第4話 キャラバン:後編

 ――翌日。

 エンドテーブルに置いておいた腕時計がアラームを鳴らす。

 機械的で断続的、何の起伏も無い、ピピピ、と言う音が次第に大きくなっていく。

 寝ぼけながら私は腕を伸ばし、見る事無く手探りでアラームを切ると瞼を擦る。

 身を起こす。狭い自室だが、しっかりした個室なだけ恵まれている。

 シェルターとして機能する際に使用される事を想定されて用意されていたしっかりした個室のある居住区は、現在居住区と呼ばれている地下街があった場所の更に地下にあった。

 その規模はとてもお粗末なもので、三〇人そこらが生活するので精いっぱいと言うレベルの広さである。そして今ヴィレッジにいるのはぎゅうぎゅうに詰めて二〇〇人、エントランスのプレートに書いてあった収容可能人数は三〇〇人とあった。

 一体どこをどう計って三百人収容可能と思ったのか。二五〇〇年にはヴィレッジ建造計画が始まっていたらしいが、平和ボケと言うのは計算もできなくさせるのだろうか。計画者と設計者は実際に利用される事等考えていなかったようだ。


 それはさておき。今日は探索隊の仕事は非番だ。

 時刻は朝7時。休日の朝にしては少し早く起き過ぎたか。

 娯楽やその他雑多なもので溢れかえっていた戦前。廃墟と化した川崎周辺は一通り探索した。ガラス張りのお洒落な喫茶店。多くの筐体が並んだゲームセンター。多くの漫画や雑誌が並ぶ大型書店。トレーディングカードを取り扱う玩具屋……。

 どれも大半が瓦礫に埋もれていたり、長い年月、人が踏み入らなかった場所に積もった埃にまみれていた。

 本来人々で賑わっていたであろう場所が無人と言う、広さと静けさには僅かながらに恐怖感と物悲しさを抱いた。


 エンドテーブルに視線を移す。

 ヴィレッジ近くにあったゲームセンター跡。そこで拾ったぬいぐるみが目に入った。

 赤い髪の少年を模して作られた、ぬいぐるみ。気の強そうな赤い瞳に惹かれてついつい持ち帰ってしまった物だ。

 初めて外界を探索した時に私は最初から記念に何かを持って帰るつもりでいた。共に行動していた南部に最初は無駄な物は持って帰るなと渋られたが、結局駄々をこねて持って帰ってきてしまった。なんだかんだ持って帰る事を許した南部は口は悪いが冷酷な人間ではないと思った。

 ヴィレッジ生まれでもない私が南部に拾われ、こうして綺麗な個室まで与えられ暮らせているのも裏で南部が根回ししてくれたからだろう。そう思うと頭が上がらない。

 ……でもそれでも、いつかは私は此処を出たいと思っている。南部が止めたとしても。


 私はベッドから出て立ち上がると洗面台に向かった。

 ひとつの部屋の中に洗面台、寝具、書棚、食卓全てが用意され、それが綺麗に収納された部屋は広い。広いと言っても6畳くらいだろうか。

 ベッドは折りたたみ式で、畳むと壁にはめ込む事で壁と一体化する。エンドテーブルも上の棚の部分が折りたたみ式になっており、展開させると少し物を置くスペースが増える。私は銃を弄る時、よくベッドに腰掛け展開したテーブルを使っている。

 洗面台は収納されていないが、正面の鏡が収納スペースになっている。

 私は眠気を覚ます為に蛇口を捻った。

 刺す様に冷たい水。水は浄化装置で汚染を除去してはいるが、外界の寒さは排水管を冷やし、水を冷たくしている。

 顔を洗って頭を上げると、鏡には寝起きで目つきの悪い碧眼の顔があった。塗れた金色の前髪を雑に左右へ逃がしてやると台の上に置いてあった赤いヘアピンで留めていく。

 鏡に映る自分の顔を睨みつけながら長い髪を後ろに適当に束ねていくと、半端な長さの髪が逃げる前にヘアゴムで締め上げる。腰より下まである髪を手繰り寄せ、何度かヘアゴムに通していく作業は億劫だが、義父にこんな時代だからこそ出来る限りの身だしなみはしろと口酸っぱく言われていたのを思い出してなんとか髪のセットを終わらせた。口うるさい義父だが、義父自身が口だけではなく短い髪をいつもセットし、髭の長さを整え、眼帯は幾つも替えを持っていた。だからこそ、私はその言葉に従った。

 金髪碧眼、目が大きくて鼻もそこそこ高い。けど肌の色はというとそこまで白くない。見慣れた顔であったが、義理とはいえ親とこうまで似てないというのは少し寂しく感じる事がたまにある。

 このご時世、肌の色や髪の色でギャーギャー抜かす人間はいない。というより、狭く限られた社会で多くの人種の血は既に闇鍋の如く混じっている。本当の親がいないというだけで、こうも自分と他人の違いが気になってしまうのかと、私は私のコンプレックスに辟易する溜息を洗面台に零した。


「朝っぱらか溜息ですかイ? お嬢さン」


 機械から発せられる声に振り向く。そこには私の部屋の扉にはめ込まれたガラスからこちらを覗きこんでいるイサカの姿があった。

 外部の音は金属扉と部屋の壁で聞こえないが、個室には外部と会話できるインターカムが付いている。

 朝早くから人の部屋のインターカムから声をかけてきたイサカに私は再度溜息を漏らした。


「朝っぱらから女の部屋になんの用?」


 扉の横のスイッチを押して金属扉をスライドさせる。


「相変わらズ、朝は苦手かイ?」

「わかっているならこんな時間に来ないで」

「折角君の分の食事を持ってきてあげたんだガ」


 イサカの手には蓋付きの容器、その上には小さな丸いパンが乗っていた。


「……入りなさいよ」

「どうモどうモ」


 にこやかに笑いながら私の横をすり抜け、ドカドカと部屋に入って来るイサカを背を見ながら肩を落とす。

 スイッチを放すとしばらくして自動で扉が閉まった。


「いやぁまた背が高くなったんじゃないカ? あと胸も」

「オヤジ臭いセクハラ、おっさん共に囲まれる職場にいると感性も加齢臭を帯びて来るのかしら?」

「ツッコミは変わらず鋭いなァ。でも大人になったなと思うのは正直な感想サ」

「だったら最初からそう言いなさいよ。それと私はとっくに大人よ」

「大人なら自分を大人って言ったりしないサ」

「……違いないわね」


 二人揃って苦笑する。

 こんなしょうも無ければ品も無い会話、小さな社会の中で長く付き合ってきた腐れ縁同士でなければ成立しないだろう。

 食堂に入り浸ってる酔っ払いジジイに同じ事を言われたら、きっとその場でドタマかち割ってたと思う。



******



 ひとつの部屋に男女二人。しかし全く持って男女の関係という空気が無い関係。

 部屋の真ん中にある丸い食卓に持って来た配給食を置き、それを私の食器に移すと席に着いた。


「キャラバン?」


 イサカは取り分けられた肉のスープとパンを交互に頬張りながら反応する。


「口に物を入れたまま喋らないでよ。……そうよ。理緒が気にしてたわ。塩が少ないって」

「ん~、ボチボチ来るとは思うんだけド」

「ボチボチって何よ」


 口の中のパンを、薄い塩と肉の出汁が利いたスープで胃に流し込むと、イサカは満足げに吐息を零した。

 それを見ながら私もパンを口に運ぶ。

 ……無味。塩が少ないと聞いていたが、思いっきりケチったのか味が殆ど無い。パサパサのパンは口内の水分を奪っていく。

 私もイサカに倣ってスープを流し込んだ。


「多分1週間しない内にハ。大体半月に1回のペースで来るかナ。ヴィレッジメノウは距離的にそれ以上の頻度じゃ来れないシ、遅いとその間のお互いに不足している分の物を運ぶのに人員が必要になるからネ」

「ふーん、時間が合わないのか私はキャラバンとあった事が無いのよね」

「エントランスでそのままやり取りする訳じゃなくテ、管理区画でこっちのキャラバンと積荷の確認や今後の打ち合わせなんかもするかラ、人前にはあまり姿を見せないからネ」


 ヴィレッジスノウとは横浜にある大型のヴィレッジの事だ。

 あそこは巨大なだけに多くの住民が存在し、色々小さなトラブルが絶えないと言う。

 近年で1番大きかった問題は住民間の問題ではない。ヴィレッジメノウの水の浄化装置の故障だ。

 今は近隣ヴィレッジから浄化水を貰う代わりにヴィレッジメノウの持つ大型の塩精製工場から作られる塩を、このヴィレッジは貰っている。この出来事はキャラバンにいなくとも、管理区画に出入りする南部やイサカから過去に聞いていた。


「ありがとう。理緒に言っておくわ」

「どういたしましテ。お礼はデート一回でどうだイ?」

「貴方だけ防護服なしで工場跡デートなら」


 イサカの冗談だか本気だかわからない言葉を真顔で返すと、おっかないおっかない、と両手を上げて降参のポーズでイサカはおどけて見せた。

 道行く女にナンパの様な真似をしている様な軽い男だ。この位の返しでもしておかないとすぐに調子に乗る。


「キャラバンは通信機で定期的に旅の状況をこちらにも報告を入れて来ル。それはキャラバンの人間しか知らないかラ、詳しく聞きたいなら昔の同僚に聞いてみるけド?」

「いいわ、そこまでしなくて。後で借りだの何だの言われたくないし」

「言わないサ」

「どうかしらね」


 誰もが何もかも足りない世の中だ。物欲に勝るものはない。どんな人間だろうと、人は欲を内に秘めているもの。

 私は慣れた相手だろうと余計な関係は持ちたくないと思っている。いつそれが足枷になるかもわからないからだ。

 貸しは作っても、借りは作りたくない。

 そうは思っていても、生きている限り自分のあずかり知らぬ所で借りを作っていたりする。

 一人で生きてはいけない世界でそう言う勘定をするのは気が滅入るから止めた方が良いと思うのだが、どうしても抵抗感を感じてしまう事に否定できない。

 頑固な私の感情に僅かながらイサカには申し訳ないと思いつつ、早々に食事を終え、何事も無く解散した。

 私は聞いた話を理緒に話すべく、自室を後にする。部屋の扉は内側からはスイッチひとつで開閉出来るが、外から入る場合は中から開けて貰うか扉の横に付いているソケットにカードキーをスライドさせて通し、開かせる。

 私はカードキーを持った事を確認して部屋を出た。




 ――居住区画。


「あ! ステアー!」


 食堂に顔を出すと偶然目の前を通り過ぎた理緒に声をかけられた。

 両手で大きな寸胴を持っている。片付けでもしていたのだろうか。

 食堂は地下街の元飲食店を改装した場所だ。改装と言っても隣接している飲食店の壁をどかして広いひとつの部屋にした程度。

 だが元はしっかりした飲食店。厨房は本格的な設備であり、大きな冷蔵庫や大火力のコンロ、パン屋であった場所には釜戸もある。


「理緒、忙しい?」

「別に! もうすぐ片付け終わるから待っててね!」


 そう言うと自分の体の半分くらいの大きさはあるであろう寸胴を持って、やや海老反りになりながら駆けて行った。

 飲食店をくっつけただけなので厨房が何箇所かに分かれており、各厨房で調理したものを1か所に集めてそこで配給をする。

 故に、手早く片付けする為に空容器は手分けして運んで元の厨房に戻している様だ。

 近くにある席に付き、頬杖を付いて辺りをぼんやりと見回す。

 理緒の他にもエプロン姿のおばさんおじさんが片付けを始めている。理緒の両親の姿もあった。私は両親の方とは顔見知り程度の仲だったので目が合ったと同時に軽く会釈だけ済ませた。向こうも忙しいらしく軽く笑顔で応えるだけに止まった。


 食堂にはまだ食事中の人間がちらほら見られた。いつも狭いヴィレッジに詰め込まれ窮屈していて、どこを見ても皆が今にも死にそうな表情を浮かべているが唯一の娯楽と言って良い食事は誰もが笑顔だ。例えぎこちない笑顔でも、表情を変える事が出来るだけマシと言える。


「自分で食わないならこっちに寄越せよぉ!」


 声が聞こえ、チラッと聞えた方に目をやる。

 食堂から出て少し離れたところ、通路の隅で少女が男に絡まれていた。


「家で病気で寝込んでる母さんがいるんです……!」


 今にも泣きそうな声で、今日の配給品であるスープの入った容器を抱きかかえている。

 男の腰の高さにも満たない小さな少女は、ここから見てもわかる程に怯えて震えていた。

 直ぐ近くに昨日通った人の多い通路が繋がっている。しかしここからでも見える範囲に人が行きかっているにも関わらず、彼女を助けようとする者はいない。

 他人のトラブル等、関わりたくないと無関心を装っているのだろう。私はその周りの雰囲気に苛立ちを覚えた。

 他人を救おうと思わない者は救いを求める資格はないと私は思っている。

 相手は体格ががっしりはしているものの、素手の男だ。そんな相手にすら子供を守ろうとも思わない人間なら尚更。


「そう言って配給品を多く貰おうとしてるんだろ! いいから寄越せ!」


 そう言い男が足を振りかぶる。まさかそんな小さな少女に暴力を振るおうと言うのか。

 ヴィレッジはまだ文化的な生活が送れる人間がいると思っていたが、こういう輩はやはりどこにでもいるか。

 私は男が少女の体に蹴りを入れる前に脅してやろうと銃を抜き取る。立ち上がり、体を男の方に向ける。

 男の足元に向けて銃を構えた、次の瞬間だった。


 ――ガンッ!!


 私の真横を高速で飛ぶ黒い塊があった。

 それは弧を描き、男の顔面に鈍い音を立ててぶつかると、そのまま床に落ちてグラグラと揺れた。

 床に落ちたそれを確認する。それはフライパンであった。私は背後を向いた。


「何してやがる!」


 そう激昂したのは厨房の入り口で仁王立ちしている理緒であった。

 味覚に敏感な彼は聴覚も鋭いのだろう。厨房の中から外の男の声に気付いたのだ。

 理緒の行動を確認した後私は再び男の方に向き直る。

 女の子は目の前でフライパンをぶつけられて酷く狼狽している男を見て固まっていた。


「行きなさい」


 私が女の子に声をかけるとその声に我に返ったのか、1度だけこちらに深くお辞儀をして走り去った。

 頭を押さえながらも逃げた女の子を男は追おうとしたが、それを許す程甘くはない。


「一歩でも動くと貴方の鼻の穴がひとつ増える事になるわよ」

「な、なにぃ……? てめぇ……!!」


 血走った目を私に向けて来た男だがその瞬間体が硬直する。丸腰の状況で銃を向けられているのだから普通の反応と言える。

 すると理緒が早歩きで男の方に近づきだした。


「理緒……!」


 私は、危ない、と言おうと思った。しかし、その前に理緒がとった行動の方が早かった。


 男のイチモツを勢いよく蹴りあげたのだ。

 声にならない声を上げて床に崩れ落ちる男に理緒はもう一発、蹴りを入れた。


「そんなに支給された飯だけで満足できねぇなら外界にでも行って食い物でも探して来いよ!!」


 早口に捲し立てる理緒は近くに落ちているフライパンを拾い上げた。


「調理できないもんだったら僕が調理してやるよ」


 そう吐き捨てると理緒は悠々とした態度で私の元に歩み寄る。

 どうだ! と言いたげな理緒の表情に私はクスリ、と笑いながら銃を納めた。


「ナイスコントロールだったわ理緒」

「ステアー、あんな奴に銃をぶっ放すなんて勿体無いよ」

「そうね。次から私も何か投げてみるわ」


 私と理緒は顔を合わせてクスクスと笑った。


「将来は探索隊かキャラバンにでも入ったら? その耳とコントロールの良さならきっと活躍するわ」

「やだよ、僕は荒事なんて好きじゃないし。僕の戦場は厨房だけで十分さ」

「かっこつけちゃって」


 時折この理緒と言う少年の年相応と思えぬ言動に、実は私と同じか年上なんじゃないかと錯覚してしまう事がある。

 だが逆にいえばこの位の歳で精神的にも出来あがっていなければ、この狭い世間と危険だらけの外界は生きて行けないのだろう。

 そう思うと理緒の少し背伸びした性格を見るといたたまれない気持ちに胸を締め付けられる。

 この気持ちがどこから来るものかはわからない。ただ、いつか子供が子供らしく何に怯える事も無く健やかに生きれる時代が来ないかと思うばかりだ。

 そんな私自身もまだ20にもなっていないクソガキな訳だが……。


 私は理緒に伝える事も伝えた。残りの休日をどう過ごすか、それを考えながらふらりと食堂を後にした。

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