第15話 高天原の使徒:中編

 理緒はあっさりと教会に世話になる事を了承した。

 最初はヴィレッジの誰か、私や料理人仲間の所にでも行くのかと思っていたが、理緒は私に迷惑はかけられないと言っていた。

 迷惑をかけまいとする健気な姿勢を尊重することにしたけど、その言葉が私には少し寂しかった。

 横浜ヴィレッジまでの道のり、行きよりも少しだけ多い人数が行列を作り、瓦礫を避けながら移動していた。

 何者かの襲撃があるかもと思っていたが、私も経験したことの無い大人数での大移動だ。

 少人数で襲っても反撃に合えば襲った側の被害も免れないだろう。

 いくら脳味噌の中に暴力と性欲しか詰まってない連中も本能で避けているのか、それとも無人と化した川崎でスカベンジングに勤しんでいるのかもしれない。

 ……もう何も残っていないというのに。


 空を見上げる。横浜の空は川崎よりも青かった。と言ってもほとんど灰色だ。もしかしたら本物の色が分からなくなっているのかもしれない。

 つい昨日起きた出来事も記憶に靄がかかったようでどうして自分が今ここで生きているのかも分からない。

 あの日、私も血だまりに沈んでいたら。そう思ってしまうのが嫌で、今思考を巡らしてもろくな結果が出ない事は分かっている。

 横浜ヴィレッジ。かつての横浜駅、そのロータリーと地下街、地下街から続く大型シェルターで構成された巨大なヴィレッジにしてブリガンドに対抗しうる戦力を持った神奈川県で数少ない地上の町。

 今日から、私の町……。でもここには私の居場所は無い。

 この前は気が張っていた為にあまり気にしなかったが、下手に鼻が利くせいで人で溢れている地上部は正直言って長居はしたくは無い。

 それに、私のせいで被害を拡大させてしまい余計な死者を出してしまったのもきっと噂になってしまっている。私を快く思わない人間は多いはずだ。

 川崎からここまでの道のりで私が横浜の人間に襲われなかったのは神威とアスンプト神父が私を庇ってくれたからだ。

 正直神父に関しては最初見た時に善人面している割に懐に武器を仕込んでいたり妙に小奇麗な服装をしていたから警戒していたが、思ってみれば救助隊に加わり生存者を勇気付け私の行動を責めず、ただ死者に祈りを捧げていた男。

 少し人を疑い過ぎていたのかもしれない。


 何より驚いたのは横浜に着いてから行く当ての無い私を神父は住居スペースまで用意してくれたことだ。

 ロータリーに面した建物の中で最も高く損傷が少ないビル。元々はホテルだったらしいそのビルの一室を与えてくれた。

 どうやら彼の教会がビルの上階にあって理緒もその教会の近くに部屋が与えられた様だ。

 理緒曰く他に親を失った子供も教会に引き取られているらしい。そこまで気前が良いとなるとビルそのものが教会の管理している建築物なのか。

 どうやってヴィレッジの管理部からヴィレッジの管轄内にある建築物の管理権を得たかは知らないけど、今の私には断る理由も疑う理由も無かった。


 それほど高くない場所だったが、それでもロータリーの全貌を見渡せる場所だ。

 だが見下ろした所で面白みの無い灰色の廃墟に人が窮屈そうに肩を寄せ合う光景しか目に入らない。

 駅ビルからはヴィレッジの警備が銃身の長い銃を構えて目を光らせてるのが見えた。ヴィレッジにはルールがあれど、見張りがいなければここも無秩序と化す。

 あそこのビルから見えない場所で、私から見える場所。横転した大型トラックの影や通りの売店の裏、そこでは暴力も恐喝も普通に行われている。

 人の住む範囲が広がれば治安が行き届かなくなるのは仕方の無いこととは言え、自分の家から見える景色の中でそれらが行われているのは景観を損ねることこの上ない。

 ため息を零しながら布の破れかけたソファに腰掛ける。目の前の足の短いテーブルに置いてある自分の銃に手を伸ばした。

 マガジンを引き抜き、弾を確認してホルスターに納めるとぼんやりと天井を見上げた。

 動くこと無い羽の折れたシーリングファンがここは今までお前が住んでいたような世界じゃないと言っている様な気がして落ち着かない。


 宗教組織に深入りする気は毛頭無い。私は何かに縛られたくはない。私は自由に、私の思うままに生きる。

 たとえそれで何かを犠牲にしても。

 法も秩序も失った世界で生まれて育った。かつてあったものが、今の時代には存在しなかった。

 でも血の中に流れている先祖の魂と言うべきか、人が営んできた習慣がそうさせるのか、私が育った地下シェルターでも瓦礫の中に出来た町でも、最低限のルールと、それを守らせる組織もあった。

 人が集まる場所にはその場所にあった法が生まれる。その最低限の法の中で出来る自由を謳歌してやるんだ。かつて父がそうしたように。

 しかし好き勝手に生きるにしたって食っていかなければならないし、その為には自分で狩りでもするか誰かに雇ってもらって弾を稼ぐしかない。


 居心地の悪い新しい我が家を後にする。いつかここに慣れる日が来るのだろうか。

 やけに軋む木製の扉が今までプライバシーを約束してきた鉄のスライドドアと比べ貧弱過ぎて不安だ。

 鍵もチェーンもあるがこんなもの大の大人が本気で蹴飛ばせば直ぐに破壊可能だ。一応教会の警備も兼ねて信者の見張りはいる様だが、説教のプロでも戦いの素人では頼りにならない。

 それでもきっと表で暮らす人よりはマシな暮らしが出来るのかもしれない。

 失ったものをいつまでも引きずってられない。それに不満の表情のままじゃ流石にここまでしてくれた神父に悪い。早々に慣れないと……。

 

 扉を開けて廊下に出る。地上では珍しく清掃された回廊はくたびれた赤い敷物が敷かれているが踏み心地はあまり良くない。扉を閉めて施錠すると廊下の奥から足音が近づいてきた。

 小さな足音、歩幅はあまり広くないが忙しなくパタパタとそれは近づいてきた。


「ステアー!」


 声の方へ顔を向けるとそこには見慣れない服を着た理緒がいた。白いケープの様なものを掛けた黒いコートは神父の着ていたカソックとシスターの着る修道服の中間の様な印象だ。

 長い裾をはためかせて目の前でギュッと立ち止まる。見た所汚れも無く、もしかしたら教会の中には服を作れる人間が働いているのかもしれない。

 横浜に着くまでずっと俯いたまま泣きじゃくっていたけど少しは元気になったみたい。だけど、私の前で無理をしてはいないだろうか。私に笑顔を向ける理緒に少し不安を覚えた。


「理緒。どうしたんだその服」

「かっこいいだろ? 汚れも無いし動きやすいし!」


 そう言いながら回って見せる理緒の姿はどちらかと言えば活発な女の子の様で、可愛さが勝っているように見えたがそれは言わずに飲み込んでおいた。

 短パンから伸びる白く細い足を見ると少し寒そうではあったが本人が動きやすいならそれでいい。建物の中も外ほど寒くは無い。

 風も隙間風はあれど気にするほどでもない。履いているブーツは服と比べて少しくたびれているが軍用のものらしくかなり頑丈そうだ。


「いい靴ね」

「でしょ? アスンプト神父がお下がりだって言ってくれたんだー。今まで履いてた靴はもうボロボロだったし、まだ履き慣れないけど結構良い感じ!」


 お下がりか。後でお礼でもしておくべきか。親でも無いのに変に気遣うこともないか……。

 でも今では理緒にとって身近な存在は私だけなのだ。

 教会に密着する気は無いが個人のやりとりとして一応の礼儀は示さないと悪い気がした。

 どこまで自由に生きようと他人との関係を絶って生きられるような世界じゃない。

 父に何度も口酸っぱく言われてきた事だ。これはもうすり込まれた私の性とも言えるかもしれない。


「そうね、少し背も高く見えるしね」

「言ったなぁ? もう一年二年もしたらステアーの背なんて追い越してやるからな!」

「ふっ……楽しみにしてるわ」


 理緒は背が低いのを気にしてはいるがついついからかってしまう。

 悪意がある訳でもないし理緒も本気で怒らない、と言うよりも私が悪意を持って言っている訳ではないのを理解してくれているのかもしれない。そんな理緒の善意に甘えてしまう。

 少し高くなった頭をくしゃっと撫でる。にへらっと頬を緩ませる理緒を見て少し自分の体が軽くなった気がした。


「ねえ、どこか行く所だったの?」

「ええ、ちょっと買出しにね」


 買出しもあるが正直にここで仕事を探しに行くなんて言い出すと理緒に余計な心配をさせてしまうだろう。嘘は言っていない。私はそそくさと理緒の横をすり抜けて下へと降る階段へ歩を進めた。

 一度だけ理緒の方へ振り向くとこちらに満面の笑みで手を振っているのが見えた。


「行ってらっしゃい!」


 その言葉に背を押される思いで私は手を軽く振り返すと、階段を足早に降りていた。

 ヴィレッジを守りきれなかった事、横浜からの救助隊にも相当の被害を出した事、結局敵の大将すら自分の手で倒す事も叶わなかった事。

 それらを思うと今の理緒の笑顔は私には眩し過ぎて……。

 彼が悪いわけじゃないけど、今は逃げる様にビルから出ることしか出来なかった。そんな自分が嫌になる。

 待合室も兼ねていたであろう一階の広いエントランスはアセンプト神父が着ていたのと同じ様な服装の人が数人いるのとヴィレッジの警備が巡回に来ているだけで閑散たる様子だ。

 石造りの太い円柱が等間隔に置かれ、二階まで吹き抜けの天井は高く、正面入り口側の壁の二階部分が全てガラス張りだったのだろう。

 今は無事な窓は一切無く直接日の光が内部まで差し込んでいた。

 私が一階のタイルを踏む頃には腰を折ってよろよろ歩く老人、疲れきった顔をした女性等、武装もしてなさそうな人間がちらほらと外から入ってくるのが見えた。

 構成員が揃ってるだけの組織かと思っていたがそれなりに信者もいるようだ。

 どんな世の中になろうと、やはり人間は何かに縋らないと生きていけないのだろうか……。

 そんな事を思いつつ、通り過ぎ様に軽く会釈を交わし、静かにビルの外に出た。



******



 相変わらず少し肌寒い横浜の空の下。無心のまま足は商店のほうへ向かっていた。

 気温そのものはそこまで寒くないけれど、やや乱暴に吹きつける風が冷たい。

 そこまでの道中、私は何も考えられずぼんやりしていてどうやって店の前まで歩いてきたかも記憶が曖昧だった。

 私が我に返ったのは店主に声をかけられた時だった。


「ステアー! 無事だったか!」

「……おじさん」


 身を乗り出す勢いで私の顔を見つめる店主のおじさんを見て初めて私は今まで無防備な状態で歩いていた事に気付く。

 スリなどされていないかと一瞬焦り、懐を確かめて安堵する。そんな様子を見ておじさんは眉をひそめた。


「大丈夫かい? 大変だったろうに……」

「はい。でも救助隊の人達のお陰で何とか生き残った人達はここまで非難はできたわ」

「そうか……そんな事よりもだ、他の奴から聞いたんだが、南部の事は、残念だったな」


 一応気を遣ってくれているのだろう。明らかに歯切れが悪い。逆に申し訳なくなり出来る限りの笑顔を作ってみせる。

 そもそも笑う事が苦手だ。

 理緒には表情筋は普段から使ってないと死んじゃうぞって何年か前に言われたことあったっけなと、当時を思い出して苦笑する。


「ヴィレッジ暮らしでもこの世界で生きる以上死とは常に隣り合わせだと思ってるから大丈夫」

「それ南部の受け売りだろ? あいつは当たり前の事を大真面目に言うから不思議な奴だったよ」

「やっぱおじさんも聞いてたか……。近い内、おじさんが知ってる父の事教えてもらって良い?」

「はははっ任せな」


 そう笑うおじさんはその次の瞬間に急にその声色を一変させた。その直後だった。私の背後で声がした。


「おい、お前ステアーだろ」


 それは質問ではなく確信しての言葉。男の声だ。明らかにその声色は敵意に満ちていた。

 声はすぐ近くで、私の背後二メートルくらいの距離だ。振り向かずに私は返事する。


「私になにか?」

「ちょっとツラ貸せや」


 直ぐに事を構える気は無いようだ。だが油断ならない。

 ゆっくりと後ろを向くと三人、どれも人相が悪いが軽装で傭兵や警備兵、ましてやブリガンドとも戦えない様な見てくれだ。

 普通のヴィレッジの住民といったところだろうか。一人は顔が赤い。昼間から飲んでいるのか。


「お、おいお前ら……」

「おじさん。大丈夫だから」

「し、しかし」


 おじさんがまた言い出す前に私は男達の元へ歩くと、男の一人が顎をしゃくりついて来いと促して私達は歩き出した。

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