第23話 進化の形:前編

 なんど殴りつけたか、どれだけの時間が経ったのか分からない。気付けば後ろのキャンプファイアの炎は弱り始めていた。

 私の下で倒れている男は既に意識はなく、顔は骨が砕けてしまったのかありえない位に頬や鼻が窪んで血に塗れていた。

 その表情すら分からないが、目も片目が潰れており残った目は虚空を見つめたまま瞳孔が開かれていた。もうその汚い口を開く事もないだろう。


「素手で殺っちまったのか? 大した腕だ。短機関銃片手でぶっ放すだけはあるな」


 背後で男の声がする。

 ゆっくり立ち上がると背後の男は煙草をふかしていたのか、吸殻を落として足で残り火を踏み消した。

 嫌悪感抱く鼻についた声が軽やかな足取りで近づいてくる。


「いやぁ助かったぜぇ。コイツには散々泥水を啜らされてきたんだ……ヘヘヘっ」


 ヘラヘラと笑いながら男が私の横に来た瞬間。私は無言で男の顔面に裏拳を叩き込んでいた。

 鈍い音がすると男はよたよたと後ずさりながら鼻を押さえる。感触的には折れてはいないだろう。

 折るつもりだったが、痛みが走った瞬間に咄嗟に後退したんだろう。痛みに敏感、と言うより私に最初から警戒していたようだ。


「ひっ……い、いてぇ……」


 振り向くと男は私に怯えているような視線を向けているが、知ったことではない。

 私は前に出ると私の歩数の倍程男はよろけながら後ろに下がっていく。しかし、その辺に転がっているお仲間の死体に蹴躓く。

 ドサリッと尻から地面に倒れた男は私と目が合った瞬間ヒッと小さく悲鳴を上げた。


「退け。殺すわよ」

「は、は、はぃ……!」


 男は足の下にある死体を蹴っ飛ばし体を曲げて四つんばいになるとわたわたとテントの中へと消えていった。

 物音がしなくなったテントをひと睨みし、その後ゆっくりと彼の元へ歩み寄る。多くの死体が横たわる中、唯一安らかな表情のままに眠りについた、枸杞の元へ。


 私はゆっくりと枸杞を抱き上げ、橋の下に寝かせてやる。雨や汚染降下物に曝されるのは、かわいそうだ。

 コンクリートの壁に背を預けて眠る枸杞の頬を撫でる。

 何時つけられたのか分からない火傷の痕も冷たく、元から顔色があまりよくなかった彼の肌は真っ白で、それは皮肉にも今までの中で一番綺麗で、生きている錯覚すら覚えた。


「ごめんよ……。私は、枸杞、お前を連れて行けない」


 枸杞の頭を優しく、体が倒れないように静かに撫でると、私はホルスターからTMPを抜き、振り向きざまに構えた。

 テントに向かって何発か銃弾を撃ち込めば、冷蔵庫を蹴っ飛ばされた時に後ろで隠れていたゴキブリのような俊敏さでテントの中からさっきの男が飛び出してきた。


「ま、待て待て! 話せば分かる! 他の連中と一緒にしないでくれぇ!」


 上ずった声で叫ぶ男は私の前まで駆け寄ってくると丸腰で土下座をしてきた。


「お、俺の名前は蛭雲童って言います。あ、あねさん、ちょっとお話しやしょう……?」


 蛭雲童とか言われていた野郎に銃口を向ける。野郎は即座に降伏の姿勢を見せたが、枸杞にしてきた仕打ちを思うととても冷静ではいられず、激情のままに拳を振り下ろし、殴りつけた。


「ウグッ! す、すいやせん! すいやせん!」


 枸杞がどんなに苦しんだか、こいつには分かるまい……!

 土下座の姿勢を崩さない蛭雲童の頭を蹴り上げる。その顔は鼻血を流しながら苦しげに告白する。


「す、すまねぇ、俺だって本意じゃなかった。上に無理矢理やらされてたんだ、許してくだせぇ!」


 蛭雲童の告白は続く。


「元は俺がリーダーだった奴隷商人組織があったんでさぁ。それが革命軍にだまし討ちに遭って、組織は吸収されちまった。俺はそいつらに殺されそうになったが、やつらの言う事を聞く条件で生かされた今があるで……ヘ、ヘヘっ」


 引きつった笑いを浮かべ蛭雲童はゆっくり膝をつきながらも起き上がる。


「命あっての物種だからなぁ……あねさんもわかりますでしょお?」


 その言葉に、私は黙って聞いていたが衝動的に蛭雲童の股間を蹴り飛ばした。


「枸杞の前でも同じことが言えるのか、この外道!!」

「ひぃぃぃ……」


 悶えながらも地に伏して、もがきながらも再び土下座の姿勢を作る。しかし、それがなんになるというのだ。枸杞はもう……。

 とてもじゃないが、蛭雲童、いや、ブリガンドの生き方に共感などできはしない。罪もない人間の人生を踏みにじって生きるようなことなど。

 この文明が滅び、道徳なんて言葉になんの意味もなくなった世界において、たとえ古臭い正義感だと笑われるような価値観であってもだ。

 目の前で小さくなっている蛭雲童を無視して私はこの場を後にしようと歩き出す。だが蛭雲童は背後で私を呼び止めた。


「待ってくれ。あねさん。これからどこへ行こうってんだ?」


 振り向いて、答える。


「魔都。塀の向こう側」


 その言葉に切れ長の蛭雲童の瞳は大きく見開かれる。


「塀の向こうだって!? 正気か!」


 蛭雲童の反応は当然の反応と言える。

 東京、と言えば既にその地は踏んでいる。だが塀の向こう。市ヶ谷を中心に広がる円形の巨大な緊急防衛用城壁の内側の世界。人が踏み入って、帰ってきたものは殆どいない。


「自分でも酔狂だと思う。だけど行かなきゃならないのよ。……アンタには関係無い話よ」


 銃口を向けた。引き金は引かないが、妙な真似をしたら即座に撃ち殺す。それを言わずとも目の前の男は覚悟しているようで両手を高らかに夜空へ挙げたまま動かない。

 しかしその目は先ほどまでのそこら辺にいるならず者の知性を感じられないクズのそれとは違い、真剣な眼差しだった。


「……分かった。塀の中、魔都の中は分からねぇ。だが首都圏の地理なら分かる。とんでもなく危険な場所だ。道案内を任せてくれないか」


 私達の間に吹き抜けた風は冷たい。東京方面から吹く風だ。

 どういうつもりか知らないが、この男は私について行くといっているのだ。

 少し冷静さを取り戻した私は、蛭雲童を信用したわけではないが、確かに道案内がいた方がいい。単純に自分の損得の問題だ。

 それに、肉盾としてなら使えるだろう。コイツが死んでも私の心にミリも傷はつかない。

 歩み寄り、蛭雲童の胸に銃口を押し付けて答えた。


「前を歩け。妙な真似をしたら殺す。何かに襲われる事があれば盾になってもらうわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。流石に丸腰は無茶だぜ。盾になるって言っても一瞬でやられるだけじゃ盾にもなんねぇって!」


 それもそうだ。だが余計な武装をさせたらこの手の奴は調子に乗る。一度わざと聞こえるように舌打ちしてみせるとため息をついた。


「銃を一挺。近接武器一挺。それ以上持とうものなら人差し指を切り落とす。武器と物資をかき集めるのよ」

「わ、わかりやした」


 夜が明ける前に私と蛭雲童はキャンプ地のテントの中から出来るだけの物資と弾丸をかき集めた。

 軍用弾薬も相当数見つかり、TMP用の弾も元取れるぐらいには回収できたので全て空き弾倉に詰めることが出来た。

 蛭雲童の助言では首都圏は未だ核の冬が続いているのではと思われる程の異常気象が続き、年中雪が降る程の寒さが続いているという。

 最初から風除け泥除けに外套は纏っていたが極度の寒さには効果は無い。

 よく死体や蛭雲童の姿を確認すると私よりも大分厚着しているように見えた。その助言に嘘は無いだろう。

 本人も、本当に魔都に行くなら魔都に近付くほど寒さの厳しさを増すから俺ももう少し着込むといい、少し前まで上官だった男の死体から上着を引っぺがしながら物言わぬ体に痰を吐きつけていた。



******



 橋の上に置いていたライフルを回収し、奇妙な二人旅が始まった。

 蛭雲童は結局武器として中国産のトカレフ、五四式拳銃の後継銃と言う粗悪で安価な拳銃と、この男の元ボスが持っていた軍刀を腰に差していた。

 元は蛭雲童の刀だったようで、自分が仕切っていたチームが存在していた頃からの愛用品だったらしく、五芒星革命軍に吸収された際に接収されてしまったらしい。

 漸く手元に戻った自分の得物を見につけられて蛭雲童は心なしか上機嫌のようだ。後ろから私に睨まれている事もあまり気になってないように見える。


 歩き始めて私たちは北西に進んでいた。

 魔都に向かいつつ、さっきまでいた河川敷の最寄に存在する大きなヴィレッジと言うのが渋谷に存在するらしい。

 最寄のという条件だけでいえばヴィレッジはあったがコイツ等が潰してしまった。

 一々ブリガンドの悪事を追求しても仕方が無いし、蛭雲童一人にこれ以上圧力をかけても無意味だ。

 私は東京の地には疎かったので、川崎以上に入り組んだ廃墟の町並みを進んでヴィレッジまで向かうというのは難しい。

 昔であればこれでもかと言うほどに道路が張り巡らされ、どこへでも簡単に行けたであろう均整化された都市部はその面影を残しているだけで今や存在しない。

 東京一極集中とまで言われた他国に例を見ないほどに文字通り全てがそこにあった地の残骸だ。

 どこを見ても天高くそびえ立つ高層ビル群の大半が折れて崩れ、多くの道路を潰し、都市丸ごと広大な迷宮へと変貌している。

 私のいた川崎も、工業都市、商業都市としての側面が強く、そこまでオフィスビル等の超高層ビルなんてものはあまりなく、川崎ヴィレッジ周辺は駅と繁華街で建物自体の背は東京都比較しても低かった。

 空を見上げて、空が狭いと感じたことは無かった。

 見上げた空は日が昇っても相変わらず灰色で、蛭雲童が言うように午前中にも関わらず肌で感じるほどの寒さの変化があり、ほろほろと僅かながら雪も降り始めていた。

 それを見るなり蛭雲童は小さく舌打ちする。


「参ったな。酷くなったら最悪積もる。足場が悪いとミュータントとやりあった時面倒だぜ……」


 その独り言に私は思わず口を開いた。


「ミュータントですって?」

「あねさん聞いた事ないんで? 大型犬みたいな四速歩行の獰猛な化け物ですぜ」


 あくまで化け物と呼ぶ辺り、ただの犬とは違うらしい。ミュータントは見たことはあるがその頻度は少なかった。

 実際にやりあった事もあったが、その時は探索隊の仲間と大人数で逃げるミュータントを追い回して一方的に退治していたからその脅威と言うのを実感したことは無かった。

 そもそもミュータントは別に犬型に限らないと言おうと思ったが、私は先の話を急いでいた。


「いや、知っているけど、そんなに頻繁に出るの?」

「東京内での死因ランキングトップ3には入りますかねぇ……」


 どう統計を取っているんだか分からんなんとも突っ込み難く寒い言い回しに私は反応し辛かった。


「とりあえず犬型で足が取られると面倒って事はそれなりに早く、最悪群れているって事でいいのかしら」

「流石。察しがいいですぜ、あねさん」


 私はいい加減気になっていた事に対して口にする事にした。


「アンタ。そのあねさんって言うのやめてくれないかしら。少なくともアンタより私は年下よ」


 蛭雲童は長年ブリガンドをやってきているだけにガタイははっきりいって良い部類だ。

 背も私より高いしそのツラは二十代後半、いや三十路といってもいいくらいでどう見たって私の方が年下だ。

 虫唾が走る表現だが、親子ですといっても馬鹿ならそうですかと信じてしまうだろう。

 私の言葉に蛭雲童は振り向くとぽかんとした表情でこっちを見つめる。


「な、なによ」

「いや、あねさんそういや名前聞いてなかったもんで……」


 そういえば、蛭雲童は勝手に自分から名乗ってきたが私は名前を教えてなかった。最初は殆ど殺す気でいたがなんだか気が削がれて結局こんな事に……。

 だが実際に助かってしまっているだけに今後も共に行動するなら名前を知ってないのは不便だろう。

 取り繕った笑みを浮かべる蛭雲童に向かって私は今更ながら名乗る。


「そうだったわね。私は――」

「シッ!」


 いいかけた所でいきなり蛭雲童は左手人差し指を立て自身の唇に当て黙るようにとジェスチャーして見せる。だがそれだけではない。

 蛭雲童は下手に出る為にわざと頭を低くして見せていたが今の姿は外敵に警戒する戦士のそれだ。

 中腰の姿勢で素早く立ち回れるように足を開き、右手はいつの間にか腰の軍刀のグリップにかかっていた。

 こいつ、口先だけで生きてきた奴かと思っていたが、思い違いだったかもしれない。

 そして蛭雲童が警戒したそれを私も聞き取ることが出来た。


「ウォォーン、ウォォーン――」


 ……遠吠えだ。風の音、瓦礫の隙間を抜ける鳴き声のような風の音に紛れて明らかに獣のそれが聞こえる。

 常人ではもう少し近くでないと気付かなかっただろうその声に、目の前のさっきまで私に銃を向けられビビッていた男が気付いたというのか。私よりも少し前を歩いていただけで。


 そうこうしている内に、アスファルトを蹴るいくつもの足音が耳に入り、私はTMPを二挺抜いた。それと同時に蛭雲童も再び私の方ではなく、私と同じ前へと向き直る。


「噂をすれば何とやらだな、おいでなすったぜぇ……」


 蛭雲童が身構えると、その先にいたのは大型犬のようなもの、それが現れる。ミュータントだ。

 犬のような四足歩行のシルエット。犬ではあるがそれが物凄い速度でこちらに迫って来る。近くに来る頃にはその三頭の姿の詳細が見れた。

 全身は毛が無く、ケロイドのような赤く爛れた皮膚が全身を包みこんだ醜悪な表皮。

 涎を撒き散らしながら頭から突っ込んでくるその目は斜視なのか、両目の焦点が一点を捉えておらずそれが生理的嫌悪を胃の底から這い上がらせた。

 今まで自分が見てきたミュータントという存在は、やけに角が長い鹿、足が多い馬等、まだ元の動物で例えられたものであった。

 だが眼前に迫る三頭のソレはサイズ、シルエットが犬のそれでもその姿は文字通り化け物。

 地獄の炎に身を焦がしたまま地上に現れた狂犬の様相だ。

 だが、人間相手より動物を狩る方が慣れている。犬を撃ち殺す事も、躊躇いはあれどやってきた事だ。今更たじろぐものか。


「俺がやりますんで、ねえさんは援護を頼みますぜぇ!」


 叫ぶ蛭雲童。私は両手で両サイドの犬型ミュータントを狙う。

 中央の化け犬は蛭雲童に向かって真っ直ぐ突進している。そいつはそのまま任す事にして、残り二頭は私が引き受けることにしよう。

 素早い敵とはいえ、人間みたいに防具を身につけているわけでもなければ、銃で精密射撃してくるわけじゃない。

 鉛弾をぶちこんでやれば、その露出した肉を裂き、倒すことはさほど難しくないはずだ。

 それは、どんなに姿形を変えようとも道具を作り出せない獣の限界だ。


「ヒャッハー! ショーウターイムッ! 俺の溶断刀カグツチで焼き切って即興バーベキューパーティだああああああッ!!」

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