第31話 地中の楽園:前編
吐いた息で目の前に降り注ぐ白い塵が、白い息に押されてほろりと形を無くす。
幻想的で、そして空虚感のある魔都は、多くの瓦礫と未知の植物で覆われ、歴史と文明を霧で閉ざしている。
かつて先進国であった国の首都と言うのは、過去の繁栄を極めていたであろう跡が殆ど見られなかった。時折吹く強いビル風はアスファルトの上に積もった放射性降下物の灰を再び空へと舞い上げて、一緒に舞い上げた砂が私の服にぶつかってはポツポツと音を立てる。
武装した兵士に囲まれて、コロナと共に歩んでいると急に柵に囲まれた大きな建造物の前に出た。
大きいといっても周りの高層ビルよりは遥かに小さい。その建築物は大きいというよりも広いといった方が正しいかもしれない。
周囲の近代建築物と違って、どこか洋館を思わせる支柱を持つ白い建物は背負う灰の空に溶けてその存在感は希薄だ。
建物の前に広場があり、その広大な面積を柵で覆っていたようだがどこもかしこも崩れており、黒く歪んだ鉄柵だった物がそこかしこに散らばっている。
ここに落ちた爆弾によってなのか、経年劣化か、はたまたこの魔都の何かによって破壊されたのか、知る術は今は無い。
「国会議事堂」
そうコロナは一言呟いた。私が建物を前にして少し歩みを止めていたから、ここが何なのか疑問に思ったのがコロナに伝わったのかもしれない。
「昔はここで、この地にまだ国が存在していた時に機能していた政治の重要施設だよ。その施設の利用者の中には敵国の人間も含まれていたけど」
「敵国?」
「敗戦国のくせに平和ボケをしてしまって、法整備も戦後からろくにしないまま国の寿命の先延ばしばかりやっていたせいで、外敵に蝕まれていったのさ。いつか内部から侵略されていたかもしれないけれど、こんな世界になってしまったら、ただの残骸、廃墟のひとつに過ぎないよ」
ただの廃墟。そう言いながらその廃墟にずんずんと進んでいくコロナの背中について歩く。
さっきから気になっている事があった。建物の事ではない。
周囲一帯、議事堂の周りは静かなのだが、時折ビル風に乗って聞いたことのない音、鳴き声、どちらともつかない奇怪な音が微かに耳を撫でる。
胸騒ぎのする不快な音だが周りの兵士も、前を行くコロナもそれを気にする素振りは無い。
ビル風が複雑な道を抜けてくる時に不気味な音を立てているのだと言い聞かせて、今は歩く。普段ならこんな些細な事に不安を覚える事は無いのだが、慣れない環境と状況に精神的に疲れているのだろうか。
今にも崩落しそうな議事堂の中へと足を踏み入れる。
照明も何も無い、薄暗い回廊を進む。崩れた天井の隙間から差し込む外の光が僅かに先を照らし、空気中の塵が蛍のように明滅している。
扉の前で足を止める。前を行くコロナは扉を躊躇う事無く、自分の部屋に出入りするかのように開いて一言こっち、っとだけ呟いた。
中は暗いが、そこが何の為に使われた場所なのかはおおよそ察しはついた。長い曲線を描いた机、何十もの朽ち果て、床に転がる椅子。部屋の置くには短い階段にまた椅子と机。
このフロアは特に頑丈に作られていたのか、他の場所と違い天井が崩れておらず、整然としており、それがかえって不気味さを漂わせる。
吹き抜けの二階から工事用の一方向を照らす照明装置によってフロア中央が照らされており、部屋は薄暗くも把握するのには十分だった。
「こっち。中央に来て」
「コロナ、ここは?」
「議場だよ。といっても今はただの昇降機だけどね」
そう言いながら不器用なスキップで歩みを速めるコロナに私はとぼとぼとついて行く。
言われるがまま、議場の中央に立つ。吹き抜けの天井が高く、広い、靴音が僅かに反響し、しばらくするとコロナはコツコツ、と靴のつま先で床を叩き、靴を履き慣らすような動きを見せる。普段ならなんて事のない動きだが、静かなこの場所でその音が嫌に耳に入り込み、私の視線を動かした。
その時だった。
強い振動が一瞬、床を揺らした。ガクン、という少しの浮遊感は私の三半規管に警鐘を鳴らす。
「な、なに……!?」
口調はまだ冷静を装うも姿勢を崩さないようにしながら周囲を見渡す。先ほどまで高いと思っていた天井が更に高く見える。現在進行形で、段々と天井が遠くなっていく。
私たちが入って来た扉が上へと上がっていく。違う。私たちが下へ下がっていっている。
床が下へと落ちているらしい。しかし自然落下というにはゆっくりだ。コロナは昇降機と言っていたが、まさか部屋全体が地下へと向かうエレベーターだとは思いもしなかった。
最初の起動で揺れた後の降下は静かで揺れもあまり無く、足元の機械が発する駆動音を足に感じながら長い降下時間を、漆黒に消える天井を見て過ごした。
しばらく上へと消えていく壁照明を目で追っているとまた一度浮遊感を感じたと思ったら昇降機の動きが止まった。目の前に広がるのは四角い空洞と、壁を走る配管と露出した発光ダイオードの明かりが打ちっぱなしのコンクリートを照らしていた。
「ここはあまり手を加えていないんだ。三世紀前から何も変わらない」
そう言いながら歩き出すコロナ。続けて歩き出す兵士たちに倣い、黙ってついて行く。
冷たい空気。地上でもそうだったが、地下では狭い空間にコンクリートで囲まれた場所で、肌寒さを感じさせる程に冷気を感じられた。
軍用施設などで見慣れた光景であったが、違う点は床に埃が積もっていない事ともう一つはその先に巨大な空間が広がっている事だった。
それは広い広い、地下の中のドームだった。
半球状の巨大な天井は頂点が見えず、また、円形の土地はどこまで広がっているかも見当もつかない。そしてその検討がつかない原因として存在する、ドーム中央に高くそびえ立つ三角錘の建造物だった。
何で出来ているかもわからないが、金属質な光沢を放つその外壁には一切の窓らしき物が無く、金属のつなぎ目には等間隔に青白い照明が明滅している。
いつの間にか口が開いたまま上を見上げていた私の横腹を何かが突っついた。視点を降ろす。コロナがこちらの顔を見つめている。
「行こう。入り口はこっちだよ」
コロナが指差した先には、僅かに壁と同化するようにその存在が曖昧な巨大なゲートが床から照らしあげられていた。
私たちが近寄るとどこからか見られているのかゲートがひとりでに左右にスライドして開き始める。
ゲートの大きさは十数メートルもあろうかという鉄板だというのに、重さを感じさせず、スッと動き、振動すら起こさない。
この時点で自分は本当にとんでもない場所に来てしまったのだなと、これから自分が何を見ても驚かない自信が完全に喪失していた。
表面では冷静な顔をしていたつもりだったが、すぐ隣に立っていた兵士が鼻で笑うのを耳にして、そうでないのだと気付く。
「かつて神話の神々が住まう場所とされてきた高天原。そんな名前を持ちながら、地下に引きこもっているなんてなんて皮肉だろうね。ステアー」
「……名前に重要な意味なんて無いわ。存在を他者が認識し、呼ぶための記号でしかない」
「フフッ、確かに」
笑って返したコロナは何か自嘲気味な声で短く答えた。すぐさま軽やかな声色で早く入ろう! と言って早歩きで歩き出すコロナの背中に言い知れぬ悲壮感を抱いた。
開いたゲートの向こうは人工的な白い明かりで満ち、足元までその光が漏れ出ている。なんでもない一歩が、酷く重く感じた。
エントランスは私が住んでいた川崎ヴィレッジと似ていた。塗装もされていない金属の壁と床、分厚い強化ガラス越しに見える警備室。界面活性剤のシャワーで放射能降下物を落として人体も除染する除染ゲート。どれもが似ていた。
違う点をあげるならば、それら全てが真新しく感じられる程に手入れ、管理され、そしてその規模が広く、エントランスだけでも百人ぐらいの人間が入っても肩をぶつける事無く行き来できそうなほどに開放的である点だ。
コロナ自体は平気だろうが、全身には放射性降下物がついている。流石に中に持ち込むわけにもいかないのだろう。
少し嫌そうに溜息をつくと、ゲートを通って除染を受ける。それに倣って私や兵士も後に続いた。
「さぁやっと帰ってこれたねステアー! 生まれたばかりにいなくなったから何も覚えていないだろうし、ボクがこのタカマガハラを案内するよ。さ、ついてきて!」
「あ、ああ、そう急かさないで。ついて行くわ」
まるで遊技場に遊びに来た子どものように私を急かすコロナ。
私が今後ここでどう生きるかは分からないけれど、どの道地理は把握しておかねばならない。私はコロナに急かされるまま、大人しく彼の道案内に従う事にした。
そしてエントランスを抜けようとしたその時だった。
<警告! 警告! 侵入者アリ! 侵入者アリ!>
突如頭上から機械音声の警告音が響き、壁の一部が回転し赤い回転灯が出てくると周囲一帯を赤く照らし始める。
「な、なに!?」
思わず銃に手をかける。しかしそれを手で押さえたのは直ぐに駆けつけたコロナだった。
そうこうしている内に目の前の扉が開くと即座に飛び出してきた人型に身構える。が、目の前に現れた人型に自分の目を疑った。
生気の無い瞳に陶器のような艶のある、人工的な体、そして球体関節。人形だった。小さな、自分の胸元より少し低く、コロナよりも少し背が高い程度の人形が銃を持って私を瞬く間に取り囲んだのだ。
「これは……人形……?」
「アンドロイドだよ。まぁ人形には変わりないけどね。機械の体、電気信号で動く忠実な部下だよ。まだ試験運用段階だけどね」
コロナが冷静にそういうと人形のひとつが流暢に言葉を発し始める。
「コロナ様、侵入者から離れてください。危険です」
「侵入者って、お前らが私を呼んだんでしょう」
私がそういうとコロナは話しかけてきた人形をにらみつけた。
「この人間は侵入者ではない。新たなタカマガハラの住民の為、まだナノマシンの手続きが行われていない。誤報の為、お前たちは通常作業に戻れ」
「……かしこまりました、作業に戻りますコロナ様」
人形がそういうと他の人形たちも一斉に同じ動きで銃をしまうと、整列して入って来た扉から出て行った。
警報に反応して、というより連動して現れたと言える迅速的な動き、そして主人が近くにいると即座に判断し、無闇に発砲する事無く私を取り囲む動き。
地上のヴィレッジを警備するような素人の警備隊よりもその動きは正確で、見た目は少年のそれながら完全にそこいらの兵士よりも恐ろしさを感じた。
まるで歴史に登場する少年兵に統率力を持たせたような存在だ。
下手にまともな神経をしていたら、撃たれる立場にいたとしてもその見た目的に撃つのを躊躇ってしまうだろう。わざと球体関節を露出させるような服装をさせているのは、人間との識別の為か。
「驚かせて悪かったね」
その声で私はやっと分析する頭を止めた。コロナは不安げに眉を顰めて私を見つめる。
本当に申し訳無さそうにこちらを見るコロナに、私は何をそんなに不安がっているか聞きたかったが、それを聞く前にコロナは私の袖を引っ張った。
「ここは警備が厳しいから。はやく行こうよ」
「そうね。またあんな事があるかもしれないから、なるべく離れないでね」
私がそう言うとコロナは顔を赤くしながら不器用な笑顔を見せる。不器用ながらに喜んでいる事は見てとれた。
分かったよ。そうクールに言ったつもりだろうけど、その口角は上がったままヒクついていて、まるでその感情を隠しきれていなかった。
そんなコロナの姿を見て少し笑ってしまった。声には出さなかった。多分コロナには気付かれなかったと思う。
狭い通路をいくつか通り抜け、また少し大きめの両開きのスライドドアを開く。そこには再び私の想像を凌駕する光景が広がっていた。
「なに……これ……」
「これが、タカマガハラの居住区、中央広場さ」
そこにあったのは地下シェルターの鉄骨に囲まれた金属のベンチとテーブルが並ぶ、ボロ布を纏った住民が猫背で行きかう紫煙で視界が曇るようなヴィレッジの共有スペース、などではない。
花壇には様々な色彩の花々が咲き誇り、木々が風に揺られ葉を揺らし、自然のざわめき鳥のさえずりが通り抜け、白を基調とした体にフィットするボディスーツと言う奇妙な服装ながら笑顔に満ちた人々が行きかう、広い公園だった。
奥には噴水も見えた。高く噴きあがる水の飛沫が光をキラキラと反射させている。噴水が動いている所を見たのは生まれて初めてだった。
そして不思議に思った事がひとつあった。明かりだ。凄まじく広い広場には電灯が等間隔に設置されているがどれもその明かりは点いていない。
なのにまるで朝日のように眩しく暖かな光が、私を、広場全体を照らしていた。
「ここは、外……じゃないわよね」
「ここからじゃ細かく見えないけど、と言うか見たら目がおかしくなっちゃうけど、太陽光に類似した光を発生させられる装置が天井全体に張り巡らされているのさ。天候も全て思い通り。もうじき夜になるけど、その時には天井に星空が見えるよ」
開いた口が塞がらない。外と変わらない生活を普通に地下でできるというのか。地上にわざわざ出る必要も無いのではと思ってしまう。
側にある花壇に近寄る。小さいシクラメンの花がどこから吹いているのかも分からない風に撫でられてその花弁を揺らしている。しゃがみ込んで観察していると、後ろからコロナがそれを覗き込んできた。
「本物だよ。本物の花。ここにある物全てね」
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