第16話 高天原の使徒:後編

 道中、一言の会話も無く。黙ったまま前を行く男の姿を見ていた。

 三人の内二人は私の後ろについている。私が逃げ出さないためだろう。

 前の男を見る限り銃は持っていないようだが何かを隠し持っている可能性は否めない。

 歩き続けてロータリーの端、つまりヴィレッジの地上部の端に連れて来られた。人通りは少なく、ここは警備の死角にもなっているようだ。

 潰れた廃車が山積みにされ放置されており、それが表通りからここを死角にさせている。

 周囲をよく見れば廃ビルの物陰には浮浪者が身を寄せ合って固まっていた。薬物のやりすぎで目の焦点が合わずに涎を垂らして呆けている者も見かけられる。

 下水の様な強烈な異臭はその辺に糞尿を垂れ流すような廃人や、既にこと切れた人間が放置されているせいだろう。


「何余裕こいてんだテメェ……!」


 前にいた男が胸倉を掴んできた。顔を近づけて怒鳴りつけているが正直いって覇気がない。声も枯れ気味で明らかに虚勢を張っている様だ。

 私が男にではなく周囲がどうなっているか観察していることで知らない間に相手を怒らせてしまったらしい。

 何がしたいのか分からないので私を掴む男の胸倉を掴み返し、素早く引っ張り込み、相手の足がもつれた瞬間に一気に今度は押し倒して男をアスファルトに叩きつける。

 大の字で倒れた男のベストに手を突っ込み、ナイフを抜いてそれを首元にあてがった。

 特に本気を出したつもりは無かったが素人の男達はその動きについてこれなかったようで、後ろの二人は全ての動作が終了するときまで身動きひとつ取れなかった。

 倒された男が後頭部を打ちつけたらしく情けなく呻いている。


「くっ……!」

「態々私を名指しして恐喝って訳じゃないんでしょ。なんなの、貴方達」

「川崎に行った奴から話を聞いた。突っ込んだテメェを援護するために死んだ奴の事もな……」


 その言葉に思わず男を地面に押し付けている手の力が抜ける。こいつらの友人か誰かがあの戦いで死んだのだろう。

 それを言われたら私は何かを言えた義理じゃない。だが殺されるわけにもいかない。

 立ち上がり、奪い取ったナイフをひび割れたアスファルトの隙間に突き刺すと抜かれないように上から強めに踏み込んだ。


「敵討ちのつもりなら好きなだけ殴れば良いわ。でも命まで差し出す気はないの」


 拳を握りこみ、身構える。好きなだけ殴ればと言ったが、抵抗しないとはいっていない。

 足元に転がっている奴は戦闘不能。

 前にいる二人は何をしてくるか分からないが、この距離なら仮に銃を抜いたとしても発砲する前に接近して銃を奪い取るか、叩き落として一撃で沈められる自信はある。

 相手の動きをよく見るんだ。バヨネットみたいな化け物相手には流石に接近戦はただでは済まないだろうけど、殴り合いでチンピラごときに負けるようじゃ外の世界で生きていけない。

 数発適当に殴らせたら、二度とちょっかい出す気を起こさない様に位にはこっちも応戦させてもらおう。そう思った矢先だった。


「一人の女性に大人の男性がよってたかって恥ずかしくないんですか?」


 とてつもなく冷淡に言い放つ言葉。不思議な声だ。幼さを感じる声だが、その声には自信が滲み出ており、生気に満ち満ちていた。

 私と男二人は同時にその声のする方へ視線を向けた。そこには一人の男の子が立っている。しかしその見た目は本当にそこにいるのか怪しいほどに浮いていた。

 綻び一つ無いパリッとした白い詰襟の服に白い短パン姿。透き通った薄い水色と不思議な色をした癖っ毛に黒縁の眼鏡から覗く大きな瞳は薄い紫色。

 私の人生の中でも見た事の無い人種だった。

 おそらく理緒と同年代であろうが理緒と比べて全身から溢れ出る知的な雰囲気は正直言って子供とは思えない違和感を覚えるほどで、その顔や伸びる足は理緒よりも艶やかで今の時代にはありえないぐらいに健康的に見える。

 どんな裕福な生活をすればその髪の先から足の先まで別次元の、そう、本で見るような戦前の様な人の姿でいられるのかが分からない。

 その異様な少年の気品すら感じられる容姿にしばらく呆気に取られていた。そんな私達に少年は言葉を続ける。


「下らない用件なら先に用件を済ませますので今日はお帰り下さい。ボクはそこのお姉さんに用があるので」


 その言葉には譲って下さい、等と言うお願いの言葉は無い。それは強制である。

 まったく大人の男に怯む事無く、さも自分の言う事を聞くのが当たり前だと言わんばかりの物言いに流石の男達も黙ってはいなかった。


「ンだとこのガキ……!」


 男の言葉も理解できる子供になめられる大人の姿などただただ情けないだけだ。

 それも見ず知らずの子供に初対面で好き勝手言われて怒らないでいられるだろうか。

 私が男の立場でも多分怒っているだろう。

 しかし私なら怒っても叱る程度で済ますだろうがこの頭に血が上った男達にはそれは期待できない事だった。


「聞こえなかったんですか? お帰り下さいと言ったんですが」

「クソッ! なめやがってガキィ!!」


 男の一人が駆け出す。少年との距離は十メートルといったところか。流石に子供が殴られたらただでは済まない。止めなければ……!

 そう思い私も駆け出そうとした、その時だった。


 ブチッ――!


 それは今まで何度か聞いた気もするし聞かなかったかもしれない。非常に嫌な音だった。

 それは肉の爆ぜる音。

 それは骨の砕ける音。


 ドサッと力無く地面に崩れ落ちたのは駆け出した男であった。

 何が起きたのか理解できない。

 男は駆け出したと思った次の瞬間、突然前のめりに倒れ込み、そして起き上がらない。

 その頭からは血が流れ出し灰色のアスファルトの上にゆっくり血だまりを作っていく。いつの間にか男の首の後ろに穴が開いていた。

 そこからも血は出ているが血の広がり具合から恐らく穴は貫通しており、考えたくは無いが少年が銃を持っておらず、少年の背後は廃車の壁。

 上から狙撃されたと予想するなら男の額辺りから貫通しているのだろう。ここから男の顔は見えないが確認しようとも思わない。

 私の前で立っていた男は小さく悲鳴を上げて逃げ出そうと走り出す。が、この路地から大通りに出るには少年のいる方へ駆け出さなきゃならない。


「汚染された生物が、ボクの言葉に従わずに詫びもせずに逃げる気ですか」


 感情の色が感じられない少年の声がした次の瞬間。またブチュッと言う耳障りな音がして男は急に足を押さえて地面に転がる。


「ぎゃあああああああ!! い、いてぇ! いてぇよぉ!!」

こうべを垂れ、許しを請うなら許しましょう」


 倒れる男の足から血が溢れ出し、手でそれを押さえるも指の間から絶え間なく零れ落ちる。

 死んだ男の傷口を見るに大口径の銃だろうか、相当大きな穴を開けられた様だ。

 叫び声をあげる男は痛みに耐えながら少年を睨みつける。


「ふ、ふざけんな……誰が……」

「自分が今どう言う立場なのかも理解できないのですね。地上の人間は知能レベルが低いと聞いてましたがここまでとは……。分かりました。もう黙っていてください」


 もう黙ってという言葉にどんな意味があるのか私には分かったがその答えは少年が言い終わったと同時に明かされた。

 三度目の骨肉の爆ぜる音が響き、地面の上をのた打ち回っていた男は動かなくなった。二度と言葉を発することは無いだろう。

 私の目の前で不思議、いや、ここまでいくと不気味ともいえる少年の見えない合図により二人の男が十秒そこいらで命を断たれた。


 ブチッ――!


「えっ……!?」


 まただ。また攻撃を受けた音が鼓膜を撫でて背筋を凍らせる。その音は私の直ぐ後ろで聞こえた。

 振り返る。そこには私が倒した男が相変わらず倒れたままであったがその頭には大きな穴が開けられていた。

 一体なにをしたのか。明らかに少年が何かをしたに違いないのだ。


「生ごみの掃除はきっとこの路地の人間がやってくれるでしょう」


 コツコツと軽い靴音を立てながら近寄ってくる少年は口の両端を吊り上げて怪しく笑う。


「貴方……何者?」

「ボクの名前はコロナ。新月コロナ。君の事は知っているよステアー」


 コロナと名乗る少年は手を後ろに組みながら、元々私を見上げる様な身長なのに腰を曲げて私の顔を覗き込む。

 先ほどまでの冷酷な殺戮者の様な雰囲気とは全く違う、まるで別人の様な子供らしい仕草をするコロナに違和感と言うよりも不信感を抱いた。

 この少年をただの子供扱いしたら危険だ。


「コロナね。一体私になんの用かしら。私は貴方を知らないのに貴方は私を結構知っている様な口ぶりだけど?」

「君の事は知っているよ。でも名前はついさっき知ったんだ」

「……どういうこと?」

「そうだね。ステアーも地上の連中に育てられたんだから少し頭が弱いのも仕方ないか」


 一々癪に障る言い方をする。だが下手に怒ってはいけない。もしかしたらわざと怒らせようとしているのかもしれない。このコロナと言う少年は底が知れない。

 コロナはまるで値踏みでもする様に私の周りを回りながら私をまじまじと見つめて私の前に立つと私の瞳をジッと見つめた。


「君はある日ボク達の元から盗み出され行方不明になっていた赤ん坊だったんだよ」

「いきなり何を……」

「地下組織タカマガハラの所有物。それがステアー。君の正体なんだよ。ボクは君を迎えに来たんだ」


 この子は何を言っている? 私が盗み出された? 誘拐と言う事? 何がなんだかさっぱり分からない。

 それに創世の使徒だかなんだか分からない組織の所有物って一体……。本当にこの子、何者なの。

 混乱する私の前でコロナはゆっくりと口角を上げて、妖艶な笑みを浮かべる。


「帰ろう、ステアー。本来いるべき場所へ」


 手を差し伸べる少年の姿はどこか神々しく、そしてそれがたまらなく不気味に感じた。

 不気味というよりも、未知に対する恐怖というべきか。

 正体も分からず一方的に私の事を知っている相手から寄せられる好意に対し、薄ら寒いものを感じていた。

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