第36話 迫り来る怨念:後編
暖色の照明に照らされた水色の髪がふわりと揺れる。コロナはいつの間にかテーブルに置かれていた何かを食べていた。白い三角形のスポンジのような物にやたら色づきの良い植物の葉のようなものとスライスされた肉が挟まっているものだ。
それは何かと聞いて、そのスポンジがパンである事を知り、それを頭が理解するのにたっぷり十秒くらいかかったかもしれない。
今まで私や、地上の人間がパンだと思っていた硬いものはなんだったのか。ここの物は何を見ても驚かされる。
機械の塊で私よりも背が低いとは言え、アンドロイドのセバンは然程足音も立てず、本物の人間のように自然に振舞い、コロナの後ろから私に向かって微笑みかけてくる。人の気配がしない分、唐突に目の前に出てこられたりすると思った以上に驚いてしまう自分がいる。
「そう言えば……」
コロナの伏し目がちな視線が私の胸元に移り、大きくて綺麗な青紫の瞳がはっきりと見える。その視線を追うとその視線は私の首にかけている紐で提げられた布袋に向けられていた。ホープに貰ったお守りだ。銃を預ける際に外していたが、中身が何か硬い物が入っているようでポケットの中に入れていると何か違和感があり、折角紐がついているからと首に提げていたのだ。
「それは? さっきまでつけてなかったと思ったけど」
「ああ、お守りよ。自分で手に入れた物は特に何も思わないのだけど、人から貰った物はどうにも手放しにくくて」
ふ~ん。と、興味を失ったのか気の抜けた声を出すと、頬杖ついて視線は私の後ろの夜景に移っていた。瞳に移る夜景の明かりで、その瞳はカットされた宝石のように煌いている。
そんなコロナの姿をみてひとつの疑問が浮かんだ。コロナは私をどうするつもりか知らないが、少なくともこの組織のトップが迎え入れた私ひとりに任務を任して良いのだろうかと言うことだ。私は別にひとりでも十分だとは思っている。しかし、自分で思うのも変だがこんなVIP待遇で組織の中にまで呼んでおきながら、即座にまた地上にひとりで出ろなんて事がありえるだろうか?
私はその疑問をぶつけてみる事にした。
「コロナ。私ひとりにその任務を任すの? それは私に期待しての事かしら?」
「え……」
コロナはきょとんとした表情、一瞬だったが、我ここにあらずといった呆けた顔を見せたが、何故か直ぐに座ったような目をして私の目を見た。
「……そんな事無いよ。期待はもちろんしているけど、何かあったら危険だから、護衛をつける事にしたんだ」
まるで、何かに言わされているような精気の無い言葉に違和感を感じた。さっきまでとは大分雰囲気が違う。しかしどこかおかしい気がしても、それが何なのか私にはわからなかった。
私の顔を見たまま、自分の短パンのポケットを弄ると小さな端末を取り出してぼそぼそと誰かに連絡をしている。虚ろな瞳は私を見ているようで、私を見ているのかわからず少し不気味だ。
一体今の間に何があったのか。わからない。
「忘れててごめん。もう来ると思うよ」
「え、来るって、今からここに? 夜中に?」
「うん……」
なにやら本当に体調が悪そうだ。激務だった子どもに夜更かしはこたえるだろう。今から来る人には帰ってもらって、コロナはもう休ませよう。
席を立ち、コロナの側に回る。
――ドンドン。
「え……?」
もう来たというのか? 今さっきコロナが人を呼ぶ連絡をしてまだ数分も経ってない。どういうことだ……?
ノック音に即座に反応したのはセバンだった。この建物は壁も厚く、有事の際にも耐えられる設計なのか外の音が殆ど聞こえない。それでも反応したセバンは反応速度が速いのか、それとも微弱な外の足音が聞こえていたのか。
セバンが玄関の方へ消えていく。その背を見送ると私はコロナの肩に手を置いた。その瞬間、少しだけコロナの体が跳ねた気がした。
びくり、その少しの振動の後コロナはふと私の顔を見上げた。その瞳には僅かにだが光が戻っている。瞳に移る私の顔が少し揺らいでいるように見えるのは気のせいか。
見つめ合うまま、沈黙が広がる。
お互いが同時に口を開きかけた途端、ふたつの足音が近付いてきた。
「お呼び出しに応じ、参上しました」
そこにいたのはセバンと、セバンに似た少年が立っていた。
背丈もセバンの靴が少し厚底でヒールもあるからか少し少年の方が背が低く見えるが、差し引くとセバンと同身長か。髪もセバンと同じく銀色だがその髪は短い。
服もセバンの服に似ているが、セバンの特徴的なノースリーブの燕尾服ではなくノースリーブの分厚いコートで、戦闘用なのか様々なポケットやアタッチメントをつけられるようなデザインだ。
この町の人間ではなく、明らかに軍部の人間なのか、白い太股にはベルトが巻かれ、コートの中にホルスターが見え隠れしている。
セバンと同じ金色の瞳が私を見ていた。私はその視線を振り払ってコロナに怪訝な眼差しを送る。
「この子どもが護衛なんて言うんじゃないでしょうね」
私の声にコロナはしたり顔で口角を少し上げた。その生意気そうな表情に少しムッとしたが、見慣れた表情を見れて少しホッとした自分もいた。
「ああ、子どもに見えるだろうけど、似てるでしょ? セバンに」
その言葉に私の反応をうかがっているようだ。コロナの言いたい事、それはもう既に分かっていた。しかし、彼には球体関節が無ければ耳のアンテナも無い。どう見たって人間にしか見えないのだ。
「この子が? だって……」
「彼は戦闘用に開発された。警備用でも無く、人間の少年に擬態する事で相手の戦闘意欲を削がせるのを目的にし、今ある技術を総動員して作られた全身人工皮膚のキリングマシーンだよ」
説明される少年、の姿をしたコロナの言うキリングマシーンは微動だにせず、そこに立ったまま動かない。隣でにこやかな表情でいるセバンとは対照的に、その顔にはあらゆる感情が無く、キリングマシーンと言われても納得してしまうほどにその視線は冷たい。言われてから感じたことだが、人に擬態しているとは言っているが、さっきから瞬きひとつせず、人間特有の細かな体の揺れも無く、動いている姿を見ていなければ大きな人形と言われても騙されてしまいそうだ。
コロナは説明を続ける。
「
「好きに、と言われてもね……」
いきなりそんな好きに呼べと言われても、私にネーミングセンスは無い。けれどどうもこう人間にしか見えないものに対して数字で呼ぶのも何か気が引ける。
こういうのはコロナの方が得意な気がした。少なくとも、私よりもセンスはありそうだと思う。
「そうね、私は名前を決めるのはそこまで得意じゃないし、コロナが決めてよ。文句は言わないから」
「え、そうだなぁ」
コロナは宙に指で何かを描いている。いや、指の動きを追うとそれは先ほど言っていたこのアンドロイドの正式名称の綴りのようだった。
ふむ、とコロナが言いながら文字を書いていた指を曲げ、軽く拳を作るとそれを口元に当てるような仕草をする。前にもそのような仕草を見たような気がしたが、もしかしたらコロナの考える時の癖なのかもしれない。
数秒の沈黙。コロナはそうだと言ってキリングマシーンを指差した。
「エス、エー、ティー、エー、エヌ。サタンにしよう。強そうだし、何より敵に回したくない感じが出てる」
「タカマガハラって組織でサタンってどうなの?」
「それ言ったらボクはスサノオとかツクヨミじゃなくてコロナだしね」
文句の一つ言いそうになったが、しかし自分で決めようと思ったら多分犬や猫につけるような名前になる事請け合いだ。
そしてコロナの言う事は確かに気になった。この地に確かにあったと言う国に執着しているようだが、組織のトップを意図的に作っておいて、その名前を神話から取らなかったのは何か意図でもあるのだろうか?
「そういえば珍しい名前よね、コロナって。私が言えた事じゃないけれど」
それとなく話を振ってみる。何でと直接聞くのは気が引けた。
小さい頃に私は名前をいじられてからかわれた事もあったし、もし気にしている事であったなら、こんな私のつまらない疑問なんかでコロナが不快に思われるのは嫌だった。
結局聞いている感じになっているのだから大して変わらないのだが、同じ意味合いを持っていたとしても言葉の使い方で相手への心証と言うものに左右されるのは、交渉次第で物の値段が変わるような世界で生きてきたから分かっている。もちろん、相手を恫喝する事も慣れているのもあるが。
コロナは特に悩む事も無く、何も思う事が無かったのか間を置く事無く口を開いた。
「ボクを作り出す研究の他、遺伝子研究部門の多くの計画名は惑星や星に関する名前を関する事が慣例になっててね。直接太陽なんて名前をつけなかったのは、ちょっと捻ったつもりなんだろうけどね……」
「苗字は誰から貰ったの? 研究員の中から取ったのかしら?」
「さあ? さて、そんな事よりもだよ。明日はサタンを連れて、頑張って。ステアーもサタンも地上の大気汚染は気にする必要は無いけど、ミュータント化している虫や獣なんかには気をつけて。万が一、人間の敵が出てきても地上のオンボロ銃なんかじゃサタンは傷ひとつつかないから、対人はサタンに任せるといいよ。全部自分ひとりで解決しようとしなくていいからね。これからは多くの仲間がいるんだから」
仲間、か……。
仲間と思っていた人は大抵死ぬか、裏切って死んだ。気付けば自分ひとりでいる方が楽になっていた。目の前で味方が死ぬ事もなく、背後から銃口を向けられる事も無い。
でも、今回は、コロナは少し変わってはいるけど、私に向けてくれる好意は本物みたいだし、名前はさておきこのサタンも中身は機械だ。欲に目が眩んだりする人間とは頭の出来が違う。
故郷を失って、自分でも分かるくらいに自棄になってたけれど。ここに腰を落ち着けても良いかもしれない。
正直、柔らかいベッドに清潔な住まいを得られるだけでも住む価値あるなとは思っていたところだ。少し怖いのは、地上が地上だし、食料をどうしているのか。今はそこまでお腹も空いていないし、明日の食事に期待しよう。
「ああ、そうね。頼むわよサタン」
「よろしくお願い致します」
抑揚の無い声ではあるが、サタンは礼儀正しくお辞儀して見せた。そういうコミュニケーション能力はあるようだ。出迎えに歓迎してくれたあの警備用とはやはり違うらしい。
「退屈せずに済みそうね」
「人を楽しませるような機能は搭載されておりません」
「……そうみたいね」
サタンとのやり取りを見てコロナはクスッと笑みを零す。ようやくいつもの調子に戻ったのか、笑顔のまま席を立つ。
席を立ったコロナを見てサタンはスッと背筋を伸ばし、その場に気をつけの姿勢になる。その機敏な動きは、見た目に寄らずさながら軍人のようだ。
流石に疲れたのかコロナはもう寝るよ、と自室に向けて歩き出した。その場に残る私はサタンに改めて明日は頼むわねと声をかけ、私も自分の部屋へと向かった。
部屋に入った瞬間に照明が点灯する。センサーでも取り付けてあるんだろうか。改めて見渡すと自分ひとりで使うにはかなり広く感じる。
コロナの家の一室を借りただけに過ぎない。なのにこの部屋だけでも生活できそうな広さと設備だ。物置と言っていたが、よくよく見るとそんな風には見えない。
ベッド横の壁には何か分からないが、大きく〝食事〟と書かれた横長の蓋とパネル。恐らくパネル操作で食事が出てくる仕組みなのかもしれない。
最初に見たときには気付かなかった洗面台、浴槽は無いがシャワーもある。壁に埋め込まれたクローゼット。中には、同じ色、同じデザインのここでのジャンプスーツがびっしり。
と、何やらクローゼット内にも隠しているように蓋のついたスイッチがあった。もしかしたら最初からちゃんとした部屋を空けて用意していたなんて言ったら気を遣わせるかもしれない等と思ったのだろうか。
警報装置、にしては隠れすぎている。セーフルームの入り口だろうか。プラスチックの蓋を外し、スイッチを入れる。
――ゴトン。
何かが動く音がすると、クローゼットの奥の壁が人がひとり納まるくらいの幅で凹み、開くと、そこには真っ暗な空間が広がっていた。
無音。そして零れた光で照らされる範囲には何も無い。白いタイルが広がっている。腰に差していた警棒ライトを辺りを照らす。
多くの棚が並んでいる空間だがその棚には何も置かれていない。恐らく秘密の倉庫といった所か。
壁の材質も違い、部屋の置くには何かの端末と複数のモニターが見える辺り、緊急時にはセーフルームも兼ねるのだろう。
今はとりあえず用も無ければ隠す物も無い。再びスイッチを押して隠し倉庫を後にする。
明日は早い。私は荷物と服をベッド横のテーブルに投げ出してベッドへ飛び込んだ。
天蓋付きのやたら豪華なベッドでちょっとセンスが合わないと思っていたが、こうして横になって目を閉じてしまえば気にならない。
ベッド横にご丁寧に照明を表示されているスイッチを殴るように押し込むと、ゆっくりと照明が暗くなり、暖色系の弱い光が部屋の中央に浮いている。
……低反発のベッドに雲のようにふわふわの布団。体が沈んで、心地よさが全身から疲れを抜き取っていき、その反動で眠気が一気に襲ってくる。
全身が重くなる。ずぶずぶと沈んでいく体。布団のぬくもりに抗うことなどできず、私の意識は深い深い眠りの中に引きずり込まれた。
――。
――――。
――――――。
「ハッ!?」
飛び起きてベッド横の銃を握って周囲を見渡した。
あまりにも深い眠りに慌てて飛び起き冷や汗をかく。周囲の微かな物音に気付かない程の深い眠りなんて、川崎の自分の部屋のベッドで寝る以外にした事が無かった。
そのせいで体がなれない環境での深い眠りに驚いて覚醒を促してしまったのだ。今でも心臓がバクバクいっている。
投げ出した荷物の中に弄り、時計を取り出す。朝だ。
「はぁ、はぁ……はぁ……」
呼吸を整える。じっとりと体にまとわりつく汗をシャワーで流しておこう。そしたら、出発だ。
寝汗を流し、着替え、装備を確認して部屋を出る。
「おはようございます」
「っ!? お、おはよう」
部屋を出てすぐ側。私のすぐ隣にサタンが立っていた。急に間近で声をかけられて驚いてしまった。
「夜からずっといたの?」
「はい。何かあっては困りますし、私は任務以外に行う雑多な事は無いので。合流する手間も考えればステアー様の側で待機した方が良いと判断しました」
淡々と説明するサタン。機械だから自分でやりたい事なんて無ければ食事などを摂る必要も無いか。
私が歩き出すと、サタンは直ぐ後ろをついてきた。あくまで、私の付き人と言う事だろうか。
リビングに出ると、作り物の空はまだ日が昇ってきたばかりのようで薄暗い。そこで私を迎えてくれたのはコロナではなくセバンだった。私の姿を見たセバンはニコッと笑って頭を軽く下げた。
「おはようございますステアー様」
「おはよう。コロナはまだ寝ているのかしら?」
セバンにそう聞くと「ええ、まだ眠ってらっしゃいます」と述べるとそのまま厨房の方へと消えていった。
「お出かけの前に軽くお食事、していってくださいね。コロナ様はいつも朝抜いて出て行ってしまうんです」
などと機械にしては珍しい小言を漏らしながら、何か作ってくれているみたいだ。ここでの食事がどんなものか気になっていたのでありがたい。思えばベッド横の食事ボタンが気になったが、あのセーフルームを考えたら保存食に使うような物が出てきたのかもしれない。
席について、食事を待ちながら、ぼんやりと窓の外を見る。
綺麗だ。でも、綺麗過ぎて、何か違和感と言うか、落ち着かない。いつしか慣れる時が来るのだろうか?
サタンは席に座らないまま、ずっと私の後ろに立っている。
「本当にコロナってここを全部仕切ってるのかしら……」
ぼんやりと口走ってしまう。ヴィレッジはこんなに広くなく、人口も少ない。だからひとりのリーダーが色んな場所を見てまわって直接指揮したりするのが普通だった。だからか、こんなに広い町を見ると思うのだ。あんな子どもにここに住む全ての人間の命がかかっているなんてありえるのか、と。
私が独り言をぼそりと呟くと、予想外にも反応したものがいた。
サタンは私の後ろで、私の独り言に突然、解を投げ込んだのだ。
「実質の統括者は舘泉天冬様です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます