第19話 居場所を探して:後編

 考えをまとめる為にとシャワーを浴びに浴室に入る。

 地上の施設の廃ビルではあるが、水道周りは工事を行っていて雑な工事ながら地下のシェルターにある超大型浄水施設から除染した水を通していると入居の際にアスンプト神父に聞いていた。

 その工事の為天井の隅には配管が走り、見た目が悪くなるとか言っていたが、剥がれかけた壁紙、穴の開いた絨毯、一部割れている照明。

 見た目を気にする人間だとしても一応は生活環境が整っていれば上出来だ。路上で寝泊りするよりは遥かにマシといえる。


「つめたっ」


 冷たい水を頭から浴びて思わずその場を飛び退いた。

 ああ、そうだ。ここはシェルターの中じゃない。すぐにお湯など出る筈がない。少し上がった心拍数を下げるように胸に手をあてた。

 湯気が出てきたところでようやくシャワーに身を預ける。

 ホテルの客室に備え付けられた小さなユニットバス。浴槽の取り付けられた場所にシャワーも取り付けられている。

 あまり湯船に浸かる習慣は無かったが、シャワーは小さい頃から好きだった。

 別にお湯に浸かるのが嫌いなわけではない。ただ全裸で無防備の状態、全身をお湯に沈めたままでいるのがなんとなく落ち着かないだけで。


 温かい粒が肌を叩く感覚に無駄な思考を流してもらう。そうしていると考え事に集中できる。

 植物から作られた洗髪剤で髪を洗う。

 赤黒いとも紫とも例えられそうな見た目は自分の体に塗りつけるには少し抵抗があったが仕方ない。


 浴槽に打ち付けられる水音。体を伝う湯の感覚に意識を向けながら思考に耽る。

 全身に細かく残る、消えかけの傷跡。小さい頃から生傷が絶えなかった。


 南部もコロナの言う組織の人間だったのかもしれない。

 そうなると私の周りにはずっとその組織の関係者がいたことになる。そして南部は私の境遇に、なんらかの心当たりがあることを最期に言っていた。

 小奇麗なガキに気をつけろ。そう言った。それは十中八九コロナの事だろう。

 この教会に入っている孤児院も綺麗な法衣を身に纏った孤児達がいる。けれど彼らは見たら分かったが服が綺麗なだけだ。

 それに長く着ている子の法衣は流石に傷んでいたし、殆どの子は手が労働者のように傷やマメだらけだった。

 最初はそれでも小綺麗には変わりないかと思っていて孤児たちと距離を置いていたがコロナを見た瞬間それが勘違いだとすぐ感じた。

 長年ヴィレッジに住んでいた南部がコロナのような少年の存在を知る方法は限られてくる。

 探索隊から少年の情報を聞いたり、私がいない間にコロナがヴィレッジに訪れる等も考えられるが、南部が直接コロナと会ったり、近くにいる事が分かっていたなら私に警告する前にどうにかしていただろう……。

 あの謎の狙撃が厄介だろうが、ヴィレッジ内におびき寄せれば超長距離攻撃は封じれる筈だ。

 そうすると、ヴィレッジに住む前から、コロナが生まれる前からその存在を知っていてもおかしくない。

 名前を言えなかったのは、その時コロナは生まれていなくて名前がつけられていなかったからだ。そしていずれコロナは私を探しに近づいてくることを察していた。


 かつての東京。

 今は地獄の釜、魔都と呼ばれる地と化している。魔都の周りのヴィレッジは常に名状しがたい化け物が魔都から出てくるのを阻止するので手一杯と聞く。

 昔川崎の廃墟探索の際にビルから遠景を眺めた時に魔都を見たことがあった。魔都をというよりも、魔都を囲っている壁をだが。

 遠くからも見える大きな壁はどのくらいの高さがあるか分かりかねるが相当高いものなのは確かだ。壁の内側、魔都の実態を知るものはいない。

 生きて帰ってきたものは極僅か。その人たちもみんな精神的にも肉体的にも弱っていて、生きて戻ってきてもその後普通の生活を送れた者はいないと言う噂はこの神奈川に点在するヴィレッジ中が知っている。

 そんな話を聞いて魔都周辺から人が減り、魔都周辺のヴィレッジに向かうキャラバン隊もその数を減らした。

 今、魔都周辺がどうなっているかも知る人は少ない。

 結局、地上の人間は自分が助かるためには他を見捨てることができる。

 でもそれも仕方のないこと。誰もが自分が死ぬかもしれない場所へ恐れず向かえるというわけがない。

 魔都周辺のヴィレッジが魔都から来る化け物を逃がさぬように狩っているだろうに化け物を恐れて横浜も、他のヴィレッジも首都圏に関与しなくなった。

 私が魔都の噂を知っていたのは、私のヴィレッジが首都圏のヴィレッジと僅かに交易があったからだ。

 神奈川北部と魔都周辺はあの大型ブリガンド集団、五芒星革命軍の活動が活発な区域だ。

 その為にルートを固定化できず多くの回り道を余儀なくされるがそれでも無事にヴィレッジ間を行き来できることは少ない。

 ……もう往復することもできなくなったが。


 地上で生きるには他人を利用はしても助ける余裕は誰にも残されていない。

 川崎ヴィレッジに横浜ヴィレッジが部隊を作って送り出したのも、五芒星革命軍との緩衝地帯、つまりは"盾"を失いたくないだけだったに過ぎないんだ。

 生き残った人達を保護してくれたことは感謝するが、献身と言う気持ちでの事ではないのだろう。

 その事に気づいてため息をつく。


「なんで私、こんな所にいるんだろう……」


 コンコン――。

 浴室の扉の向こう、私室の扉がノックされる。

 反射的にシャワーのハンドルを閉めて止めて呼吸を浅くしてしまう。


「ステアーいるー?」


 理緒だ。声のトーンが高い。それだけで少し安心する。

 ぱたぱたと部屋の中に入ってくる足音を聞いて私はバスタオルで軽く体についた湯を拭うと浴室を出た。

 胸につっかかった落胆の思いは、シャワーでは流しきれなかった。


 居間に出ると理緒の後ろ姿があった。

 私が扉を開けた音に気づいてこちらに振り向くと、理緒は途端に顔を真っ赤にして再び背を向けてしまった。


「ちょ、ちょっとステアー……」


 背中を丸めて小刻みに震える理緒。何をそんなに恥ずかしがっているのか。


「なにしてるんだ。何か様があったんじゃないのか?」

「あるけど! なんで僕が一方的に恥ずかしがらないとならないのさ! ほらもう服着てよ!」


 ローテーブルに丸めて置いてあった私の服を理緒が掴むと投げ渡す。投げつけられた服を唖然としたまま掴み取る。

 理緒は居間の隅に増設された台所へ背を向けたまま走る。


「どうせまた簡単な飯で済ます気でしょ。台所借りるよ」


 私の返事を待たずに勝手に流しの下の収納を漁る。しかし直ぐに腰に手を当てて明らかに、呆れた、と言いたげな仕草をして見せる。


「まったく……フライパンひとつも無いのかここ。ちょっと取ってくるから、待っててよね!」


 そういって振り向くと理緒をまた顔を赤くして瞼をきつく閉じると「早く着替えろよ馬鹿ァ!」って言って走り出すと私の横をすり抜けて部屋から飛び出していった。

 嵐のようにやってきて去っていった理緒、静かになった部屋に私は首を捻りながらいそいそと渡された服を広げる。なにを今更、私の体を見たぐらいで恥ずかしがっているんだか。


 ゴトッ――。


「ん……?」


 丸められた服を広げると服が上下逆であり、広げた拍子にポケットから何かが落ちて出てきたようだ。それが絨毯の上に落ち、鈍い音を立てて沈んだ。

 なんだこれは……。

 それは私が見たこともない物だった。自分が知らないものを自分の服に自分でしまえる訳がない。警戒しつつ、しゃがみこんでソレに手を伸ばす。

 棒状の物体だ。金属で、見慣れない鉛色をしている。妙に綺麗なのだ。

 水洗いして表面の傷がなくなるまで研磨したような綺麗さだ。だがこれは研磨したようなものではない。そういう形に製造された物で、外の埃にまみれていない物だ。

 指先で少し突き、摘み上げる。棒の側面にはなにやら小さく隙間が開いている。

 観察していると端の部分が摘みになっており、捻るように指示する矢印の記号が刻まれていた。

 パッと見た限り、仮に爆薬だったとしても大きさ的に殺傷能力をもたらす程の物ではないだろう。

 カチリ、と少し捻っただけで何か音がすると側面の隙間から光が放たれた。


「これは……!」


 棒の側面から放たれた緑の光は中に図形を描き出す。

 それは地図の様だが見た事の無い場所だ。しかしこれでこの棒状の物が何か分かった。

 電子地図。時折軍関係の施設で古い物を見たことがある。起動する物は少なかったが大体は古い地図だ。

 世界が今の姿になる前の、在りし日の整えられたビル郡や道路が表示され、当時の姿を想像したものだが、これはそういうものではない。

 崩れたビルなどで塞がれた道、地面に開いた穴。崩壊したどこかの都市を平面状に記されている。

 これは、近年に作られたものだ。


 裏路地で逃げる男に意識を向けている間に、私の服に仕込んでいたのか……! ここまで舐められるとは、クソッ!

 コロナはどうにかしてでも私を魔都に向かわせたいみたいだ。




 舌打ちを鳴らした瞬間、突然外から銃声が一発聞こえた。反射的にテーブルの上に置いた銃を手にして部屋を飛び出した。

 ビルのすぐ外だ。何かあったに違いない。急いで階段を駆け下りる。

 そしてエントランスを駆けて外に飛び出すと、そこには数十人、数え切れない数の人がビルに押し寄せており、それを神父と警備隊が中へ入れまいと受け止めていた。

 押しかける人々は私が外に出た瞬間に罵声を向けてくる。


「出てきやがったな疫病神!」

「テメェの勝手で俺のダチが死んだ! 許さねぇ!」


 初めて向けられる多くの罵声に思わず一歩後ずさる。


「こ、これは……」

「どうしたのです!」


 私の背後からアスンプト神父が駆けつけてきた。

 憎悪の波の中に見たことある顔をみつけた。裏路地で逃したあの男だ。きっと死んだ救助隊の関係者を焚きつけたのだろう。

 私は膝から崩れ落ちる。が、へたり込むことも許されなかった。


「しっかりしてください!」


 アスンプト神父が倒れかけた私の体を支える。

 血の気が引いているのか、神父の手が熱く感じた。

 呆然としていると警備隊の隙間から一人の男が私に向かって走ってくる。私はそれに気づくも黙ってみていた。


「このアマァ!!」


 怒り狂う男は拳を振りかぶる。神父が必死にやめなさいと叫んでいるが、言葉一つで静まる怒りではない。

 私はその怒りを受け入れるしかない。瞼を閉じる。


「なにしやがるお前!」


 高い少年の声に私は瞼を開く。理緒の声だ。私が再び闇の世界から現実に戻った時、目の前にいた男は中を舞う鉄の塊とともに床に倒れた。

 乾いた音を響かせながら鉄の塊が落ちる。フライパンだ。理緒が投げたのだろう。

 アスンプトは私を支え起こすとビルの中へ誘導する。理緒の頭を神父がそっと撫でる。


「よくやりました。理緒」

「ステアーに酷い事する奴は僕が許さないからな!」


 そう倒れる男に浴びせかけると神父の後ろをついて理緒は歩き出した。




 ああ、やっぱり私は、ここに居場所なんて無いんだ。

 ようやく体温を取り戻した時。私は一人で自室にいた。吹っ切れた。もういい。私は……。




 それからどうやって手早く準備したか分からない。

 新しいマスク、いつもの銃、薬品、弾丸、サバイバル用品一式、大型バックパック。いつ終わるか分からない旅には不十分かもしれないが、今できることはやった。

 横浜の改札を抜け、北へ向かう。そう、奴のもとへ。


 何故だか吸い慣れた空気が新鮮に感じる。立ち止まって肺いっぱいに空気を吸い込み、吐き出すと足を前に動かした。


「待ってステアー!」


 背後からの声に私は振り返れなかった。


「どうしたの、理緒」

「こっちの台詞だよステアー! 黙って出て行こうとするなんて! 僕も一緒に……」

「駄目よ」


 理緒の言葉を遮り、ぴしゃりと言い放つ。語気を強めたせいか理緒が背後でびくりと怯える気配がした。胸が締め付けられる。


「今の私じゃあなたを守れない。分かって」

「そんな……でも、僕は……」


 途切れ途切れの言葉は震えている。


「……ゴメン」


 私は「行かないで!」と言う泣きながら懇願する理緒の姿を見ることもなく、その泣き声を背に駆け出すことしかできなかった。

 いつか、いつか帰る。その時に謝らせて理緒。勝手な私を、許して……。

 暗雲の下に聳える巨大な壁、その無効にある魔都を、コロナを目指して、私は一人駆け出す。


 私の居場所を探して。

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