第7話 ジャッカー:前編
崩壊した建物は全ての窓ガラスが割れているどころか壁、地面、天井に穴が開いており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。真正面から奴を倒すのは難しい。
ならば、正攻法以外でやるしかない。とっておきをお見舞いしてやる。
私は走りながら辺りを見渡す。内装は既に略奪された後か、倒れたデスクには引き出しすら無く、戦前には何かの事務所だったのか、書類の束が乱雑に床に撒き散らされ何時のものかわからない煙草の吸殻。
砕けた支柱からは鉄骨が露出している。
走りながら周囲に目星をつけ、手元で〝正攻法以外〟の準備を進めていた。
自分一人、元の色が分からなくなったタイルの上を走る音が聞こえるが背後からあの男の君の悪い薄笑いが足音に混じって聞こえている。
逃げる獲物を追いかける今の状況を明らかに楽しんでいる……!
だがその油断のおかげか、私は奴の居場所がなんとなくだが把握できている。
通常、建物の階段と言うのは上りも下りも同じ場所にある。もっと細かく言ってしまえば階段と言うのは上の階と下の階へ続く階段は併設されている。
わざわざ次の階へ行く為に通路を通り、角を曲がり、数分歩かないと階段に辿り着かない等の構造をした物は多くないだろう。利用する人間からしたら手間だからだ。
この建物も同じだ。階段は並べられており、階段を上ったらその直ぐ隣に上へと続く階段がある。だがそれは遥か昔だったらの話だ。
丁度階段を上り終えた部分の天井が崩れ、回廊となっている廊下を一周しなければならない状態となっていた。
私はこの手間のかかる回廊を利用することにした。回廊を走りながらある仕掛けを施し、上の階へ駆け上がる。私の記憶が確かならばこの建物の近くには、アレがあった筈だ。
アレ、は確かにあった。
旧日本軍の運搬車両だ。それは大型のトラックで、荷台には兵士が乗り込むことを想定してか簡単な骨組みで作られた革製の屋根が作られていた。
三階の高さでも屋根に着地できれば衝撃は少ない。私は急ぎそこへ飛び降りた。
衝撃は多少なりともあったこそすれ、傷を負う事は無く、何百年も放置されていた為に弱っていた骨組みを何本も折ったが無事に荷台に飛び込むことが出来た。
その瞬間である。
私はその音が聞こえた途端に耳を押さえた。
爆発だ。大きな爆発の音が鼓膜に一瞬響いたが予想できていた事故に出来た反応だった。
私の仕掛けた爆弾が起爆し、建物の支柱を破壊したのだ。轟音と共に建物は一気にバランスを崩し、隣の廃ビルに倒れこんだ。
大量の破片と埃が舞い上がり、近くにいた私の髪も服も真っ白に染まった。
吹き付ける風が大人しくなってから崩壊した建物から離れるように歩き出す。
軽く服についた埃を手で払っているとふと背後が気になり振り替える。
この世界で生きていく限り、心配性なくらいで丁度良い。そう言っていたのは南部だった。
それは口癖のようで、事ある毎に独り言なのか私に向けて言っているのか分からないほど頻繁に言っていた。
私自身そうだと思うし、南部が言っていた事に感化されたつもりはない。しかし、先程から妙な違和感のようなものを感じていた。
視線なら感じ慣れている。
長期的に蔓延している放射能の影響か、その生態が変異した生物や外界を徘徊する人間達は自分以外の存在に常に警戒し、その存在を視界に捉えたら襲うにしろそうでないにしろその相手から目を離さない。
少なくとも自分の視界から消えるまでは。
だがそのどれもが自身の気配に関しては意識しない。意識してても気配を消す、等と言う高等な技術を使えるものは稀だ。
違和感。それは気配があるようでないような、曖昧な感覚だった。
何かが居る気がする。しかし生き物の様な気配でもないと言う微妙な感覚が冷気となって私の背骨を這った。
嫌悪感は続くもののいつまでも狂人の相手などしていられない。爆弾もとっておきだった物でタダではない。これ以上の出費は避けたいのもあり、私は足早にこの場を去った。
当初の目的を果たすため私はついに軍用施設の前まで来た。
電気はまだ通っているようで、私がドアの前まで行くとセキュリティシステムが作動し、私の事をレーザー等で識別し始めたときは驚いたがシステムそのものは誤作動を起こしているのかすんなり扉は開かれた。
金属製の扉が自動的に開かれると何となくだが懐かしさを感じる空気の匂いがした。
それはヴィレッジの匂いに近い気もしたが決定的な違いは生活の匂いが全く無い事だ。
人々の匂い、食べ物の匂い、そして血の臭い。そのどれもが欠けていた。共通点があるとするならばそこそこに空気が浄化されていて四方が金属に囲まれているせいかそれらが僅かな冷気を含んでいたことだ。
こんな状態では中の物資など既に取りつくされていそうなものだが中は案外綺麗なもので、床に積もった埃が何年にも渡ってここに人間が出入りしていないことを物語っていた。
施設内に入る。その一歩は誰も踏み込んでいない雪原に自身の足跡を残す感覚に似ている。
中はとにかく静かだ。その筈だ私以外に人間もいなければ生物の気配すら無い。
長い廊下の左右には様々な用途に応じた部屋があったが特にめぼしい物も無く、床には元は戦前の兵士だったのだろう粉末と軍服だったのだろうボロボロの繊維質が気が遠くなるほどの年月を感じさせた。戦争によって焼き払われ、誰にも弔われること無く、多くの兵士が死んでいったのだろう。
私は普段抱くことの無い哀しみを感じ、長い廊下の突き当たりで後ろに向き直ると両手を合わせた。
これに特に意味があるとは思ってはいない。
それは南部の真似であった。仲間が不運な事に探索中に死亡した時に南部が必ずやっていた行動だった。
小さい頃の私は南部に何をしているか聞いた。死んだ人間は言葉が聞こえないから心の中で別れの挨拶をして、手を合わせることで想いを故人に送るのだそうだ。
この世界が今の姿になる以前は皆が知っていてそれをする文化があったと聞いた。
今思えば、なぜ皆が忘れている文化等についての知識があるのかと疑問に思ったが、それを聞いた私はその時から南部の見様見真似で手を合わせるようになった。不思議と、自分の想いが伝わるような気がしたからだ。安らかに眠れと。
誰かも分かりはしない亡骸達に背を向け、地下へと続く階段を折り始めた。その時だった。
背後から音がした。
それはついさっき自分が間近で聞いた音。自動開閉式の金属扉が開閉する音だ。
私以外の侵入者。嫌な予感が私の足と息を止めさせた。
「ウサギは穴倉がお好きなようだなぁ……。いけないなぁこんな所に入っちゃあ……」
奴だ。遠くから微かに聞こえてきたその声には余裕が感じられた。どうやってか知らないが、私のとっておきは奴の息の根は止められなかったらしい。
私は急ぎつつも気配を殺しながら忍び足で階段を下りた。
隅々まで捜し歩くのならば最終的には奴とすれ違うか、対面せざるを得ない状況になるだろう。その前にこの施設にある戦前の武器を集めて奴をなんとかする方法を探さねば……。
バヨネットから距離を置いたのを気配だけで察した後私は細かな確認は止めて、ある程度部屋の入り口で目星をつけ、扉を開ける。
数分歩き続ける。武器保管庫とあからさまに当たりな部屋を発見し、ドアノブに手を伸ばす。
ノブをひねって前後させるも扉はピクリとも動かなかった。鍵がかかっている。
ここまで来て、鍵がかかっているから帰るだなんて出来るわけも無い。
上着の内側に仕込んでいたピッキングツールを取り出す。何パターンかある先端の曲がった細い金属棒を2本取り出し、慎重に鍵穴に差し込み、解錠を試みる。
カチャカチャと音はするものの、なかなか解錠に至らない。私の手はだんだんと焦りで震えだした。
ここでモタモタしていたら奴に追いつかれる。不安と緊張から来る震えを冷静さで押さえ込もうとする。しかしそれに反して手袋をしているのも相まって短い時間で手が汗ばんでくる。通気性の良い手袋ではない、すぐに手袋の中は蒸れてきた。
そして、ようやくガチャっと違う音が鳴り、解錠を確信しノブに手をかけた。
「随分ご熱心だったようだなぁ……」
背筋が凍りつく。
私は振り返ることなくその場でノブを回すと飛び込む様に部屋に入った。
背後でバヨネットの笑い声が聞こえる。
「待てよぉ、俺と遊ぼうぜぇ!」
急ぎ扉を閉めそこに自分の全身を乗せ背中で押さえ込んだ、その背に激しい衝撃を受ける。
強い衝撃は低い位置から広がる。バヨネットが扉に向かって蹴りを入れたのだろう。自分の得物を使わなかった辺り、本当に奴は"遊び"で私をどうにかしたいらしい。どうにかすると言っても最終的には死ぬのは明らかだろう。
私は鍵そのものは壊していない。すぐさま鍵を閉めると辺りを見渡す。
この施設に入る時セキュリティシステムがまだ生きていたことから何となく予想していたが電力はまだまだ現役らしく、重要な部屋には十分な照明がついていた。恐らく施設のどこかに施設が独立して稼動できる様に発電室があるのだろう。
部屋はかなり広く、今立っている場所からでは全景が把握できない程だ。
急ぎすぐ隣にあったロッカーを扉の前に押してバリケードにする。気休めにしかならないだろうが無いよりマシだ。
何度か扉をガンガンと殴打する音が聞こえる。私はとにかく武器を漁る為部屋に所狭しと並べられた金属棚を見渡し、愕然とする。
蛻の殻だったのではない。どれも使い物にならなかった。
長年放置されていたのは入った際の埃等で明らかであったのだが、恐らく、ここが管理されなくなって間もない頃に一般人の略奪か軍関係の人間に使える物はほとんど回収されてしまったのだろう。この施設は大分昔から機能していない。入り口のセキュリティは甘く、この部屋にしたって私の様に解錠した奴がいたり、または正規の方法で入れる人間だっていたかもしれない。
何百年もこの場所はあったのだ少し考えれば、既に荒らされている事だって予想できたではないか。軍用施設なんてものは武器にしても他の物資にしても豊富に蓄えがあるなんて誰にでも考え付く発想だ。
ここまで落胆したことは無い。ド素人の想像力の欠如と抱えすぎた期待に対する現実に、私は膝から崩れ落ちそうになる。
何でも良い、今の現状を切り抜ける何かが無いか? その思いで私は部屋の奥へと駆ける。その際も相変わらず背後では扉を叩く音は鳴り止まない。
部屋全体は大きな長方形をしているが、背の高い商品棚を連想させる武器保管用の棚が中央に整然と並べられており、その大きさがこの部屋を狭く、入り組んでいるように感じさせる。
部屋の端にたどり着くと今まで棚の影で見えなくなっていた壁に更に奥へと続く扉があった。
扉の前まで行くと取っ手と思われる物がついていないことが分かる。施設の入り口のような自動開閉式の扉なのだろう。扉のすぐ側には開閉を操作するのであろう端末があった。
壁にはめ込まれたパソコンの様に見えるそれは横長の画面で、キーボードは壁に折りたたまれて収納されている。
キーボード部分は壁の方へ少し押し込むとパタッと力無く倒れこむように下へ開いた。開くのが条件なのか、キーボードが出たタイミングでスクリーンに一瞬ノイズが走り、ぼんやりと青白い壁紙が表示される。そしてその中心で横回転する図形が目に留まった。白地に紅色の線で大きく描かれたエンブレムはかつてこの地が日本と言う1つの国家だった時に掲げられた軍旗のそれだ。
立体映像で作られた旭日と呼ばれるそれは回転し裏返ると別の形をした旭日へと形を変える。表と裏で光線の本数が違うようだが、今の私にはそれが何を意味するかは分からなかった。
そうこうしている内にスクリーンの中心に入力画面が表示されパスワードの入力を促される。
私はスクリーンとキーボードの間にあるUSB端子のジャックを確認すると探索隊が常備するハッキングツールを取り出し接続した。
ハッキングツールは南部のお手製であり、パスワード等でロックされた端末に接続するとセキュリティソフトをすり抜けて内部データに進入し、パスワードの入力履歴から正解パターンを抜き取る。
自動入力する事で真正面からパスワードを解除させると言う代物らしい。
どういう構造をしているかは機械に疎い私にはよく分からないが、今の私にはパソコンにぶっ刺せばいい便利な道具であることが分かっていれば問題はない。
流石に軍用のセキュリティ相手に時間がかかるのかツールについているハッキング作業のインジケーターがカチカチと何度も点滅をしていた。
その点滅に合わせるかの様に背後の扉を叩く音が激しさを増しており、焦らずにはいられなかった。しかし現状私は待つしかなかった。
私には理解不明な暗号とも思う文字の羅列がツールの画面上を流れていく。私はいつでもコードを引っこ抜ける様に接続部の頭を掴み、ただ待った。
しかしその時。
一際大きな音と共にあの男が遂に侵入してきてしまった。
蹴飛ばされて飛んで滑ったバリケードと扉。そして硬い靴の足音が私の耳にねじ込む様に入り込む。
部屋に入ってきたバヨネットは相変わらず気味の悪い笑い声を吐く。
それは地の底から這い上がってきた伝説上の悪魔の嘲笑を連想させ、今まで他人に対して抱いてきたどの嫌悪感にも当てはまらない歪な気色の悪さを覚え、私は思わずツールの画面を見ずにケーブルを引っこ抜いた。
抜いた瞬間やってしまったと言う後悔で顔から血の気が引くのを感じた。
体ごと振り向いていた私の視界に悪魔の様な紫の瞳が入り込んだ。射抜くような猛禽類を連想させる鋭い視線に私は思わず後ずさる。
後ずさって扉に背中を預ける形になるかと思いきや、それは違った。
バヨネットのあまりの存在感に圧倒され、私は扉がスライドして開く音を聞き逃していたようだ。いや、もしかしたら聞こえないほどの静かな音で開いたのしたのかもしれない。どちらにせよ、私の背後には壁は存在しなかった。
足が突っかかる。そのまま虚空に体を預けたら転倒するところだが辛うじて踏みとどまる。
そのまま後ろに引っ張られるような感覚に乗り、よたよたと酔っ払いのような足取りで交代する。
「おいおいどうした? さっきのは効いたぜぇ? まさかこの俺をビルで潰そうとはな」
体勢を立て直すと私は咄嗟に銃を抜き、バヨネットへその銃口を向けて引き金を引く。
数発の発砲。マズルフラッシュが明滅する照明となって周囲を照らし、放たれた弾丸は正確にバヨネットの肉体を捉えていたが、やはりと言うべきか。
「銃じゃ俺は殺せねぇ。分かってんだろ?」
響き渡る銃声の後の跳弾する。
人間業とはとても思えない。奴はまた私の銃撃をその両手に持った2本の銃剣で弾き、肉体への直撃を避けて見せたのだ。
最早偶然ではない。こいつは確実に私の、いや、銃の弾道を何かしらの方法で見抜き、正確に飛んできた銃弾を弾いている。
バヨネットは舌なめずりをしながらジリジリと距離を縮めてくる。
一度背を向ければ最初の時の様に尋常ではない速度でこちらに切りかかって来るだろう。
得物は銃剣。殆どの人間が銃で武装するこの時代でその武器で相手を殺すには凄まじい突進力が必要になる。この男は銃弾飛び交う戦場でも見た通り無傷で突破できる。
こんな化け物とどう対峙しろというんだ。今から死角に潜り込むのは不可能と言い切れる。なるべく視界から外さぬように辺りを観察する。
最悪な事に、背を向けたまま部屋に入ったせいで背後に何があって壁まであとどのくらいなのか判断できない。
そして現状左右の壁が見えず、正面の壁だけ見える事から仮に正方形の形をした部屋だとしたら相当広いと思われる。
相変わらずの金属の壁だ。塗装もしていない鉛色が視界の大半を占めている。様々な配管が天井を走り、地面の一部は格子状になっており床下の何かの配線が隙間から見えていた。
この部屋はただの武器庫ではなさそうだ。よく耳をすますと電気の交流音である低く持続した小さい音が背後から聞こえた。
武器庫の奥が変電設備や発電設備と言うのは考えにくい。私は銃口をバヨネットに向けたままゆっくりと後ずさり、踵や開いた左手で背後に何か無いか意識を集中させた。
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