第30話 死の灰を踏みしめて:後編

 私が発した言葉で蛭雲童は察したのか顔が青ざめていくのが見て取れた。けれど今は感傷に浸る暇も無ければ蛭雲童の気持ちに寄り添ってあげる余裕も無い。


「数少ない親からの贈り物だから。なくさないで」


 そう言って私は蛭雲童の胸を押し、突き放す。

 唖然とした表情のまま、動けないでいる蛭雲童。


「ど、どういう事っすかあねさん!」

「魔都までの道案内って話だったでしょ。だから、お前は生きて魔都から出るの」

「あねさんはどうするんです!」


 蛭雲童の言葉を鼻で笑う。コロナだ。わざとらしく、聞こえるようにハッ、とよく通る高めの声で、わかんないかなぁ、と声をあげる。

 背後で見えないが、見なくてもわかる。演技がかったわざとらしい声だ。多分大げさにシッシッと手を振っている事だろう。


「君はもう用無しって事なんだよ。傭兵さん。ボクが必要なのはステアーだけなんだ。そろそろ消えないと――」


 冷ややかな笑い声をふくませながら、コロナは声色を低く、殺意を乗せて浴びせる。


「――気まぐれで殺しちゃうかもよ?」


 コロナは本気だ。本気で私以外の地上の人間に憎悪を抱いている。それがどこから来るものなのか分からない。あまりに無差別過ぎる。

 全ての人間に憎悪を向け、横浜では実際にその殺意を形にしている。そんなあっさり人を殺せるわけが無い。本当の、憎しみがなければ。

 一般人だろうがブリガンドだろうが関係ない、ありとあらゆる人間に対する怒りとはなんなのだろうか。私には理解できそうに無い。

 このまま蛭雲童をコロナの視界に入れさせているのはそれだけで危険だ。

 死の灰が風で舞い上がる。砂埃が舞うように、アスファルトの上から、ビルの窓の縁から、地下鉄の屋根から、舞い上がって、まるで紫煙のように宙を滞留する。

 私は腰の予備弾倉から少し蛭雲童に渡す。


「そいつを持って行け。それと……もう1つ聞いて欲しい頼みがあるの」


 その言葉に、蛭雲童は私の目を見つめる。そして、私の気持ちは変わらないのを理解すると無言で頷いた。


「理緒を、横浜ヴィレッジの教会に預けている理緒を頼む。その銃を見せればヴィレッジにも入れるだろうし、理緒も信用してくれると思う」

「……わかりやした。あねさん、その頼み、引き受けましょう」


 蛭雲童の言葉にしっかりとした決意を感じ取り、私は背後のコロナの方を見る。

 するとつまらなそうな表情をしているが、その顔にはさっさと行けよ。と書いてあった。少なくとも、見逃してやる。そういう顔だ。

 地下鉄への階段へ駆け出した蛭雲童を見送る。肩を押さえながらも、その足は速く、振り返る事無くその背中は地下へと消えていった。

 少しして、その地下鉄の階段へ近付く。


「何をしているんだいステアー?」


 背後から近付いてくるコロナを気にせず、私は黙々と準備をする。

 コロナは何も言わない、というよりも言う必要は無いのだが、周囲に取り巻きがいるのはわかっている。気配を消したつもりだろうが、蛭雲童は騙せても私には通用しない。

 横浜で見せたよく分からない狙撃の時には無かった明らかな人の気配。熟練の戦士独特の殺気にも似た気配。横須賀で出会った時のバヨネットが放っていたような、殺しを生業にする人間の気配だ。バヨネットのそれよりは大したことはない。しかし問題は数だ。

 粉雪のような灰が降り、更に霧のような白が視界を狭めているが、ビルの陰やコロナの背後に数人、8人ほどが私に向けて銃口を向けている。しかし殺意的なものは感じない。蛭雲童がいた時ですら。

 恐らく、横浜までコロナに付き添っていた嫌に気配を遮断する事に優れた狙撃主にほとんど任せているからだろう。そこまで信用される狙撃主と思うと私も迂闊に下手な事はできない。

 だが、これだけはやっておかねばならない。


「私の仕事よ。あと、ケジメかしらね」

「ケジメ?」


 そう、ケジメ。もう戻る事は無い。きっとこの広い魔都にはまだ多くの外界との繋がりはあるだろうけど、私が知る道は断っておきたい。そうでもしないと、また流されたり、逃げたくなった時に彼らに、理緒やホープ、蛭雲童に甘えてしまうかもしれないから。

 そして、今コロナやその後ろにいる奴らは背を向けた蛭雲童の後をつければ、簡単に殺してしまえるだろう。

 子どもに簡単に他人を殺せるように教育させるような連中だ。利用はしても、迎合はしない。絶対に。

 私は、私の為に生きる。


 私は立ち上がり、コロナの方へ向き直る。


「さあ、これからどうするの? 呼びつけておいて、やっぱ帰ってなんて言わないでしょうね」

「そんな事ないさ。歓迎するよ。ボクたちの家へ」


 ニコッと笑うコロナの笑顔は元が端整な顔立ちなのもあってか、作り物っぽい顔で更に作り笑いがわざとらしい。

 いや、コロナの心境的には本当に嬉しいから笑っているのかもしれないが、そうだとするならば致命的に笑うのが下手くそだ。

 この世界で笑顔でいられる人間もそうはいないが、逆に作り笑いが上手いやつは何人も見てきた。あと、汚く嗤う連中も。

 コロナはそのどれでもなかった。嬉しそうに笑って見せても、なにか違和感のある、どこか空虚な笑みだ。

 十歳そこらの歳の子どもが、何を経験し、何を学んでいたらこうまで哀れみを感じさせる表情になれるのかがわからなかった。


 コロナが軽く片手を挙げる。それが合図なのか、灰と霧に隠れた影が姿を見せる。

 揺らめく影が形を成すと、それらは奇妙な武装の兵士たちだった。なんとも奇妙な装備に思わず目が行く。

 全身を隙間無く覆う黒い全身タイツのような服に、光を鈍く反射する厚い防具は胸や関節を覆っており、その姿はまるで特撮の戦隊ヒーローのそれだ。

 その色合いや、手にしているSCARスカーに似た機関銃を見るにとても正義の使者、という風貌ではない。

 そいつらが現れた時、一瞬全身が突如としてその場に現れたように見えたのは気のせいだろうか。

 腰には拳銃、オートマチックだろう形状だが見た事の無い形をしている。それに同じく見た事がない物、しかしその形からグレネードだと言うのはわかった。丸いボール型のと、円柱形をした物が見てとれる。

 顔も体に纏う奇妙な材質のマスクのようなもので隠しており、丸いレンズとマスクがいつか観たロボット物のアニメの雑魚敵を連想させた。


 その雑魚なのか歴戦の戦士なのかちぐはぐな風体の兵士がコロナの周りに集まる。するとその兵士たちの顔を見てコロナはアッと声を漏らす。


「そういやステアー。どうしてそんなマスクつけているんだい?」

「え……」

「君の体、地上の荒廃した世界でも普通に生きていけるように出来ているんだよ。薄々自分でも気付いているのかと思ったんだけどな」


 その言葉に自分の今までの行動を振り返ってみる。

 言われてみれば、川崎駅でブリガンドを片付けている時なんて殆どマスクをつけなかった。周りに止められていたけど、マスク越しの呼吸に慣れなくて。

 そんな大した汚染区域でもないのだからと油断もあったけど、それでも長時間外での活動をしていても身体に影響は今のところ無い。

 横須賀でバヨネットと戦った時も、今思えば汚染された雪を吸い込んでいたかもしれないが、なんとも無かった。横浜でのコロナの言葉が脳裏に浮かぶ。


 〝君とボクは選ばれし存在なんだよ。新たな人類としてね。今は疑っても構わない〟

 〝生まれて直ぐに研究員の裏切りにあって誘拐されたっていうじゃないか〟

 〝ボクは君の遺伝子情報を読み取り、現在の姿をシミュレーションしてステアーを探すことにしたのさ〟


 本当だって言うのか? 私にそんな馬鹿げた話を信じろと……?


 〝ボクの組織で新人類を生み出す研究をしていた時の試作品、プロトタイプだったのさ〟


 黙ったまま、私はマスクをはずした。目の前で少年の姿をした何かがクスッと笑う。


「もしかして、半信半疑でここまで来たのかな? ボクの言っている事は真実だよステアー」

「私は、私は人間じゃない……?」


 私の素直な疑問だ。しかしその言葉にコロナは機嫌を損ねたらしい。眉間に子どもらしからぬ深いシワを刻んで私の目を真っ直ぐ睨みつけた。初めて見せる包み隠す事のない怒りの感情。


「それじゃ、ボクも人間じゃないような言い方じゃないか。訂正してくれるかな」


 声は落ち着き払っているが、その表情からは明らかに冷静さを欠いているように見える。案外自分の感情は制御しきれていないようだ。冷静沈着の鬼畜を装ってはいるが、まだその境地には達していないのが窺える。

 私は自分の気持ちに嘘はつけない。コロナが作られた命だとして、私がその試作品だったとするならば、もはや物扱いではないか。コロナは自分でそう言ったのだ。

 でも今は否定している。自分の存在をまだ自分で理解していないのか、それともまだ理解できないのか、理解するのを拒絶しているのか。

 言葉を選ぼうと思ったが、感情に揺れている今こそ逆に率直に聞くべきだと思った。


「訂正する前に聞きたいわ。コロナ」


 私がそう呼ぶと急に周りの兵士が銃口をこちらに向ける。その動きはプロそのものだ。私も肩に提げたTMPに手を掛ける。しかし既に銃口を向けている相手の方が撃つのは速い。


「貴様! コロナ様を呼び捨てとは自分の立場が分かっていないようだな!」


 兵士の一人がそう叫ぶ。

 しかし、その兵士は次の瞬間突如として頭から僅かな血を飛び散らかして、白い地面に沈んだ。

 私は何が起こったのか理解しようとしたがわけが分からなかった。私に罵声を浴びせた兵士はそのまま地面の白を赤く染めて、手足を痙攣させている。

 頭を何かで撃ち抜かれたのだろう。もうじきその動きも止まるのは想像に難くなかった。

 周りの兵士が急にコロナから距離を取って銃を下ろし、背筋を伸ばすと敬礼したまま硬直した。

 倒れ、こときれつつある兵士に向かってコロナはゆっくり歩み寄るとその頭を蹴っ飛ばした。


「お前が一番立場を分かっていなかったな。……お前たち――」


 お前たち。というのは兵士たちの事だろう。呼ばれた兵士たちは皆、口をハッ! と声を挙げる。微妙に上ずった声も混じっていたように思う。


「――遠路遥々神奈川の廃墟街から、此処、首都東京の地まで足を運んでくれたステアーはボクの客人にして我々タカマガハラの人間を導く1人だ。そんな彼女に、銃口を向けたな?」


 コロナの鋭い視線が囲いの兵士を一瞥していく。そんなコロナに大の大人である兵士たちは即座に、申し訳ありません! お許しを! と敬礼から即座に直立姿勢に戻るなり頭を下げたのだ。

 子供一人に数人の大人が取り囲んだ状態。そんな中で中心のコロナに皆が許しを請う光景は違和感の塊だ。

 まあいい、とコロナは言うも、良くはないのだろう。その言葉の後に、命だけは取らないでおいてやる。と恐らく付け加えられているのだろう。


「ステアー。ボクたちは人間だ。それも新たな人間、新人類とでも言うべきかな」

「新人類?」

「そう、核の冬を越え、いまだ汚染され、瓦礫と死者と灰の山と化したこの廃世の世界で、汚れる事無く自由に生きる事ができる新たな人類種なんだよ」


 再び私の目を見るコロナの表情は、最初に見た貼り付けたような笑顔に戻っていた。そして決意を宿した狂気にも似た瞳も。

 横浜で一瞬見せた子どもらしさのある光を宿した瞳は今は一切見えない。

 自分と私を指して新人類と呼ぶコロナ。

 やや早口に高らかに語るその姿にどこか必死さも感じられたが、何に必死になっているのか私にはわからなかった。自己肯定に必死ならばなんて哀れな姿なのだろうとも思ったが、次の瞬間にはそう思うのもやめる事にした。


「ステアー。ボクはね、ずっと独り、独りだったんだ。だけどボクと同じ人間がいる。今、目の前に……! 絶対、絶対離さないから……!」


 急に泣き出しそうな声を挙げて駆け寄ってきたコロナは、私の腰に腕を回すときつく抱きついてきた。ああ、この子は、必死で強がっていたが、寂しかったのか。

 私は反射的に、理緒にしてあげていた時のように、癖毛の頭をそっと撫でた。


「……コロナ。何があったかわからないけど。此処は危ないわ。あなた達のヴィレッジに案内して」

「ヴィレッジ……? ああ、ステアーたちは自分の居住区をそう呼んでいるんだっけ。いいよ。ついてきて」


 コロナは顔を上げて私の顔を見て漸く素直な笑顔を見せた。思わず見惚れてしまうほどに美しいその顔を見た時、一瞬だが世界の時が止まって感じた。

 手を引かれ、私たちは歩き始める。




 今にも崩れ落ちてきそうな高層ビルが折り重なる瓦礫のアーチ、骨組みはあの奇妙な巨大植物だろうか。

 それに足元に積もる灰と周囲に舞う霧。どこか幻想的で、どこか悲壮感の漂う、胸騒ぎのする世界を私とコロナ、そして兵士たちが進む。

 私は気になった事があった。コロナの言った聞き馴染みの無い単語だ。


「ねぇ、さっき言っていたハイセってなに?」

「廃世? ああ、ボクたちの中での、今の外界をそう呼称しているんだ。退廃し、棄てられた世界。ボクたちはそんな廃世をこれから作り変えるのさ」


 これ以上話を聞くと長くなりそうだなと直感し。私は他の疑問を投げかける事にした。コロナたちの思想は気にはなるが、今聞いたところで頭に入る気がしなかったからだ。


「タカマガハラって?」

「ボクたちの住むアーコロジー、まぁ、大きなシェルターって言えば良いかな。そこの名前であって、そしてボクたち組織の名前でもある。これからは、ステアーもタカマガハラの仲間だよ」

「そう……」


 私は周囲の見慣れない景色を目に焼き付けながら、話を聞いていた。そんな私の手をコロナは強く引っ張った。


「そういやステアー」

「……? なに?」


 見上げていた視界を下に落とし、手を握るコロナを見る。青紫の綺麗な瞳が私を捉える。そしてコロナは漸く、心の篭った言葉を紡いだ。


「言い忘れてた。……おかえり」

「……ああ、ただいま」


 本当に帰るべき場所かわからない。でも、今は私の居場所になるだろうか。不安は拭いきれない。

 私はその昔、繁栄を極めた首都、今は魔都と呼ばれる東京の地を、死の灰を踏みしめながら、見えない明日に向かって漸く一歩、進み始めた。


「ところでさっき、何していたの? ケジメがどうこうって……」

「ん、ああ。頼まれ事だよ」


 取り出した起爆スイッチを押す。逡巡、そしてかすかに地面が揺れる。コロナは察したようにニヤッと笑った。


「あんな道ひとつ潰してもしょうがないじゃない」


 酷く冷静な、苦笑混じりの言葉。その言葉を放つコロナからは少なくとも1人は守れたと思う。そして、この魔都から出て行くミュータントに殺されるだろう多くの命は、守れただろうか。

 それは分からない。ミュータントの他にだって多くの危険がこの世界を蝕んでいるのだから。


「少なくとも何人かの命は救えたと思うわ」


 私の答えに、コロナは目を座らせて肩をすくめるだけだった。

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