第5話 バヨネット:前編
休日の夜は明日の準備の為に銃の手入れをする。
自室、ベッドに腰掛けると腰の下げていた
スライドの動きに違和感が無いかとか銃を隅々まで触っていると、だんだんとその銃に愛着が湧いてきて、気付くと頬が緩んでいたりする。それに気付くと思わず見られてないか周囲を見渡してしまう。
最初、この銃は私が捨てられていた場所に一緒に置いてあったという。それが誰の物であろうがわからない。
南部は私が一五になる時にこの銃二挺を渡された。その時は気付かなかったが、今ならわかる。様々なパーツが改造されていた。いや、修繕されていたと言って良いか。
十数年の年月の中、南部はゆっくりと銃のパーツに合いそうなガラクタを集めては銃の修繕に努めていてくれたのだろう。
私が捨てられた時には既に改造されていたのかと思ったが、手がつけられた所の新しさから私が勝手にそう思っている。
無論南部は自分が直したなんて言ってくれない。
この銃を渡された時もぶっきらぼうに押しつけてきて、テメェがいたとこに捨ててあったもんだ、という酷い言い草だったのを覚えている。
半ば押し付けられたようなもので、その口の悪さも相まって当時の私は誕生日になんでこんな仕打ちを受けないといけないのかと思い、自室に帰るなり銃を放り枕を濡らしていたのをたまに思い出す。
思い出すって事は無意識に根に持っているのかもしれない。今更謝れとは言わないけれど。
あの不器用な性格と長年付き合っているのだ。もう慣れた、と思いたい。
ぼんやりとメンテの終えた銃を手にして眺める。照明に照らされたコンポジットが鈍く灰色に明かりを反射する。
そんな時に、急にドアをノックする音が聞こえた。
******
それが二日前――。
相変わらず、外は肌寒い。だがこれでも少しは暖かい方か。昔は四季と言うものがあり、一年を通して世界は様々な顔を見せたらしい。でも、私が外に出るようになった日からの十数年、世界は冷たい空気と寒々しい空しか見せていない。
私は今、横須賀に来ている。あの夜、急に南部が私の部屋を訪れた。
『早急に武器がいる』
そう告げた。私が生け捕りにしたブリガンドから情報を吐き出させたところ、どうやらそいつは神奈川のブリガンド集団の中でも特に大規模で組織化された〝五芒星革命軍〟と呼ばれる連中の一員だったらしい。
私も直接話を聞こうと思ったのだが、既に南部が額に風穴を開けてしまった後だった。一通り必要な事は全部吐かせたから用無し、と言うことらしい。
話によると、そのブリガンドの連中は新たな国をこの地に築くとか何とか言っているようで、ヴィレッジの人間を地上に出しては組織に入る事を強要しているみたいだ。
新しい国、何を巫山戯た事を言っているのだろう。
国同士の争いによって荒廃したこの世界で戦前のガラクタから使える物を拾って使いまわす現状。今更国などを掲げて何を成すというのだろうか。野心家の考えなんて私には理解できなかった。結局のところ、ヴィレッジを支配して、逆らう者は殺し、ヴィレッジの設備を食い荒らしたらその次へ、やっている事は他のブリガンドと同じだ。そんな連中が今回食いつぶすヴィレッジの標的がたまたま私のヴィレッジだっただけ。
探索隊に支給されている武器だけでは足りないし、横浜ヴィレッジの応援の支援を貰うにも向こうが考える時間を待っている暇も無い。
南部は横浜ヴィレッジに連絡して応援を待つ間、私に託した事、それが武器の調達だったと。
横須賀海軍施設。横須賀に点在する軍事関係の施設。日本では無く米軍の施設だったと記録されているが今は所属など関係無い。今はただの廃墟だ。
幾つかの施設は中に侵入不可能な状態にまで破壊されていた。だが1つだけ、南部の話によると辛うじて形を留めている施設があるらしい。
その場所は既に地図で確認している。もうすぐだ。
しかし、この場所は不気味だ。
外界は戦後から間もなくしてシェルターから出て来た人々によって大小様々な集落の様な物が存在している。
ビニールシートと瓦礫やガラクタを組み合わせて作った住居や大型ビルの廃墟などを住まいにしているブリガンドでは無い者達の集まりだ。
中にはヴィレッジに入る事無く大破壊を生き延びた人々の子孫がそのまま集落を継いでいるなんて事もあるようだ。
彼らはブリガンドに対する自衛手段を持っている者達だ。ヴィレッジの人間よりも逞しく、それだけに信用を得られれば外界では良い拠点となりえる。
残念ながら私は横須賀まで出た事が無い。もしそう言った集落を見つけても交渉から入らなくてはならない。
正直なところ、ヴィレッジを出てから休まず歩いて来た私はそろそろ一休みしたいと思っていたのだが……。
見事なまでに何もない。焼け野原と、朽ち果てた建築物。
ブリガンドの気配すら無い。
自分の足音と、廃墟を縫って吹く風だけが私の耳に入る。ヴィレッジ周辺も静かなものだが、虫や鳥の鳴き声がする。
大破壊と汚染で外界に存在する者の大半は死に絶えたが人間が僅かに生き残った様に動植物達も生き延び、崩壊後の世界に順応する様に進化を繰り返している。
人間は変わらない。元から自然に生きている者達だからだろうか、それとも神が私達に事を起こした種族としての罪を実感させる為か。
音の無い世界で私ひとり、長時間歩いているだけのこの時間はどうしても余計な考えが浮かんで溜息をついてしまう。その瞬間だ。
「何だ……?」
何処かで僅かに聞えた。乾いた短い、微かな音。
「銃声……?」
僅かに聞こえる。銃声。……神経を研ぎ澄ませ、瞼を閉じた。
また聞こえた銃声は場所は、どうやら私が向かっている方角からの様だった。
地図を確認する。銃声はおそらく、目的地の軍施設。
ブリガンドか、またはそれに対抗する外界の人間のものか、どちらにせよ私の向かう場所で厄介事が起きている事は確かなようだ。
寒空の下、瓦礫を縫う様に駆けだした。
走っている途中、冷たい物が頬にぶつかった。ひやり、と冷たく、小さなものだ。その感覚に思わず足を止めた。
辺りを見渡す。相変わらずの廃墟によって温度を感じない灰色の荒野と青灰色の空。
……青灰色の空? 辺りの変化に気付く。雲の流れが速いのだ。そして大きな暗雲が急速に周辺一帯を覆い尽くそうとしている。
頭上を見る。正に私の真上には先程まで見ていた青白い空があった。しかしそれは瞬く間に暗雲によって見えなくなっていく。
そして、冷たいものの正体を見た。
白い、白い、それは見慣れたもの。ひらひら、ふわふわと降り注ぐ。
「雪……か」
掌を翳す。一粒の雪が、はらり、と掌に落ちる。間もなくして白い氷の粒は溶けて消えた。
この先も終わる事が無いだろうと思われる長い長い冬。時には雨も降るが、雨よりも雪が降る方が断然多い。見慣れている筈なのに、私は雪を好きになれない。
大破壊直後の雨や雪は有害な汚染物質を含んでおり、外出する事は自殺行為に等しかったらしい。酷い時は雪が皮膚に当たった後火傷の様に爛れたとか。だが長い年月で雨も雪もその汚染濃度は低くなっている。
だが、それがわかっていても、雪を見ると無性に鬱屈した気持ちに苛まれる。そしてその気持ちが自分で腹立たしいと思ってしまう。故に嫌いなんだ。
バンッ――。
思考を遮る様に、また銃声が聞こえた。さっきより近い。
弾かれた様に銃声のした方へと体を向けると足音を殺しながら歩き始めた。その間、私は肩に掛けていた狙撃銃を取り出す。
TMPとは別に持ち出した銃だ。なんでもヘビーバレルとか言うものらしく、その昔は日本の警察が使っていたらしい。
その名に恥じぬ大口径の狙撃銃で、持ち慣れない木被の感触を手に馴染ませようと何度か握り直す。ストックを肩に当て、ゆっくりと歩を進める。
時折足元に注意しながら、倒壊した建物の隙間を縫って確実に銃声の方へ、踏み込んでゆく。
すると、目の前に廃ビル群が立ちはだかった。
目に見える範囲の窓ガラスは全て割られ、一部の壁は何かの爆発による破壊だろうか、黒い跡を残して崩れている。破片は細かく飛び散っている様だ。
回り道をしようにもビルとビルの間の狭い通路は崩れ落ちたコンクリートの破片によって塞がれている。若干焦燥を感じ始める。
構えていた銃を下ろして落ち付いて辺りを見渡す。
「ん、これは……」
足元の砂利に目が止まった。灰色の砂に混じって赤い砂がある。砂が赤いのではない。これは……。
「血か。割と新しい、さっきの銃声の……」
しゃがみこむ。途端に風が吹き、鼻に砂が入り咳き込みそうになったが咄嗟に鼻と口を手で覆い耐え、ジッ、と血混じりの砂を探す。
すると微かにだが赤い点が灰色の道にポツポツと落ちているのを見つけた。
手負いの人間が歩いた跡だろう。血の主がまだ生きている事を仮定して銃を構え、警戒を怠らずに血痕を辿った。
血痕は廃ビルの中へと繋がっていた。屋内に入る為、ヘビーバレルを肩に掛け直し、TMPを一丁、ホルスターから抜く。
ビルの中は雪が降り始め、薄暗くなった昼空も相まって暗い。電気など通っている筈も無く、屋内の照明は全て落ちている。
元から外は薄暗かったのもあってか、目が暗さに慣れるのは早かった。背後で風が鳴る。腰を落としながら慎重に歩みを進めたが直ぐに血痕の主の姿を見つける事が出来た。
ここは何かのオフィスビルだったのだろう。天井が落ち、二階の部屋がそのまま一階に落ちていた。
そこにははめ込み式の絨毯が敷かれており簡素な作りのスチール製オフィス机がいくつも乱雑に転がっていた。
机の上に置き去りにされていただろう書類の山は無残にも散乱し、経年劣化と虫食いでボロボロになっており、綺麗に整頓されていた面影は感じ取る事が出来ない。
そして血液の主は身を隠したつもりなのだろうか、倒れたオフィス机の影に足を投げ出して座っているのを、僅かだがその足が見えていた。
素人なのか、それとも身を隠す事を意識する暇が無い程に負傷しているか……。
右手で銃を持ち、空いた左手で腰の後ろにあるナイフホルスターから
相手はこちらに気付いていない。
ゆっくり、近づく。
荒い呼吸が耳に入って来る。深手を負ったのだろう。だが油断はできない。
見えない所で鳴った銃声。血を流した目の前の存在。やられた側と見て間違いないだろうが、この存在が銃を持っていない保証は無いのだ。
ナイフの射程に入った瞬間、一気に踏み込んだ。
「動くな」
小さく、だが相手にはっきり聞こえるように語気を強める。
座り込んでいた男の首元に切っ先を当てがう。相手も一瞬こちらを見て銃を構えようとしたが、圧倒的に私のナイフの速度が勝った。
いきなり殺しにかかるつもりの無い事を知ってか、男は力無く辛うじて銃を持ち上げた腕を自らの腹の上に落とした。
男を見る。あちこちに怪我をしており、黒いコンバットアーマーの布地の部分がズタズタになっている。
露出した肌からは鮮血がゆっくりと皮膚の上を這っていた。
あまりの出血量に私はここで初めて血生臭さを感じ、思わず眉を顰めた。
その時、私は傷口に違和感を覚えた。
明らかに、銃痕では無い。
男はヒュー、ヒュー、と気管を詰まらせたような苦しい呼吸をしながら虚ろな目で私を見上げている。何かを伝えたいのか、男は銃を腹の上に置き、私のコートの袖を引っ張った。
「あ……ぁ……」
「なに、一体……」
「バ……バヨ……」
ゴボゴボ、と男の喉から水っぽい物が泡立つ音が聞こえたと思いきや、その次の瞬間には言葉を阻むように、男の口の端から赤い筋伝った。
「お、おい……しっかり」
周囲にこの傷を負わせた者がいるかもしれないと言う警戒心を抱き、声を抑えつつ耳元で男を激昂する。
しかし、男の目からはどんどんと生気が失われていくのが見て取れた。男の手を取る。氷のように冷たい。
男は最期の力を振り絞ったのか、早口に私の耳元に言葉を流し込んだ。
「バヨネットに、気を付けろ……!!」
「え……」
男はそれだけを告げると自ら私を払い、古い紙切れが散らばった床へと倒れ込んだ。
私はうつ伏せに倒れ込んだ男を見て、一瞬息を飲んだ。
正面に見えていた傷、その幾つかは背中にまで達していたのだ。そこでようやく男が背を預けていた机が血に塗れている事に気がついた。
そっと指先で、傷口をなぞる。銃痕でないソレは紛れもなく刺し傷。そして体の正面に見えたいくつもの傷は明らかに切り傷であった。
背後から刺されたと考えもしたが、男の体を見るに相当戦い慣れをしているように見えた。手にしていた拳銃はよく見ると純正品ではない。修理の繰り返しでパーツの古さにばらつきがある。
だがボロボロにされてはいるが装備は充実している。コンバットアーマーは戦前の軍隊の物であろう代物で、今の技術では作れない合金による高い防御性能を持っている。
これはその辺に徘徊して手に入る物ではない。軍施設の廃墟など、戦争の傷跡が深く残された場所を探索しなければ手に入らないだろう。
そういった場所は爆弾による汚染や、それによって変質し生まれたミュータントらを相手にしなければならない。
ブリガンドなどを相手にするのとは比べ物にならない程の危険を伴うのは火を見るより明らかだ。
そんな男が致命傷になる程の刺突を背後に何度も受けるだろうか。
「バヨネット……銃剣か……」
主にアサルトライフル等のバレルに装着する事の出来る刃物を指す。銃剣、バヨネット、ベイオネット等と呼ばれる物だ。
仮に、この傷がバヨネットによるものだとすれば、疑問が過った。人体を背後なり正面なり、突き刺して人体を貫通する程の刀身を持つ銃剣を私は知らない。私の知る銃剣は柄に工具が仕込まれている多機能のコンバットナイフが一機能として着剣用リングがついている程度の物で耐久性に乏しく、厚着した人体に何度も深く傷をつけられる物ではない。大振りの物であっても、こうも深く人体に突き刺していたら刃の方が根元からポッキリいく筈だ。
今は銃剣についてこれ以上考えていても仕方がない。余計な思考を廃し、周囲の安全を確認してから目の前で死んだ男の装備を物色する。
死んでしまったからには武器や道具も意味は無い。まともに使える物資に乏しいこの世界で生きる為には、死んだ者から使える物を貰わなければ……。
死んだ男の体を仰向けに転がす。アーマーの上から付けたサスペンダーに繋がれたポーチを弄る。
男の持っていた銃の弾薬と、予備弾倉、煙草、錠剤タイプの鎮痛剤。薬と煙草は高く取引される。これから行く軍施設の武器にもよるが荷物に余裕がある内は持っておこう。
遠征では多くの物資を持って帰れるように重装備にしている。今は収納の殆どが空だが帰りは苦労しそうだ。
弾薬と予備弾倉、そして拳銃だが、弾は銃によって合う合わないがある為あるに越した事は無い、と言うわけにはいかない。
弾倉も弾薬も私のTMPとは合わない。銃は使いなれた物、弾はその銃に合わせていないと嵩張ってしまう。
銃は重さに対して取引する価値としては遠出すればする程割に合わない事が多い。
対して弾は過去の文明の遺産でもある貨幣や紙幣といった金の代わりに使われる。
自分が使わない銃弾はそのまま金として握っていても良い。
男のウエストポーチを丁寧に外す。私も巻いていたが、自分が苦にならない所までは物は持てる様にしておきたい。
ポーチの中には包帯とこの男が資金として握っていたのであろう、拳銃に合わない銃弾が無造作に突っ込んであった。その中にある私の銃で使える物は分けて仕舞い込む。
手短に物色を済ますと私は立ち上がった。
硝子が割れていると言う事は、建物を越えて軍施設に向かう事が出来るだろう。
男の最期の言葉を気に留め、ヘビーバレルを構えた。入って来た方と反対の方向に歩き、窓際で壁に背を預ける。その場から見える範囲で外の様子を確認する。
誰もいない。そして目の前に見えるのは金網のフェンスとその向こうに広がる整地された空間。
折れたプロペラや翼のある戦闘機や軍用のヘリだろうか。ひとつ残らず使い物にならない残骸が広場に散らばっている。
そして見てしまった。
「なんだ、あれは……」
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