第32話 地中の楽園:後編

「こっちだよ」


 そうコロナに言われつれてこられた所は、この地下施設、タカマガハラに入ってから見かける人間がみんな身につけているスーツを着込んだ人々でごった返している大きなオフィスだった。

 雰囲気はオフィスだが、その部屋の内装はどこかの廃墟で見たことがあった。


「役所……?」

「そうだよ。よくわかったね。地上にも役所があるの?」


 その口調は少し小馬鹿にしているようだった。文明から離れて生活していた人間を都会の人間が馬鹿にする構図そのままだ。お前の住んでたところには無かっただろ? という感じの言い方に私は少し腹が立ったが、実際に廃墟でしか見たことが無く、そういった役場は私の住んでいたヴィレッジには無かったので反論は出来ず、ただ素直に答えるしかない。


「廃墟探索で、そういう場所に入ったことがあるだけ。こうやって機能しているのは初めて見るわ」

「だろうね。さ、こっちだよ。来て」


 私の前で手招きしながら歩くコロナの背中を早歩きで追う。

 コロナを見た人は皆急にその表情を変え、コロナの前を歩く人は無く、決して空いている場所では無いと言うのに、コロナの行く先には道が出来ていた。

 その道を私がついて歩くと周囲の人間は私に怪訝な視線を送る。

 特に気にする事は無いが、ただ分かったことは、兵士以外の一般人にもコロナの顔は知られており、しかもかなりの地位を与えられた人間、の息子なのだろうか。私はここに来てもコロナ自身に絶対的な権力があるという事に半信半疑だった。

 住民登録の受付の前で職員とコロナが何か会話をしていると、直ぐに他の職員がこちらに向かって歩いてくる。


「ステアー様。タカマガハラの住民登録を行いますのでコチラへ」


 抑揚の無い声で別室へ誘導され、思わずコロナの方を見ると不思議そうな顔で私を見返してくる。


「何してるの? 住民登録にはナノマシンを注射して様々な所で身分を証明できるようにしないといけないんだよ」


 そう急かすコロナの言葉に不安と嫌悪が直感的に背筋を走った。ナノマシン? 注射?

 私を呼んだ職員をその場に待たせたままコロナに質問する。


「それは絶対やらなければいけないの?」

「絶対ってわけではないけど、全身が身分証明になって、電子ロックや電子通貨をフリーハンドで操作できるようになるんだ。無いと不便だよ」


 何の疑問も抱かず、コロナはそのナノマシンとやらの利便性について語る。まるで私が疑問に感じるのがおかしいと言うような具合だ。

 注射が苦手と言うわけではないが、得体の知れないものを体内に入れるという事にどうしても気持ち悪さを拭いきれなかった。

 私は棒立ちのままその場で時間が経っていたらしい。コロナも職員も、周囲の人間も温くも刺さる視線を向けてくる。文字通り、私は今場違いな場所に立っていた。


「何をしているのかね。皆仕事に戻りたまえ」


 止まった時間を動かしたのは乾いた男の神経質そうな声だった。声の方を向くとそれは役所の出入り口。そこに二人の護衛を左右に連れた白衣の男がいた。

 眉間に刻まれた皺は不機嫌な訳ではないようだが、相当苦労してきたであろう証だろう。そしてこけた頬、白髪交じりの髪は少しくたびれて無造作に垂れている。そこだけは地上では見慣れたものでこの状況の中で少しだけ安堵した。そんな僅かな既視感だけで安堵するほど、私の精神は慣れない環境にぐらついていた。

 白衣の男が私の視線に気付き、私と視線を合わせ、一瞬だけ眉間の深い皺を更に深くさせた。

 そして雑踏の中でも聞こえるほどの足音を立てながら私の方へ、いや、コロナの方へ真っ直ぐ歩いてきた。


「コロナ様。このような場所で何をされているのですか」


 言葉は冷静そのものだがその声色の中には疲れと苛立ちが見え隠れしている。そして、今コロナに様付けをしたと言うことはこの男もコロナの下、もしくはコロナの親の部下なのだろうか。


「何をだって? 君らが十数年も前にやらかした失敗で外部へと漏れた機密を取り戻したって言うのに、随分な言い草だね」


 コロナの尊大に構えた態度に男は口角をひくつかせたが、一度咳払いをして今度は私をにらみつけた。咳払いした手をゆっくり背後に戻し、両手を後ろで組んでわざと顎を出して私を見下す。鋭くもねっとりとした視線に私はなんとなくこの男はしつこい性格の男だなと感じた。しつこい、野心家の目だ。


「私はタチセン。舘泉たちせん天冬とうどう。科学研究、遺伝子研究、薬物研究の部門における統括をし、今はそこにおられる総裁、コロナ様が成人されるまで、このタカマガハラの統括を任されている」

「総裁? コロナが?」

「コロナ様と呼べ。貴様はよそ者であり、そして我々にとっては実験体でしか無かったのだ。つまりは我々の管理下に置かれるべき存在なのだぞ」


 舘泉の高圧的な言葉に即座に反応したのは私の手だった。鋭い拳が舘泉の顔面に飛ぶ。

 しかし、私の手が強く握りこぶしを作ったその瞬間、コロナの視線が私に向けられたのを感じ取り、私の飛ばした拳は舘泉を殴り飛ばす前に、その眼前で止まった。

 私の放った拳を目で終えなかったのか、私が顔面すれすれで止めた拳を見てたっぷり1秒経った後、舘泉は目を見開いて数歩後ずさった。


「き、貴様なんだその態度は……!」

「争いの無い平和な地下に引き篭もってて忘れているようだから、教えてあげるわ舘泉さん」

「ス、ステアー?」


 私のドスのきいた声にコロナも少しうろたえる。だが私の勢いは止まらず、役所のカウンターに追い詰められた舘泉に詰め寄る。

 コロナが私に制止の視線をくれなければ、冷静さに欠いた私の拳は確実に舘泉の鷲の様な鼻を砕き、人の姿が反転して見えるほど磨かれた役場の床に汚水を撒き散らし、後頭部から倒れるところだっただろう。

 肩で空気を切りながら舘泉に近寄り、カウンターに肘をつきながら腰砕けになっている舘泉を今度は見下ろし返す。


「人は最終的にぶん殴って黙らせた方が勝ちなのよ。生き物の喧嘩の仕方ぐらいお勉強してくださいね。と・う・ど・う・セ・ン・セ」

「くっ貴様……なんて態度を」


 何か言いかけた舘泉だったが私は更に言葉を重ねた。


「それにね。聞いたわよ。コロナの出自を。私に実験体であって管理下に置かれるべきだなんだ言ってるけどコロナにも同じ事言えるわけ?」

「貴様は失敗作だ。そこにおられるコロナ様はこのタカマガハラを、ゆくゆくは全人類を統べる完成された新人類なのだ。貴様のような研究の為に消費されていった連中と一緒にしてもらっては困るのだよ!」


 腰が笑ったまま語気を強める舘泉だったが、その姿にはまるで覇気も無ければ威圧感も無く、私に恐れを抱かせるほどのものではなかった。ただ声の大きいだけの老人だ。

 こんな奴をいたぶるのも趣味ではないが、しかしこういう口だけの人間は一度痛い目を見ないと己の無力さを理解しない。

 やはり関節のひとつでも外してやった方がこいつの未来の為なのではと思い、手を伸ばそうとしたが、再びその手を止めたのはコロナの声だった。


「いい加減にしないか二人とも」

「コ、コロナ様……」

「舘泉。お前も言い過ぎだ。ステアーは将来、ボクのフィアンセになる存在だ。そのステアーに対してそんな態度をすると言うことはボクを侮辱するのも同義だ」


 フィアンセ? 話が飛躍し過ぎてて私は呆気に取られてしまった。その間に漸くカウンターを支えに両足で立つ事ができた舘泉はあからさまに嫌そうな顔で私の顔を指差した。


「まさか、この者を娶ると言うのですか! コロナ様に相応しい相手は我々が……」

「今までボクの子すらまともに宿せない女を見繕っておいてよく言うね。最早君たち古い人間に子孫の期待なんてしていないんだって何度言えば気が済むんだい? ステアーならボクと同じ研究途中で作られた人間だ。ボクの子を生める可能性はまだあるだろうに」


 早口でまくし立てるコロナ。なんだが物凄い事を私の目の前で言い放っているが、私の脳味噌がその言葉のひとつひとつを理解するのを拒む。子供がなんだって?

 コロナの言葉に舘泉の顔が見る見るうちに青ざめていく。


「コロナ様、ここでその話は……。わかりました、ステアー様の事はひとまず置いておきます。非礼をお詫びさせてください」


 言葉の最後は私の方を向き、深々と頭を下げてきた。あまりにも素直な態度にどうしようか悩んだが、頭を下げたまま動かない舘泉の側に近寄り、手を差し伸べた。


「私も脅かして悪かったわ」


 そう言うと舘泉はゆっくりと顔を上げ、そして私だけに聞こえるように小さく囁いた。


「ここに住むならまずそのみすぼらしい姿と臭いをどうにかしたまえ。臭くてたまらん」


 ニヤリ、と汚い笑みをこちらに向けた舘泉は何事も無かったかのようにスッと背筋を伸ばし、私を再び上から一瞥する。その姿に私の対抗心に火が点くのは非常に容易かった。

 私も小さく舘泉に向かって呟く。


「地下の人間は土を被らずに猫を被るようね。それにあなたも臭うわよ。小物の臭いがね」


 ニヤニヤした笑みが途端に冷めていく舘泉を見て、私はジッと睨みつけたまま下がった。そしてコロナの隣に立つとその肩に手を置いた。


「お仕事忙しいようだし。私たちは行きましょう」

「で、でも身分証明が……」

「どうせ磁気カードもあるんでしょ。ほら行くわよ」

「わわっ……そんな急かさないで」


 私はコロナの肩を掴んだまま、強引にその場を後にした。

 役所を出た時、内心、得体の知れない注射から逃げられて、私は胸糞悪さよりも安心感が強かった。

 再び地上のような広場に出る。

 側にあった木製のベンチに腰を落とすと、自分でも驚くほど深く大きな溜め息をついて、地下施設の天井とは思えない作り物の青空を仰いだ。こんな青い空。私は見たことが無い。

 空いた隣をコロナが埋める。


「さっきはごめんね」


 突然謝ってきたのはコロナだ。まさかコロナの口から率直な謝罪が飛び出すとは思わず、えっ、と思わず驚きを声に出してしまった。コロナに視線を向けるとその表情は本当に心の底から申し訳無さそうに、眉を八の字に曲げていた。

 コロナが悪いわけではない。突然現れたあの舘泉とか言う野郎の態度が気に食わなかっただけだと言うのに、何をそんなに申し訳なく思う必要があるのか。


「コロナは悪くないわ。それにしてもあの男、何者なの?」

「あの人はボクやステアーを生み出した研究や計画を取りまとめている男さ。ある意味ボク達の父のようなものかもしれないけど、でもボク達は奴の血は引いてない。それだけは安心していいよ」

「それは心底安心したわ」


 私の自然に、考えずに出た言葉にコロナはクスッと笑った。子供っぽい、無邪気な笑みだった。こんな笑顔もできるなら、いつもそうして欲しいと思ってしまう。けれど、コロナの立場を知った今、それを望むのも難しいのかもしれない。

 人をまとめると言うのは、今はあの男に任せているにしても、ある程度の決定権はコロナにある。その証拠に、私を迎えに行くのに人手を使い、責任者であるあの男に言わずに単独行動することが出来る。

 つまりは細部に出す日常的な施設運営は舘泉に執らせていても、コロナにも大きな決定権と、コロナが個人的に動かすことの出来る人員がいると言う事なのだ。その意味をコロナはきっと理解していることだろう。

 そうでもないと子孫繁栄や組織の運行について真面目に話したりはしないだろう。それが誰かの受け売りだったとしても。

 今目の前にいる少年は、私よりも大人なのかもしれない。でも時折見せるその子供らしさに、胸が苦しくなる。


「あなたの家とかは無いの? こんなに広い施設なんだし、施設の中に家とかありそうね」


 空気を変える為にも冗談交じりに話題をコロナに振る。するとコロナは待ってましたと言わんばかりに私の手を掴むと、空いた手で地面を指差した。


「あるよ、この下にね。また邪魔が入ったら嫌だし、もう行こうか! それにステアーも流石にその外套や防具つけたままだと目立っちゃうしね」


 そう言われると、あの舘泉も白衣は纏っていたがその中は他の周りの人と同じように、変わったボディスーツを着ていた。あれがここの支給品で、あれがここでの普通の服なのだろう。

 しかし、あんな体のラインがくっきりしている服を着るというのはどうも、気が引ける。

 ここに着てからどうも混乱したり、気が引けるような事ばかりだ。しかしそれがここの日常なのだろう。

 これが、カルチャーショックという奴だろうか……。


 今度は私はコロナに連れられて歩き始める。

 勢いで舘泉を殴りかけたが、自分でも言ったがここは基本的に争いなどをすれば私達のヴィレッジ以上に厳しい規則による罰が与えられていたかもしれない。

 そうなのだ、私達の住んでいた世界では、基本的には力でねじ伏せた方が勝ち、そして敗者に対する救済と言うのは存在しない。その方程式が染みついていたけど、それは文明社会では通用しない。

 周囲の人間を見れば分かる。どの人間も武器を提げていない。地上ではどんな人であろうが自衛の為の武器を握って日々を警戒しながら生きている。でもここで生きている人間はそうじゃない。

 武装した兵士に治安を守ってもらいながら、人々は暴力とは無縁の世界を生きている。

 あの舘泉と言う男も、護衛を連れて自身に戦闘能力など無かった。私が殴りそこなってその後追い詰めて行った時、護衛が手を出さなかったあたり、人望も無さそうだが。

 コロナに連れられ来た所は縦に伸びたガラスの筒が、何本も並んだ場所だった。そして、その筒の中で金属製の大きな籠が上下に動いて人を運んでいた。


「エレベーターは流石に使ったことあるよね?」

「あるけど、こんな開放感のあるのは初めてね」


 コロナに言われて、川崎ヴィレッジにあって私も使っていた筈のエレベーターと一緒の物だと認識するのに時間がかかった。

 エレベーターに乗ると静かに、振動も少なくエレベーターは動き出し、下り始める。地下の、その地下へ。

 折角のガラス張りにもかかわらず、下りるエレベーターの外は真っ暗で、下から上がってくる小さな照明がその暗さが金属の壁だという事を教えてくれる。

 しかし、その暗闇もそんの僅かな時間だった。


「これ……は!?」

「驚いた? さっきの広場なんてこのタカマガハラの極一部、言わば来客用のエントランスのようなものでしかない。これがタカマガハラの全人口が住む居住区さ」


 私の目の前に広がるもの。それはまさに町だった。エレベーターは金属の天井部から下り、私は今人口太陽光を発生させる照明に照らし出されたビル群を目の当たりにしていた。ひとつの建物の中に、町が広がっていたのだ。

 想像を絶する規模の町は四方のタカマガハラの壁に囲まれながらも、その規模は地上で見てきた数多のヴィレッジを束ねても、その規模に到達することは無いだろう。流石に地下に作られているだけあり、数十階建ての高層ビルといった類の建築物は無いにしろ、整備された区画、マス目状に延びる道路には車が行き来し、ここから見る人々は非常に小さく見えた。この時、初めて私は動いている車を目にした。

 町を上空から見下ろすと言う初めての視界に、私の思考は硬直していた。


「地上が焼き払われ、あんな姿になる前の町がここにあるんだって聞かされて育ったんだ」


 私の側で、そっとコロナが口にする。


「ステアーが今見ているこの光景を、いつか地上に再現、いや、もっと良い物を作る。それが僕達タカマガハラの目標なんだよ。いつかこの地中の楽園は地上に広がり、そして豊かな世界を取り戻すのさ」


 コロナは他に何かを話していたが、私はその声が耳に入っておらず、私はただ、エレベーターが止まるまで、目の前に広がる均整都市をただただ眺めていた。

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