネットはそう言うと目を細めながら目の奥に嫌な光を宿していた。獰猛な、獣の眼光だ。
正に横須賀の時のバヨネットを思い出して、今は味方な筈なのに、背筋にじわりと嫌な汗が浮かんでしまう。
アンドロイドの兵士にスナイパー。本当なら私がひとりで相手しなきゃならなかったのかと思うとそっちも恐ろしい。でも、バヨネットの強さを私はその身をもって理解している。絶対に突破してみせる。
待っていて、コロナ……!
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