第8話 ジャッカー:後編
『ようこそ、新規ユーザー様』
突然聞こえたそれはとても無感情で無機質で、男とも女ともつかない声だ。突然の事で私は思わず立ち止まる。それはバヨネットも同じであった。
ニタニタと笑い、釣り上がっていた口角は謎の声によって一気に急降下した。
「あん? なんだ?」
『生体認証によるユーザー登録を開始します。新規ユーザーの方は……』
淡々と台本を読む様な声、機械音声なのだから当然なのだが今の私達の状況などお構いなしに、インプットされた言葉を並べていく。
「この声、うぜぇな糞が……」
バヨネットの形相が見る見るうちに凶悪なものへと変わっていく。口調も低めの声が更に低くなる。あからさまに見せた男の憎悪ともとれる怒りに不自然さを感じずにいられない。機械音声に嫌な思い出でもあるのか。
たかが機械音声にここまで不快感を示すとは予想の範疇を超えており、戸惑いの連続に私は遂に体が硬直してしまった。
その場の空気に圧倒され、まずどう行動すれば良いか分からない。爆発寸前の狂人を目の前に土地勘の無い場所で打つ手が無い状況下。今更降参と言おうものならその場で殺されるのは目に見えている。
初対面から殺しにかかってくる正体不明の狂人を口先だけで振り切れる方法があるのなら手持ちの戦前の銃弾を全部くれてやってもいい。
「糞ウゼェ事思い出しちまったぜ。憂さ晴らしだ」
バヨネットがそう言った時には手にしたその照明を反射する刃が前に突き出していた右腕に突き刺さっていた。
「……テメェ、殺すぜ」
腕に痛みが走り、突き刺された右腕の前腕が熱くなる。バヨネットが左手に握っていたナイフ状の短い銃剣を逆手に握り、その刃が厚い服の繊維を紙の如く破き、肉に食い込んでいる。
悲鳴のひとつでも上げたかったが反射的に歯を食いしばり、男の鳩尾に左足で前蹴りを叩き込む。
流石に強く武器を握りこんでおり、目の前まで接近していた奴にこれを避ける術はない。避ける為に武器を放して距離を取れば奴の武器のひとつを取り上げることが出来る。
探索の為に同じ探索隊の男連中よりも鍛えている私の蹴りは重く、そして内臓に衝撃を加えることで加わるダメージは顔面等の急所への瞬間的な痛みに劣るが相手のスタミナを削り取るには良い。
バヨネットは武器を握ったままであったが腹部に受けた蹴りの衝撃で体勢が崩れる。
「クッ! このアマァ!!」
右手に持ったサーベル状の銃剣を振り上げ、乱暴に振り下ろす。
しかし、蹴りが入り、バヨネットが体勢を崩す。その瞬間で私の思考は冷静さを取り戻した。
何故だか分からないが、私は瞬間的にバヨネットの動きを予測できていた。
振り下ろされた腕の手首を左手で掴み、外側にひねると同時に前蹴りを終えた足でそのままバヨネットの顎を思い切り蹴り上げた。
流石の狂人もこの一撃には参ったのか、右腕に突き立てていた銃剣を握る手を離す。
二度に渡る自身の蹴りによる衝撃で傷口が広がり、真っ赤に染まった刃はぬるりと嫌な感触を残しながら冷たい地面に鈍い音を立てて落ちた。
「どうした……殺すんじゃなかったのか……?」
息が上がっていたが一言二言、言ってやらなければ気が済まなかった。私にも感情的に悪態をつくこともある。
右腕の痛みに銃も持っていることが難しくなる。銃を離さずにおこうとすると銃の重さで手に力が入る。その時にかかる腕の負荷で激痛が走り眩暈がしそうになるほどだ。こうなっては右腕は使えない。
幸いに手にしていた銃。TMPはショルダーベルトをつけれる様に手を加えていた為にベルトで肩掛けして直ぐに素手の状態になることが出来た。そして、私はもう一挺"相棒"がいる。
距離が開いた瞬間、その瞬間で十分。そう、左手でもう一挺のTMPを抜いて引き金を絞る時間は十分だ。
激しく明滅の閃光。
室内に反響する発砲音は最早何発分の発砲か分からない。だがそんな事はどうでも良かった。
目の前の化け物相手にマガジンに残す弾など無い。
ただありったけの、ありたっけの鉛玉を撃ち込んだ。
「はぁ……はぁ……チッ、しとめそこねた……!」
目の前に、バヨネットの姿は無かった。ただ、その床に滴る赤いものについ小さく笑みを浮かべてしまった。
無敵かと思っていた奴に真正面から、トドメは刺せずとも一泡吹かす事が出来たのだ。
しかし、血の跡を目線で追っていくと点々と滴るその感覚は広いが真っ直ぐにこの部屋に入って来た時のたった一つしかない自動扉の向こうにまで伸びていた。
恐らくあの扉の直ぐ側で息を潜めているのだろう。
私は床に落ちた奴の銃剣を確認する。私の血で濡れた銃剣。それは確かに銃のアタッチメントとして着剣出来るように剣の鍔の形状がリング状になっていた。
何故得物にコンバットナイフや軍刀等軍事施設を漁れば出てきそうな刃物にしないのだろうと言う疑問が過ぎった。
そんな自分に私は若干呆れた。まだ相手を始末してすらいないのに、もうそんなどうでもいい事に意識が向かう事が出来る事に。
どっと来る疲労感に耐えながらよろよろと銃剣を拾い上げる。
その時初めて天井からではなく、淡く青白い光に背後から照らされていることに気付いた。
光の方へ目を向けるとそこにあったのは腰の高さほどの質素な金属製の台。その奥にあるのは、円柱状の、ポッドだろうか。それもまた周囲と同じく飾り気の無い鉛色の金属製で中心より若干上の所に覗き窓の様な物があり、そこから薄っすらと青白い光が漏れ出ていたのだ。手前の台と円柱状のポッドはひとつずつでセットらしく、十セットが並べられていた。
だが私の目の前にある物を除いて全てが中身である何かが取り出されたのか、綺麗に円筒が縦に半分、手前側が失われており、中ががらんどうになっていた。何かを繋いでいたのであろうカラフルなゴムに保護された何本もの端子が無造作に転がっている。何やらさっきまで機械音声でよく分からないことを言っていたが、厳重に保管されている何かが私の目の前のポッドの中にあるのは確かだ。
背後のバヨネットに警戒しながら私は早足でポッドの前まで近づく。
ポッドの前にある台に近づいて分かったことは台の上が一面液晶モニターの様なスクリーンになっており、指で直接スクリーンをタッチする事で画面内のアイコンやキーボード等を操作できる仕組みになっている様だ。
先ほどの壁にはめ込まれていたパソコンと比べるとこの場所で周囲の雰囲気や機械の1つとっても技術が一気に近代化されている様に思えた。私もかなり旧式ではあるがタブレット端末を持っているが今やっと技術力が施設側が追いついた様な印象すら感じる。
南部の言っていた武器とはロストテクノロジーの中でもかなりハイテクな代物なのだろうか。
逸る気持ちを抑えながら、台の画面を見る。そこには一筆書きで描かれた右手の平の図が大きく表示されていた。その図の下部に"手を置いてください"と指示する表示がある。
私はそっと台の上に手を載せた。そして数秒の逡巡。画面に表示された文字を見た。
〝ユーザー登録完了。Japanese-Army.Combat.tracKing.EmotionalRobot.
-
ジャッカー……? その文字が表示された後直ぐに目の前の円筒状の覗き窓付きの開閉口が下へとスライドし、床下に消えていった。
青白い光に照らされた、軍施設に残されていた物。南部が必要としていた武器。その姿が私の前に現れた。
それはバチンッと言う音と共にポッドと接続された端子が抜かれ、私の前へとゆっくり"浮遊して"近寄ってきた。
今まで見てきた〝武器〟と言うカテゴリの中ではどんなものにも形は似ておらず、例えるならその見た目は空飛ぶバスケットボールとでも表現すべきか。
武器と言うよりもこれはロボットに含まれる物である事は私でも理解できた。
一応この浮かぶ球体の顔? になるのだろうか。
私が正面で捕らえている面にはまるでサングラスの様なバイザーがあり、黒いバイザーの奥には一つ目のカメラが周囲を観察するように忙しなく動いている。
それを目と表現するなら口になる部分には恐らく武器であろう砲身、らしき物が出ている。
先端部は肉抜きされたような形状をしており、マズルブレーキだと一目で感じた為に私はその部分を武装だろうと勝手に認識した。
そしてその認識は正しかった様だ。
突然その丸いロボットの口がチカッと一瞬だけ強い光を発した、刹那――。
――パァンッ!!
激しい破裂音が背後から響き、私は慌てて振り返る。
それは部屋と武器庫を繋ぐ出入り口のその向こう、整然と並べられていた金属棚だ。棚が真っ赤になり、円状にドロドロと溶けていた。
何が起こったのか私には理解できなかった。とにかく、この物言わぬ球体が何かを放ったのだと思う。
今も尚熱を持って変形する金属棚を見て唖然としていると部屋中に聞こえるほどの大きな笑い声が聞こえた。
「ハ、ハハハハハッ!! なんだそりゃあ! てめぇ、面白いもん手に入れたじゃねぇか!」
「くっ、まだやる気……!?」
「冗談じゃねぇよ。今日の所は引き上げてやる」
バヨネットの言葉に私は安堵しようにも素直にその言葉を信じることは出来なかった。
だが次の言葉に私は戦慄する。
「お前、目をつけたぞ。お前は必ず俺が狩る。必ずな……! その銃剣は預けてやる。決して手放すなよ? 俺に返す時は俺の体に"突き返す"んだなぁ!!」
それだけ言うと死角から去っていったのか、足音だけが足早に離れていった。
勝ったのだ。今のところの話だが……。
ジャッカー。その名前の割にはやたら丸みのある鉄の塊は物言わぬ代わりにふわふわと私の周りを飛び回っている。
よく分からないが、その動きはまるで喜んでいる子供がはしゃぎ回っている様な光景にも見えて、少し愛嬌があるような、そんな気がした。
私が歩けば後ろからふわふわと着いて来る。カメラで私を捉えているのか、決して私の後ろから離れず、逆に前へ出る事もしない。
常に後ろを決まった距離を保ちつつ着いて来る。保管されていたポッドの前で行ったあの画面に手を乗せる行為によって恐らく私を持ち主として認識してしまったのだろう。
これではこれを連れて帰っても私専用の所有物になってしまうのではないだろうか? その辺のプログラムは帰ってから何とか出来る手筈は整っている事を頭の片隅で期待しつつ、思わぬ収穫だった。
収穫は収穫だ。手ぶらよりマシだと割り切ることにする。
戦力としてはかなり心強い事は目の前で見せてくれた事だし、この傷も痛みも無駄ではなかったと思いたい。
私はこの軍施設の地下に眠っていた戦前からの遺産、戦う球体〝ジャッカー〟を連れ、帰路に就く。
地上へ出た時には既に空は翳り、夜の闇がすぐ側まで迫っていた。
ここに向かう途中素通りした横浜ヴィレッジだが、補給やきちんとした治療も兼ねて帰りは寄ろう。
そんな事を考えながら私は再度施設の中へ戻り、夜をしのぐ事にした。
朝一でここを発つ、早く
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