第37話 悪魔と悪魔と悪魔:前編
誰もが旧文明の遺産を求め潜っては戻ってこなかったと言われる防壁の向こう側。かつての東京都心、魔都。
私からすれば、入るまでの方が大変だったななんて、のんきな事を考えていたけれど、それもつい10分前の事だ。
「
「最猛勝?」
私の側で周囲を見渡し警戒しながらサタンは呟く。サタンの目には奴が見えているのか、壁や天井を何かを追うように見つめている。人間の目ではない。機械なのだ。恐らく壁の向こうの生き物の体温などを視覚情報として取り入れているのかもしれない。
聞きなれない名前を言うサタンは私が余所者だという事を考慮してか、私が説明を求める前にどういうものか教え始めた。
「最猛勝と呼ばれる魔都の蜂型のミュータントです。少数ですが群れをなす生態系で、獲物を捕まえたら巣に持ち帰り、その血肉で巣を作る習性があります」
「悪趣味な習性ね」
「はい。人の倫理からかけ離れた、脅威レベルの高いミュータントです。そして正確には蜂をベースにした複数のDNAが混ざり合い変異した物、キメラみたいなものですね。足が八本あり、高い神経毒がある事から毒蜘蛛、それに過去のデータを参照すると、尻の針は防護服を簡単に貫通、顎も強力で頭蓋を粉砕する事も可能で、更にカメレオンやカエルのような長い舌の先端には獲物の体内に毒を注入できる歯が幾つもついているとの事。外皮は銃などが通用しますが体積が大きく体力もあるのか、兵士に支給されるレーザー銃や自動小銃でも1マガジン使い切っても動きを鈍くさせる程度しかダメージを与えられません」
引き篭もってやり過ごす事も出来るかもしれないが……。
聞き耳を立てる。サタンの索敵能力は最新鋭の技術を使っているだろうが、他人から情報を貰うよりも自分で情報を拾う方が早い。
羽音はこの廃ビルをグルグルと回っている。相当の巨体だったから廃ビルの中までには入ってこれないのだろう。ただ、図体がでかいという事は相手の攻撃範囲が広いと言うことだ。地を這っているならともかく、飛んでいるなら八本の足の爪や伸びる舌、巨大な針は脅威だ。
サタンの腕を見る。私を庇う時についた左腕は二の腕部分の人工皮膚が引き裂かれ、内部の装甲も穴が開き、中の幾つかのケーブルが断線しているように見えるが、骨組み自体はまだ無事のようだ。
「サタン、腕は……」
「左腕の破損は全体的には大した事はありませんが、切断された箇所がマニピュレーター制御にエラーが発生しております」
「つまり?」
「人間で言う指が動かせません」
左腕喪失。サタンはアンドロイドとは言えその腰に差した銃を使う。その為には手を使わなければならない。実質右手だけで銃を扱うという事だがそうなるとリロードに時間がかかる。物陰に隠れてじっくりやってる暇は無いだろう。
悩んでいると、サタンは私の考えている事を察したのか、何か思いついたのかスッと立ち上がった。
振り向いて私の顔を見下ろすサタンの顔は相変わらず表情が無い。そして放たれる言葉も非常に冷淡なものだった。
「使用することは非推奨だったのですが、ここは私の内蔵レーザー砲を使用しましょう」
「そのレーザー砲はなぜ非推奨なのかしら?」
「発射に時間がかかる事、一度発射をすると私の稼働時間を大きく消費してしまいます」
バッテリーを直接使用したレーザー砲。完全に切り札という感じだろう。相当の威力を期待できるが本人が大きく消費と言っている以上、連発は出来ないだろうし初弾を外せば次弾発射までまた時間稼ぎをするのは難しいだろう。私にの前に選択肢は無かった。
私はマガジンに弾を込める。
「あなたより私の方が小回りが利くわ。私が注意を逸らすから、その隙に一発で仕留めるのよ。アンドロイドの正確な射撃、期待してるわ」
「わかりました。その期待にお応えいたします。しかし、万が一作戦が失敗した際は私を置いて先にレーザー砲台に向かってください。私の信号が途絶えれば、新しい私が後から追いかけます」
サタンの割り切った言葉に私は少し嫌な気分になった。考えが甘いと言われたらそれまでだが、いくら機械で同じ姿の機体が沢山いても、ここにいるサタンはここにいるサタンだけなのだ。廃墟を一緒に歩いたのも、こうして共に危機に立ち向かうのも、このサタンだけなのだ。
この状況で言い合いをするつもりは無かった。だけど私はこれだけは言っておきたかった。
「私は代わりなんていらないわ。だから万が一なんて無しよ」
私の言葉にサタンは無表情のまま歩き始めた。
「機械を口説いても無意味ですよ。……行きましょう」
そういうつもりではなかったのだが。まあいい、私も行こう。
羽音とアスファルトにかかる影に注意し、ふたりであの空を飛び交う悪魔を始末しに廃ビルを飛び出した。
――。
最初は私が先行する。外に飛び出すと、奴は背を向けて飛んでいた。羽根が高速で羽ばたく事で、アスファルトに積もった雪が舞い上がっている。
その背中に銃口を向け、威嚇目的の為に連射せず、セミに切り替えて1発撃ち込む。痛覚はあるのか、耳は無いように見えるが聴覚があるのか。即座に反応を示した。
虹色に光るミラーボールのようなふたつの目が私をしっかり捉える。
厚い雲から漏れる淡い日の光に照らされたその体は何かの粘液を纏っているのか、黒に赤の斑点模様がぬらりと気味悪く光を反射している。
口の左右についた鋭利なのこぎりのような顎にはコイツの犠牲者であろう者の衣類の切れ端が引っかかっている。
タカマガハラの役員がつけていたIDカードに似た物が紐に括り付けられ、顎からぶらぶらと垂れ下がっているのが見えた。
考えたくは無いが、生身でこんな化け物が跋扈していたり空気の汚染が酷い魔都に放り出さされるとか懲罰かなにかだろうか。ほぼほぼ死刑と同義だろうが、今は犠牲者の魂に祈りを捧げている暇など無い。
正面に向いた最猛勝の複眼に向けて数発撃ち込んでみる。
――パンッ! パンッ!
巨大な虫の巨大な複眼。銃弾の一発、二発撃ち込んだところでまともなダメージになりはしない。
チッ、と思わず舌打ちを鳴らすとゆらりと体を揺らしながら最猛勝がこちらへ向けて飛んでくる。しめた、完全に私を標的に定めた。動き出した最猛勝を見て私は廃ビルを回るように走り出した。
下手に走り回ってはやつの仲間に出くわすかもしれないし、なにより他の未知の存在に先に襲われるような事があっては対処できるかわからない。
一周回って奴がついてきたところで射撃準備を終えたサタンのレーザー砲で仕留める。
私はそれまで培ってきた体力がある。全力疾走して最猛勝に追いつかれず、バキバキにひび割れた道路の上を走るのは然程苦ではなかった。
ぐるりと廃ビルを回って、さっきまで私が立っていた正面にサタンを見つける。仁王立ちというべきか、足を開いてしっかりと地面に足をつけ、ジッと私の背後を見据えている。
速度を落とす余裕はない。サタンの横をすり抜ける勢いで駆ける。数秒もしたらサタンの射線上に奴が来る!
駆け抜け、サタンの横を抜ける瞬間、私は声を荒げた。
「やれ! サタン!」
「口内内臓式レーザー砲、出力一〇〇パーセント、発射します」
言葉の後、サタンは大きく口を開けたかと思うと、それは一瞬の出来事だった。
サタンの口から赤く細い光線が放たれ、最猛勝の体に真っ赤な炎と閃光、そして煙が噴きあがる。
肉の焼ける臭いと生ゴミや腐肉のような胃液がこみ上げそうな臭いが立ち上り、私は顔をしかめながら鼻を手で覆った。
見ている限り、光線自体には銃のレーザーサイトの役割や、味方に射線を知らせる役割があるのだろう。
最猛勝はギチギチと気味の悪い鳴き声とも悲鳴ともつかない声をあげてブルブルと震えだす。確実にダメージが入ったのが見てわかる。
貫通したのか最猛勝の腹部、そして背後からも煙が上がり、青色の血液がだらだらと滴り落ちる。
やったかと思った。だが気を抜いたのは誤りだった。
――バカンッ!
聞きなれない、音だった。
「え……っ!?」
サタンはいつの間にか私の目の前に立って私に背を向けている。そして空中に飛んでいる最猛勝は口から青黒い舌をまるで限界まで引っ張った縄のように延ばし、その伸びた先がサタンの後頭部で見えない。
動く右腕で腹部を抑えているように見えて漸く状況を飲み込んだ。
視認できない程の速さで伸びた舌が私を襲ったが、サタンの優秀なセンサーと運動能力でその攻撃を確認したと同時に飛び出す。私の前に出たサタンは腹部に攻撃を受け、その舌を掴んでいるのだ。先ほどの音は、恐らくサタンの装甲を破壊した音……。
「サタン!」
「レーザー砲のジェネレーターが破壊されました」
「言ってる場合か!」
私らしくもない。淡々と被害報告をするサタンに思わず怒鳴ってしまった。サタンが悪いわけでもないのに。私が不甲斐無いせいでこうなったのに。怒鳴った瞬間に罪悪感で背筋に冷たいものが走った。
サタンは咄嗟にひび割れたアスファルトを思い切り蹴っ飛ばし、そのひび割れの中に足を食い込ませた。
「早く、奴を撃ってください。伸び切った舌です」
「くっ……!」
私は銃を構える。精密射撃の為にセミのまま。そして狙うのは僅かの時間だけ。
迷いは不要。私は狙いを定めたその場所に一発、二発、三発……!
放たれた弾丸は一発目で最猛勝の舌の表面を削り込み、二発目が削った肉を抉り、三発目は先に食い込んだ弾丸を更に体の奥深くへと捻じ込んだ。動き回る最猛勝へ叩き込むワンホールショット。
ブチリと嫌な音と共に舌が引き千切れ、勢い余って最猛勝は空中でバランスを崩し、顎を上げる。そこには細い首が露出された。
これで、トドメだ……!
首が千切れるまで、私は最猛勝の首に銃弾を浴びせる。
「しっかり味わえ。舌の代わりに、喉でしっかりとね!」
新しい銃はリコイルが少なく、扱いやすい。普段からTMPを片手撃ちしていた私がフォアグリップを握って更にリコイルを抑え込めば、短機関銃でも精密射撃もできる。
廃世でリサイクルされてきたボロボロの弾じゃない、新品の銃弾は弾道が素直だった。
空の悪魔が地に墜ちる。
墜ちた悪魔に、悪魔の名を与えられたものが近寄り、腿のホルスターから銃を抜く。右手に持ったその銃をもがき苦しむ空の悪魔に向けて、その動きをとめるまで打ち続けた。
サタンのその姿は怒りに満ちているように見えた。本当にこの機械の少年の胸には心など存在していないのか。そんな疑問を抱きながら、私はようやく終わった悪魔との戦いに肩を落とした。
最猛勝の顎から衣類の切れ端とIDカードを取り外す。血や埃に塗れ、僅かにしか元の白色が見えないボロボロの布にIDカードを包み、割れたアスファルトの間に露出した土を掘ってそこに遺物を埋める。私は軽く黙祷を捧げ、サタンと共に歩き出した。
激しい戦いだったが、私の仕事はまだ終わっていない。向かう先であるレーザー砲台は、もうすぐ辿り着く。
そのタワーは仰ぎ見る灰色の空に伸びて、地を這う私達を嘲笑うかのように見下ろしていた。
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